特訓(マリン編)
ロムスとレオンが森から戻って来た。
レオンは全身ずぶ濡れで肩を押さえている。そして眉間にシワを寄せて……何やら機嫌が悪そうだ。
反対にロムスは妙に上機嫌で、ニヤニヤと笑いながら歩いている。
グレンダはくすんだ青色の瓶を籠から出して立ち上がると、蓋を開けてレオンに渡した。
「ポーションだ。保存が効かないから一気に全部お飲み。身体が楽になるよ」
言われるまま、レオンは一気にそれを飲む。
「──うん、痛みは引いた。けどこの後味は……」
鼻筋にシワを寄せて微妙な顔をしている。
「なんでこんなニガニガするの?」
「味に文句付けるんじゃないよ。これでも先代のレシピを散々改良して少しはマシになったんだ。あとほら、びしょ濡れのままじゃ風邪ひくよ」
畳まれた大きなタオルをポンと投げられると、レオンは受け取って広げ身体を拭き始めた。しかし眉間のシワが消える事はない。
「レオンはお水が大嫌いなのに可哀想~。ロムス様ったら意地悪ですね~」
「えっ、そうなの?」
レオンが水嫌いというのは初耳だ。
「だってニャンコですし~」
「ああ……」
「え、そういう理由? ……マジかよ」
ロムスは目を丸くしてレオンを見た。次の瞬間ブッと噴き出してゲラゲラ笑う。
「ごめんレオン、悪かったな!」
言葉では謝罪しつつも、ロムスの大笑いは止まらない。レオンはみるみるむくれていき、ジト目で低く呟いた。
「次は絶対、遠慮なく仕留めるから……」
その目に只ならぬ本気を感じたのか、ロムスはまだ笑いながらも言い訳を始める。
「違うんだって! 木に傷をつけたり森を荒らしたりすると婆さんにこっぴどく怒られる。だから水だけ使ってたんだ……ホントだって!」
レオンはプイとロムスに背を向け、タオルを頭から被った。
「……グレンダ、僕も精霊の加護が欲しい」
「ああ、目指すのは自由だよ。幸いレオンは素質がある。──どの精霊の加護が欲しいとかあるのかい?」
「火と風」
ほう、という顔をしてグレンダが尋ねる。
「即答だね。……理由は?」
レオンは少し目を逸らし、小さな声で言った。
「自分で早く身体を乾かせるようになりたい…」
──ブホッ
背後でロムスが噴き出してまた大笑いし始める……。
「ロムス、いい加減に子供をからかうのはおよしよ! 全く大人げないんだから……」
再びむくれるレオンを見かねて、グレンダは苦笑いしながら注意する。そのままレオンの被っている頭のタオルを両手でとると、身体を包み拭いてやりながらやさしく微笑む。
「レオン、理由は何でも良いよ。とにかく常に精霊を意識し、感じるように努力してごらん。視えても視えなくても関係ない。例えば最近、動物を介して精霊を感じる事があるだろう? 精霊たちにとってはその行為そのものが『レオンとの語り合い』なのだからね」
「はい」
グレンダはタオルを取ると、レオンの肩をポンと軽く叩いた。すると紅色の身体を包むように暖かく優しい旋風が吹く。レオンは気持ちよさそうに目を瞑り、風に身を任せていた。
程なくして風が収まると、レオンの服や紅色の毛並みはすっかり乾いている。
「ありがとう、グレンダ!」
どういたしまして、と背の高い老女は優しく笑んだ。
「じゃあレオンはそこに座って休んでおいで。次は……マリン。久しぶりに私と手合わせしようかね」
「は、はい、お師匠さま! 宜しくお願いします~!」
マリンは慌てて立ち上がり、ペコリと一礼してグレンダに付いていく。そしてマリンの座っていた場所──私の隣にレオンが座った。
「怪我の具合はどう? 大丈夫?」
「うん、もう大丈夫。グレンダのポーションのおかげで治ったみたい」
「よかった~。本当に心配したわ」
「そりゃぁこう見えて俺だって、最低限の加減はしてるんだぜ」
ロムスがレオンの隣にドカッと胡座をかいて座ると、とたんにレオンの眉間にシワが寄る。
「なんだよまだ怒ってんのか? しつこい男は嫌われるぜー?」
「それロムスが言う!?」
レオンは肩を組もうとするロムスの腕を叩いて避けた。
……徹底的に水攻撃されたのが相当堪えているみたいだ。これは機嫌が直るまでちょっと時間がかかりそうな気がする。
「許してくれよぉー。俺本当に、お前が水嫌いだって知らなかったのになぁ……」
しょんぼりしてみせるロムスに目もくれず、レオンは私に話しかけてきた。
「マリンとグレンダって、どんな戦い方するんだろうね?」
「どうだろうね、楽しみだけどちょっと怖いかも……ねえ、ロムスは二人が戦うのを見たことあるの?」
話を振ってもらったのがそんなに嬉しいのか、ロムスがめっちゃいい笑顔だ。
「ああ。どっちかが失神するまでやるぜ……とは言っても、婆さんが負けたことなんて無いけどな」
……それ、満面の笑顔で言う事ですか?
