苦戦
魔樹とは地下深い魔世界に生息する魔物だ。樹木の形をしているが、実際は精霊力だけでなく生き物も捕らえて喰らう捕食植物である。
ただ、地底は精霊力が少ないため、度を越して巨大化したり凶暴化することは無い。しかし今はこの地に溢れる豊富な精霊力を吸い込み、際限なく成長し続けているのだ。
エドアルドが思念でそれを全員に説明している間にも、枝の攻撃は全員に容赦なく飛んでくる。
「なんでテレシアがそんなもんになったんだよ!?」
ロムスが攻撃を避けながら尋ねた。
「もしかしたら何者かに、魔樹の種を植えられたのかもしれない。それなら急に体調が回復したことも、代わりにロムスが体調不良を起こしたことも全て説明が付く!」
「その種とやらにロムスの精霊力が食われてた、ってことかいっ」
グレンダは飛んでくる枝を風刃で切り落とした。すると女の甲高い悲鳴にも似た叫びが響き渡るが、それはまさしくテレシアの声だ。落とされた枝からは、真っ赤な血まで噴き出している。
「母さん!!!」
魔樹の元へ走り出そうとするレオンを、マリンが羽交い締めしてなんとか止めていた。その様子を横目にロムスは叫ぶ。
「くっそ、どんだけ悪趣味なんだよ! これじゃまともに攻撃なんてできねえぞ!!」
しかし既に屋敷の周囲の木々が枯れ始めている。このまま放っておけば、森林一帯が枯死するのも時間の問題だ。
「魔樹の種は、自分が芽吹くために種床の身体を一時的に健康にするんだ。それは種自身を栄養満点な食料のある場所――精霊力や、生き物が豊富に存在する所に自分を運ばせる為だ」
「おまけに今回はテレシアに潜っていたおかげで、結界も通過したってわけだな……オラッ」
ロムスは連続で岩壁を繰り出して魔樹の鞭を防いでいるが、その間にも魔樹は次々と精霊力を吸い込んでいる。
魔樹が精霊を吸い込めば吸い込むほど、枝葉から撒かれる黒い粉末状の毒が濃くなっていく。そしてその粉を浴びた植物はみるみる枯れ果てていく。森の守り人グレンダにとって、それはまるで悪夢のような光景だった。
そんな中エドアルドは、宙から風を操り、出来るだけ黒い粉が拡散しないよう必死に制御をしている。
「みんな、あの黒い粉は絶対に吸い込まないように! 肺が枯れますよ!」
「肺が枯れるって、一体どんな状態だよ」
げんなりと呟くロムスに向け岩壁をすり抜けて飛んできた枝の鞭を、グレンダは容赦なく風刃で切り捨てた。
「──ギャァァァァッ!」
相変わらず精神を抉るような悲鳴だが、グレンダは全く表情を変えない。
「婆さん、さすがに強えな」
「レオンには気の毒だが、森を守る為だからね」
グレンダは魔樹の悲鳴をものともせず、連続して枝をバサバサと切り落としていく。そして落ちた枝からも黒い粉が舞い上がるが、それを片っ端から燃やし続けていた。
魔樹相手に皆が苦戦している最中、サンディは枯れてしまった大樹の枝の上で笛を奏で始めていた。
(黒妖精様、白妖精様、レオンのお母さんを助けて!)
「――全く、なんでアレがここにおるのじゃ? サンディに急ぎで呼ばれる時は、どうにもまずい時ばかりだの」
黒妖精は現れるなり、状況を見やってボヤいている。
「やだあれ魔樹じゃない! なんでここにいるのよ? まさか私の結界を破ったっていうの!?」
『それはこっちが聞きたいよ』とサンディは思った。
「で、今回はあれを滅すれば良いのだな?」
「サンディ、あんなのはわざわざ私達を呼ばなくても、貴女の放つ無でさっさと消しちゃえばいいのよ?」
「二人とも違うの。あれはレオンのお母さん、テレシアさんなの。あそこをよく見て!」
サンディが指差した先を見ると、黒い木の幹にうっすらとテレシアの顔が浮かんでいる部分がある。
「あれは魔樹の種床にされたか」
「ああ、サンディ。残念だけど、あれはもう……」
二人とも急に声のトーンが下がった。
「テレシアさんを救うことはできないの?」
黒妖精は頷く。
「ああなってしまったら、どちらかを選ぶのはもう無理だ。殺さず地底に返すこともできるが、その場合はテレシアという者も道連れになる」
「このままじゃ精霊の森が食われ尽くしてしまうわ。急がないと……」
いやだ。これだけは絶対諦めたくない。絶対何か方法があるはずだ……。
「――あっ!」
ふと思い出して肩から下げた黒いサコッシュに手を突っ込み、桃色の液体が入ったボトルを取り出す。
「黒妖精様、これ使えませんか?」
