副作用
今朝早く、宿の女将アーシェに見送られて宿を出立した私達は、王都へと向かう前に村の外れにある警務隊の留置所を訪ねていた。これはいまだに怯え続けていて証言をとれないという、二人の盗賊達の様子を見るためだ。
馬車にレオンとエドを残して、私はロムスと二人で留置所に案内された。
檻の向こうでベットに寝かされている男達二人は、特に拘束もされていないのに布団にしがみついてガタガタと震え続けている。
「ずっとあの調子なんですよ……」
警務隊員は困ったように呟いた。
私が窓から叩き出した男二人は身体の一部を包帯でぐるぐる巻きにされていたものの、命に別状はないという。彼らを診た医者によれば『拘束していた蔓が、いい具合にクッションになったのでは』とのことらしい。
警務隊員の話を聞いていると、私の姿に気付いた一人が『ひぃぃ』と高い悲鳴をあげて、布団に潜り込んでしまった。
……苦悶の幻術で何が見えたのか知らないけど、今更確認する必要も無さそうだ。彼らが見ていた不埒な夢は、きっとすっかり恐怖で上書きされたんだろう。
「サンディ、やれるか?」
「……ええ」
ロムスの小声の問いに、小さく頷いて応える。マントの下で左腕のバングルをそっと短杖に変えた。
(……解)
檻の外から男達に向けて、苦悶の幻術を解いた。途端に男たちの震えは止まり、そのまますやすやと寝てしまう。それを確認してすぐ、短杖を再びバングルへと戻した。
「……終了しました。これでしばらくすれば、落ち着いて話が出来るようになると思います」
「おお! さすが、魔女のお弟子様ですな!」
警務隊員は素直に関心しているけど、術をかけた本人が解除するのだから当然成功するわけで……。
「これに懲りたら、二度と魔女のお弟子様なんて狙うんじゃねーぞ、ってきっちり言っといてくれよな!」
「ええ、承知致しました! 必ずやしっかりと申し渡しましょう!!」
ロムスまで加わって、これでは立派なマッチポンプだけど……私は最後まで笑顔で黙っていた。
***
留置所を出発して数十分。ようやく街道に入って王都方面へと向かっている。
徐々に他の馬車とすれ違う事も増えてきた。路面も固く締まっているせいか揺れが少なくて、王都が近い事を感じさせる。
今日も天気は良さそうだし、まだ朝とはいえそんなに冷え込みも強くない。
私はさっきから軽い眠気に抗っていた。少しぼーっとしているとロムスが声を掛けてくる。
「サンディ、寝不足か? ――昨日は遅くに悪かったな。王都まではまだ数時間はかかるから、少し寝てるといいぜ」
「あ……ううん、大丈夫よ。ちょっと考え事してただけなの」
ロムスが突然私の部屋を訪れたのは、昨晩遅くのことだった。そろそろ寝ようかと準備をしていた所に、急ぎで薬を作って欲しいと頼まれたのだ。
アーシェ――宿の女将からロムスが買い取ったという材料を元に作ったのは、二日酔いの薬だった。合計で五本作り、二本をエドアルドに渡した。残りの三本は黒妖精のサコッシュに保管してある。
「サンディ様にまでお手間を取らせてすみませんでした」
隣に座っているエドが、申し訳無さそうに謝ってきた。
「ううん、いいのよエド。久しぶりに薬品調合のいい練習になったわ。それより具合はもう大丈夫? あの薬の効き目はどうだった?」
「いやあ……さすがに『魔女の薬』は効果てきめんですね。素晴らしいです」
エドは顔色もいいし、見るからに上機嫌だ。あの薬の効果の高さはもちろんだけど、魔女の薬にしては珍しく美味しかったと喜んでいた。……これは、グレンダのレシピを憶えていたロムスのおかげだ。
「そう、本当によかったわ。私も初めて作ったから心配だったのよ」
そう笑顔で返すとエドも優しく微笑み返してくれる。
御者台の上ではロムスとレオンが軽口を叩きあっていて、エドもそれを楽しそうに聞いている。森の屋敷にいる時から変わらない、平和な日常……。
(これって、現実かな……)
ふとそんな疑問が湧いてしまうのは、昨晩初めて体験した攻撃の幻術のせいかもしれない。
少しでも油断すると、いとも簡単に曖昧になる現実と幻術との境目……。あの恐ろしさを思い出して、背筋に細く悪寒が走った。
