再会
ロムスはザーシカイム王国の北側にある、魔女の森の入り口に居た。
王都を出てまる二日。御者台の隣には天界人であるエドアルドが座っており、荷台の一番手前、毛布のクッションの上にはテレシアが座っている。
ロムスは精霊師として旅を続けるエドアルドの請いを受け、二人が魔女の屋敷へ同行する事を承諾した。もちろん事前にグレンダへは葉文を投げてある。気まぐれな風精霊が寄り道さえしていなければ、もうとっくに届いているだろう。
王都を出る日、神殿まで二人を迎えに行くと、エドアルドとテレシアはすでに旅支度を整えて入り口前で待っていた。
テレシアはしっかりとした長杖にしがみつくように立っており、その明るいオレンジ色の瞳は宙を映している。病を患って衰弱しているとエドアルドに聞いていたが、見る限りは辛そうな素振りはなく、柔らかな笑顔をたたえていた。
体調を尋ねると「ご心配ありがとうございます。今日は本当に調子が良いのです」と丁寧に返された。彼女の体調の急回復ぶりには、エドアルドも驚いていたくらいだ。
(それにしてもそっくりだな……)
テレシアの鮮やかな紅色の毛並みはレオンと瓜二つだ。ロムスはレオンの反応が楽しみでもあり、また心配でもあったが、今はとりあえず忘れることにする。
納品が遅れるといつも嫌味を言う高位の神官は、邪魔者がいなくなると知りその嬉しさを隠せずにいた。
「精霊師様、これからもいつでもお気軽にお立ち寄り下さいませ。テレシア殿、ロベール殿もどうかお気をつけて。またいつかお会いできる日を楽しみにしておりますぞ」
満面の笑みで見送られたが、顔には『厄介払いが出来て嬉しい』と書いてあるのをロムスは見逃さなかった。
一人の時は平気で野宿などしていたが、今回は連れがいる為にそうもいかない。途中、街道沿いの宿場町で一泊し、ようやくここまで進んできた。
ちなみに宿場町の宿では、村人が『精霊師様へ』と次々に喜捨や捧げ物を持ってきて辟易した。しかしエドアルド本人は慣れたもので、愛想笑いを欠かさず、全てありがたく受け取っていたようだ。
とりあえず明るいうちに森に入れたのはよかった。夕食前には魔女の屋敷に着けるだろう。しかし……。
「――ちっ」
思わず小さく舌打ちすると、エドアルドと目が合った。
「どうかしましたか、ロムス」
「いや、どうも調子が悪くてな」
昨日からロムスは、頭痛に悩まされていた。妖精になって以来、体調が悪くなるという経験は無い。人間に付き合ってどんなに酒を飲んでも二日酔いにはならないし、病気というものにも罹らない。
以前、サンディの放った無を食らった時は例外中の例外だが。そもそも体調を崩すという事自体が、今まで皆無だったのだ。
しかし今回は精霊師との出会いや、半病人を連れた慣れない旅だ。
(俺もそれなりに神経使ってるのか? 慣れないことはするもんじゃねえな……)
「本当にキツかったら言ってくださいね。治癒なら得意ですから」
エドアルドはからかうように笑った。
「へっ、このくらい問題ねえよ。それより、そろそろ結界に入るぞ。二人とも、俺に直接触れてくれ」
ロムスはテレシアが御者台に向かって伸ばす手を取った。袖捲りをして手綱をとる逆の腕に、エドアルドが笑顔でそっと手を置いた。
「野郎にそっと触られるってのは、どうもゾッとしねえな」
軽口を叩きながらロムスはそのまま馬車を進ませ、結界の境目である向かい合う大樹をくぐる。と、その時どこからか、パチパチっと乾いた音が耳に入った。
「「……?」」
ロムスとエドアルドが微かな音の発生源を目で探すと、目をぎゅっと瞑っているテレシアに行き着く。見るとテレシアの耳の先…ふっさりと長い耳毛が、ふわふわと広がりながら逆立って揺れている。毛先に静電気が発生したようだ。
「なんでしょう、ちょっと、耳がパチパチしました……?」
テレシアはロムスに手を取られたまま、不思議そうに宙を眺めている。
「ああ、今結界を通過したんだ。もうすぐ屋敷に着くぜ」
ロムスはそう告げるとテレシアの手をそっと離した。その手で逆の腕に乗ったままのエドアルドの手をシッシッと払いのけ、両手で手綱をとった。
(結界で静電気? 今までそんな事あったか?)
