90話 決着。真珠の国
『ちょっともぉ〜〜〜! 心配してたんだよぉ! 聞いてんのかいケイト様!?』
リリスティアの手を借りて、呪いで魔女の森と通信を繋げてもらう。鏡の向こうでは、メイヴィスがプンプン怒りながら腕を組んでいた。
私は苦笑いで「すまない」と謝った。
『すまない、じゃないんだよっ! ったくもぉ〜! ケイト様が『魔女の花嫁』になったって聞いたときゃ、本当に肝が冷えたしっ! その後兄さんから『三日でウェディングドレス作れ』って無茶ぶりされるし!』
「本当に迷惑かけた。お陰で無事だよ。ドレスもありがとう。破いてしまってすまなかった」
『兄さんの細かい指示と、お守りの魔法があったから、三日でドレスを仕立てたんだ。お礼は兄さんに言っとくれ』
「お守り?」
メイヴィスは『そうさ!』と嬉しそうに笑った。
『魔女のお守り──『回る砂時計』。これがあたしが兄さんに貰った魔法さ。この魔法は時間を引き伸ばしたり、巻き戻したり出来るんだ。でも五分。引き伸ばすのも巻き戻すのも、この時間分しか出来ないんだよねぇ』
「五分か。微妙だな」
『だろぉ? でも時間を引き伸ばすんなら、かなり使い勝手が聞く。なんせ五分が二時間にまで伸びるんだ。だからデザインから仮縫い、縫製も全部一日で終わらせることが出来るんだよ。経ってる時間はたった一時間半なのにねぇ』
「それはすごいな。でも疲れそうだ」
『ふっふっふ。そうだねぇ。でも兄さんが『どうせ怪我したら裾を破いて包帯代わりにするだろう。やっっっすい布使っておけ。高い布使って損失出るより良い』って』
「魔女の肉は初めて食べるなぁ」
『よしとくれ。あたしらの兄さんだよ』
私は鏡が割れそうになるくらい力を入れる。後ろでリリスティアが優しくたしなめた。
『メイヴィス、魔女様か?』
モーリスの声が聞こえた。メイヴィスは振り返ると『ケイト様だよぉ』と返事をする。途端に何かを落とす音がして、バタバタと走ってくる音がする。
モーリスがメイヴィスを押しのけて、『侯爵様!?』と鏡の前に現れた。
『良かったぁ! ご無事でしたか!』
『ちょっとモーリス! あたしが無事じゃないよぉ。ちょっ、あんま押さないどくれよ! あたしももう少し話したいんだ!』
『さっきまで話してただろ! 侯爵様、お怪我はございませんか!? 国の方は大騒ぎですよ。特にエリオット殿が!』
「あー、うるさいだろうな。今日真珠の国を出る。変わったことは?」
『騎士団の方で、ケイト様の救出部隊が組まれています。隊長はもちろんエリオット殿です。あと、侯爵様の領地に不審な連中が現れました。『ケイト様の後任領主』を名乗っていたので、とりあえずメイヴィスと撃退した上で犯人の特定を。詳細なリストはまとめてあります』
『きっちり絞めたから、安心しとくれ』
「ありがとう。リストは明日確認する。領地の件、最近耳にする詐欺連中かもしれない。早めに拘束するか。証拠取れたか?」
『はい。必要以上に!』
「わぁ、心強い」
近状報告も済ませ、私は出立の準備をする。
リリスティアは私に小さな小包を渡す。
「中にネックレスが入っておる。儂からお主に、感謝を込めて」
「いや、私は何も──」
「『対価』じゃ。ナディアキスタを、助けてくれた」
対価、と言われると受け取らざるを得ない。
これを断ると、ナディアキスタに怒られるし、何よりオルテッドのねちっこい「受け取れコール」を思い出す。
私はリリスティアからそれを受け取ると、早速開けてみる。
──これは。
「『ケルベロスの犬歯』のネックレスじゃ。貴族に無骨な物を贈るのは、少々躊躇ったんじゃが」
中指ほどの長さの歯に、穴を開けて紐を通しただけの質素なものだ。ネックレス、といっていいのかも悩ましい。
だがリリスティア曰く、「お守り」として真珠の国では有名なのだという。
「ケルベロスは冥界の番犬でな。三つの首が順番に眠るから、常に起きていられるそうだぞ。それに、冥界の物を身につけておれば、死を遠ざけられるんじゃ。ケイトは普通に生きて、いつか死んでしまう。けれど、一日でも長く生きて欲しい。儂も、ナディアキスタも、お主を信頼しておる」
リリスティアは胸に手を当てて、そう告げた。
私は胸の椿のネックレスを外し、ケルベロスの犬歯を首に下げた。
「うん、確かに長生き出来そうだ」
リリスティアは私を見ると、泣きそうになりながら抱き締めてくれた。