私とレオンは顔を見合わせ、ごくりと唾を飲み込んだ。ロムスはポリポリと人差し指で頭を掻きながら呑気に続ける。
「マリンは毎回、魔法攻撃にばかりこだわって返り討ちに合ってる。……そりゃ婆さんとは加護を貰ってからの年季が違うんだから、正面から同じ魔法ぶつけても勝てるわけがねえ。それでも魔法にこだわり続けているのは、マリンの『焦り』が原因なんだと俺は思ってる。マリンが決して婆さんにはなれない様に、グレンダもまたマリンにはなれない──それにマリンが何時気づくかだなあ」
──なるほど、だいたい話は解った。が、それでも私はマリンが倒れる所なんて見たくない。出来るだけ頑張ってほしいと切に願い、握った拳に思わず力が入る。
グレンダとマリン。二人は十メートル程離れて向かい合って立った。
「──では確認するよ。今回も攻撃方法は何でもあり。意識を失う、降参と言う、森の木々を傷つける、以上がその時点で負け。……いいね?」
「はい!」
マリンは緊張した面持ちでローブのフードを被り、長杖を構える。グレンダは左手に長杖を持ってはいるが、至って自然な姿勢のままだ。
「よし。では……始め!」
ロムスが座ったまま大きな声で開始の合図を出すと、マリンが先手を切った。
「石礫!」
杖から無数の石が飛び出してグレンダに向かって撃ち出される。しかしグレンダは構える事もせず、ただ右手をふわっと払う様に動かすと石はすべてバラリと地面に落ちる。すかさずマリンは二波目を放つ。
「炎の矢!」
今度は燃え盛る矢が無数にグレンダに向かうが、分厚い岩の壁に阻まれてバラリと落ちてしまった。
「相変わらず工夫の無い…」
グレンダはそう呟くと、マリンと同じ様に杖を相手に向ける。
「石礫」
杖の先からマリンのそれとは大きさも速度も桁違いの石が撃ち出される。しかもその石は炎を纏っていた。
「――はっ!」
マリンが杖の下端で地面を突くと、目の前に岩壁がそびえ立つ。グレンダの放った燃え盛る石礫は岩壁を正面から殴打し、盛大に火の粉を散らした。そして全ての石礫が撃ち終わる頃、その猛撃に耐えきれず壁が崩落する。
マリンに直接石礫が当たることは無かったけど、二人の攻撃力の差は明らかだった。
「──おっ。前回はこれが防ぎきれなかったんだ。頑張ってるなマリン」
ロムスの呟きはマリンが精一杯頑張っている事を伝えるもので……私は少しだけホッとする。
「そっちがワンパターンなら、私もそうさせてもらうよ」
グレンダは再び杖の先をマリンに向けた。
「蔓よ、絞めろ」
突如マリンの足元の地面から太い蔓が飛び出した。マリンは再び岩壁を足元に作って伸ばし高所に逃れたけど、それ以上の早さで蔓はマリンの身体を捕まえる。
「あぁぁっ……!」
マリンは空中で全身をきつく締め上げられ、苦しそうに顔を歪めた。ギチギチと蔓の擦れる音がこちらにまで聞こえてくる……。
「前回はここで蔓の根本に火を放ったが、火力が足りなくて切ることが出来ず『ジ・エンド』だった。今回もここまでか……もうちょっと粘ってほしかったなあ……」
ロムスは残念そうに呟くけど……そんなのまだわからないじゃないか。
「――マリン! 頑張って!!」
「そうだ、マリン諦めるな! 頑張れ!!」
私が思わず大声で応援するとレオンも続いた。そんな私達をグレンダはチラと横目で見る。
「……あまり苦しませても可哀想だ。そろそろ終わりにするよ」
マリンをギリギリと締め上げる蔓の隙間から、するすると細い蔓がマリンの首に伸びてきた。そのままマリンの細い首に巻きいついてしまうのかと思った、その時。
マリンの身体を締め付けていた蔓が、ゴムが引き千切られるような音を上げて破られた。
蔓の拘束から逃れることに成功したマリンはその拍子に石壁から転がり落ち、地面に倒れ咳き込んでいる。
「……ゲホゲホッ……はぁ…はぁ……」
「マリン! やった!」
「頑張れー!!」
「ほう、そう来たか」
少し驚きつつも、思わず口角の上がるグレンダ。ロムスも「へえ」と小さく呟いてニヤリと笑っている。
「はぁ、はぁ……はぁ……」
息切れしつつもなんとか立ち上がったマリンのローブは、両袖が肩から裂けていた。その隙間からは両手首から肩にかけて伸びる刃が覗いている。――土精霊の力を使い、その身に刃を纏ったのだろう。
そして、普段は明るい青緑色に輝くマリンの瞳が、赤みを帯びて昏く光る。
「うぉらぁぁぁ!」
それは普段のおっとりとしたマリンからはとても想像できない勇ましい声だった。
マリンは杖の先で足元の地面を殴るように叩く。すると叩いた所ではなく、グレンダの足元の地面が突然広範囲に爆発した。
(クッ……目が!)