ロムスは疑問に思った。が、今は目の前に迫るレオンとテレシアの再会が気になる。思考に残る微かな引っ掛かりをあえて無視し、ロムスは馬車を屋敷に向けて進めた。
***
屋敷に着くと、皆が揃って出迎えて――いや、待ち構えて、と言った方が適切かもしれない。エドアルドは真っ先に馬車から降りると、グレンダの元へ行って膝を付いた。
「初めまして、北の森の魔女殿。お会い出来て光栄でございます。私は精霊師のエドアルドと申します。この度は急な要望にも関わらず訪問のご許可を頂き、心より感謝申し上げます」
「初めまして、精霊師殿。心より歓迎申し上げます。私のことはどうぞ気軽にグレンダとお呼び下さい」
「ありがとうございます、グレンダ殿。私の事もどうかエドアルドとお呼び下さい」
その後にマリン、レオンと自己紹介する。そして最後にサンディを見るとエドアルドは跪き、胸に右手をあてて深々と頭を下げた。
「アレクサンドラ殿下、この度は拝謁が叶いまして大変光栄に存じます。私のことはエドアルド――いや、エドとお呼び頂き、何なりとお申し付け下さい」
「――え、ええっ」
こういった対応に慣れていないサンディは、あわあわするばかりだ。
「あ、あの、エドアルドさ……いいえ、エド。ここでは皆平等に暮らしているので、そういった気遣いはやめて下さい」
「おや、そうでございますか、承知致しました。殿下がそう仰るのであれば、もちろん異論はございません」
「あと、私のことはサンディと呼んでください。その、アレクサンドラは呼ばれ慣れていないので、お願いします」
「それはちょっと……いや、ご命令とあればそうさせて頂きますが……いやしかしハードルが高いというか、王に何と言われるかというか……」
エドアルドがぶつぶつ独り言を言っていると、後ろからロムスがやってきた――テレシアを伴って。
テレシアはエスコートするロムスの腕を片手でしっかりと掴んでいる。もう片方の手には歩行補助用の長杖を持ち、足元を確認しながらゆっくりと歩んでいた。その視線は宙を彷徨っているが、耳だけはしっかりと前を向いている。
「母さん? 本当に……?」
レオンはテレシアをじっと見つめている――『信じられない』という顔で。
グレンダは事前にロムスからの連絡を受け、レオンにテレシアの事を伝えていた。しかしレオンはにわかには信じられず、実際に会ってみないことには安心はできないと思っていたのだ。何よりもぬか喜びが怖い。ここで無駄に期待をして裏切られたら、それこそ立ち直れないと警戒していた。
失望と絶望を恐れるあまり、レオンはその話を聞いた時からずっと焦る気持ちを必死に抑えこんでいた。
しかし今、目の前を歩んでくるその女性の姿は、間違いない。
「その声はレオン? レオンなの?」
ああ、間違いない。この姿、そしてこの声は……!
「母さん……母さん!!」
「レオン!!」
二人はそのまま抱き合うと、地面にへたりこんで号泣した。テレシアはレオンの形を確かめるかのように、両手でレオンの顔や頭を撫で回す。
「本当に、本当にレオンなんだね? ああこんなに大きくなって! ずっと会いたかったわ! 無事で……無事でよかったっ!」
「母さんこそっ、無事でよかった……。助けに行けなくてごめん……。本当に、本当に会いたかったっ……!」
皆はそのまま、号泣する二人が落ち着くまで黙って見守った。皆の目は漏れなく潤んでいたが、マリンだけは貰い泣きで大洪水だった。
「う、うぁああああんっ!! 本当に良がっだでずうううう~~!!」
当事者達より大きな声で鼻を垂らしながら号泣するマリンを見て、皆は思わず笑ってしまう。結局、全員で泣き笑いの再会劇となった。
***
夕食後、それぞれが入浴を済ませてリビングに集まっていた
まずエドアルドがレオンの父親の事や、集落のその後の様子を話した。テレシアを王都の神殿に運んだ後、他の精霊師達の応援もあって、集落の弔いと浄化は既に済んでるという。
今なら安全なので再訪する事も可能だが、集落の痕跡はほぼ無くなっており、今は色とりどりの花が咲き乱れる草原になっているそうだ。
「浄化だけでなく、弔いの為に花の種をたくさん蒔くのは我々の間ではよく行う方法です。草花は環境を浄化し、周囲の生き物を癒やします。それによって精霊力の調和を復元し、安定を保つ助けとなりますから」
生きて生まれることが出来なかった弟のことを、レオンはそこで初めて聞いた。隣でただ静かに涙を流し続けているテレシアの手を優しく取る。
「弟かぁ。本当に残念だけど、でも母さんが……母さんだけでも無事でいてくれて、本当に良かった」
テレシアはレオンの手に自分の手を重ねて嗚咽すると、レオンはもう片方の手で母の肩を抱いた。
続けてエドアルドは、今回テレシアとレオンが再会できるように導いたのが、天界王であることを伝えた。
