魔力暴走
「ありがとうございました! またお来し下さいねー!」
私達が入ってきた時と同じように裏口から店を出ると、ティナが元気よく見送ってくれた。レオンと私はそれに手を振って応えた後、フードを被り直す。
『たれみみ亭』
それがあの店の屋号だとロムスから聞いたのは、食事を終えて店を出た後だった。
「昔はちゃんと文字入りの看板があったんだぜ。でも嵐の日に吹っ飛んで壊れて以来直してねえんだ。まあ文字なんて無くても、王都の人間ならあの看板の絵を見ればすぐにここだってわかるからな」
「あの店はずいぶん長くこの場所で営業されてるんですか?」
「ああ。かれこれ百年以上は続いてるな。ラヴィーヌの曾祖父さんが興した店で、昔から味は確かだったぜ」
獣人はその種族によって多少幅はあれど、地上人の寿命とそんなに大きくは変わらないと聞く。それが四代つづいているのなら、これはもう立派な老舗と言えるだろう。
それにしても先程の揚げピザはとても美味しかった。ミートソースや甘酢野菜はもちろんだけど、何よりあの生地のモチモチがやみつきになる。
サラダもサクサクとしたレンコンがいいアクセントになっていて、さっぱりとしたドレッシングととても良く合っていた。ほうれん草とベーコンのクリームスープは優しく滋味あふれる味わいで、思わずおかわりまでしてしまったほどだ。
しかしピザ生地が膨れてきたのか、今になってお腹がやや重い……。
(はあー……お腹いっぱい……)
なんとなくお腹をさすると、思った以上に膨れている鳩尾に思わずどきりとした。今晩の夕食は極力控えようと密かに決意を固めた、その時。
「っ……?」
胸の辺りに違和感を覚えた。心臓をギュッと握られたような痛みに一瞬息が止まる。これはやっぱり食べすぎのせいだろうか?
それでも痛みはその一瞬だけで、すぐに何も感じなくなった。
隣を歩くエドがクスクスと笑っている。
「サンディ様。ちょっと苦しそうですね?」
「えっ……あ、あんまり美味しかったから、ちょっと食べ過ぎちゃったみたい」
……よかった。胸の痛みには気づかれていないみたいだ。
「ホント美味しかったよねー。でも次はもうちょっと冷めてる料理にしたいな」
猫舌のレオンは、熱々の料理がなかなか食べられずに苦労していたのを思い出す。
「次はランチじゃなくて、好きなのを頼んでみればいい。メニューは山ほどあるからな」
「ふーん。ねえロベールのおすすめは、何?」
「そうだなあ。あそこはソーセージの種類が色々あるから、盛り合わせがおすすめだぜ。あと甘辛く炒めた肉が乗った芋サラダがあったな。あれは美味かった」
「へえー、今度試してみる!」
レオンは目をきらきらさせているけど、ソーセージ盛り合わせに肉の乗った芋サラダ……それらを満腹の今想像すると、正直ちょっと重い。
「サンディは今度は魚介を選んでみるといい。森じゃ海鮮は全然食べられないだろ? 王都は新鮮な海産物が流通してるから、なかなか美味いもんが揃ってるぜ」
「あ、それは楽しみかも……」
森で魚といえば川魚だった。でも海産物ならもっと色々種類があるはずだ。満腹にも関わらず海鮮と聞いたとたん急に楽しみになってくるのは、元日本人の性だろうか。
それにしてもこの調子では、王都にいる間の体重管理がとても難しそうだ。油断するとあっという間に太ってしまいそうで。
ふとロムスが足を止めて振り返った。
「ああそうだ。俺はこれからいくつか買い物があるから、今日はここで解散ってことでいいか?」
「そうですか。じゃあ僕らは神殿に戻って早めにゆっくりしましょうか。明日からは手伝いもありますからね」
「俺は明後日の早朝に森へ帰るつもりだ。だから明日の晩はまた『たれみみ亭』に集まるか」
「「わーい、賛成!」」
「よっし。じゃあそっちは予約いれておくぜ。そんじゃあな!」
たれみみ亭へは思った以上に早く再訪できそうだ。
ロムスと別れたあと明日は何を食べるかレオンと話していたら、背後から馬の蹄の音が近づいてきた。
「いた! 精霊師様だ!」
「お探ししましたぞ!」
二頭の馬にはそれぞれ騎士が乗っていた。私のすぐ目の前まで迫った馬が大きく立ち上がり、思わず身をすくめる。私の肩に乗るヴィオラが、威嚇するように大きく翼を広げた。
(……!)