跳ね上がった土塊や土埃は、グレンダの目に入り視界を一時的に奪う。
マリンは猛ダッシュでグレンダとの距離を詰め、手首から肘側に装着した岩の刃をグレンダに向けた。
今にもその刃がグレンダに届こうかというその時、グレンダの放った突風が土埃と一緒にマリンの小柄な身体をふわりと浮かせる。しかしそれと同時に、なぜかグレンダがバランスを崩して尻もちを付くように転倒した。
土埃が落ち着いてから見えたのは、グレンダの足首に巻き付く細い蔓だった。そして蔓の逆側はマリンが掴んでおり……つまりグレンダは、自分が吹き飛ばしたはずのマリンに引っ張られる形で転倒しているのだ。
「うらぁっ!!」
突風が止むとマリンは体勢を素早く立て直し、低く腰を落として蔓を引く。──その力は尋常ではない。決して小さくはないグレンダの身体が、土埃を上げながらいい勢いで引き摺られる。
──そして、射程内。
マリンが両手で杖を振り上げ、地に倒れるグレンダをぶん殴ろうとしたその時。
「……腹ががら空きだよ」
引き摺られ地に倒れたままのグレンダの右手から、ソフトボール大に圧縮された強烈な空気砲が放たれた。
「はぐっ……」
空気砲は鈍い音を立ててマリンの鳩尾を直撃した。そのままマリンは地面に倒れて動かない……。
すかさずロムスが駆け寄って確認する。
「マリン……失神! 勝者、グレンダ!」
「「……はぁ~~~~~~~っ」」
私とレオンは緊張が解け、揃って大きく息をついた。気づけば手汗がひどい。
マリンはロムスに抱えられ、今まで私たちが座っていた長い布の上にそっと寝かされる。少し顔色が悪いけど、その表情は『やりきった感』だろうか……妙に穏やかだ。
「おい、なんか人が変わったんじゃねえか?」
軽く引き気味なロムスの言葉も無理はない。私もあんな勇猛なマリンは初めて見た。
一方グレンダはレオンの助けを借りてゆっくりと上体を起こすと、足首にキツく巻き付いている蔓を丁寧に外した
「なんだい、これは……鞭じゃないか」
「あ! これ、僕が作ってマリンにあげたやつだ!」
「「はぁ?」」
レオンの言葉に、年長組二人が揃って声をあげる。
「森に生えている蔓を割いて乾燥させてから、松脂を付けて細かくきっちりと編むんだよ。マリンは力が強いから、生の蔓のままじゃすぐダメにしちゃうからね」
そういえば以前、採取してきた長い蔓をレオンが一生懸命割いて干していたのを思い出した。あの時は何をしているのかサッパリだったけど……そういう事だったんだ。
レオンは鞭をよく観察する。
「あー、それでもやっぱりマリンの力には耐えられないかぁ。もう先端がボロボロだぁ……」
レオンは心底残念そうに呟いた。
「くくっ……ははははっ! 婆さん、これはやられたな!! あっはははははっ!!」
腹の底から大笑いするロムスに、グレンダは苦笑いするしかなかった。
──グレンダ自身、正直マリンが短期間でここまで極端に進歩するとは思っていなかったのだ。
マリンは真面目で几帳面。前例ある事を美しとし、言われた事を実直にこなすのは得意。だが自身で創意工夫したり……なにより他人を傷つける全ての行為が極端に苦手だった。
しかし最近我が家に来た大山猫族の少年と、高位翼人の娘サンディ。彼らと出会い触れ合う事で、マリンの意識が急激に変化しつつある事を感じた。
(これはなかなか面白い科学反応が起きそうだね…)
グレンダはよいしょと立ち上がると、左足を軽く引き摺りながら敷布の上に寝かされているマリンの元に向かうのだった。





