強さと脆さ
サンディが訓練に参加する前日の夜。天界王城のとある一室では、男が二人で話合っていた。
執務デスクのすぐ脇、リラックスした様子でソファーに腰掛けるガチムチの大男――魔道士団長レティシオ・ラフォナスは、太い小指を立ててカップの取っ手をつまむ。
仕草だけは優雅に茶をすすりながらもう片方の手に持つ書類に目を通すと、魅惑的なバリトンボイスを放った。
「『一、訓練にアレクサンドラを参加させる事、一、魔道士部隊より一人指導役をつける事(女性限定)』――ふぅん、なんだか過保護な話ねぇ」
一方、執務デスクに座る褐色の肌を持つ青年――王城騎士団長 スコット・カルリオンは、デスクに肘を付きこめかみに手をやっている。整えられたはずの漆黒の髪の一部がはらりと額に落ちると、赤みを帯びた茶色い瞳が目の前に座る大男に向けられた。
「レティ、誰か適任者を知らないか?」
「え? これ、私でいいんじゃないかしら」
「はぁ?」
スコットが間の抜けた返事をすると、レティシオは書類をヒラヒラさせる。
「だってぇ、身体が女じゃなきゃダメ、なんて一言も書いてないじゃなーい?」
「……王に潰されるのは俺だぞ。勘弁してくれ」
頭を抱えて机に突っ伏すスコットに、レティシオはとどめを刺す。
「だって仕方ないじゃない……本当に他に適任が居ないんだもの。魔道士団は何人も女の子がいるけど、現時点で王族に指導出来るほどの知識と技量があるかっていうとちょっと難しいわね。――まだ若い子が殆どだし」
騎士団の中に魔道士団という組織は無かった――数年前までは。
そして昔から騎士団所属の者は剣を使いこなす事が求められていたため、男性が圧倒的多数を占めていた。
しかし『王弟反逆事件』ではその環境が裏目に出てしまう。魔術に関してはずば抜けて優れた資質を持っている王弟に対し、剣も魔法も「両方平均以上に」使いこなす訓練をしていた騎士達は、全く歯が立たなかった。
その結果として騎士団は、城内で一番多くの犠牲を出した組織となってしまったのだ。
その後ウルスリード王によって、大規模な組織改革が行われた。騎士団の中で特に魔術の素養が高い者を集め、魔道士部隊を新たに創設したのだ。
『どちらもできる』ではなく、個々の持つ資質を伸ばす方向となりその成果は如実に上がった。そして市井も含めて広く志願を募った結果、更に素養の高い者を集めることに成功し、その中には多くの女性も含まれている。
ただ彼らを精鋭として育てあげるには些か時間が不足している。魔道士団全体としては、まだまだ力量不足といったところだ。
「第一王族特有の技なんて陛下が直々にお教えすればいいのよ。何でそうされないのかしらねえ」
「アレクサンドラ殿下はマリエレッティ妃殿下に瓜二つだと聞いた。――陛下はお辛いのかもしれぬ」
「ああ……」
剣技や武術が得意なスコットと、見た目に反して繊細な魔術に長けたレティシオ。この二人は騎士団の中でも特に優秀なメンバーである。
王弟襲撃事件の際、二人は精霊王城に出向いていたウルスリード王とレナート王子の護衛として、精霊国へと同行していた。
襲撃の報を受けて急ぎ帰城した時、最初に目にしたのは城内の惨状であった。ズタズタに裂かれ、刻まれた上に焼かれた仲間たちの骸を拾い集めたあの日の光景は、今だに夢に見る程の凄惨さだった。
その惨状の中、犠牲者の中に王妃と王女の姿が無い事に当時はひとまず安堵したが、後にその理由を知らされてひどく絶望した。
その後しばらくして、二人は天界王を城内で見かける。目の下には濃い隈が浮き、頬は痩け、その濃い琥珀色の瞳だけがギラギラと光っていた。明らかに眠れていないであろうその姿は、今思い出しても心が痛む。
そして昨日。地上で発見されていた王女が呼び戻され、アヤナの試練を受けていたというではないか。
「でもアレクサンドラ殿下はまだ十歳でしょ? アヤナの試練を終えたばかりで妃殿下と瓜二つって――ものすごい成長っぷりよね? もしかして、地上で何かあったのかしらぁ?興味そそられるわぁー」
「――とりあえず、笛の使い方位は教えて差し上げろ。それ以外に殿下にどんな資質があるのかは俺も知らぬ」
「ええわかったわ。とりあえず個人レッスンからね。楽しみだわっ」
にんまりと嬉しそうに笑う大男に、スコットは願うように呟く。
「――頼むから、王の逆鱗に触れるような事はしてくれるなよ……」
***
訓練場の遥か上空まで来ると、エスコートの手が離れた。
魔導士団長と名乗ったラフォナスという男は、柔和に笑いながら惚れ惚れするようなバリトンボイスで上品に話しかけてくる。
