あの日の真実
今回、残酷描写が多めです。苦手な方はご注意下さい。
サンディはその日、自室で侍女達と絵を描いて過ごしていた。
紙いっぱいに大好きな両親の顔を描いていると、部屋の外で突然ドンと大きな音が響く。その後人の騒ぐ大きな声と、バタバタと走る足音が部屋の前を通り過ぎていった。
「何事でしょう、騒々しい」
侍女の一人がドアの前に立つと不意に動きが止まる。
「――どうしたのですか?」
もうひとりの侍女が問いかけるのと同時に、ドアと侍女の身体が同時にバラリと崩れた。壁に鮮血が噴き付くと血臭い風が一気に部屋へと吹き込む。
「きゃぁぁぁぁ!!」
侍女は悲鳴を上げた――が、幼いサンディは声すら出せず、目を見開いたまま震えだした。
刻まれたドアの向こうから黒い服を着た長身痩躯の男が入ってくると、足元に横たわる肉塊をチラと見て血の海を踏み付けた。暗褐色の髪は所々解れ落ち、明るい琥珀色の瞳は無表情にサンディを見ている。
「王弟陛下! これは一体……」
悲鳴をあげた侍女が、震えながらも立ち上がってサンディの前に立ちふさがりながら問う――が、その声は最後まで聞かれる事は無かった。その侍女も一瞬で全身をバラバラにされて床に崩れ落ち、サンディの全身が侍女の鮮血で染まる。
(………………っ)
サンディは声も出せぬままパニックに陥ってしまった。その幼い心は恐怖に凍りつき、身体はガタガタと大きく震えている。
そのまま男はサンディにゆっくり近寄ると、何の感情も見えない瞳で見下ろした。
「アレクサンドラ……ウルスの娘……」
それだけ呟いてサンディに手を向けた次の瞬間、男の身体は大きく横へと弾き飛ばされた。
「――グッ」
壁を破壊し隣室にまで吹っ飛んだ男は、すぐには動けない。
「サンディ!!」
サンディの母……マリエレッティが、腰まで真っ直ぐに伸びる銀髪をなびかせて駆けつけると、血塗れの小さな身体をためらいなく抱えて部屋を飛び出す。
見ればサンディの目は大きく見開いたままで呼吸は荒く、全身の震えが止まらない。
(まずいわ……穢にあてられている……)
長い廊下を駆け抜け、突き当たりの部屋へ入ると素早くドアの鍵をかける。そのまま続き部屋に行くと激しく震えるサンディをソファーに寝かせ、優しく声をかけた。
「もう大丈夫よ。少し眠りましょうね……」
サンディの額に添えた手からふんわりと青い光が放たれると、恐怖に見開かれた目はすうと閉じられて身体の震えも治まった。次にそのまま両手をかざすと、サンディの身体全体が淡い水色の光に包まれる。
「――浄化」
その光が消えると、被った鮮血は全て消え去った。
マリエレッティは立ち上がると、クローゼットからもやもやと不思議な色をした小さなローブを出して眠っているサンディに羽織らせる。その内ポケットに自分のローブから出した白い横笛をそっと入れて、ボタンをしっかり留めた。
更に自身のポケットから銀糸のような鎖が繊細に編まれたブレスレットを出すと、サンディの左腕に装着する。ブレスレットにはマリエレッティの瞳と同じ色――濃い青紫色に光る石が付いている。
「サンディ、どこにいても必ず私が迎えに行きますからね」
マリエレッティはサンディの額に優しくキスをした。
「……精霊よ、どうかこの子を隠しお護り下さい――『隠蔽』」
***
サンディは、騎士団長カルリオンの執務室――その続き部屋にある、比較的広い応接スペースにいた。他に天界王ウルスリード、王城騎士団長カルリオン、魔道士団長ラフォナス、そしてレオンとエドアルドがテーブルを囲んでいる。
訓練場での混乱後、全員が手分けして後片付けを行った。既に怪我人に対しての治癒は済み、命に別状のある者はいない。
そしてサンディは、彼らへの見舞いをして回った。自身の暴走で怪我をさせてしまった事を心から詫びると、負傷した騎士達は逆に恐縮し自身の訓練不足を謝罪した。
諸々の後片付けを終えて、ようやく落ち着いた所でここに集まっている。外は既に日が落ちており、テーブルには軽食が並んでいる――が、今のところ誰も手を付ける者はいない。
そんな中サンディがブレスレットを握りしめ、黒蝶に纏わり付いていた母の記憶を辿る。取り戻した自分の記憶とを合わせて、事件当日の様子を皆に語り終えたのはつい今しがたの事だ。
いつか見た夢――母に手を引かれて走り、優しく逃がしてもらった記憶――あれは母の優しさだったのだ、と今では思う。
間近で凄惨な光景を目撃してしまった幼いサンディは、大きなショックを受けて心に酷い傷を負った。それを一時的にでも忘れさせるために母は娘の記憶を隠し、代わりに当り障りのない優しい夢を差し替えたのだろう。