***
私は昨晩もギベオリード叔父様の書庫へと来ていた。約束通り、今回から攻撃の幻術への対処を教わるためだ。
訓練はさっき始まったばかりだというのに、既に不快で冷たい汗を全身に感じていた。胸の奥に湧いてくる強い吐き気を必死に堪える。
今は……私の目の前に、全身傷だらけで呻いているレオンがいる。レオンは私の方へと必死に手を伸ばしているけど、それも徐々に力を失って……。
「全く隠しきれていないぞ。しっかり遮断しろ」
叔父様の声にハッとして、意識を遮断へと集中させる。
私はさっきから苦悶……攻撃の幻術の中では一番軽いそれを連続でかけられ続けていた。
苦悶は精神的にダメージを与えて戦意を削ぐ効果がある。被術者が潜在的に一番見たくないと思う光景を見せつけて動揺を誘い、本人がそれに対応……その状況を受け入れてしまうと、あとは術者の思う壺だ。
これは抵抗によって自分の見ている光景が伝わるまでの時間稼ぎをしつつ、自分が見ている光景を相手に見せないための遮断と術を断ち切る拒絶を同時に発動させる訓練だ。この三つを自然と流れるように、そして当たり前のように使えないと、攻撃の幻術から身を守ることは難しい。
ふと場面が切り替わると、今度は意識なく倒れているロムス……あの無を当ててしまった時の光景が視えた。
私は抵抗と遮断、そして拒絶を必死に繰り返す。
「狼狽えるな、平常心を保て」
そう言われても、目の前で苦しむロムスはとてもリアルで……見ているだけでも心が折れそうだ。
必死に拒絶を試していると、また場面が切り替わった。今度はマリンが血まみれで石床の上に倒れている。
……これには、かなり動揺してしまった。抵抗も遮断も殆ど出来ないまま、思わずへたり込んでしまう……。
「ダメだ、やり直し」
「はぁっ……はぁっ……」
石床に這いつくばる私を見下ろす叔父様は、終始無表情なままだ。
彼らを助けようと駆け寄ったら負け……ルールは単純だけど、それを守るのがひどく難しい。その上、この光景を相手に見せてはいけない。見せてしまえばそれが私の弱点だと、即座にバレてしまうからだ。
床に這いつくばったまま息を切らしている私の目の前に、ドサリと誰かが倒れた。
「グレンダ……ッ!」
全身血塗れでボロボロのグレンダは、掠れた声で小さく呟いた。
「サンディ……苦しい……私を、楽にして、おくれ……」
グレンダは、そんな弱い事を言う人じゃない……! 抵抗も遮断も無いまま、私は泣きながら力一杯拒絶した。
「今の拒絶は、まあまあだな……ではこれで最後だ」
その声と同時にいままでより少し大きい力を感じた。
グレンダの姿が消え、代わりに石床の上へ現れたのは全身血まみれで横たわるエドだった。
薄らと開かれた目は虚ろに虚空を映し、その身と両翼はズタズタに裂かれている。身体の上にはあの変態蜘蛛……アズールが汚い節足を伸ばし、エドの身体を何箇所も同時に貫いていた。
――全身の血液が逆流するような怒りに任せて、私は何も考えないままアズールへの攻撃に転じる。そのまま幻術に嵌った私は、アズールに再び返り討ちにされるところで全てが消えた……。
気づけば私は倒れていた。目の前にはもう、冷たい石床しか見えない。そこへ、叔父様の低い声が降ってきた。
「あの蜘蛛の魔物に対する憎しみが、まだ強く残りすぎているようだな」
――それは否定できない。今でもあの時の屈辱感が澱のように溜まったままで、その自覚もある。
叔父様はしゃがみ込み、石床に倒れている私の上体を起こすと急に優しい声になった。
「あと……アレクサンドラは、あの同族の青年を好いておるのか?」
「え?」
そんな自覚は全く無い。何よりエドにはもう心に決めた人が別にいるんだし……。返事に詰まる私に、叔父様は真剣な表情で続けた。
「蜘蛛の魔物に殺されていたのが、あの青年でなくても同じように怒れるか……一度真剣に、自分の心に問うてみるがいい」
改めてそう問われるとアズールが憎かったのか、それともエドが酷い目に合わされていて怒ったのか……自分でもよくわからなくなってくる。
「無自覚の弱点ほど危ういものは無い。自身の心を自覚する事は、精神の制御においてとても重要な事だ。結果として辛い現実に向き合うことになるやも知れぬが、今後も幻術を扱いたければ、この試練は必ず通らねばならぬ……」
