満月の晩と父の愛
今日の一日を終え夕食や入浴を済ませた後、私は自室に戻り笛を手に取ってベランダに出た。
森の木々は天井近くに昇った満月に照らされている。つややかな葉には月光が反射して柔らかく輝く。風は少し涼しくて、入浴で火照った頬に心地いい。
椅子に腰掛けると、今夜は特に精霊たちの声がよく聞こえた。
(アソボウ)(フエフイテ)(サンディ)(トボウヨ)………
また自分の名前を呼ばれたけど、大樹に昇った時に聴こえた声とは少し違ったので今のは水精霊では無いのかもしれない。
(飛んだり遊んだりするのはまた今度ね。その代わり笛を吹くから、皆も聞いててね……)
そう祈ってから白い横笛に息を吹き込むと、高く澄んだ笛の音が遠くへと響いていく。
笛を吹きながら淡く透ける蝶のような羽を持ち白金に光る粉を纏う白妖精の姿をイメージすると……楽しげに笑う白妖精の声が聴こえた。
「ふふっ、私の愛し子……こんばんは♪」
白妖精とは反省会の夜以来だった。あの晩、私は夕食も喉を通らないほど憔悴しきっていたので心配をかけてしまったかもしれない。お詫びの意味も込めて三曲続けて奏でてから笛を降ろし、ベランダの柵に腰掛ける白妖精に声をかける。
「……あの、この間は本当にありがとう。心配をかけてごめんなさい」
「もういいのよ、サンディ。貴女も、そしてロムスも元気そうで良かったわ。さっきロムスの部屋を見てきたらもう変化出来るほど回復してて……びっくりしたわ」
「はい。白妖精様に教わったとおり毎日笛を通して精霊の皆さんにお願いしたら、いっぱい頑張ってくれたみたいです」
白妖精はうんうんと笑みながら頷く。
「この間も言ったけど、貴女が気にすることなんて何も無いのよ。それよりももっと力の使い方を練習して。あと笛ももっと聴かせてくれたら言うことは無いわね♪」
「はい、頑張ります」
私は笑顔で応えた。
再び笛を構えて追加の一曲を吹き終えると、白妖精はついと飛んで私の左肩に腰掛ける。
「あのね、今日は貴女にプレゼントがあるの。あのブレスレットを出してくれる?」
言われるままに首に掛けた小さな革袋からブレスレットを取り出し、左手の平に乗せた。白妖精が小さな手を差し出すと、白金の輝く光がリボンのようにスルスルと伸びてブレスレットを包む。その光は青紫の石のチャームの横に粒のように集まり、ひときわ眩しく輝いた。
「わぁ……」
眩しさに少しだけ目を細めて待つと、すっと光が収まる。見れば濃い琥珀色の石が青紫の石の隣に付いていた。
「とても綺麗……! ありがとうございます。ところでこれは?」
「これは私じゃなくて、貴女のお父様……天界王からの贈り物よ」
「……は?」
思わず素で聞き返してしまった。お父様? 天界王?? 何それ? ──そんなの初耳だ。
私が思い切りマヌケな返事をするのを見て、白妖精は少し慌てだした。
「……え? 聞いてない? 黒いのが貴女にとっくに話していたと思ってたのだけど……」
私はぶんぶんと首を横に振った。
「初耳です……」
しばしの沈黙の後、白妖精は低い声で「黒いのぉ……」と呟いた。その後すぐに咳払いを一つして説明を始める。
私は天界王──翼人の王ウルスリードと王妃マリエレッティの娘、アレクサンドラ・セラフィニウスだということ。──サンディという名は愛称だそうだ。
このブレスレットは私の母──天界王妃が私に授けた物であり、現在王妃はそのまま咎人に囚われて行方不明になっているという。
今の天界は王妃が欠けた状態でとても危うい。王は一人で世界の調和を保つため、今は一時も天界から離れられない。そして王妃を探す手がかりは、このブレスレットに付けられた青紫の玉──今はこれだけだという。
要するに今は私しか天界王妃を助けに行ける者がいないという状況らしい。なるほど、だから白妖精は私を早く成長させたいのだ……。
「勿論今すぐ行けなんて言わないわ。今の貴女にはまだまだ無理だもの。だから今は将来の為に、力の使い方を十分に習得して笛の技術ももっと磨いて欲しいの」
「はぁ……」
あまりに突拍子も無い話に驚き、再び間の抜けたな返事をしてしまう。
「……ところで、ちょっと確認しておきたいんだけど良いかしら」
「はい、何でしょう」
「前回の新月の晩、黒妖精様は貴女に一体何を教えて下さったのかしら?」
白妖精が満面の笑みを浮かべるが……なぜだろう、すごく怖い。
「えっと、私は『精霊王の祝福』を持っているから力を使う時は願うのではなく命じろと教わりました」
「ええ、それは間違いないわね。……それで?」
