誤解
王都に来て二日目の夕方を迎えた。明日はロムスが森へと戻る日だ。私たちは昨日の約束通り『たれみみ亭』に集まっていた。
「お腹すいたなー。今日はけっこう疲れたね」
「そうね。意外と大変だったわ……」
昼間は神殿で治癒の手伝いをしていた。それなりの人数もこなしていたので疲労感もあるが、今はそれ以上に空腹感が強い。
サンディ達は前日と同じ個室に案内されると、再び部屋付きとなったティナがテキパキと働いている。
男性三人の前には大エール、サンディの前にはライムソーダが置いてある。乾杯を済ませた皆はもう既に飲み始めていた。
喉を潤しつつお互いが今日一日の出来事を話していると、ティナが次々に料理を運んでくる。
ロムスとエドの前では大盛りのフリットと素揚げの盛り合わせが、それぞれ揚げたての熱気を放っている。
……昨日見たお互いの皿がうまそうに見えたとかで、今回はそれぞれ逆のものを注文したのだという。
レオンの前には昨日と同じく、ティナおすすめの塊肉のロースト&マスタードソースが置いてある。他にもポテトサラダの焼き肉乗せとソーセージ盛り合わせまで並んでいて一番量が多い。
サンディの前にはエビの油煮が置かれている。そしてサンディの後ろにある出窓の前では、ヴィオラがフルーツの盛り合わせを既に啄みはじめている。
サンディが油煮の海老にフォークを刺すと、ぷつりと強い弾力が手に伝わってきた。熱々のそれをそっと油から上げると、食欲をそそるニンニクの香りが鼻をくすぐる。そのまま口に運べば驚くほどぷりぷりした食感と、強い旨味が口の中に広がった。
「んー……っ、美味しい!」
「このキノコのフリットもいけますねえ」
「野菜の素揚げはもっとあっさりしてると思ってたんだがなぁ。塩と合わせて食うのが美味いな」
「……」
レオンは食べかけのソーセージが刺さったフォークを持ったまま、無言で咀嚼に専念している。……よほど口に合ったのだろう。
ティナが階下へ行ったのを見計らって、エドアルドが尋ねた。
「……明日は何時ごろ発つんですか?」
「いつも日が昇る前には出発するぜ」
「そんなに早いんだー」
「王都と屋敷は距離が微妙でな。一日目に距離稼いでおかないと、翌日目的地に入る時間が遅くなっちまうんだ」
三人の会話を聞きながら、サンディは『魔女の宝玉とそのカケラ』についての噂を思い出していた。神殿に来た患者達との世間話の中で、サンディは何回もこの噂について尋ねられたのだ。
既にこれだけ噂が広まっているということは、ギルドマスターであるエンゾの火消しが行き届くまでもう少し時間がかかりそうである。
ロベールが魔女の森と王都を往復していることは王都の誰もが知っている。今回の道中はいつも以上の危険が伴うことは確実だろう。
「噂の件もあるし、心配だわ。……本当に気をつけてね」
心配そうな顔をするサンディに向けて、ロムスはニヤリと笑ってみせる。
「――ああ、わかってるさ。まあ俺はなんとでもなる。それより魔女の結界を抜けられる輩がいるとは思えねえが、周囲をうろついてる連中はいるだろう。……結界に入る前に、まとめて大掃除することになるだろうな」
パキパキと指を鳴らしながら悪戯っぽく笑うロムスは、いかにも面倒そうな言い方とは裏腹にとても楽しそうである。
「『ロムスの大掃除』ですか。輩たちの方が心配……というかむしろ可哀想な気がしますね」
エドアルドはクスクスと笑っていて、レオンとサンディは苦笑いだ。
そこへパタパタと階段を昇ってくる足音の後、ティナが現れた。ティナの押すカートの上には、大きい平鍋が載っており、鍋の上にはぽっこりと丸みを帯びた銀色のフタが乗っている。
「お待たせしました! 本日のメイン、ご予約頂いていたスペシャル海鮮炊き込みご飯でーす!」
ミトンをつけたティナが、平鍋をテーブルの中央に置いた。丸い蓋を取り外すとぶわりと白い湯気が上がり、ニンニクと海鮮の入り混じった食欲をそそる香りが部屋中に広がる。
平鍋の中は黄色いご飯がびっしりと敷き詰められ、その上には大きなえびや口をパックリと開けた貝、蟹の脚などがこれでもかと乗っていた。
(これって……パエリアだ!)