新月の晩に黒妖精に教えてもらった超レアケースのうちの一つ、『黒い力に囚われた者の解放』を思い出したのだ。
「それは……」
「あら綺麗な色ね。何それ?──ん? 私の力を感じる?」
白妖精にこの液体の調合を伝えると、少し驚いた顔をした。
「私の力をよく四大精霊の力と融合できたわね。普通じゃまず無理よそんなの」
「白いのが他と混ざるなど、普通ならありえない。此奴の我の強さは尋常で無いからの」
「うるさいわよ黒いの。あんたにだけは言われたくないわ!」
「二人とも喧嘩している場合じゃないから! ねえこれを魔樹に使って、テレシアさんを分離させることは出来ないの?」
白妖精は難しい顔をしている。
「可能性が無いわけじゃないけど、とても難しいわよ」
「なんでもいい、頑張るから! で、どう使えばいいの?」
急かすように問うと、黒妖精が答えた。
「そのテレシアという者に、直接飲ませろ」
「直接!?」
サンディはもう一度魔樹を見る。さっきよりもまた一回り大きくなった幹に、うっすらと張り付くように顔だけが浮かんでいるテレシア……。あの状態の彼女に一体どうやってこれを飲ませろというのか。
「それは囚われている側が摂取しなければ意味がない。魔樹に飲ませてもだめなのだ」
それを聞いたサンディはがっくりとうつむいた。
「諦めるならすぐに消すか送るかするぞ。急がねば、この森全体が危うい」
「そうよ、みんなもいつまでも持ち堪えられないわよ」
今、森を守るために全員が必死に防衛している。少し離れたところでは、ちょっと目を離すとすぐに魔樹に駆け寄ろうとするレオンをマリンが必死に抑えている。もうこれ以上時間はかけられない。
「……わかったわ」
「そうか、諦めるか」
「そうよね、そうと決まれば一刻も早く――」
サンディはキッと顔をあげ、はっきりと断言した。
「――ちょっとこれ、今からテレシアさんに飲ませてくる!」
「はぁ!?」「ちょっと待て、えっ!?」
サンディは二人の返事を待たず枝を蹴った。魔樹の幹に向かって一直線に飛ぶが、何本もの枝が鞭のようにしなって容赦なく襲いかかってくる。
「サンディやめろ! 近寄るな!!」
ロムスの声が聞こえるが、今は断固無視する。
(今の私の身体なら、きっと出来る!)
時に身体をねじり、時に背面飛びのように枝を抜ける。前世の病弱な頃には想像もできなかった動きだ。鞭のような枝を何度も避け、テレシアの顔が浮かぶ幹に近づくと、ひときわ太い枝が飛んできた。
最初に襲いかかってきた太い枝は避けたが、その枝の先にある細い枝が頬を掠めた。一瞬遅れてピリリとした痛みを感じる。
「サンディ様!!」
エドアルドの声がした後、自分の周囲を守るように風刃を帯びた旋風が渦巻いた。それに触れた枝が血を撒き散らしながら刻まれていくと、またあの神経を抉るような甲高い悲鳴があがる。
「母さん!!」
魔樹の悲鳴──テレシアの声のそれは、レオンにマリンの拘束をも振り切らせた。レオンは猛ダッシュで魔樹に向かう。
「レオン、ダメ〜ッ!!」
マリンの声を背にレオンは枝の攻撃を素早く避け、幹に張り付くとスルスルと魔樹に登った。
「母さん、もうやめてくれ! 攻撃をやめるんだ!!」
振り落とされそうになりながらも、必死に枝にしがみつくレオン。そのレオンにも容赦なく枝の鞭が襲いかかる。
その時、レオンが枝の鞭を受けて枝から弾き飛ばされた。途端に逆から来る枝に捕まり絡め取られ、身動きが取れなくなる。
すかさず枝を切り落とす為の風刃があちこちから飛んできたが、レオンに当たることを恐れているせいかどれも決定打にはならない。
魔樹はそのまま大きく口を開けると、レオンをポイと放り込んだ。
「ダメーーー!!!」
サンディはレオンに向かって驚異的な速さで突っ込んだ。必死に手を伸ばし、魔樹の口に入る寸前でレオンの足首を掴む。
「やった! 今のうちに逃げ……っ!」
サンディの動きがそこで止まった。レオンの足首を掴んだのとは逆側、左の肩口に焼けるような痛みが走る。振り返ると左肩を貫く黒い枝が見え、その向こうに手を伸ばして叫ぶ皆の姿が見えた。
「「「サンディ!!」」」
「サンディ様っ!!」
熱く焼けた棒を引き抜くような痛みを伴って、肩から黒い枝が抜かれる。途端にサンディの翼が消えて自重を支えるものが無くなった二人は、揃って魔樹の口の中へと落下していった。