「殿下。それでは早速ですが、笛をお出し下さいませ」
私は言われるまま、腰に付けたサコッシュから白い笛を取り出して見せた。
「それは王族にのみ持つことが許されている……いいえ。正確に言えば、実体のない翼を持つ者にしか扱えない武器なのですわ」
そして少し悲しそうな顔をしてラフォナスは続ける。
「たとえばそれを私が持っても全く使えません。なんなら笛として音を出すことすら不可能なんです」
「そうなのですね。――でもこれが武器……ですか?」
「ええそうです。試しに笛を持ったまま、何か武器をイメージしてみて下さいませ」
武器といえば……さっきレオンが持っていた剣を思い出してイメージしてみた。すると笛が淡く光った次の瞬間、美しく輝く白い細身の剣に変化した。
「……あらあら、殿下のお勇ましい事! ――魔導士は武器といえば杖を思い浮かべるのが普通なのに、まさか剣が出てくるとは思いませんでしたわ!」
太い小指を立てた手で口を隠しながら、ラフォナスはヲホホホと笑った。
――言われてみれば、自分が使える武器を出さなければ仕方がない。試しに短杖を思い浮かべると一瞬で剣は変化した。以前魚を捕る時に作った旋風の矢に似た短杖だ。そのまま続けて長杖――グレンダが持っていたような――を思い浮かべると、自分の身長と変わらぬ長さの大きな杖に変化する。
「すごい……こんなことが出来るなんて、私、全然知りませんでした……」
「殿下はアヤナの試練を終えておりますからね。これは自身の精神と一体になった者にしか武器として使うことはできないのですわ」
そういえばアヤナは、この笛を自分の角だと言っていた事を思い出した。自分の精神と一体化したからこそ、これを自在に操れる様になったという事なのだろう。長杖を元の横笛に戻しつつ、ふと思い出した疑問をぶつけてみる。
「そういえば……地上にいた頃、この笛を吹くと精霊たちがとても喜んでくれたんです。あと彼らは私の大切な友人達を救ってくれました。……これはこの笛の力なのでしょうか?」
「それは笛ではなく、殿下の精神の力ですわね」
「精神の力?」
ラフォナスが深くうなずく。
「そのお話からすると、殿下はいつも自分以外の誰かの為に、笛を奏でていたのですね?」
そう問われて改めて思い返せば、レオンやロムスの身体を治す時や皆と共通の危険を排除したい時……確かにいつも、自分以外の無事を精霊に願う為に笛を奏でていた。
「ええ……そう言われてみれば、いつもそうでした」
んっふふ、と声を出してラフォナスは笑う。
「献身、そして慈愛……精霊達はそういう精神が大好物なのですよ。だから喜んで力を貸してくれたのでしょう」
精霊たちが助けてくれたのは本当に嬉しいし心から感謝している。でもその本当の動機は、きっとそんなに立派なものではない。私はただ自力で動けない人、倒れている人をそのままにしたくないだけ。なぜならそれは、まるで前世の自分を見ているようだから……。
「……何か気になる事でもおありですか?」
気持ちの迷いが顔に出てしまったのかもしれない。心配そうに尋ねるラフォナスに対し、静かに首を横に振る。
「……いいえ、何でもありません。あえてそう意識したことは無いのだけど、結果としてその気持ちが良い方向に働いた、という事なのですね」
そう告げると、今まで柔和だったラフォナスはの表情が真剣になる。
「――殿下。我々は翼人です。結果を導くための意識には、もっと確固たる自覚を……そして自信を持つよう、努力なさって下さいませ」
思いがけずラフォナスの言葉は厳しい。咎人になる可能性を考えて言ってくれているのだろうけど……正直、今の自分にはなかなか難しいと思う。
「わかりました。これからも私なりに努力を重ねましょう。ただ……時に感情というものは、誰かに教えられたり指示された事に、ただ黙って従う程柔なものではない気がします」
私自身の持つ前世の記憶と、それに由来する無謀とも思える『助けたい』という欲求に従ってきた私。
そして、母である天界王妃を欲し、それ以外の何もかもを失う選択をした王弟……。
人の感情はとても強く、そして脆い。
――だからこそ、この人にもお願いしておきたい事がある。
「今後、私が何か誤った選択をしそうになったら、どうか止めて下さい――ラフォナス先生」
あえて笑顔でそう言うと、ラフォナスの目は一瞬大きく見開かれ、すぐに深々と最敬礼をした。
「私とてまだまだ未熟な身ですが……殿下が道を誤らぬよう全力でお仕え致しますわ」
ラフォナスは深々と頭を下げた。その笑顔には驚きと感心が半々に混ざっていたが、サンディがそれを見る事は無かった。





