91話 エリオットは諦めない
真珠の国での出来事を経て、私は少し変化を感じていた。
ナディアキスタの態度が塩粒程度軟化したこと。
オルテッドと今まで以上に話が合うこと。
メイヴィスやモーリスとの付き合い方や、仕事のやりがい。そして──
「やぁムールアルマの守護女神! そろそろ仕事も終わる時間だろう? 一緒にお茶でもしないか?」
──エリオットがより一層ウザったく絡んでくること。
私は丁度片付け終わった書類をエリオットの顔に叩きつけて、「断る」と短く返した。
エリオットは諦めず、「いいじゃないか」と私の後をくっついてくる。
「ほら、お互い婚約破棄を経験した仲だし。フリーじゃない? お茶くらいいいじゃないか」
「お前はフッた側。私はフラれた側。お友達みたいな言い方をするな」
「でも婚約破棄は同じだろう? ケイティは紅茶あんまり好きじゃないから、コーヒーの美味しい店を見つけたんだ。行こうよ」
「断る」
「いちごのムースもあるよ?」
「断る」
「じゃあ狩りにでも行くかい?」
「一人で行く」
「お茶する気になった?」
「なるかぁ!! しつこいんだよ! どんだけ私とお茶したいんだ!」
耐えられなくなって、私は彼に怒鳴りつける。エリオットはケロッとして「ケイティと一緒にいたいんだもん」と言ってのける。
「だってケイティは、俺の事理解してくれるし、他の女の子みたいに俺の顔とか、地位目当てで話しかけたりしないだろ? それに狩りとか本気で付き合ってくれるし」
「クソッ!キャピキャピしてる女の方が好きかと思ってた」
「わざと嫌われるようなことを?」
「当たり前だろ! お前その時婚約者いたの忘れたか!?」
「お陰でケイティへの好感度めちゃくちゃ上がったよ。フィオナとはもう別れたんだから、いいでしょ」
エリオットはそう言って、私とさらに距離を詰める。私はふと気がつくと令嬢らしく微笑んでエリオットに言ってやった。
「なら、最近出たばかりのダイヤモンドカットのガーネット、あれが欲しいわ。とっても素敵よね」
私は心の中でガッツポーズをとる。絶対に引いただろう! とテンションが上がる。
今までの行動で好感度が上がるなら、その辺によくいる『おねだり女子』の行動はドン引きするだろう!
これなら『うわぁ、ケイティってこんなことする人なんだ。もう近寄らないでおこう』となるはず。
(さすが私! 天才の発想じゃないか! これならエルも絡んでこなくなる!)
「なんだ、そんなことか。いいよ! 沢山買ってあげる!」
「引けよぉぉぉ! ドン引きしろやぁぁ! 貢ごうとするな! 絶ッ対に行かないからな!」
***
「ケイトって、たまにビックリするぐらい馬鹿になることがあるな」
「うぐっ······」
ナディアキスタに指摘され、私は胸を押えた。
ナディアキスタは「本当に馬鹿だな」と追撃し、モーリスお手製のフルーツタルトを食べる。
「そもそもエリオットがこんなガサツなお前に、他人が引くほど惚れ込んでいるんだぞ。お前が今さらどうこうしようとしたところで、あいつが諦めると思うか」
「は? 何言ってんだ?」
「あ? お前が何言ってんだ?」
「お前、エリオットがどれほど惚れてるか分からないのか?」
「いや、エルが私に惚れるわけないだろ」
「は?」
「は?」
私とナディアキスタは並行線の会話に口を開けたまま固まってしまう。
二人同時に立ち上がり、「おかしいだろ!」とハモらせる。
「はぁっ!? お前、あれだけエリオットに言い寄られていて、気づかなかったのか!? 馬鹿にも程があるぞ!」
「男のからかいなんてあんなもんだろうがよ! 好意もねぇ女誘ってホイホイついてきたらバカにする! 何回見たと思ってんだ! 騎士になる前から見ても三十八回はあるぞ!」
「その不届き者を殴り飛ばしたのは!?」
「三十八回!」
「やっぱりバァァァカ! お前バァァァァァカ!」
「首素手でもぐぞ!」
ナディアキスタはテーブルを叩く。
「あんだけ『ムールアルマの守護女神♡』とかくっさい台詞囁かれて手を握られて! 何で気づかないんだ!」
「気づくかぁ! あいつ元々他人との距離が近すぎんだよ! ゼロ距離で話しかけられたり、労りついでに手を握ったり! あいつのせいで目覚めた騎士が何人もいて、『叶わぬ恋』なんてふざけた理由で退団する奴腐るほどいたぞ! 勝手に慣れるんだよ! あの天然人たらし!」
ナディアキスタは妙に納得すると、椅子に座り、頭を抱える。
私も落ち着いて席に戻り、フルーツタルトを食べる。
「はぁ、エリオットも相当な物好きだな。ケイトは今までどうやって遠ざけようとしてたんだ? 『おねだり女子』か?」
「失敗例の一部として、『戦場帰りの血濡れ騎士』、『完璧男装の麗人』、『コンマ一秒狂戦士』、『三秒で出来る猪狩り』、『首狩り族ごっこ』」
