封印
今日の早朝、神殿長の署名入りで『精霊師及び魔女の弟子らの施術を、当面の間休止する』と発表された。
昨晩神殿では、堅牢な石造りの建物が壊れる程の被害が出て大きな音が発生した。その音を聞いて飛び起きた近隣住人が、宙を舞う大きなヴィオラや夜空に飛び交う魔法を目撃し、大騒ぎになってしまったそうだ。
そのせいで今朝は、いつもの治癒を求める者だけでなく、新聞記者や野次馬までもが集まって騒動になっているという。
そんな中私は、エドアルドとレオンの部屋にいた。レオンはベッドに入ったまま上体を起こしており、私とエドはその横にある椅子に腰掛けている。
「レオン、具合はどう?」
「うーん……。さすがにちょっと疲れたかな」
昨晩の騒動については神殿の警備騎士だけでなく、王城の警務隊が直接派遣されて調査に加わっている。私達は彼らの事後調査に協力し、先ほどやっと全ての聴取を終えたところだった。
ベッドの上で小さく息をつくレオンに、エドが優しく声をかける。
「さっきの聴取で一段落したはずです。今日はもうこれから人が来ることは無いでしょうから、ゆっくり休むといいですよ」
「うん、そうさせてもらうよ」
レオンは重傷だったけど、治癒魔法の対処が早かったおかげで大事には至らずに済んだ。エドが来てからは二人がかりで施術したこともあり、身体の傷はすでに癒えている。
でも魔族の女から強烈な攻撃を受けたことや、あの匂いに抵抗出来なかったことで精神的なショックを受けているようだ。
「あのひつじ女、本当に強かったな……」
「あの変な匂いさえ無ければもっと戦えてたわよ。あんまり気にしない方がいいわ」
「それにしてもあの匂う術は……もう二度とごめんですね」
昨晩の不快感を思い出したのか、エドがしかめっ面で吐き捨てた。
私が『ちょっと様子を見てくる』と外に出ていった時、エドは慌てて後を追おうとしたという。でもベランダへのドアを開けたところで再びあの香りを吸い込んでしまい、酷い吐き気とめまいで昏倒していたそうだ。
動けないまま苦しんでいると、いつの間にかヴィオラが戻っていた。頬を寄せられたらなぜか急に体調が回復したので、すぐに屋上へと駆けつけたのだという。
「やっぱりヴィオラは、あの術に対抗できる力があるみたいね。あと私は最初に少しだけめまいがしたけど、その後は大丈夫だったわ」
「ステート殿の部屋では、残り香に当てられた騎士たちが共倒れしていましたよ。ただそちらは僕らと違って、とても気分良さそうでしたけどね……」
「気分がいい?」
「ええ。それはもう幸せそうな寝顔で。例えるなら酔っ払いみたいでした」
レオンへの治癒が落ち着いたあと、エドは騎士たちに請われてステートの部屋に向かったのだ。そこではステートを運び込んだはずの騎士たちも一緒に倒れていたという。
彼らに対してヴィオラは頬を寄せるようなことはせず、数回大きく羽ばたいた後に部屋の中を小さく旋回した。そしてエドの肩に戻ると、倒れていた者たちは全て意識を取り戻したそうだ。
私はここで一つの共通点を思いついた。
「倒れいていた騎士たちは、全員男性よね?」
「ええ、そうでしたね」
「だとすると……あの術は男性に対して強く影響するのかもしれないわね。それと、地上人への影響力が大きいみたい」
「廊下に倒れていたステート殿の手には、サンディ様の部屋の鍵が握られていました。あの野ネズミをサンディ様の元へ導いたのはステート殿で間違いないでしょう。聴取に対しては『何も憶えていない』と言っていたそうですが。もしかしたらあの術は、地上人を操ることができるのかもしれません」
「だとしたらすごく厄介だね。魔力持ちのステートさんがああなっちゃうんじゃ、これじゃ僕たち誰も信用できなくなるよ?」
「ふむ……確かに。これから先の方針を、考え直す必要があるかもしれませんね。」