叔父様が最後に少しだけ、悲しい表情を見せた事に気づく。
「あとお主の弱点は、周囲の親しい者たちだな……まあよくある話だ。逆に言えば、一人孤独になればお主の弱点は無くなる……今はな」
「孤独……」
周囲の皆をあえて切り離して、独りで生きていく……そんな事が私にできるだろうか。真剣に悩み始めたその時、身体が軽くなるのを感じた。
「……時間か。アレクサンドラよ、くれぐれもよく考えてから再訪するように。その時にはまた、新たな段階へと進めるだろう……」
その言葉を最後に、私の意識は書庫から離れた……。
***
王都へ向かう馬車の中は、沈黙に包まれている。
荷台前方ですやすやと眠っているサンディの頭は、エドアルドの肩にあった。あぐらをかいたままじっと動かずにいるエドアルドの耳がやや赤い。
チラチラと振り返るレオンとロムスはその度に小さく笑って肩を震わせているが、エドアルドはそれに文句も言えず、むすっとしたままじっと黙っている……。
(二人とも、覚えてろよ……)
この二人さえ普通にしててくれれば、最高のご褒美時間なのに……。エドアルドが脳内で悪態をついていると、耳元で声が聞こえた。
「…………や」
(……?)
掠れた小さな呟きは、御者台の二人には聞こえていないようだ。
「……や、だ……」
何か夢でも見ているのだろうか? ……そっと声をかけてみる。
「サンディ様?」
エドアルドの声で御者台にいる二人が振り返ったのと同時に、サンディの閉じられた両目から大粒の涙が落ちた。
「……みん……な……」
エドアルドと目が合ったロムス、そしてレオンが大きく頷く。それを合図にエドアルドは、サンディの両肩を掴んで揺らした。
「サンディ様……サンディ様!」
その声にハッと開かれた黒曜の瞳は、一瞬の戸惑いの後に焦点を合わせる。
「僕がわかりますか?」
「え……エド……」
その名を呼んだ後、サンディの双眸から再び大粒の涙が溢れた。
「私、大好きだよ」
「えっ……?」
思わず狼狽えるエドアルドだったが、サンディは構わず続ける。
「私、エドが、好き……レオン、ロムスも。みんな……みんな、大好きだから……!」
思わず顔を見合わせたロムスとレオンから、笑みが溢れた。
「サンディ、僕だってサンディの事が大好きだよ!」
「ったり前だろ。俺だってサンディの事が大好きだし、大切だと思ってるぜ」
ポロポロと涙を落とし続けるサンディの目の前で、エドアルドは優しく、そして少しだけ寂しげに微笑んだ。
「僕だってサンディ様のことは本当に……本当に、大好きですよ」
その言葉を聞いて嬉しそうに微笑むサンディ……エドアルドにはそれがまるで、天界の大輪の花がほころぶように思えた。がしかし、サンディのこの状態は、放ってはおけない気がして。
「サンディ様、王都まではまだ時間がかかります。もうしばらく休んでいてください」
「えっと、大丈夫。もう十分に休んだし……」
涙を拭きながら笑顔で応えるサンディの額に、エドアルドは微笑みながら手をかざした。
「いいえ、だめです。今はおかしな夢なんて見てないで、しっかり休んでください」
その言葉と同時に、サンディの額にかざされた手からふわりと青い光が放たれた。するとサンディは再び眠りに落ち、そのままエドアルドの胸に倒れこむ。
「おい、エドアルド、それは……」
「大丈夫。夢も見ずに眠らせる、ただの催眠です。王都につく頃になったら解除しますよ」
狭い荷台の中、エドアルドはあぐらをかいた自分の膝を枕がわりにして、サンディを小さく丸まるように寝かせた。
「サンディ、なんか様子がおかしかったね」
「これ、夜更かしだけが原因じゃねえ気がするぞ。エドアルド、何か知らねえのか」
「さあ、僕もよくわからないですね」
(いや、もしかして……)
自分の膝枕で眠るサンディ。床に落ちたその長い黒髪を一房掬いつつ、左手の人差し指に光る琥珀色の指輪を見つめた。
(もしかしたら、あの書庫で何か……)
エドアルドの心中に、一抹の不安が小さな影を落としていた。
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