隠された少女 (挿絵有)
初投稿です。
本業に差し支えない程度に、ゆるく続けられたら良いなと思います。
どうぞ宜しくお願いします。
その女は腰までまっすぐに伸びる艷やかな銀髪を靡かせながら、カーペットの敷かれた廊下を駆けていた。年は二十代だろうか。美しく整ったその顔には焦りの色が浮かび、額には汗が滲んでいる。
「サンディ、さあ急いで。――こっちよ」
サンディと呼ばれた少女は女に手を引かれ、肩上で整えられた銀髪を揺らしながら懸命についていく。まだあどけなさの残るその顔にもうっすらと汗がにじんでおり、額には数本の髪の毛が張り付いている。
女は廊下の一番奥にある個室に入り、厚いドアを締めると内側から鍵をかけた。一息つくと女は少女の前でかがみ、その小さな左腕を優しく取る。
「これを授けます……絶対に、外してはなりませんよ」
女はサンディに優しく言い聞かせながら、細い指で小さな金具を留めた。その小さな腕に巻かれて光るのは、銀糸のような鎖が繊細に編まれたブレスレットである。小さな青紫の石がはめ込まれたチャームが、光って揺れている。
「お母様と全部同じ色。すごくきれい……」
サンディはぱっちりとした大きな目を丸くした。深い赤紫色の瞳の奥にはうっすらと青緑の輝きも見える――何とも不思議な色だ。白磁のように滑らかな頬が、嬉しさのせいかほんのり桃色に染まる。
「そう、これは私の分身です。これを持っていれば、貴女がどこに居ても必ず迎えに行きますよ」
サンディにお母様と呼ばれた、深い青紫の瞳をもつ女は優しく微笑んだ。その涼やかな目元と白磁の肌は、サンディとよく似た面影を映している。
「さあ、これを着て。貴女の為に誂えておいたの。本当は来月、五歳になる誕生日にわたそうと思っていたのだけど……」
女はサンディの旅着の上から、少し大きめでもやもやと不思議な色のローブを羽織らせた。自分の懐から細く白い横笛を取り出すと、サンディに着せたローブの内ポケットに入れてしっかり前ボタンを留める。
「ああ――もっともっと色々準備してあげたいけど、時間がないわ」
女は床に膝を付き、サンディを強く抱きしめた。サンディは最初こそキョトンとしていたが、母に抱きしめられたことが嬉しくて素直に笑む。
「サンディ、私にその可愛らしいお顔をよく見せておくれ」
言われるままにサンディが女を見つめて無邪気に笑うと、女は心底愛おしそうに笑み返した。
「では――さあ目をつむって。母がいいと言うまで目を開けてはなりませんよ」
「はい、お母様」
サンディは素直に目をつむる。女が床に膝をついたまま小さく柔らかい頬にそっとキスをすると、サンディは目を閉じたままクスッと笑んだ。
女はサンディの両手を持つと、自らもそっと目を閉じる。
「精霊よ、どうかこの子を隠し、お護り下さい――『隠蔽』」
ふわりと二人のローブが揺れた。サンディの足元で雲母のようにキラキラと光る風が渦巻くと、その渦はつむじ風のように立ち上がり、サンディの小さな身体をすっぽりと包み込んでいく。
そして風に巻き上げられているサンディの銀髪が、毛先からみるみる漆黒に染まっていった……。
「おかあ……さま……?」
言いつけ通りに目をぎゅっとつむったまま、小さく動いた唇は確かにそう読めた。雲母のつむじ風は光を強めながら細くなり、糸のようになって消えると――もうそこに、サンディの姿はない。
――女は両手を床に付いて嗚咽した。
「ああ、私のアレクサンドラ……どうか無事でいて。必ず、必ず迎えに行くから……!」
***
先程鍵をかけた厚い扉の向こう側から、若い男の声が響いた。
「マリエラ……私の愛しき女よ。そなたの全てを手に入れる為、参上仕った」
「……!」
咄嗟に立ち上がってドアから距離を取った刹那、重く厚いはずの扉が雑に刻まれてごろりと床に落ちる。
そこには黒い装束を纏った、長身痩躯の青年が立っていた。
暗褐色の髪は所々ほつれて顔にかかり、明るい琥珀色の瞳はまっすぐに女を捉えている。目元は軽く吊り上がり、きりりと結ばれたその口の端は意思の強さを感じさせた。
「ギベオリード……」
私は一歩下がり、両の拳を強く握った。――今は恐れよりも、怒りのほうが勝っている。
夫である天界王ウルスリードは今、第二子である長男レナートに精霊王の祝福を受けさせるため、遠い精霊界へと赴いている。
そんな折に、突然城内で騒ぎが起きた。すでに侍女や騎士達に犠牲者も出ている。
王が不在の間、天界……そして長女アレクサンドラを守るのは私、王妃マリエレッティの務めだ。それなのに……。
騒ぎの元凶……ウルスリードの弟ギベオリード。義弟である彼は私にゆっくりと近づきながら、さあおいでと言わんばかりに両腕を広げてみせる。
「ああ、マリエラ……昔のように、どうか『ギベオン』と呼んでおくれ……」
彼はこんな短絡的な行動を起こす男ではなかった……少なくとも、私の記憶の中では。
その恍惚とした表情、粘り気を含んだ視線、過剰なほどの猫撫で声……背筋にぞわりとするものを感じていると、ドアの先から複数の金属音が近づいてきた。
これは騎士団の応援が到着したのだろう――少しだけホッとする。
「妃殿下、ご無事ですか!?」
「……ギベオリード様!? 何をっ……!?」
――うわぁぁぁっ!!
