天界王の苦悩
天界王ウルスリード・セラフィニウスは、黒妖精の助けを借りて転送陣を使い、精霊王宮から瞬時に自身の城へと戻っていた。
帰城してからまず、生き残った騎士達の報告を受ける。
妻である王妃マリエレッティを攫ったのは、自身の実弟であるギベオリードであった。封印石を使って王妃を捕え、地下世界へ堕ちたという。
王女アレクサンドラは、マリエレッティが囚われる直前に隠したおかげで無事ではある。──ただし、その行方は知れなかったが。
「ギベオン……取り返しの付かないことを……」
攫われた妻、王妃マリエレッティ──マリエラは、遠縁の貴族の娘であった。城勤めの父に連れられて王城に出入りをしており、年の近い自分たち兄弟とはすぐに打ち解けた。
思い返せばギベオンは、当時からマリエラを好いていたようだ。
高等学院に在籍中、ギベオンはマリエラに愛を告白したらしい。しかし『当時既に、私の心中には貴方が居ましたから……』と結婚後にマリエラから告げられた。
全てを投げ出して、すぐにマリエラを助けに行きたい。そして愛娘アレクサンドラを自ら迎えに行きたい。しかし王という立場上、一時たりとも天界を留守にするわけにはいかない……。
今自分が天界を留守にしてしまえば世界の調和が崩れ……それこそ、ギベオンの思うつぼだろう。悔しさにその身を焼かれる思いだが、今はとにかく城内を落ち着かせる事が最優先であった。
王弟から王妃を守ろうとした侍女や騎士達に、多数の犠牲者が出ている。まずは彼らの弔いと家族への見舞いの手配が必要だった。
他にも犠牲者以上に多い負傷者の治療、血で穢された城内の浄化や破壊された箇所の修復等など……やるべきことが山積している。
あと城内で働く者だけでなく、全ての天界人は王妃の気配が消えたことを既に察知してひどく動揺していた。天界での王妃の存在はとても大きい。世界のバランスと調和を保つために必要不可欠な存在だ。
──今の天界はまさに、片翼をもがれたと言っても過言ではない。
実際、過去に先代の王が死を迎えその後王妃を迎える迄の間、ウルスリードはたった一人で天界を守っていた。
そして当時は自身もまだ若く……力の安定をひどく欠いた時期があった。その時期、地下世界から脱走する黒い翼人──『咎人』が多数出現し、地上の民をも害する事が増えた事がある。
今は当時よりずっと安定して守れるという自負はあるが、それでも王妃不在はかなりの痛手であることに間違いない。そう考えると、今後黒い翼人達の活動が活発化する可能性が高いのだ。
天界王は地上で活動している天界の民へ、改めて『くれぐれも警戒を怠らぬように』と指令を送った。
***
ウルスリードの帰城から、二週間と少々が経った。ここにきてようやく城内も落ち着きを取り戻しつつある。
ウルスリードは執務室に籠もり、滞っている通常業務をこなしていた。ふと気づいて窓をみると、外は既に日が落ちて闇である。
深くため息を吐き、別室に控える侍女を呼んで茶を要求した。それを待つ間、机に肘を付き手を組んで額を支える。頭の奥が鉛のように重く、目を瞑るとそのまま睡魔に飲まれそうだ。
疲労の極地にあるのは自覚しているし、その理由もはっきりしている。帰城して以来、まともに睡眠を取れていないのだが……その解決の目処は立たないままだ。
ベットに入りうつらうつらとするだけで、マリエラ、そして愛娘の姿が脳裏に浮かぶ。思い出せば胸を焼くような怒りと悔しさ、そして幼い愛娘の心細さを想像して涙が溢れる……。
このままでは、執務に支障が出かねないのは重々自覚している。しかしこればかりは、自分ではどうにもならなかった。
そこへノックの音とともに、落ち着いた男性の声が響いた。
「陛下、遅い時間に失礼致します。精霊王様からの御使者様が御目通りを願っております」
執事の声だ。この時間に使者とは珍しいが、故に急ぎの案件かもしれない。
「……通せ」
ドアが開くと、蝶のような羽を持ち白金の煌めきを纏った小さな少女がふわりと入ってきた。
「おお、白妖精殿。お久しぶりでございます」
「ウルス、久しぶりね! って……何そのひどい顔! 寝れてないの?」
「──ハハッ、お恥ずかしい限りです」
ウルスリードは執務デスクを離れ、応接スペースのソファーに腰掛けた。白妖精はテーブルの上にちまっと座る。
続いてノックの後に侍女が入室してきた。
ウルスリードの前には先程要求した茶を置く。そして白妖精の前にはクリスタルの深皿を置き、そこに水差しから水を注いだ後に、新鮮な薔薇の花をびっしりと浮かべた。
