9話 作戦前の下準備
アニレアから星巡りを奪う作戦が決まった。
1.城に潜入する。
2.アニレアに会う。
3.星巡りを奪う。
想像を遥かに超える簡素な作戦に、私は何も言えなかった。
──私はナディアキスタと顔を合わせる。
「ふざけてんのか!!」
これに尽きる。
私は怒りのままに、ナディアキスタを責めた。
「もっとまともな作戦を立てろ! お前それでも魔女か!」
「お前こそっ! 自国に奇襲戦法を使う気だっただろ! 正面法で攻めた方が安全に事が進むんだよ!」
「バカッ! 敵は国だぞ! 一言発せば、手をひと振りすれば数百もの兵隊に囲まれるんだ!」
「お前首ごと取る気じゃないだろうな!?」
ナディアキスタの言葉に、「へっ?」と素っ頓狂な声が出る。
てっきり首が必要なのかと思っていた。
星巡りは人それぞれ違うし、一つしか与えられないものだ。その人から奪うのなら、その人の血とか肉とか、そういった物が必要なのかと思っていた。
私はそのまま白状すると、ナディアキスタは袖で口元を隠して青い顔になる。
「確かに魔女の呪いなら、必要な時もある。が、今回は必要ない。他人の星とすり替えるだけだ」
「星をすり替える? そんなことが出来るのか?」
「俺様は偉大な魔女だ。そんなこと造作もない。他人の星と入れ替えるだけだからな。でも入れ替えられた他人が不幸になっては困るだろう」
──なるほど、それもそうか。
星を取り替えるために他者が犠牲になっては困る。
アニレアの星は貪欲だ。貴族だったから何とか欲が満たされていたけれど、貴族じゃなくて平民だったら、どんな酷い仕打ちを受けるのだろう。想像もつかない。
「そんな時に役立つアイテムがこちらっ!」
悩む私の前で、ナディアキスタはテーブルの上に、重たいものを乗せた。
「オークの首」
「いや何でだよ」
テーブルの上に転がるオークの首は、恐怖がこびりついたままの酷い顔をしていた。モザイクでもかけなければ、視界に入れたくない。いや、モザイクがあっても見たくない。
「このオークの首は昨日切ったばかりで、とても新鮮だ」
「いや、野菜みたいな説明すんな。私が切ったヤツだろ」
「魔女の冷凍保存術を使用。肌はピチピチ、肉はプリプリの鮮度を維持」
「オークって肌の手入れすんの? 凄いのはオーク? 保存術?」
「頑丈な造りをしているので、どんな呪いにも耐えられる」
「これ、何の紹介なんだよ。オークの首か? お前の魔法の腕か?」
「さらに『全てを失う』星巡りの【砂の受け皿】がついてる!」
「最高! さっそく使おう!」
ナディアキスタのプレゼンに私が乗ると、彼はさらに作戦を緻密にしていく。さっき立てた簡素な作戦が、嘘のように現実味を帯びていき、難易度の高い討伐任務並に、細かい作戦が出来上がった。
その作戦を遂行するにあたって、まずは準備するものがある。
ナディアキスタの首だ。
私は彼の前で剣を抜くと、「馬鹿! バッカお前!」とナディアキスタは慌てふためく。
「本当に俺様の首を持っていこうとするな! このオークの首を使うんだよ! なんのためにグロテスクな領地から、一番状態のいい首を探してきたと思うんだ! 少しは頭を使え! 戦場以外はポンコツか!」
ナディアキスタはオークの首を持ち、私の背中を押して裏口から小屋を出ていく。
彼の小屋の近くでは、私たちの話に暇を持て余したオルテッドが、薪割りをしていた。ナディアキスタは斧を見て肩を跳ねさせると、勝手にぷんすこと怒り出して、ドアを荒々しく閉めた。
「おや、兄さんはどうしたんだ?」
「ちょっとした冗談のつもりだったんだけどな。怖がらせたらしい」
私とオルテッドが話していると、ナディアキスタはドアを上を三回、下を二回、また上を五回の順番で叩いた。
「おい仕事だ。“準備しろ”!」
ナディアキスタはそう何かに命令すると、すぐにドアを開けて入ってしまった。
私が分からず、ぼぅっとしていると、オルテッドが「お入り」と私の背中を押す。
私は恐る恐る中に入った。
──驚いた。そうとしか言いようがない。
ガラクタを詰め込んだような掘っ建て小屋とうってかわり、赤と黒、ワンポイントの白で統一された、広い部屋がそこにあった。
それこそ、自室より広いアニレアの部屋と、そう変わらないんじゃないか。いや、それよりも少し広いかもしれない。
光沢のある黒水晶の棚が部屋中に並び、天井は雪の結晶のようなシャンデリアが優雅に揺れる。大理石の床に置かれた大釜は丁寧に磨かれ、年季の入った高そうな代物だ。
ナディアキスタが鍋の縁を木の棒で叩くと、中に水が溜まる。
ナディアキスタが鍋に何かを囁くと、鍋はグツグツと沸騰しだす。
私はナディアキスタが本当に魔女なんだ、と今ようやく信じた。
「無知で哀れな人間に教えてやる。魔女の呪いがどんなものか、そしてどうして『歪んだ魔法』なのかを。