「我が王は王女アレクサンドラ殿下を救って頂いたレオン君に対し、大変な恩義を感じておられます。そこで丁度テレシア殿との接点があった私に勅命が降り、今日に至った次第です」
エドアルドは金色の睫毛に縁取られた青灰の瞳を細め、穏やかな笑みを浮かべている。
「そんな! サンディに救って貰ったのは僕の方です! 行き倒れてもうダメかという時に、命を救って貰ったのは僕の方だよ!」
慌てるレオンに向かってサンディが微笑んだ。
「ねえレオン。あの時レオンがグレンダの好意を受け入れてくれたからこそ、今の私たちがいるんだよ。私もレオンには心から感謝してるの。本当にありがとう。そして、今日は本当におめでとう」
「サンディのお父さんにここまでして貰うなんて、恩返しするのがもっと大変になっちゃったよ。サンディ、本当に本当に、ありがとう」
レオンはちょっと困った顔をしていたが、最後はとても嬉しそうに笑った。
「レオン、そしてテレシアさん。二人はこれからしばらく、一緒の部屋で休むといい。レオン、今晩は積もる話もあるだろうが、夜ふかしはテレシアさんの身体に障るから程々におしよ」
「お部屋にソファーベットを運んでおきました~。自由に使って下さいね~」
「グレンダ、マリン、本当にありがとう。じゃあ母さん、今日は早目に休ませて貰おうか」
「ええ、何から何まで本当に有難うございます。皆様には一体、どうやってこの御恩をお返ししたら良いのか……」
テレシアは心底申し訳無さそうに呟いた。
「そんな事は気にしないで。今はとにかくゆっくり休んで下さいな。レオン、お母様をしっかり見ておくんだよ。もし急に体調が悪くなるようなら、すぐに私を呼びにきな」
「ありがとう、グレンダ。みんなも、本当にありがとう。じゃあ母さん、行こう」
レオンはしっかりとテレシアの手をとり、肩を抱いてリビングから出ていった。
***
「母さんはこのベッドを使って。僕はすぐ隣にいるから、もし気分が悪くなったりしたら、すぐに呼んでね」
レオンは自室に母を案内すると、ベッドの上に腰掛けさせた。
「ありがとう、レオン。本当にここの方たちは、皆さん親切なのね」
「うん。さっきも言ったけど僕、最初はサンディに助けてもらったんだ。でもその後、グレンダに拾われてなければ、僕らは今頃どうなってたかわからないよ。マリンもロムスも本当に親切なんだ。最近はここで、精霊との対話の方法を教えてもらっているんだ。僕、少しだけど魔法も使えるようになったよ」
「まあ、レオンが魔法を!? すごいじゃない!」
今こうやって話していても、母の明るいオレンジ色の瞳は宙を映している。それでも心から嬉しそうなその笑顔は、レオンにとって最高のご褒美だった。
「レオン、ブラシはあるかしら? あるならちょっとこっちに持ってきてくれる?」
テレシアは自分の隣をポンポンと軽く叩いた。レオンはブラシを持つと母の隣――ベッドに並んで腰掛けた。テレシアの手にブラシをもたせると、改めてレオンの顔や頭を撫でまわして位置を確かめ、頭から肩、肩から背中へと、優しくブラッシングを始めた。
「母さん、くすぐったいよ」
「ふふっ。レオンはいつもブラッシングをくすぐったがって逃げていたわね。それにしても、本当に大きくなって……」
そう言いながらも、テレシアはブラシの手を止めることはない。レオンの腕をとり、丁寧にブラシをかけながらしみじみと呟いた。
「マティアス、安心して。私達は生きているわ。ティモは残念だったけど、私にはレオンがいる……」
マティアス。それはレオンの父の名だ。暗灰色の毛並みを持ち、鋭く光る金色の瞳がカッコよかった。弓を使っても、畑で鍬を持っていても、そのパワーとしなやかさは、いつもレオンの憧れの的だった。
「ティモってもしかして、弟の名前?」
「そう。男の子だったらティモ。女の子だったらティナ。お父さんと二人で、そう決めていたのよ」
「そうなんだ……」
結局、会うことが出来なかった弟。もし元気に生まれてきていたら、今頃一緒に森を走り回ったりしていたのだろうか。ふとそんな事を考える。
「ああ、母さん。もうそろそろ休まないと。明日はお屋敷とそのまわりを案内するから、今日はゆっくり休んで」
「ええ、ありがとう。そうさせてもらうわね」
テレシアがベッドに入るのを助け、そっと布団をかける。そして自分も隣のソファーベットに横たわろうと思った……が、テレシアがなかなかレオンの手を離そうとしない。
「母さん、大丈夫だよ。すぐ隣にいるから」
「本当に、夢じゃないのね。まだ少し、信じられなくて」
「うん。実は僕もまだちょっと不安だ。本当に母さんとまた会えるなんて、思ってなかったから」
結局その晩は、二人で手を繋いだまま休んだ。
眠ってしまったら、またお互いが夢と消えてしまうのではないか。そんな不安を抱えながら、それでもお互いの確かな手の温みに助けられる。
母子はいつしか深く、幸福な眠りの世界に落ちていくのだった。





