ロムスの昔話
事故から三日が経った。
完治まで一ヶ月は必要と言われていたロムスは、笛の音に集まって助けてくれる精霊達のおかげで驚異的な回復を見せている。今朝は事故後初めて人の姿になり、量は少なめだったけど、皆と一緒に朝食を摂ることができた。
「食事を摂れるようになれば、ここからの回復は加速するだろうね」とグレンダが言っていた……本当に嬉しい。
いつもは夕食後にロムスの部屋で笛を吹いているけど、今晩は満月だ。今宵は白妖精との契約を守るために笛を吹く。
そこで今日は朝食後に笛を準備した。
「ねえ、ロムス。今晩は白妖精様に会う日だから、今から部屋にいってもいい?」
「あーそうだなぁ……」
ロムスはチラと窓の外を見た。
「今日は天気がいいから外庭に行こうぜ。大樹の木陰に折りたたみのベッドを持っていくから」
屋敷を取り囲む広大な森は、とても大きな木が多い。その中でもひときわ大きな樹が、屋敷の外庭に生えている。もう何百年も前からこの屋敷を見守ってきた霊木だよ、と以前グレンダが教えてくれた。
その大きな木陰の下。ロムスがテーブル脇に折りたたみベッド……デッキチェアを設置して寝そべる。
「ああー……本当に今日はいい天気だな」
「……本当だね」
私はその隣の椅子に腰掛けた。
この大樹の下は、何時来ても清涼な空気が漂っている。四大精霊全てがこの大樹を愛し、自然と集まってくるのだそうだ。
「じゃあそろそろ始めるね」
「ああ、頼む」
いつものように笛の音を通じ、精霊たちにロムス回復の支援を願う。
笛の音は、ただでさえ濃厚な精霊の気配を更に濃く集めていく。私には光も姿も視えないけれど、精霊達の気配だけは草木の甘い香りや風の優しさ、木漏れ日の暖かさを通じて十分に伝わってきた。
見ればロムスは目をつむり、両手を後頭部の下に置いてくつろいでいる。鳶色の髪は時折吹く優しい風になびき、とても心地良さそうだ。
続けて二曲を吹き終えた所で、演奏の手を止めた。
ロムスはその体勢のまま、二度ほど深呼吸をする。……まるで濃い精霊の空気を少しでも多く取り込もうとしているようだった。
木漏れ日を浴びながらゆっくりと目を開いたロムスのオリーブグリーンの瞳の奥には、いつもと同じく美しい赤色が微かに光っている。
「サンディ、本当にありがとうな……今、ものすごく身体が楽なんだ。数日前と同じ身体だとは思えねえくらいだ」
「本当によかった。それでもまだ無理しちゃだめだよ?」
「ああ……」
デッキチェアに寝そべったまま、ロムスは上を見上げて気持ちよさそうに伸びた。
「そういえばこの大樹はなぁ、昔っから大好きなんだ。これに登って昼寝していると、なんとも気持ちよくてなぁ……」
「ふふっ……樹の上で寝るの? なんだか子どもみたい」
「ハハッ! まあたいして違わねえな」
ロムスも笑った。
「――なあ、今からちょっと二人で登ってみないか?」
「えっ!? 身体は大丈夫なの?」
「ああ、今本当に、ものすごく気分がいいんだ……」
そう言いながら立ち上がり、淡い光に包まれて大蛇の姿になると、ぬるりと大樹に登り始めた。あっという間に大樹の中程に巻き付くと『いい眺めだぞー』と思念が届く。
(……んもう。本当に大丈夫かな)
トンと地面を蹴ってロムスの後を追う。大樹の青々と茂る枝の中に入ると、精霊達の気配が一気に濃くなった。
(アソボウ!)(サンディ!)(タノシイネ!)