「普通の男なら最初のだけでドン引きなんだが。あと、失敗例の一部が衝撃的すぎて、内容があんまり入ってこないし、残りの失敗例が気になりすぎてタルトが飲み込めん」
「すげぇよ、エル。頭から血を被って帰ってきても『大丈夫かい? ムールアルマの守護女神! 怪我はないの? ないんだね。良かった。大丈夫、血だらけになっても、君の美しさは変わらないよ』って言ってくる」
「「割とヤバいな」」
改めて思い返しても、エリオットの言動は中々に重いし、クサいものばかりだ。それを今まで気にならなかったのも、避けられたのも、不思議なくらいだ。
ナディアキスタもドン引きしながらフォークを噛む。「怖いな」と、肩を震わせた。
「エリオットの言動もそうだが、それを今の今まで気にならなかったお前のスルースキルもヤバい。魔女がドン引きすることなんて早々ないぞ」
「いや、私も少し思った。慣れって怖いな······」
「というか、大体お前は何でそんなにエリオットを拒む?」
「はぁ? 決まってるだろ、あいつには当時──」
「フィオナはもういないぞ」
ナディアキスタは私の回答に先手を打つ。
今までこの言い訳で通じていたが、ナディアキスタには効かないようだ。彼は黙々とタルトを食べ進め、「言いたくないならいいがな」と、私に選択肢をくれる。
私はナディアキスタにならいいか、と思い、胸の内をさらけ出す。
「······言い方が悪いが、可哀想だからな」
エリオットが嫌いなわけでは無い。だが、彼は私には、あまりにも眩しすぎた。
私は家族を裏切り、国母となった妹すらも手にかけた裏切り者で、エリオットは皇帝からも国民からも信頼の厚い、国を担う騎士団長。
私があちこちの国で問題を起こすのに対し、エリオットは国を救い、他国との協定を結んで帰ってくる英雄。
······もちろん、これら全て国民や騎士団で囁かれている噂であり、事実とは全く異なるものだ。
私が片付けたものを、エリオットが代わりに受け取って帰ってきているだけ。それでも他人の目に映るものなんて、事実の断片だろうと、真実にしか過ぎず、私の評判は緩やかに落ちていく。
今回、真珠の国で生贄になったのに、心配してくれたのは魔女の弟たちと、森の領民と、モーリスやヒイラギ含め私の使用人だけ。
人数としては十分過ぎる。だが、新聞に載った私の記事は『裏切りの椿、残念ながら生還』なんて、心無い見出しの内容で。
「エリオットが、もし······もしもな。私と婚約すれば、間違いなく私は『国の聖剣を誑かした悪女』と言われる。彼がどんなに説得しようと、きっと『騙されているんだ』と逆に説得されるだろう」
「お前は『悪女になりたくないから』、遠ざけたいのか?」
「······そうだな。一番の理由はそれだ。エリオットを思ったところで、私はもう、誰にも何も、言われたくない」
──何をしても『悪役』と言われる。
私はただ、自由に生きたいだけで、愛しい人達と笑いあっていたいだけ。
もう、放っておいて欲しい。それすら許されないのなら、私はどうやって笑えばいいのか、分からない。
ナディアキスタは私の言い分を聞くと「ふぅん」と興味なさげに相槌を打つ。私は特に噛みつきもしないで、「そうだ」と最後のひと口を食べた。
「そろそろ私は行くぞ。領地の視察に行かなくては。水路の件は大分解決したんだが、今度は土質が変化したらしくてな。少し調べないと」
「俺様の手伝いをするなら、対価に見てやってもいいぞ」
「ああ、小麦と綿花の加工か? いいぞ。じゃあ明日採取した土を持ってこよう」
「話が早いな」
いつの間にか、お互いの領地の情報交換するようになり、本当に変化したなぁなんて、しみじみ思う。
私はナディアキスタの小屋を出て、モーリスと一緒に北の領地へ行く。
モーリスと使用人の給与の話を詰めながら、馬車に揺られた。
***
ケイトがいなくなったナディアキスタの小屋で、彼は最後のひと口を飲み込むと「“片付けろ”」と手を叩く。
皿が勝手にシンクに飛んでいき、ざぶざぶと洗われて棚に戻る。
ナディアキスタは一息つくと、テーブルに肘をつき「おい」とドアに向かって話しかけた。
「入ってこい。ケイトは帰ったぞ。人の話を盗み聞きするとは、中々いい趣味を持っているな。この俺様が気づかないとでも? 魔女を馬鹿にするな」
ナディアキスタが苛立った声でそう言うと、ドアがゆっくりと開く。
「よく分かったね。ナディアキスタ殿」
神妙な面持ちでエリオットが入って来た。
ナディアキスタは鼻で笑う。
「ケイトだって気づいていただろうよ。あいつの左耳、ずっとドアの方に傾いていたからな。お前とまでは思っていなかったようだが」
「······足音には気をつけていたけどなぁ。ケイティ、かなり鋭いから」
エリオットはナディアキスタの向かい側の席に座る。ナディアキスタはムッとするが、「用件は何だ」と話を進める。エリオットは手を組むと、少し言いにくそうに口を開いた。
「······ケイティと、婚約したいんだ」