取引
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結局私は、ほとんど眠ることができなかった。
早々に睡眠を諦めてベッドを降り、浴場でざっと熱い湯を浴びる。正直、まだ自分の中にはもやもやとした気持ちが残っているけど、とりあえず身体だけはさっぱりさせた。
身繕いを済ませたあと、気分転換になればとベランダに出てみる。神殿周囲の町並みは大きな建物が多い。この区画は神殿を中心に図書館や学校、研究施設などの公共施設が多く集まっているそうだ。そしてそこで働く人々の宿舎も多くあるという。
それにしても今日はいい天気だ。陽光は明るく町並みを照らしていて、暖かい風は私の髪を撫でながら優しく吹き抜けていく。昨晩の禍々しい騒動が嘘のような穏やかさだ。
少しうとうとしながら日向ぼっこを楽しんでいると、乱暴に叩かれるドアの音で飛び起きた。警戒しながら近寄ってみると、廊下から何やら言い争う声が聞こえてくる。
「お弟子様はお休み中です! どうかご遠慮ください!」
「黙れ! いくら精霊師といえども、余の邪魔をするならば容赦はせぬぞ!」
片方はエドの声だけど、もう片方は子供……男の子の声だ。
「おい魔女の弟子! 我が命の恩人よ! どうか余にその顔を見せてはくれまいか!」
(命の恩人??)
そっとドアを開けてみると、その少年は満面の笑みで立っていた。
身長は私より少し低いくらい。ミルクティー色のストレートヘアがサラリと揺れていて、切長の目に光る淡い緑灰の瞳は涼やかな印象。整った中性的な面立ちと、目を縁取る長いまつ毛が相まって、顔だけならまるで少女のようにも見える。
「入るぞ」
少年は遠慮なく私の部屋に入ってくると、お供の騎士たちがドアの前で警備の体制を整える。エドはその隙間を抜けると、すかさず部屋の中へと滑り込んだ。
少年は私の周囲をゆっくりと回りながら、観察するように上から下まで眺めている。
「――ふむ、そなたが余の恩人か。『魔女の弟子』というからもっと気難しそうな女を想像していたが、意外に若いんだな。それに……なかなか美しいではないか」
「っ……失礼な!」
まるで私を値踏みをするかのような物言いに、エドの憤りを含んだ声が聞こえた。
そうだ、この子は魔力暴走で苦しんでいたこの国の第一王子で、えっと名前は……なんだっけ?
「余はフェルディナントと申す。昨日は世話になったな。感謝するぞ、魔女の弟子よ」
そうだ、フェルディナント! そういえばフランチェシカ王妃が、彼のことを『フェル』と呼んでいたのを思い出した。
「恩に免じて余の方から名乗ったのだ。魔女の弟子よ、お主の名を申せ」
見た目の美しさとは裏腹に、王子の態度は不遜さが滲む。それでも彼は、地上人の王族だ。ここは正式な名前を伝えるべきだろう。
「私はアレクサンドラと申します」
「アレクサンドラ……美しい名だな。歳はいくつだ?」
とたんにエドが抗議の声を上げた。
「殿下! 女性に年齢を尋ねるなど――」
「――わかっておる! うるさい精霊師め……。では聞き方を変えよう。歳は十代か?」
なぜそんなことを聞かれるのか全くわからない。でも十歳は十代で間違いないので、黙ったまま頷いた。
途端にフェルディナント王子は破顔する。その表情はそれまでのように威張った感じはなくて、素直に綺麗だなと思えた。
「そうかよかった! では単刀直入に申すぞ。此度は余からお主へ褒美を使わそうと思い、直々に参ったのだ」
「まあ……光栄です」
あえてにっこり微笑んでみせると、王子は顎に手を当てて何やら考えている。
「余は十四歳だ。そしてお主は十代……どんなに上でも十九であろう。であれば余が成人の儀を迎える十八歳の時、お主は二十三歳で……」
王子は私の方が年上だと思い込んでいるようだ。
まあそれは別にかまわないけど、それにしても一体何の話をしているのだろう。気づけば王子の背後でエドが真剣な眼差しを私にむけ、首を小さく横に振り続けている。
(……??)