……あれ? 今私の名前を呼んだ精霊がいた。姿は視えないけど、笛のおかげで私の名前を憶えてくれたのかもしれない。
トン、トンと幾つかの枝を経由して、ロムスの居る枝に降りる。枝に腰掛けるとロムスが思念で話しかけてきた。
「さっき、水の精霊がサンディの名前を呼んでいたな」
「あれ、水の声なんだ!」
「ああ、サンディの事を気に入ったみたいだ」
「わあ……嬉しい! これからも笛を聴かせてあげなきゃね」
「ああ、アイツらも喜ぶとおもうぜ」
大樹の上からの景色はとても素晴らしいものだった。屋敷の屋根を越える高さのこの場所から眺めると、見渡す限りの森林が遥か先まで続いている。
「そういや婆さんと初めて会ったのもこの場所だったんだぜ」
「えっ、そうなの!?」
「ああ。正確にはこの下だけどな……もう二百年以上経つんだな」
そういえばグレンダとロムスの出会いなんて聞いたことが無かった。人間と妖精なのにとっても気さくで、なんだか友人同士のような二人……。
「ねえロムス! 私その話聞きたい!」
「そうだなぁ…サンディには最近は聴かせてもらってばかりだし……まあいいか」
ロムスはポツポツと語り始めた。
***
ロムスは元々、この森で生まれた蛇だ。気がついた時は親も兄弟も見当たらずいきなり天涯孤独な上、子どものうちは敵に狙われる事も多く、毎日が命がけだった。
そんな自分も運良く生き延び、大蛇になれた。その頃にこの大樹を見つけ、根本の穴の一つを隠れ家として使っていたのだ。この大樹の側はとても居心地がよく、大蛇になってからは鳥に命を狙われる事も無くなったので、枝の上でのんびり過ごす事も多かった。
そんな平和な生活が長く続き、老年期に差し掛かった頃。
いつものように樹上で寛いでいると、視界の端にキラリと光る粒を見つけた。何かが反射しているのかと思い近寄ってよく見ると、ただの光の粒であって実体が無いことに気づく。
……それが一つ視えたその日以降、自身の視界に実体の無い光が徐々に増えていった。
そして視える光が増えるのと比例して、自身の身体は動かなくなっていった。
「ああ、これがお迎えってやつか……」
そう思ってある程度覚悟をしていたある日。突然、最後にどうしても自分の住んでいた世界を見てみたくなった。
突然生まれたその欲求に従い、思い通りに動かない身体に必死に鞭打って、初めて大樹の天辺まで登ったのだ。
下方に比べると格段に心細い太さの枝へ必死に胴体を巻きつける。ようやくかろうじて安定する位置を見つけると、葉の茂みからひょこりと頭を出してみた。
――そこで見た景色は素晴らしく、今まで見たことが無いほど美しかった。と同時にその光の粒達の流れの凄まじさと荒ぶりに、思わず息を呑んだ。
遠く見渡す限りの森林地帯には、光る粒が無数に溢れどうどうと流れ弾けていた。空中には緑色の粒が輝きながら乱れ飛び、紅色の粒と混じりながらぐるぐると勢い良く自分の身体にまとわりつく。
(フフフ)(ワタシタチ、ミエルノ)(アソボウ)(イッショニ、トボウ)
まとわりつく光の粒がどんどん増えていく。色も無数に目の前でチカチカと光り、目が回ったと思ったその時……。
「……俺は大樹のてっぺんから落ちたんだ」
「……はぁっ!?」
上を見上げれば、大樹の頭頂は遥か先。下を見ればさっきまで座っていた椅子が豆粒。……この高低差を落下するなんて、とても無事に済むとは思えない……。
「で……でっ、どうなったの?!」
「ハハハッ! そりゃもう、見事に地面に叩きつけられた!」
思わずまん丸に大きく開いた口を両手で隠す。しかし本人はとても楽しそうだ。