「······出会ってくれてありがとう」
「私もだ」
リリスティアは名残惜しそうに私から離れた。嘆きの魔女がいなくなって、気持ちが楽になったのか、リリスティアは晴れた顔をしていた。
「さぁ、そろそろ行かねば。トラが船で送ってくれるそうじゃ。もう港にいるじゃろう」
「ああ。······またな」
「ああ、またいずれ」
「儂の弟弟子を──『星巡り』の魔女を、よろしく頼むぞ」
リリスティアと握手を交わし、私は外に出た。
外ではナディアキスタがうんと背伸びをしながら待っていた。
「遅い。この俺様を待たせるとはいい度胸だな!」
「げぇっ、いつもの調子に戻ってる」
「俺様はずっとこうだ。さっさと行くぞ」
「はーぁ、昨日は可愛かったのになぁ。グズグズ泣いて、泣き疲れて寝ちゃってさ〜」
「そ、そんなことしてないっ! お前の見間違いだ!」
「私がお前をおんぶして帰ったんだぞ。見間違うがアホ。あ〜あ、可愛かったぁ、昨日のお前は〜」
「うるさいっ! うーるーさーいー! さっさと帰るぞ!」
ナディアキスタは顔を真っ赤にして怒る。私の背中を強く叩いたくらいにして、私の前を歩く。
ナディアキスタの雑な照れ隠しが可愛らしくて、私はクスッと笑う。それがナディアキスタに聞こえたのか、彼はいきなり振り返り、また私に詰め寄った。
「笑ったか!? 今っ、今笑ったな!? この俺様をなんだと!」
「はいはい、偉大な魔女様だろ〜? 泣き虫とか思ってない。大丈夫だ」
「大丈夫じゃない! この大雑把考え無し馬鹿騎士侯爵!」
「あ〜? なんか悪口の質落ちてねぇか? 熱でもあんのか?」
「あるかっ! お前まで俺様を子供扱いするな! 俺様は偉大な魔女だぞ! 少しは敬意を払え! お前をカエルに変えて、魔法の材料にしてやったっていいんだぞ!」
ナディアキスタの必死な圧力も、何だか子犬が吠えているだけのように聞こえる。
何となく、弟たちがナディアキスタを慕う気持ちがわかってきた。彼の口の悪さから滲み出る優しさが、どんなに隠そうとしても、どんなに怖く見せようとしても、大きすぎて溢れてしまうのだ。
私はそれに気がつくと、一人で納得してしまう。ナディアキスタはそれすら面白くないらしい。
「······ナディアキスタ」
「何だ!」
「私たちの家は、あの森だぞ」
私がそう言うと、ナディアキスタは目を丸くした。少しの間を置いて、ナディアキスタは笑い出す。
「はははっ! 当たり前だろう! だがケイトは騎士の国に家があるだろうが」
「うん。でもな、魔女の森は私の領地だし。私の領地は、私の家だろう」
「随分言うようになったな。だがまぁ、お前の屋敷も居心地が悪いわけでは無い。たまになら、足を運んでやってもいいな」
「たまに? 三日に一度は来るくせに!」
「別にいいだろう。モーリスや俺様の領民の様子見だ。お前にこき使われて、過労死してないか見ておかねばいけないからな!」
「お前よりは荒い使い方してねぇわ!」
「はっ、口ではいくらでも言えるからなぁ」
「くっそムカつく!」
いつものように口喧嘩になりながら、私たちは港に向かう。ナディアキスタはようやく元気を取り戻したようで、私は胸を撫で下ろす。
港ではトラヴィチカが不満そうに私たちを待っていた。
「遅ぉい! ボクちゃんずぅっと待ってたぁんだけど〜!」
「すまない。ちょっとな」
「むぅ〜! 次は待たないかぁらね! 早く帰ろぉ!」
トラヴィチカがそう言って船に乗る。私とナディアキスタを顔を合わせて、何だかおかしくなって笑った。
「何してぇんの〜! 追いてぇくよ!」
「はいはい、今乗るよ」
「そうせっつくな。せっかちな奴め」
私とナディアキスタは船に乗り込む。トラヴィチカは魔法で帆を張り、錨を上げる。
船が騎士の国に向かって進み始めた。
「「家に帰ろう!」」
私とナディアキスタはハイタッチして笑った。トラヴィチカも「面白ぉ〜い!」と言ってハイタッチした。
船は大海原を突き進む。海に吹く風はとても心地よかった。
ナディアキスタはトラヴィチカと呪いの白熱した議論を交わす。私はそれを聞きながら潮風を浴びる。
(私も、独りじゃないんだなぁ)
ずっもひとりぼっちだった我が家は、いつの間にか沢山の人に囲まれていた。とても個性的で、優しい人達で。
「······これが、幸せなんだなぁ」
私は改めて、ナディアキスタを支えようと決意した。