98話 すれ違う話
人間が襲われたのと同じく、三ヶ月前。
鹿の獣人が街中で人間に襲われた。咄嗟に抵抗し、逃げたものの腕をがっぷり噛まれ、肉を食いちぎられてしまった。
「犬を連れていたのか、足も噛まれたらしい。命に別状はないが、左腕は腐ってしまって切るしか無かった。足も全治三週間の大怪我だったとか」
ナディアキスタに案内されて、私は彼のテントに訪れる。
ナディアキスタはテントのど真ん中に星図を広げ、それをくるりと回した。
「人間側に犯人の特定を申し出たが、誰も知らないと言った。その後で起きた人間の殺害で、獣人に疑いがかかった。否定したが聞き入れない人間は、獣人族を差別し始めた」
「聞いていた話とは違うな。獣人族が襲ったからこんなことになった、と聞かされたんだが」
「人間というのは往々にして、起きた過失の全てを他人に押し付けたがる。愚かしいにもほどがあるが、今回ばかりは卑怯にもほどがあるな」
「そうか。で、お前が何で獣人側にいるんだ?」
「弟に助けを求められたからだ。『戦争になってしまった。獣人族が皆殺しにされるかもしれない』と、べそべそうるさく泣くから、仕方なくな」
「はいはい。そうですか」
私が頬杖をついて顔を背けると、ナディアキスタは「お前はどうして」と言った。
「どうして獣人族の領地に入ってきた? 『獣人側』と言っていた。ならお前は人間側に雇われたんだな。わざわざ重い騎士の鎧を着ていたということは、騎士団全体が戦争に備えて助っ人に来たんだろう。頭の弱い人間側に話を聞いたなら、それを馬鹿正直に信じて殲滅するだけでいいだろうに」
「はっ、ご丁寧に嫌味ったらしく聞きやがる。どうせ分かってんだろ」
ナディアキスタは「そうだが」とケロリと言った。彼の無駄な観察眼と推理力があれば、私がここに来た理由を当てるなんて、手の指の数を数えるくらいに簡単だ。けれど、ナディアキスタは私の顔を真っ直ぐに見て、いつもなら手持ち無沙汰に星図を回すのに、手を膝に置いている。
上体はやや前に傾いているが、警戒ではない。となれば、自分が推理した答えが本当であることを信じたいのだ。
(──他人の一挙一動に、ここまで察せるというのも、無駄に鍛えた技だよな)
私は背筋を伸ばす。
ナディアキスタの前に、写真と音声データを置いた。
「人間が管理していた写真と音声。気になる点がいくつかあるから、お前と、犯人と似た獣人族に協力願いたい。これは、私個人の頼みだ」
ナディアキスタは安心したように上体を倒す。
深くため息を着いて、ナディアキスタは「いいだろう」と返事をした。
「ケイトはそういう奴だった。ただでさえ馬鹿なのに、人間側の話を聞いて信じるようじゃ、救いようのない領域にまで脳みそが落ちたと思っていたが、まだまだ手の施しようがあるな」
「お前だけ殺して帰りてぇわ。早く狼の獣人族連れてこい。ポンコツ鼻高ド腐れ魔女ジジイ」
「うるさいぞ、口悪好血首取りたがり悪魔騎士」
ナディアキスタが立ち上がろうとすると、テントが開いてモーリスが入ってくる。モーリスは私を見た瞬間「ヒュッ」と息が詰まる音を立てて自分の上着を脱ぐ。それを私に掛けると、真っ赤な顔で上着の前をギュッと閉めた。
「なっ、あ、なん······!?」
「モーリスもこっち側か。そりゃそうだよな。獣人クウォーターだもんな」
「えっ、え、あ······その、かっ、あ、あっ」
「モーリス、落ち着け。お前が思うほどケイトはショックを受けていない」
「なんっで! そんな格好を!?」
「獣人族に捕まってな。痛めつけたかったんだろうが、倍にして返してやった。そうだ、モーリス。彼らは『くっ殺女騎士』とやらが見たかったらしいが、その『くっ殺女騎士』ってなんだ?」
私が聞くと、ナディアキスタは驚き、モーリスは歯ぎしりをする。
「こりゃまた俗っぽいものを······」
「お、ナディアキスタは知ってるのか。なんだその、『くっ殺』って」
「いやまぁ、なんと言うか。······ケイトだから、『へぇ〜』で済ませるの分かってはいるんだが、何かお前に教えるのは少し躊躇うな」