王都に入って既に六日目だけど、現時点で神殿に咎人の情報は一つも入ってこない。それに私たちがここに居続けたら、無関係な周囲の人たちを傷つけてしまう可能性もある。
皆で黙り込んでいると、エドは小さく自分の膝を叩いた。
「――まあ今ここで悩んでいても仕方ないです。昨晩はあまり眠れなかったんですし、とりあえず今は休みましょう。特にレオンはしっかり休む必要がありますよ」
「うん、正直ちょっと疲れた。僕は少し休ませてもらうよ」
レオンが横になるのを確認して部屋を出ると、そのままエドもついてきた。てっきり見送りかと思ったら、一緒に廊下に出てドアを閉める。
「エド、どうかした?」
「サンディ様は、これからどうしますか?」
「これから?」
「お疲れでしたらすぐ休んでもいいですけど、僕はまだ余力があります。どうせなら早いうちに……『虹の夢』を試してみませんか?」
私の宿題に対して、なんでエドがそんなに焦ってるんだろう? それに疲れてるのはエドだって同じはずなのに。
「でもエドだって疲れて――」
「――いや僕は大丈夫です。というより僕自身がなるべく早く解決して欲しいんです」
エドはいつになく真剣……いや、少し怒ったような表情だ。
「さっきレオンが聴取を受けてる時、またあの胸痛があったんじゃないですか?」
「っ……」
警務隊の人たちがレオンを囲んで聴取していた時、確かにあの胸の痛みが起きていた。それでもうつむいて目をつむり、密かに歯を食いしばって耐えていたら、幸いにも数秒で収まった。
でも今までのそれと比べると、明らかに痛みが強くなっていることが少し不安だったんだけど……。
それにしてもエドはよく人を見ている。バレてるとは思ってなかったのに。
(もう誤魔化しきれないか……)
私が諦めてうなずくと、エドは思いがけず優しく微笑んだ。
「僕は本当に大丈夫ですから。それに元々『虹の夢』はそれほど負担の大きい術じゃありませんよ」
「わかったわ、エド。それじゃ、お願いします」
そのまま隣にある私の部屋にいくと、エドはドアを開け放ったまま入ってくる。エドはいつも、そういう気遣いを忘れない。
ベッドに寝そべると昨晩からの疲れのせいか、身体が急に重く感じる。思わず深く息を吐くと、エドが心配そうに声をかけてきた。
「サンディ様、本当に大丈夫ですか? やっぱりかなりお疲れのようですが……」
「ううん、大丈夫。……お願い」
私は目をつむって身体の力を抜く。これから一体何を見せられるのだろう? 一抹の不安はあるけど、何が見えたとしても受け入れなければ……。
「では……」
その声のすぐ後、頭頂部から額にかけて温かい力が流れ込んでくるのを感じる。何が見えるかわからない。念のためにしっかりと遮断しながら、エドの力を受け入れた。
***
「ああ、マリエラ……」
「ウルス!」
ここは天界の王城だ。父ウルスリードと母マリエレッティが再会を喜び抱擁し合う姿が見える。
(ああ、よかった……!)
私は今『虹の夢』の中にいるという自覚があった。そして自分の望みが全くブレていないことに安堵している。真の願いは今までと変わらない。お母様を助け出して、天界に連れ帰ることこそが私の望みなんだ。
(大丈夫。私はブレてない……!)
幸福感と満足感に包まれながら両親再会の光景を眺めていると、不意にふわりと肩を抱かれた。
(えっ?)
隣を見るとエドが私を見つめて微笑んでいる。その手で私が抱き寄せられたのは、厚い胸の中。その体温や香りまでもがリアルで、思わず心臓が大きく跳ね上がる。
スラリとした大きな手が目の前に迫る。綺麗な長い指が私の右頬に触れると、髪をそっと耳にかけられた。そのくすぐったさに思わず震えると、エドはクスと笑ってそのまま両手で私を抱きしめた。そして、吐息混じりの甘く低い声が、私の露わになった耳元をくすぐる。
「サンディ、僕が愛しているのは貴女だけです。僕の……そう、僕の全てを貴女に捧げます」
(……!?)