ここに集まっている天界人達は、王弟襲撃の際に不在だった者ばかりである。生き残った騎士や侍女の証言でしか状況が判らないままであったが、今それが始めて解明されたわけだ。
――だがしかし、皆の心はスッキリするどころか、余計に鬱が昂じるばかりである。
「――サンディを惑わせた黒蝶、あれは明らかにギベオリードの仕業だろう。昔から幻術の類はギベオリードの得意とする所だ。そして、マリエラの力を薄く纏うことによって魔の力を隠し、誰にも察知される事なくサンディに取り憑いたのだな」
ウルスリードは苦々しい顔で呟いた。
「それにしてもどうやってここに入り込めたのかしら? 地底から地上まではともかく、天界には直接入れないわよね」
ラフォナスが美しいバリトンボイスで疑問を投げかけると、カルリオンがそれに応えるように書類をめくりながら口を開く。
「陛下、恐らく――それについて先程、関連のありそうな件が急ぎの報告で入って参りました」
「うむ話せ」
「今日、陛下の執務室付きの侍女が地上で殺害されたそうです」
地上を旅している精霊師からもたらされた情報によると、とある小さな村のはずれで翼人の女性が殺害されたという。その現場は凄惨を極めており……。
「遺体の状況が……その……」
カルリオンがチラとサンディに目線を向けた事で、相当残忍な内容なのだろうと皆が察する。が、サンディは小さく頷いて促した。
「私の事は構いません。大丈夫ですから、続けて下さい」
「はっ。――身体が微塵に刻まれており、とくに翼の損傷が激しいと。あと、その……脳が失われているそうです」
「脳……」
ウルスリードは眉をひそめた。
「他に、現場から透視石のペンダントが発見されております。その色は――明るい琥珀色」
それを聞いたサンディとレオン以外の者たちは、揃って深いため息を吐いた。
「その透視石というのは……」
サンディは、自身の腰につけている黒い袋を出し、そこに付いている濃い琥珀色の石を見る。
「そうだ、サンディ。それと同じだ」
「お父様、この透視石? という物には、どういった効果があるのですか?」
サンディに問われると、ウルスリードはエドアルドに視線をやった。
「殿下、エドアルドからご説明申し上げます。透視石とは特殊な石を媒介してその所有者を見守る術でございます。この術を施された透視石は、術者の瞳の色と同じに変化します。術者はその石を通して周囲の状況を見聞きすることができますし、直接その石がある場所へその身を転移させる事も可能です――天界では、親が子供を見守る為に持たせる事が多いですね。ただし、距離や障害状況によっては、転移に石が耐えきれないか、耐えきれても一度で壊れてしまうこともありますが」
ウルスリードは頷いた。
「今日、お前のお転婆を止めに飛んだのは、透視石を使ったのだよ、サンディ。天界の中であれば転移程度で壊れてしまうようなことはない。ただ地底界から天界に、自身の身体を直接転移させるのは不可能だろう。だからギベオリードは、魔力だけを黒蝶に変えて送り込んできたのだろうな。――しかし一体どのような手段で、透視石を我の執務室付きの侍女に持たせたのか……」
エドアルドが顎に手をやった。
「その侍女はペンダントを付けたままで勤務していた可能性が大ですね。となると、執務室での会話はほぼ筒抜けだったと考えるべきでしょう。そしてわざわざ脳を持ち出したということは、その侍女の持つ情報や知識も今頃は恐らく……」
「あの、それって『脳から情報を取り出す』って事?」
不快感を滲ませた表情でレオンが尋ねると、エドアルドは頷いた。
「そういう術があるんだ。ただし禁術だから、実際に行使する事は禁じられている」
「さっすがエドちゃん、全学院課程を主席卒業しただけあって物知りねえ……って、なんでそんな事知ってるのよ? まさか、ちょっと試してみよう、なんて思った事があるんじゃ……」
目を細めて問いかけるラフォナスに、エドアルドは肩をすくめてみせた。
「――まさか。そんな忌まわしき領域に興味はありませんよ。学生時代、文献を読み漁っていた時にそういう書物があったので知っているだけで……あっ!」
そこまで言って、エドアルドは膝を叩いた。
「もしや地上での魔樹の件は、透視石を通じて知られたのでは……」
「――!」
ウルスリードにも思い当たる節があった。
「カルリオン。その侍女の名は、なんというのだ」
「『アメリア・フェルネイ』と申す者です」
「フェルネイ家の娘……確かにあの時、執務室にいたな……」
ウルスリードはテーブルに肘をつき、額に手を当てると深いため息を吐くのだった。