「あとは『強い権限には同じくらい強い責任が伴う。力の使い方を誤ったりその結果が理から外れた時、私は咎人になる』と……」
「ふむふむ、それで?」
「……それだけですね」
「……ほんとに?」
「はい」
白妖精は額に手を当て、深くため息を吐いた。
「じゃあ両親の事はもちろん、祝福獲得の経緯とか意味については何も聞いていないのね。……そうよね、それじゃ突然『貴女のお父さん、天界王からプレゼントよー♪』なんて言っても面食らうだけよね。はぁ……ほんとに黒いのったら……(チッ」
白妖精はそれからとても丁寧に説明してくれた。
『精霊王の祝福』という一種の加護は、精霊王が天界王族だけに授けるものだそうだ。天界王族は一歳を迎える前に精霊王に謁見し、その時に祝福の儀式を受ける。ただしそれは受け取る側──赤子に資質がなければ受け止めきれない危険な力だという。
それは運良く受け止められればいいのだけど、場合によっては精神異常をきたしたり最悪は命を落とす事もあるという。
「サンディ、もっと自信を持ちなさい。貴女は精霊王の祝福を受け止めるだけの資質があるの。ロムスの件は確かに驚いたと思う。でもあの時初めて使った無をあれだけ小さく制御出来たからこそ、ロムスはあの程度で済んだのよ」
(それはそうなんだけど……)
「はい……でもまだちょっと自信を持つというのは難しそうです」
「ふふっ、サンディは正直ね。まあこれからもっと頑張っていけばいいわ。あとその『お父様からのプレゼント』だけど……」
ブレスレットを改めてよく見てみると、青紫の石より僅かに大きいその濃い琥珀色の石は満月の光に照らされてとても美しく輝いている。
「それはお父様の守護が込められているそうよ。迎えに行くことは出来ないけど、寂しい時は何時でも声をかけろですって。あと……」
白妖精がそこでなぜか少し視線を逸らすような仕草をした。
「何時でもお前を見守っている、とも言っていたわ」
「白妖精様……どうかしました?」
「う……ううん、何でもないわ! えっと、そろそろもう一曲聴かせてもらえない?」
ちょっと白妖精の様子がおかしい気がしたけど、請いに応えない訳にもいかず笛を吹く。その晩白妖精は、その一曲が終わるとそそくさと帰ってしまった。
結局この琥珀色の石がどんな守護をもたらしてくれるのかは分からないままだけど、守護というくらいなのだからこの間の黒妖精の加護のような危険はないだろう。
そう思う事にして再び丁寧に鹿革の袋にブレスレットをしまい、そのままベッドに入った。
***
「……なぜだサンディ! 我の分身をなぜすぐにしまってしまうんだ!?」
「ウルス、落ち着いてよ! サンディは魔女の森の中ではブレスレットを付けていないの。ブレスレットを付けると隠蔽の力で飛べなくなるのを嫌ってるわ。その代わり首に下げた袋に入れて、肌身離さず持っておくように約束しているから……」
「しかしあれでは……あれでは透視が効かぬではないか!!」
あーだめだこれ。……白精霊は頭を抱えた。
普段の天界王は、沈着冷静で仕事も早い。侍女や家臣たちへの気遣いも忘れないので信望も厚い。いわゆる『デキる男』なのだが……。
ウルスリードは腕を組み、神経質に歩き回っている。
「咎人に限らず、地上は何が起きても不思議ではない。あそこは地下世界に一番近い場所だ。そんな危険な場所に娘を一人で居させるなど……しかも精霊の森には妖精も数多くいると聞く。その中にサンディにちょっかいを出すような輩がいたら……!」
──バンッ
執務室の重厚な造りのテーブルを拳で叩くと、置いてあった重い花瓶が少し跳ねた。入口前に控えている若い侍女がビクッと震えたのを見てウルスリードは少しだけ冷静になる。
「……とにかく。視えなければ護ることが出来ぬではないか!」
(これじゃ、ただの親バカじゃないの……)
次回サンディに会う時、一日一回はブレスレットを出すよう伝えるからと言ってみた。しかしウルスリードはそれでは足りぬと首を横に振る。
「朝と夜の挨拶……最低二回は譲れん。その他いつでも出せば出すほどいい。……そうだ。白妖精殿の訪問は次の満月──それなら半月後に会う黒妖精殿の方が早い。よし、黒妖精殿に頼むとしよう!」
そんなウルスリードの様子を見て、白妖精は思った。
(黒いの……この状況を教えてあげないのは決して私の意地悪なんかじゃなくて、あんたがサンディに色々教えるのをサボった罰なんだからね……)
上機嫌のウルスリードを放っておき、白妖精はそのまま静かに執務室を退出した。