大きな動揺を自覚した次の瞬間。エドの白く大きな両翼が眩しく光ったかと思うと、その実体が消え失せた。代わりにその背には柔らかく金色に光る翼が現れる。
実体の無い翼。つまりこれはエドが王族に加わるということを意味していて……。
「サンディ、本当におめでとう」
母マリエレッティが優しく微笑んでいる。
「サンディ、幸せになれ。困ったことがあれば、いつでも我の元へ来い」
父ウルスリードも微笑んでいるけど、やや心配そうな表情だ。
私を抱きしめている腕が緩むと、エドの長い指が私の顎を優しく持ち上げた。真っ直ぐに私を見つめる優しい青灰の瞳の向こうには、まるでオーラのようにゆらゆらと金色の翼が輝いていて。
(これが私の望み……)
そのままエドの唇が私に触れる寸前。パチリと静かに拒否し、全てを消し去った……。
「サンディ様、大丈夫ですか?」
大きくため息を吐いた後、ゆっくり目を開けば、エドが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。両の眦には湿り気……涙の跡を感じた。
ああ、今私は、はっきりと気がついてしまった。今まで私は自分の本当の望みを全く自覚していなかったんだ。
上体を起こしたものの、まだエドの顔を正視できない。うつむいて涙の跡を拭きながら、できるだけさりげなく、一番心配な事を尋ねる。
「ええ、大丈夫……。エドは何か視えた?」
「いいえ。何も視えませんでしたし、なんなら体調すら感じることもできませんでしたよ。本当に見事な遮断です。短期間でよくここまで上達されましたね」
少しだけ残念そうに微笑むエドには悪いけど、私は心の底から安心した。エドは既に心に決めた人がいるのに、私のこんな夢を見せられても困惑するだけだろう。
「もしよろしければ、何が見えたか教えていただいても?」
「あ、えっと……お父様とお母様が再会して抱き合っていたの。本当に、本当に、嬉しかったわ」
「そうですか。しかしそれは夢で終わらせず、何としても現実にしたいですね」
「ええそうね」
「微力ではありますが僕も精一杯お手伝い致します。どうか本懐を成し遂げて下さいませ」
エドはとても優秀な人だし、私なんかには勿体無いくらい一生懸命仕えてくれている。ウルスリードへの忠誠とマリエレッティへの憧れを、未熟な私を命懸けで支えることによって返してくれている得難い忠臣だ。
「本当にありがとう、エド。私もまだまだ未熟だけど、どうか宜しくお願いね」
「はっ!」
床にひざまずき、頭を下げるエドを見ながら思った。私は彼の忠義に報いるべきだし、立場的にその義務もある。
(うん、これは絶対にナシよね)
この感情は、永遠に封印する事に決めた。この迷いを含む危うい感情は、大きな目的を達成するべく動く中で、致命的な判断ミスを誘いかねない。
先ほど見た最後の光景は、彼の厚い忠誠心を私が自分勝手に勘違いした結果なんだろう。今世はもちろん、前世でも恋愛経験の無いまま生涯を終えたせいで、今の私は『勘違いの激しいイタい女』になってるんだきっと。
「エド、今日は本当にありがとう。少し疲れたから休ませてもらうわ」
「ゆっくりおやすみなさいませ。昼食の時間になったら一度声をかけに参りますから」
ドアが閉まると、部屋が急に静かになる。棚の上に置いてある毛布の上ではヴィオラがすやすやと眠っている。
思えば今までの色々な出来事を通して、私たちは距離が近くなりすぎていたのかもしれない。ここは改めて初心を思い出すべき頃だろう。
私は心の中でそう自分に言い聞かせながらベッドに潜り込むと、頭まで布団を被ってしっかりと目をつむった。