森の屋敷ではパンかパスタが主流で、米を使うことは全くなかった。サンディはいつの間にかこの世界でご飯を食べることを諦め、そしてその存在すら忘れかけていたのだ。
そんな中、目の前に突然現れた米飯の存在は、サンディにとって十分すぎるほどのインパクトだった。
「ご飯だ……」
「はい、珍しいですよね! お米ってこの国ではあまり馴染みがないですし、土壌の関係で国内では育たないからほとんど流通していないんです。私もこの店に来て初めて見たんですよ」
「じゃあこれって輸入品なのね?」
「そうです。東の山を越えた隣国では盛んに栽培されているそうですよ。これは輸入した米と我が国の新鮮な海産物を組み合わせた、当店オリジナルの料理なんです!」
そう説明しながらもティナの手が止まることはない。大きめの取り皿にパエリアをテキパキと取り分けながら皆の前に置いていく。
「ささ、熱いうちに食べてくださいね。底の部分の少し焦げたところも香ばしくて美味しいんですよ!」
早速サンディはスプーンでご飯をすくうと、フーフーと冷ましてから口に運ぶ。
(ああぁ……ご飯だぁ……)
海鮮の出汁をたっぷり吸い込んだ米と、それが口中でホロリと解ける食感を堪能する。サンディが夢見心地で咀嚼を続けていると、エールのおかわりを三つ持ったラヴィーヌが現れた。
「はい、お待ちどうさん」
エールを置いて空いたジョッキを回収するラヴィーヌが、ロムスに向けて首を小さく横に振ったことにエドアルドは気が付いた。ロムスが小さく頷き返すとラヴィーヌはすぐに退出する。
ロムスはそのまま、何もなかったかのように新しいエールへ口を付けた。
「……今のは一体何の合図です?」
顔を寄せ、小声で尋ねるエドアルドにロムスは無表情なまま思念で返答した。
『魔物や咎人出現の情報が入ったら俺に知らせるよう頼んであるんだ。明日以降は何か情報が入ったらお前に連絡するように言ってあるからな……頼んだぜ』
妖精殿の根回しは、全くもって隙がない。エドアルドは美味い料理と酒に囲まれ、自分がやや浮かれていたことを自覚する。なんなら冷たく濡れた手ぬぐいをペシャリと顔面へ叩きつけられたような気分だ。
エビのフリットを塩もつけずにポイと口に放り込み、すかさずエールを大きく呷る。そこで一息吐いたエドアルドの目に、とても幸せそうに黄色い飯を口に運び続けるサンディが映った。
(いっそこのまま、何事もなく毎日がすぎてくれれば……)
一瞬よぎったその考え……いや願望を、エドアルドは全力で振り払う。自分に課せられた大切な使命が、自分勝手な夢で上塗りされそうになったのを自覚してひどく焦った。
(大馬鹿者が……!)
