赤面
王城のレストルーム──いわゆるお手洗いの鏡の前で、エドアルドは頭を抱えていた。
(全く、なんて事だ……)
たかだか十歳……いわば小娘相手に、自分は何をうろたえているのか。
今から五十年以上前、自分は初等学院を卒業──アヤナの試練をクリアした。
二週間ほど寝込んで目覚めてみると、明らかに子供だった外見が突然十五歳程度になり、声は一オクターブ低くなっていた。身長は一気に三十センチも伸び、それまでの衣服はすべて使えなくなった。
そして同級生達の成長した姿を楽しみにしつつ中等部に進学してみると、そこまで大きく変化していたのはなんと自分だけであった……。
他の生徒達──特に男子は今までと殆ど変わっておらず、少々ませていた女子達は『少しお姉さんっぽくなったかな?』という程度だ。
それなのに自分だけが急に歳をとってしまって教室に居づらかった上に、クラスメイトの一部からはおっさん呼ばわりされ、当時は酷く落ち込んだ記憶がある。
なのに……なのに、だ。アレクサンドラ殿下は一体何者なのか??
たかだか十年の人生。皆と違ってその半分を危険な地上で過ごしたとはいえ、なぜあんなに精神年齢が高いのか??……全く理解ができない。
あの姿は、当時の自分どころのレベルではない。あれはもう、既に大人の女性ではないか。しかも……あの『マリエレッティ妃殿下』に瓜二つだ。
昔、精霊師として始めて地上に旅立ったあの日。出発前に直接手を取って励ましてくださった、憧れのマリエレッティ妃殿下……そうだ、サンディ様はあのお方に似すぎているのだ。
なのに、今までどおりの無邪気な様子で『サンディと呼んで欲しい』などと願ってくる。しかも人前で『エドは命の恩人』と公言するなど……あれを他の貴族連中が聞いたら逆告白、あるいは婚約者候補として指名したと噂になるのは確実だ。
今頃有能な侍従長殿が窘めてはいるだろうが、アレクサンドラ殿下の発言は色々と危なっかしすぎる。天界にいる間は自分がしっかり注意を払い、見守って差し上げねば……。
鏡の前で眉間にシワを寄せ、一人唸り続けるエドアルドであったが、その口角はどうにも下がりきらず、頬の紅潮も冷めきれていない。レストルームを使おうとしてドアを開けた男性騎士が、一瞬ぎょっとした後にそっと扉を閉じる位には、気持ちの悪いエドアルドであった。
***
広間ではあらかた食事も終わり、お茶を飲みながら話が続いていた。そんな中、エドアルドがいつも通りの笑顔で戻ってきて話に加わる。
「ただ今戻りました。──すみません、先程は大変失礼致しました」
「今、貴方達がこちらに来てからのお話をしていたのですよ」
トーヴァがエドアルドの謝罪をさらっと流すと、レオンが嬉しそうに目を輝かせる。
「やっぱり本職の人たちはすごいよね。僕、剣は今まで使ったことが無かったから、基礎から教えてもらってるんだ」
レオンとエドアルドは、私がアヤナの元に飛んだ翌日に天界に来ていたそうだ。その後王城の騎士達と一緒に、レオンは元々得意な弓の他、剣技の訓練もしていたという。
「レオン君は筋がいい、と騎士団長殿からも褒められていましたね」
「うん! まあお世辞だとは思うけど、それでも嬉しいよ。あと剣と魔法との併用も教えてもらってるんだ」
「すごいわね、レオン!……その訓練、私も見てみたいかも!」
そう言うと、エドアルドは「えっ」という顔をした。
「アレ……いや、サンディ様。訓練場は大変危険な場所ですので、見学は陛下のご許可が無いと難しいかと」
「そ、そうなの……」
考えてみればエドの言うとおりだ。有事の際に命がけで戦う騎士達が真剣に訓練する場所なのに、私などが物見遊山のような感覚でお邪魔するべきではない。ああ、もっとよく考えてから聞けばよかった……。
「何をおっしゃいますか!」
突然トーヴァが声をあげた。
「お嬢様が視察にいらっしゃるなんて聞いたら、騎士達の士気がこれ以上無いほど上がるに決まっていますわ! しかもご本人直々のご希望なのですから……早急に手配致しましょう」
今すぐ席を立ちそうな勢いだけど、トーヴァはあくまでも優雅にベルを鳴らす。サッと側に来た侍女に一言二言指示を出すと、侍女は小さく頷いて部屋から退出していった。
「サンディ様、そういう訳で明日は少々早起きになるでしょうから、本日はそろそろお部屋に戻りましょう」
本当はもう少し皆とおしゃべりしていたかったけど……あまり長引くと侍女の皆さんも片付けが遅くなってしまうだろう。
「ええ、わかりました。──レオン、エド、明日は楽しみにしてるね!」
「うん、サンディが来てくれるなら、もっともっと頑張るよ!」
「サンディ様にお恥ずかしい所は見せられませんね。私も精一杯励みましょう」
こうして夕食を終え、トーヴァと共に自室に戻った。
***
自室で寝間着に着替えるのを手伝いながら、トーヴァが今日の反省点を教えてくれた。
独身男性に対し、愛称で呼ぶ事を自分から願うのは『親愛』を示す意味があること。同じく独身男性を『命の恩人』として他人に紹介するのは、将来を約束している、あるいはそういう仲になりたい、という意味に取られかねないこと……。
──思い出すだけで、顔から火が出そうである。エドが大変慌てていた意味を、ようやく今理解した。
「私、とても恥ずかしい事を言っていたのね……。エドはとても慌てていたから心配だわ」
「エドはお嬢様が王城の生活や習慣に慣れておられない事を知っておりますから、心配なさらなくても大丈夫ですよ。ただ他の方がいらっしゃる席では、気をつけたほうが宜しいですわね」
そして『仕方ないわね』という風に笑いながら、トーヴァは続ける。
「エドはああ見えて奥手な子でしてね。美しくなられたお嬢様から、熱い告白めいた言葉を投げられてお顔が作れなくなったのでしょう。全く、まだまだ未熟ですわね」
……まったくもって、エドには大変悪いことをしてしまった。折を見て、きちんと謝らなければ。
トーヴァに促されてベッドに身体を預けると、急に疲れを感じて深く息を吐いた。
「やはり、少々お疲れのようですわね。今宵はどうぞ、ごゆっくりおやすみなさいませ」
「トーヴァ、今日は色々ありがとう。……おやすみなさい」
灯りを落としてトーヴァが退出すると、部屋は静寂に包まれた。
アヤナの試練以降、いろんな事が急激に変わりすぎて、思考が追いつかない。慣れない天蓋付きのベッドは豪華すぎて落ち着かないけど、それでも流石に疲れていたのか、目を瞑るとすぐに意識が遠のいていく。
そのまま明日への期待を膨らませつつ、あっという間に眠りに落ちたのだった。
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