ナディアキスタはちょっと頬を赤くして顔を逸らしてしまう。モーリスの服を押さえる力が強くなった。
「ぶっ殺す」
「教育が行き届いているな。モーリス落ち着け。仲間割れは避けたい」
「お陰様でな。モーリス、私は何ともないぞ。なんなら相手が重傷だからな。物理的に」
モーリスは目を見開いて私を威圧する。前にヒイラギが言っていたように、モーリスの目は人間とは少し違った。
「ケイト様は、こういった事に危機感がありません! もう少し気をつけてはいかがですか!」
「何で私が怒られる」
「いいですか! あなたは女性なんです! いかに強かろうと、男に押し倒されたら身動きなんて取れないんですよ! もう少し自分を大事にしてください!」
「分かった分かった。気をつける」
「冗談で言ってるんじゃないんですよ!」
モーリスの必死な剣幕に気圧され、私も本気で「分かった」と返す。熱が入りすぎたモーリスを引き剥がそうと、ナディアキスタが手を出したが、それが悪かった。
バランスを崩したモーリスが、私の胸に倒れてくる。さらに私もいきなりかかった重さに耐えきれず、背中を床に叩き付ける。
「うるっさいねぇ。も少し声を落としとくれよぉ。モーリスあんた、自分の声のデカさを自覚し······て」
さらに最悪なことに、モーリスの姉が登場してしまった。
メイヴィスは薄着の私と、押し倒すモーリスに目をやり、「はぁ?」と聞いたことも無い低い声を出す。
彼女にはモーリスが私を襲い、ナディアキスタがそれを止めようとしている図に見えているのだろう。
私はやってはいけない事に触れないように、誤解を解こうとした。
「メイヴィス、これには──」
「ち、違うんだ、メイヴィス」
やってはいけない事その一。『男側が弁解する』
やってはいけない事その二。『思わせぶりな言葉で否定する』
既に二つ触れてしまった。モーリスは青ざめた顔で言うが、メイヴィスがそれを信じるはずもない。
「モーリス、あんた······」
「じ、事故だ! これはその」
「どうやったら事故でケイト様の上に乗っかるってんだい」
「う、それは」
メイヴィスの静かに追い詰める言葉に、モーリスが萎縮していく。私はメイヴィスを落ち着かせる方法を考える。
「わ、わざとじゃないんだ」
「へぇ、わざとじゃない? 自分の主人を押し倒すのが事故でも起きるってのかい?」
「本当だって! 聞いてたんだろ!? さっきの会話!」
「あんたが一方的に怒るとこしか聞いてないよぉ」
「侯爵様に掛けてるだろ、上着!」
「あぁ、下に敷いてるようにしか見えないねぇ。そうだろぉ? モーリス」
「違うんだってば!」
だんだんモーリスが可哀想になってきた。ナディアキスタに助けを求めたいが、ナディアキスタもメイヴィスのガチギレを見たことが無かったのか、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして動かなくなっている。······ポンコツ魔女め。
「······メイヴィス、これは本当にお前が思ってるようなことじゃない」
仕方なく、私は助け舟を出す。メイヴィスは「本当かい?」と視線を私に移す。私は「そうだ」と言って、モーリスを押しのけて起き上がる。
「モーリスは私を案じて怒ってくれただけだ。これは本当に事故で、モーリスがそういう目的でやったわけじゃない」
「ふぅん、ケイト様がそう言うなら」
「ああ、モーリスは私に一切手を出したりしない」
「ナディアキスタが手を出したからこうなっただけだ。いい経験になった」
私なりにフォローしたつもりだったが、最後の最後で言葉を誤った。あらぬ飛び火がナディアキスタに降りかかり、メイヴィスの怒りがナディアキスタに向いた。
「ばっか、ケイト!」
「兄さん?」
「へっ? いや、違っ! 待てメイヴィス! ケイト、ケイト! 早く訂正しろ! 俺様が死ぬ!」
「言い訳は済んだかい? ねぇ、兄さん」
「あわわわ、メイヴィス落ち着け。話せば分かる。な?」
──平手打ちの音が、テントの外にまで響いた。