急に、でも優しく腕を引かれて三歩ほど下がると、そのままレオンが私の前に出てくれた。更にエドがその前に立ち、フードを下ろしながら低く厳しい声で告げる。
「どんな急ぎの御用か知りませんが……女性の目前でその馬の扱いは、騎士道に悖るのでは?」
二人の騎士は慌てた様子で馬から降り、手綱を取ったまま騎士の礼をとる。
「も、申し訳ございません。少々、いやかなり急いでおりまして……」
「あの、精霊師様! 今すぐ神殿にお戻り願えないでしょうか。急病人なのですが、神官達では対処しきれず危険な状態なのです!」
「神官達で対処しきれないとは……かなりの重症ですね?」
「はい、そうなのですが、ええと……」
妙に騎士たちの歯切れが悪いが、これは周囲に人が集まってきたせいだろうか。ここはかなり大きな通りだ。翼人と騎士達のやりとりを眺めようと足を止める者が増えて、どんどん人が集まってくる。
「ふむ、ここではあまり詳しく話せないようですね。とにかくすぐに戻りましょう」
「あっ、ありがとうございます! それでは私達の後ろに乗って――」
「いやそれには及びません。――二人共、飛べますね?」
私とレオンは揃ってうなずいた。
「私達は先に神殿へと向かいます。事情はそちらで伺いますので。――失礼」
揃って地面を蹴るとエドとヴィオラは翼を広げ、私とレオンは風の精霊に力を借りて宙に浮きあがる。周囲のどよめきを背に受けながら、私達は神殿に向けて高度と速度を上げた。
「……ねえエド。今のはちょっと目立ちすぎじゃない?」
神殿へ向けて飛行しながら私は尋ねた。
「いや、そんな事はないですね。むしろ威嚇としては丁度いい位ですよ」
「威嚇って……ああそういうことか」
レオンは何かを察したようだけど、私はまだピンとこない。ちょっと首を傾げるとレオンが説明してくれる。
「サンディのブレスレットを密かに狙っている連中に向けて、ってことだよね」
「そのとおりです」
なるほど。天界人であるエドが魔法を使えるのは周知の事実だ。今回はそれに加えて、私やレオンも魔法を使えるという事実をあえて見せつけたという事か。
「ギルドマスターのエンゾ殿が『噂の火消し』をしてくれるとは言ってましたけど、今日の今日ですからね……まだ消火しきるには程遠いでしょう。さっきのお披露目は、それまでの時間稼ぎ位にはなると思いますよ」
きっと今頃、街では私達の事が噂になっているに違いない。それを聞けば襲撃を計画する側も警戒せざるを得ないだろう。
それにしても……せっかくの王都初飛行なのに、景色を眺めるひまもなくあっという間に神殿へとたどり着いてしまった。入り口に降りると警備の騎士たちが駆け足で集まってくる。
「ああ、精霊師様!」
「急ぎの怪我人と聞いて戻ってまいりましたが……」
騎士たちの声を聞いたのか、神殿長のステートが慌てた様子で現れた。
「おお、エドアルド様! お待ちしておりました。ささ、こちらです!」
やや小走りのステートについていくと、神殿の一番奥にある一際立派な部屋の前に来た。質実剛健を絵に描いたような神殿警備の騎士達とは違い、やや装飾過多な装備を身につけた騎士がドアの前に立っている。彼らはステートの姿を見るとすぐにドアを開けた。
(ここは……?)
中には病院のようなベッドはあるけど、その大きさや広さは他の部屋より一回り以上大きい。調度品は他よりも上品で、その数も多い。
ベッドの周囲には神官たちに混じり、お揃いの侍女服を着ている女性が数人忙しなく動いていた。
「うっ……ぐあぁっ……っ!!」
ベッドの上では、上半身裸の少年が苦しそうに悶えている。年は十三、四歳くらいだろうか。ミルクティーのような優しい色の髪が、汗に濡れた額に張り付いている。
その上半身全体には、血管のような模様の赤黒いアザがびっしりと浮き出ていた。激しい痛みがあるのか、その表情は苦痛で歪んでいる。
私はもちろんこんな症状は見たことがない。レオンも不思議そうにエドに尋ねた。
「これは一体……?」
エドはひどく難しい顔だ。
「これは……体内魔力の暴走ですか? という事は、この方は……」
「このお方は王国の第一王子、フェルディナント殿下でございます。訓練中に突然倒れられて神殿に運ばれたのですが、いかんせんここまで大きな魔力を制御し治癒できるものがここにはおりませんで……」
王都の王族や貴族のごく一部に生まれるという強い魔力持ち。第一王子である彼は、自の大きな力の暴走で苦しんでいるということらしい。エドは難しい顔のまま、チラと周囲を見てから告げた。
「できる限りのことはいたしますが……ここから先は人払いをお願いします」
ステートが合図をすると、部屋から他の神官や侍女達が退出していく。全員がいなくなったところで、ステートは心配そうに尋ねた。
「エドアルド様、率直なお見立てはいかがでしょうか」
「これは治癒とか、そういうレベルの話じゃないですね。地上人の体内魔力は、私たちの使う精霊力とは微妙に異なる力。それを外部から我々がコントロールするなんて……私も未だかつて行ったことがありません」