エドアルドは飯の上に乗っている大海老を掴むと、不機嫌そうな顔でその首をパキリとへし折った。
***
一行は食事を終え、たれみみ亭を後にして帰途についていた。外はまだ陽が落ちたばかりで人が多い。そこら中に仕事帰りと見られる者たちが溢れ、屋台や飲み屋は軒並み賑わっている。
そんな中、ロムスはエドアルドを呼び止めた。
「おい、エドアルド。俺はちょっとレオンに話がある。サンディと一緒に先に帰っててくれないか」
「ええ、構いませんよ。……じゃあ参りましょうか」
フードを深く被り直す前、サンディはロムスへ笑顔を向けた。
「ロムス、明日は本当に気をつけてね……おやすみなさい」
「ああ、ありがとな。――サンディも色々と大変だろうけど……まあ頑張れよ」
「うん、ありがとう」
サンディとエドアルドが神殿に向かって歩き出して離れていくと、ロムスはパチンと指を鳴らす。
「――よっし、大して時間は取らせねえ。少しだけ俺に時間をよこせ」
「うん、それはいいけど……話ってなに?」
『なんだか嫌な予感がするぜ』
それは二人が歩き始めるのと同時だった。
急に思念での会話に切り替えたロムスに合わせ、レオンは同じく思念で返してみせる。
『……どういうこと?』
思念での会話は、一定以上の訓練を積まなければ難しいはず。なのにさらっと返してみせたレオンの成長に、ロムスは思わず口の端が上がりそうになるのを堪える。
『変態王弟サマがサンディのブレスレットを狙うなら、きっと夜だ。しかも今晩は新月だろ?……お前ら、部屋は近いのか?』
『うん、サンディの隣だよ。僕はエドアルドと同室』
二人は一見なんの会話もないまま、同じ方向へスタスタと歩いているように見えた……が、実際はずっと会話が続いている。
『そりゃあいい。――よし、お前は耳がいい。お前ならエドアルドに足りない部分を補えるだろう』
『僕、サンディには大恩があるからね。頑張るよ』
そのままロムスを先頭に、人気のない細い路地裏に入る二人。周囲を確認した後、ロムスが低く囁いた。
「レオン。お前に預けておきたいもんがある」
「ん?」
「いいからちょっと、あっち見てろ」
何のことかさっぱり分からない。それでも素直なレオンはロムスの指差した路地裏の出口、左の方へと視線を向けた。
***
「んもう……どうして急に売れまくったかなぁ?」
ティナは走っていた。レオン達を見送った直後、急遽ラヴィーヌから『緊急指令』が下ったのだ。
「ティナ、紫星の香草と青球根が切れそうなんだ。今ならまだ間に合うから、ちょいと市場に走ってもらえるかい?」
ティナにラヴィーヌからの指令を断るという選択肢は無い。そして指示された香草も球根も、店で出す料理には欠かせないものだ。できるだけ早く目的のものを購入して速やかに店に戻る。これが今の最重要ミッションである。
幸い市場が閉まる前ギリギリに滑り込んだ店で、目的の品物は十分な量を確保できた。
夕闇の中、艶やかな黒毛に包まれたティナの体躯は、大きな紙袋を抱えたまま音もなく街中を駆け抜けていく。あまりのさりげなさに、そのスピードで他の歩行者を脅かしてしまうような事もない。するりするりと人の間を風のように抜けていく様は、まさに大山猫族の本領発揮である。
(あ、近道しちゃおうかな……)
人がすれ違うのがやっとの細い路地裏を使えば、時間をほぼ半分に短縮できる。ティナは迷うことなく一本の路地に入った。
路地裏は街灯が無いので真っ暗だ。しかし大山猫族のティナには関係ない。夜目の効くアイスブルーの瞳は、路地裏の出口手前にいる二人の人影を捉えた。
(あれはロベールさんと……レオン?)
レオンが壁に寄りかかったまま、長身のロベールを見上げる形で何か話している。一瞬声をかけようと思ったが、何か普通でない雰囲気を感じ思わず身を低くした。
「いいからちょっと、あっち見てろ」
ティナの大きな耳に届いたロベールの言葉。レオンはそれに素直に従う。するとロベールは少し屈んで壁に手をつくと、レオンの頬に軽く、しかし長い間キスをした……。
(えっ……嘘……)
この王国内では人間同士であれば同性婚も認められており、それも特段珍しい話ではない。
しかし種族違いとなると話は別だ。特に獣人族全般においては自身と同じ種族同士でしか結婚はしないし、子を作れない組み合わせの番もありえない。
(人間……しかも男と……)
――手に持つ大切な紙袋を、落とさないようにするのが精一杯だった。ティナは膝から力が抜けそうになるのと同時に、自分がレオンに対して好意以上の感情を抱いていることを初めて自覚した。
ポロポロと溢れ出す涙を拭くこともできないまま、ティナは踵を返して駆け出すのだった……。