侍女が別室に下がると白妖精は薔薇の花の絨毯に乗り、寝そべりながら話を始める。
「ウルス、良い知らせと悪い知らせ、どっちから聞きたい?」
「では……少々疲れ気味ですので、良い知らせから」
「……アレクサンドラを見つけたわ」
ガタリと大きな音を立て、ウルスリードはソファが動く勢いで立ち上がった。
「……何処に?」
「地上よ。でも安心して。今は精霊の森の魔女に保護して貰っているわ」
「その魔女はアレクサンドラ……いやサンディの正体を知っているのですか」
「ええ、私が教えたから」
「なぜ!?」
「必要だからよ……まあ落ち着いて」
ソファーに再びドサリと腰かけたウルスリードは、置いてある茶を一口飲んだ。
「で、悪い知らせの方だけど……サンディが保護されている魔女の屋敷に、咎人が出現したわ」
ウルスリードはソファーの背もたれに頭を預け、天井を仰ぐ。拳をきつく握って額に当てると、深く長いため息を吐いた。
「……無事ですか?」
「ええ。保護者の魔女だけでなく、蛇の妖精も付いていたわ──彼らは優秀ね。それに今回は、あの子が自ら私達を呼んだおかげで発見できたの。サンディを狙って出現した咎人は黒いのが地底に飛ばしたし、森には私の結界も張った。あの魔女の森にいる限り、咎人はサンディに近づくことはできないわ」
「本当に色々と……有難うございます」
ウルスはソファにー座ったまま、白妖精に深々と頭を下げた。
「いいのよ。頭をあげて。あと、私たちがあの子に加護を授けておいたわ。万が一魔女たちの保護を外れた時に咎人と遭遇しても、サンディは自分の身を守れるはず。そして……」
白妖精は起き上がり、薔薇の絨毯の上に横座りになる。
「サンディはマリエラの印を持っていたわ。あの石があればマリエラを探し出せるかもしれない。でも彼女はまだ幼い上に、ここでの記憶を失っている……いや、隠されているようね。力の使い方が全くの素人になってしまっているわ」
ウルスリードは腕を組み、白妖精に問う。
「サンディをこちらに呼び寄せては……」
「ダメよ」
その願望に似た提案は、即答でへし折られた。
「こちらに戻したところで、何の解決にもならないじゃない。マリエラの隠蔽は精霊王でも解けないわ。サンディは直接王妃に会い、隠蔽を解いて貰わなければ……たぶんずっと今のままよ?」
それはウルスリードも理解している──が、目の前に愛娘の身柄が有るのと無いのとでは、自分の精神的負担が全く違うのだ。しかしこれは酷く身勝手な願いであるのも解っていて……。
それを口に出せず黙っていると、白妖精は手元の薔薇の花びらをプチリと一枚千切り取った。
「ウルス、貴方の気持ちはわかるわ。貴方も今まさに試練を受けているけど、サンディもまた同じなの。どうあっても乗り越えなければ前に進めない試練よ」
「ええ、理解はしています。ただ情けない話ではありますが、頭の理解に身体がついてきてくれず……」
自嘲気味に笑うウルスリードの隈は色濃く、頬も以前より明らかに痩けていた。
「──とりあえず寝ないと保たないわね。貴方の寝室のランプを持って来させて頂戴。少しでも眠れるように力を入れておくわ」
「……助かります」
白妖精は千切った花びらを口に入れ、モグモグと咀嚼している。
ウルスリードは手元のベルを鳴らして執事を呼び、寝室のランプを持って来るよう言いつける。執事が下がるのを確認した後、自身の執務デスクの引き出しを開けて小さな包みを取り出した。
「白妖精殿。私は今、どうしてもここを離れるわけにはいきません。次に愛娘に会う時、これを渡して下さいませんか? これは、サンディの五歳の誕生日に渡そうと思っていたものなのですが……」
「これは──ええ、わかったわ。今度の満月の晩……約半月先かしらね。その時に会う契約をしているから、その時に渡しておきましょう。ところで──『父から愛娘へ愛を込めて』ってスタンスでいいのよね?」
ふふっと笑いながら白妖精は包みを受け取った。
「ええ、お願いします。……私は無力です。記憶を隠されたあの子に何をしてやれるかわかりませんが、今は……サンディが無事でいてくれればそれだけで……」
そこへ執事の声が響いた。
「寝室のランプをお持ち致しました」
「入れ」
***
その晩、天界王は久しぶりに熟睡した。
それは白妖精の力を纏ったランプのおかげなのか、それとも愛娘が無事に安全な場所に在るという情報のおかげなのかはわからない。
しかし翌日以降、王の執務速度が一気に増したしたのは事実であった。
 