「そんな! フェルディナント殿下は既に国王……お父上と変わらぬ程の魔力を持っておられる方。いわば国の宝です。なんとか助けられないものでしょうか?」
ふむ……とエドは少し考えている。
「それならば同じ属性の力を持つ王か他の貴族の方が、直接施術することは出来ないのですか?」
ステートは今にも泣きそうな顔だ。
「いえいえ、とんでもないことでございます! そんな精霊師様たちのような緻密な術は、我々はもちろん王族の方々ですらできません」
地上人の魔力というのはなかなか厄介なものらしい。その上使える人数がごく限られているせいか、術の制御やその応用について殆ど発展していないようだ。
「ううっ……いっ、痛いっ!」
「殿下! お気をしっかり!」
王子は胸を掻きむしるようにして苦しんでいる。よく見ればその面は男子にもかかわらず少女のようでもあり……笑顔であればとても美しいのだろう。
それにしても男女問わず、子供が苦しむ様子というのは見ていて本当に辛い。
(可哀想に……)
地上で長く精霊師として活動してきたエドですら、対処方法を知らないという王子の病。彼を見ているとまるで前世の自分と重なってしまい、どうにも放っておけない気持ちになる。
「私、この子を助けたい」
私はヴィオラをレオンに預け、王子の横たわるベットの脇に置かれた椅子に腰掛けた。
「……サンディ様?」
エドが心配そうな声で私に声をかけた。それに頷きで応えた後、王子の身体を間近でよく観察する。
赤黒いアザは上半身にびっしりと浮き上がっているけど、よく見れば皮膚の下の血管と呼応するように僅かにウネウネと動いている。
(魔力の暴走……制御……あっ)
私は一つの案を思いついた。
「ねえエド。白い力を使えないかしら。乱れを整えて調和させればいいのよね?」
「理屈ではそうですが……あ、いや、それならもしかして……」
私は白妖精の『調和を乱す原因を消す』という力を、応用して使えないだろうかと考えたのだ。
正直、魔力暴走の原因が何なのかはわからない。根本的な治療にはならないかもしれないけど、それでも今の苦しい症状をできるだけ抑えてあげたいと思う。
「しかし一歩間違えれば、王子の魔力そのものを奪ってしまう可能性もありませんか?」
「そっか。調和を見出す原因が魔力の存在そのものだ、って見做されたら……」
エドとレオンの心配はもっともだと思うし、私もそれは懸念している。でも今はそれどころじゃ――。
「ま、魔女のお弟子様! 王子の魔力はこの国の宝。どうかそれだけは……!」
見ればステートが哀願するように手を合わせていた。神官であると同時に、一国民としてのステートの気持ちはよくわかる。
それでも私は諦めきれない。私はステートのややくすんだ赤茶の瞳を真っ直ぐに見て、できるだけゆっくりと言葉を紡ぎ、尋ねた。
「ステート様。ではお聞きしますが、王子からその魔力が失せたら彼は国の宝ではなくなるのですか?」
「……!!」
「サンディ様!」
ステートの目が大きく見開かれるのと同時に、エドの嗜めるような声が響く。
もちろんこれがひどく失礼な言い方だという自覚はある。――それでもここで諦める気は無い。
「とにかくこのままでは王子のお身体が持ちません。初の施術ですからどこまで治せるかはわかりませんが、この場はどうか私に任せてみては頂けないでしょうか」
小さく息を吐いたエドは、真っ青な顔をしているステートの肩に優しく手を乗せた。
「ステート殿、これは僕も初めて立ち会う施術です。それでも今はこれに賭けるしかないと判断致します」
「エドアルド様……」
「ステート神殿長殿。貴方はこの施術の成功を、どうか精霊王へ祈っていて頂けませんか?」
ステートは深い深いため息を吐いた後、諦めたように頷いた。そして窓の外へ向かって跪き、祈りの言葉を唱え始める。
私はステートの祈りの言葉を聞きながら王子の鳩尾に両手を当てた。薄いながらも鍛えられている上体は、荒い呼吸に合わせて苦しげに上下している。掌の下に這うアザからは、小さい虫が無数に這うような不規則でウネウネとした感触が伝わってくる。
(なんて痛々しい……)
私はできるだけ出力を絞りつつ、様子を見ながら白妖精の力を注いでいく。最初は弾かれそうになったり、逆に飲み込まれそうになったりして全然安定しない。寄り添うことすら出来ずに苦労していると、まるで手を払い除けられるような激しい反発を喰らった。
「くっ……」
「サンディ様……」
エドが声を掛けてきた。見ればレオンもすぐそばで心配そうに私を見ている。
「――大丈夫。ちょっと今から集中するわ。しばらく声かけはしないでね」
その言葉と同時に、私は王子の身体へ先程よりやや大きめの力を流した――その途端。
――とぷん
(えっ?)
急に水の中へ落とされたような感覚に陥り、気付けば私は赤黒い濁流の中でもがいていた……。