「……でな、全身を強かに打ち付けたんだが、何故か身体は無事だった。まあ多少は痛かったが、そんな大した痛みじゃない。その代わり、地面が俺の形に凹むくらいの衝撃はあって……血相変えたグレンダが、長杖構えて屋敷から飛び出してきた……ッククッ」
その時の様子を思い出しているのだろう、ロムスは小さく笑っている。そりゃグレンダも驚くだろう。物凄い音……いや地響きがしたに違いない。
「自分の身体をよく見たら所々皮が裂けていてな。……と思ったら脱皮していて、その皮の一部が落下の衝撃で裂けていた。俺は元々、茶灰色の地味な蛇だった。なのに裂けた皮の下は、派手なグリーンに変わっていたんだ」
はぁ……そんな事ってあるんだ……。
「それを見た婆さん――いや、当時はまだ姐さんだな――に、そこで初めて俺が妖精になった事を教えられた。グレンダは『妖精が生まれる瞬間に立ち会うなんて、生まれて初めてだよ』って言ってた」
うわぁ……まさかの妖精誕生物語ではないか………。
「それからはまあ色々あってな。グレンダの薬を街まで運ぶ事になったんだが……そもそもグレンダ以外の人間を知らないから、変化する事すらできねえ。そしたらグレンダが古い絵姿を見せてくれて、最初はそいつに化けて街に行ったんだ」
「……それは一体誰だったのかしら?」
「いや、それは教えられなかったし、俺も聞かなかった。多分もうこの世にはいない男なんだろうと思ったからな」
確かに……人の身体で長過ぎるほど長く生きていれば、悲しい別れの経験も多いだろう。
「ま、俺たちの出会いはそんな感じだ。……気が済んだか?」
「うん、教えてくれてありがとう。二人が仲良しな理由がわかった気がするわ」
「俺たちのは仲良しというより腐れ縁だけどな……ハハハッ!」
「こらーーー!! あんた達、なんて不敬な場所に登っているんだい?!」
下からグレンダの大きな声が聞こえた。
「ヤベッ! 見つかった!!」
「え……えっ? 登ったらダメだったの? 私、そんなの知らないよ! ロムス、ひどい!」
その後私たちはおとなしく下に降り、二人揃って……いや、ロムスは私の二割増しでグレンダに絞られた……。
***
自分を叱るグレンダの顔を見ながら、ロムスはぼんやりと過去を思い返していた。
初めて街に出て、非常に苦労しつつも何とか言われた通りの場所に物を収め、その対価を預かって戻ってきたその日。
やっとの思いで森に戻り、グレンダが遠くに見えた時は心底安心した。そこで御者台から大きく手を振り、グレンダの名前を呼んだら……彼女は一瞬『とても信じられない』という顔をして、そのままボロボロと泣いたんだ。グレンダはすぐに後ろを向いて手を上げてみせ、屋敷に入っていったけど俺はそれを見逃さなかった。
その日、自分は出発前にグレンダから見せてもらった絵姿の男に化けた姿のままだった。しかしそれ以来、街で見かけた人間の姿を適当に混ぜ合わせた格好に化けるようにした。
……さらに十年ごとにその姿を変えている。
あの絵姿の男が誰なのかは知らない。でもたぶん、魔女の大切な人だったのだろうと思う。でもそれは自分などが触れない方がいい気がして……。
「……ロムス! 聞いてるのかい!?」
「ヒッ……き、聞いてるよっ、悪かったよ!」
「いや、全然聞いてなかったね。……まったく、ちょっと回復したらこの調子だ。サンディ、ロムスに新しいことに誘われた時は、必ず私に確認すること。いいね?」
「は、はい……ごめんなさい……」
サンディは申し訳なさそうに返事をするとチラと俺の方を見てウインクをし、グレンダにバレないようすぐうつむいた。
この小さな天使は、想像以上に強かなようだ。末恐ろしさを感じつつ、思わずニヤけてしまい、またグレンダに怒られたのだった……。
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