――ぎゃあああっ!!
騎士達が姿を見せた途端、炎を纏った風の刃が、彼らを微塵に切り刻んだ。
「っ!? ギベオリード……なんて事をっ!!」
大理石の床は血の池となり、鉄の臭いと肉が焦げる臭いが混じり合って充満する。
――私の中に残っていた少々の怖気は、完全に怒りに変わった。
「……天界王妃マリエレッティが問う」
怒りで見境が無くなりそうな激情を必死に抑えつつ、努めて冷静に……低く静かに声を張る。
「――ギベオリードよ。王不在の今にして城内での狼藉の数々……これは明らかな反逆とみなすが、よいな」
ギベオリード……幼馴染の一人である彼はおもむろに跪き、右手を胸に当てて騎士の最高礼の姿勢をとった。そのまま空いている左手を私に向けて……ただし、その手は固く握られたままだ。
彼の視線は病的な熱を孕んだまま、私の全てを絡め取り拘束するように思えた――背筋に冷たい汗が滑り落ちる。
「全ては、心より敬愛するマリエレッティ殿下を、我が妻として迎える為に……」
……全く意味がわからない。急に何を言い出すかと思えば……。
「私は身も心も、とうの昔に国王たるウルスリード陛下のもの。お前ごときが立ち入る隙など無い!」
私から放たれたその名を聞いて、ギベオリードの瞳の奥がめらりと光るのを視た。
「ウルス……憎き兄よ……」
陰鬱に笑うギベオリードが固く握られていた左手をゆっくり開くと、楕円に磨かれた透明の石が現れた。
「っ……それは……!」
封印石!――あれは今の私の手に余る。
とっさに手を組み、短く詠唱をすると白金に光る球体に包まれた。私のできる最大の防御結界ではあるけれど、自分とギベオリードの実力差は明らかで……。
「ククク……その程度の結界……我の前では、悪あがきにもならぬわ」
ギベオリードの声は、明らかにこのゲームを楽しんでいるようだ。
美しい透明から出てきたとは思えないような漆黒の闇が、楕円の石からどろりと溢れ出る。それは私を護る球体を、足元からぬるりと包み込んでいく……。
「マリエラ! 今すぐ、永遠に俺のものとなれ!!」
その瞬間、ギベオリードの背に白金色に輝く、実体のない4枚の翼が現れた。
「ウルスよ、お前の全てを……愛する者全てを奪ってやる!!」
その言葉を放つとすぐ、その美しい翼はみるみる黒くなり、終いには金属様の鈍い輝きを纏う。
「憎しみを受け入れ、そして飲み込まれてしまったのね……哀れな義弟様……」
私の防御結界にはすぐに穴が空き、視界が漆黒に包まれていった。
「アレクサンドラ……レナート……私の愛しい子供達……」
遠のく意識の中で私は祈ることしかできない。
「ウルス……どうか……私達の宝玉を……守って……」
そのまま、私の意識は闇に飲まれた。
***
マリエラを結界ごと溶かした闇が封印石に戻る。すると透明だったはずのそれは彼女の瞳と同じ、深い青紫色に輝く石に変化していた。
「ハハ……ハハハハ……アーッハッハハハハハ!!!」
ギベオリードは青紫の宝石を強く握りしめたまま、足元から地面に沈んでいく。
「――ウルスよ! お前の大切な宝石は、確かに頂いたぞ!」
胴体……顔……そして頭の先が地に消える間際、最後の声が部屋に低く響いた。
「残りも、必ず……奪ってやる……」
イラストは、テン様(@saikomeimei)から頂いた『王弟ギベオリード』です。
テン様、素敵なイラストを本当に有難うございます!