「うん、安心しろ。この程度の差なら余は気にならぬぞ。そして子を成すことも十分に可能であろう」
(子を成す?)
一体この子は何を言いだしてるのか。いやその意味はわかるけども。
王子がパチンと指を鳴らすと、開け放たれたままのドアから一人の騎士が入室してきて、可愛らしいブーケを恭しく王子に手渡した。
それを受け取った王子は私に向けてひざまずき、ブーケを差し出す。
「魔女の弟子、そして命の恩人アレクサンドラよ。お主を我が妻として迎えたい」
姿勢とその言葉だけは私に願う形ではあるけれど、王子の表情は自信に満ちている。断られることなど全く想定していない様子で、むしろ『どうだ有り難かろう』と言わんばかりだ。
正直、少しイラっとした。
「殿下、お人払いをお願い致します」
「ん、恥じらわずとも良いのだぞ?……下がれ」
私が黙っていると、王子はすぐに皆を下がらせた。そのへんの察しはいいらしい。
騎士達が退出すると部屋には私とフェルディナント王子、そしてエドだけになる。棚の上にはヴィオラもいるけど、王子は気づいていないようだ。
「精霊師よ、お主も出て行――」
「――殿下、彼は残って良いのです。さあ、こちらにおかけください」
少しホッとしたような表情のエドとは対照的に、王子はムッとしている。それでも私が年上だと思っているからか、勧めた席に黙って腰掛けた。私が王子の向かい側に腰掛けると、エドは私の背後に立ったまま控える。
「フェルディナント殿下。率直に申しあげます。私は殿下の求婚を受け入れることはできません」
「なぜだ? 余の妻となれば、将来ザーシカイム王国の王妃になれるのだぞ? 王妃となれば何不自由なく暮らせるし、美しい宝石もドレスも思いのままなのに」
王子は優しく微笑んでいる。でもどこか私を試すような挑発的な態度は、きれいな顔と相まって余計に小憎らしい。
「私は宝石もドレスも欲しいと思いません」
「ではアレクサンドラは、一体何が欲しいのだ?」
「私は情報が欲しゅうございます」
「情報?……何の情報だ?」
王子は不思議そうな顔で尋ねた。
「私はとある人を探して旅しております。その人につながる情報を得るため、はるばる王都に来たのです」
「なるほど。するとそれは、そこに控える精霊師も関係しているのだな?」
「精霊師エドアルドは、私の忠実な臣下です」
「――サンディ様」
そんなことまで教えなくていい……エドが小声で私の名を呼んだのはそういう意味だろう。そんなエドを無視し、私はあえて自身の翼を現してみせた。それは使おうとしたときにだけ顕現する、実体の無い翼だ。
「それは……」
王子は口を開けたまま固まっている。彼の持つ高い魔力は伊達ではない。いま、王子には、私の翼が確実に視えている。
「私は両親から健康な身体を賜りました。それ以上のものは何も望んでおりません」
王子は私をじっと見つめたあと、ブーケをテーブルに置いて椅子から降りた。
「余はやはり、お主が欲しい」
私を守るように一歩進み出たエドに対し、王子は面倒そうに舌打ちする。
「――案ずるな。正確にはその力をだ」
「それは一体どういう意味でしょう?」
「アレクサンドラよ。余と取引をしないか。応じればその情報とやらの入手に、協力してやっても良い」
これは悪い話ではない。王子の協力を得られれば王城に集まる情報を得られる。王城であれば咎人出現の情報はいち早く伝えられるはずだ。少なくとも、酒場に集まる不確かな噂話をあてにして待つよりは、よほどマシだろう。
「フェルディナント殿下は、一体何を所望されるのですか?」
「先ほども言ったが、余は力が欲しい。自身の魔力を扱い切る力だ」
「私と殿下の使う力は異なるもの。私は殿下に何かを教えることはできません。それに無理をしてはまた――」
「――体格に見合った無理のない訓練方法は、昨日側近の方を通じてお伝えしたはずですが?」
そう告げたエドに、王子は強く舌打ちをしつ睨みつけた。
「ああそうだな。精霊師様のせいで、あれ以降、ひどく生ぬるい訓練になったわ。余は一刻も早く強くなる必要があるのに、余計な入れ知恵をしおって」
(『早く強くなりたい』のは私も同じ……)
なぜそんなに焦っているのだろう? 王子の表情には、その決意の強さが表れている。そこにはきっと何か強い動機があるに違いない。
「殿下はなぜそんなに早く強くなりたいのですか?」
「余には兄弟がおらぬ。それゆえ、余の命を狙う者は後を絶たぬのだ。それに……」
そこで王子の言葉が止まった。結ばれたままの唇が僅かに動いている。何か言いづらいことがあるのを察すると、エドが静かにつぶやいた。
「――妃殿下の件ですか?」
「お主、知っていたのか」
「ええまあそれなりに情報収集はしてますから。サンディ様。最近妃殿下の周囲で物騒なことがあった、とだけは聞いています。それに王国の勢力を削ぎたいと目論む界隈が暗躍しているとの噂もありますね」
エドの言葉にうなだれた王子は、悔しさを滲ませながらポツリポツリと話し始めた。
「……昨日、母上の寝所に何者かが矢を放ったのだ。その鏃には強い毒が塗られていた上、微力な魔力を纏っていた」
「妃殿下――お母様がそんな危険な目に……」
王城の中でも一際警備が厳しいであろう要人居住エリア。そこへ魔力を帯びた矢を打ち込まれたとあれば、相当な衝撃だったに違いない。母を案ずる王子はもちろん、王城の警備全体に与えるインパクトも相当大きかったことだろう。
「母も魔力持ちだが、それほど強くはない。何より身を守る術など持たぬか弱い女性だ。それこそ敵が魔力持ちであれば、自力で身を守ることは厳しいだろう……」
王子はうなだれたまま一点を見つめている。その拳は強く握られ、白くなっている爪が見える。
「殿下は、お母様を守りたいのですね?」
「母だけではないがな」
王子の言葉は『母を含めた全てを守る力が欲しい』と……私にはそう聞こえた。その言葉は今の私の気持ちと驚くほど重なっている。
「承知いたしました。その取引、乗りましょう」
「ちょっ、サンディ様!?」
エドは驚いているけど、王子の動機に偽りがないことは伝わってきた。そうであれば私も力になりたいと、素直にそう思ったのだ。
「ではまず空を飛ぶ……いいえ、宙に浮くところからやってみませんか」
「そんなの余には無理だろう。それにお主は翼があるのだから飛べて当然ではないか」
「あら、私は翼を使わなくても飛ぶことができますよ?」
私はフェルディナント王子の手を取って風精霊の力を借りた。体重が失せて髪や服が浮き上がるこの感覚、伝わるだろうか?
「うわっ、やめろ!」
慌てた様子の王子は宙に浮いたまま、アワアワと手足を犬かきのように動かしている。その仕草があんまりおかしくて思わず笑ってしまった。
「私は今風の力を借りています。殿下はご自身の力を制御してください。そうすれば殿下にも同じことがきっとできます」
フェルディナント王子は空中で姿勢の制御すらままならないようだ。私の手を精一杯両手で掴んだまま大きく叫んだ。
「こんなの無理だああああああっ!!!!」
***
エドアルドは宙に浮く若い二人を見つめていた。
十四歳の王子と十歳のサンディ……年齢的には全く問題はない。むしろ自分なんかよりよほどお似合いだろう。もしかしたら今後、彼らは理解し合えれれば生涯の伴侶となり得るのか……?
地上人と天界人が結ばれたという話はよくある。しかし子を成す事は稀であるし、何より寿命の差がありすぎる。地上人はたった百年足らずで寿命を迎えるが、天界人はその七〜八倍はあるのだ。
しかしながら、種族差を乗り越えて寄り添いあったという夫婦や恋人たちの話は枚挙に暇がない。サンディの場合は王の許しという難関があるものの、それさえあれば、あるいは……。
(いや、そんな許可あるはずが……)
正直なところ、自分にとって王子は生意気なガキとしか思えない。でもそこは年相応の付き合いやすさなのか、すでに打ち解けつつある二人に、今自分は明らかに嫉妬している。
エドアルドは顔面に無理やり笑顔を貼り付けつつ、密かに奥歯を噛み締めていた。