本物の魔女にして、偉大な力を持つこの俺様が、慈悲の心で教えてやろう」
「おう、聞いてやるよ」
「この女、偉そうな態度をとりやがって!」
「お前が言うな!」
ナディアキスタは咳払いをすると、大釜の近くのテーブルに色々な材料を置きながら、片手間に説明する。
「本来魔女とは、魔法使いだけでなく、あらゆる職業の礎となった万能の存在。その一部に占い師、錬金術師、薬師や科学者がある。
鍋をかき混ぜ魔法を作り、魔法が使えない人々にも魔法を使えるようにする、慈しみ深き魔法使いなのだ。
しかし非効率的。便利な半面、一度に多く作れない。作れる期間が決まっているなどの、細やかな条件も多かった」
ナディアキスタは材料を取り出し終わると、天秤を持ってきて、その材料を一つ一つ丁寧に量る。
「その後に生まれたのが魔法使いだ。魔女の呪いよりも効率的で、魔力が尽きない限り魔法は使い放題。ただし、使える魔法は1人ひとつ、というケチくさい魔法だ。使う気がしれないな」
「ふぅん。魔女と魔法使いの魔法の違いは分かった。でも『歪んだ魔法』と呼ばれる理由はなんだ? 魔女の魔法は非人道的だとでも?」
「そこが問題なんだ。魔女の呪いは非効率的。そして、ミスが許されない繊細な力だ」
ナディアキスタは話しながらも、一ミリの狂いもなく材料を量っていく。集中力か必要そうな作業を、私と話しながら淡々と進めていく姿を見ていると、簡単なのではとすら思えてくる。
「魔女の呪いは、弟子のみに継承されていく。魔女の弟子たちは、魔女に厳しく育てられるんだが、魔法を作る作業で失敗して死ぬ者も少なくなかった。でも死んだ方がマシだ。
ケイト、お前は魔物がどうして生まれたかを知っているか? 人間や精霊以外の種族が、いつから存在するかも」
ナディアキスタは意味深な質問をした。私は最初、全く分からなかったが、ナディアキスタを見て魔法の材料を見て、大釜を見て、ようやく合点がいった。
ナディアキスタはニヤリと笑った。
「そうだ。魔法の調合に失敗した弟子たちだ」
ある者は醜いオークに変わり、ある者は一緒に魔法を作っていた弟子とまぜこぜになり、ある者は鍋から飛び出した獣と融合してしまった。
彼らは魔女の弟子としての資格も失い、家族も自我も失った。それが数千もの時を経て、魔物と呼ばれる存在になっているのだ。
私が今まで殺してきた魔物は、魔女の弟子の子孫たちなのだ。そう思うと、少し哀れなことをしたと思う。
「でも、魔物を保護したところで国は襲われるし、弟子たちが元に戻る訳でもない。魔物による被害は、国にとって頭が痛い問題だ」
「ああもちろん。あんなもの、所詮は魔物や獣人の先祖というだけだ。お前が戦場で殺し回ることを、非難するつもりは無い。むしろ、弔いだとさえ思っている」
ナディアキスタはそう言って、量り終えた材料を手当り次第に鍋に放り込む。私はぼうっとして見ていたが、一気に青ざめて彼を止めた。
「いやいやいや! お前っ、ミスが許されないって自分で言っただろ!」
ナディアキスタは鍋をかき混ぜながら「馬鹿者」と鼻で笑った。
「俺様は偉大な魔女だ。この程度で失敗したりしない」
「昨日、『大昔に失敗した〜』とか何とか言ったの聞いてるぞ」
「あれは配合が悪かっただけだ。これしきで魔物に変わったりなんぞ······ほ〜ぉう?」
ナディアキスタは呆れたかと思うと、いきなりニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべた。私が睨むと、ナディアキスタは「そうかそうか」と一人で納得したように鍋をかき回す。
「俺様が、魔物や獣人に変わるのがそんなに悲しいか。ほうほう、いいことを聞いた。そうかそうか。ふ〜〜〜ん。へ〜〜〜〜〜ぇ」
「腹の立つ野郎だな。誰もそんなこと言ってない!」
「いやいやいや、恥ずかしがることは無い。お前も年頃の女だ。恋やらオシャレやらに、興味を持っていてもおかしくない」
「今すぐお前の首を落としてやりたい!」
私が剣を抜こうとすると、ナディアキスタは鍋にオークの首を落とす。
ボチャンッ! と飛沫をあげて落ちると、ナディアキスタは呪文を唱えながら鍋をぐるぐるとかき混ぜた。
「割れた鏡と双子の木 死者の棺と流れ星
あるべき姿を歪ませろ さぁ、オークの首はどこいった?」
ナディアキスタは鍋を混ぜる手を止めると、「これでよし!」と言って、長めのゴム手袋をはめた。そして鍋に手を突っ込むと、オークの首を引き上げる。そこにはナディアキスタと全く同じ顔があった。
「どうだ! 俺様の呪いは! 褒めたたえろ!」
「キッッッッッショ!」
目を閉じているナディアキスタの首に、怖気が走った。
私は、自分の首を平然として持ち上げるナディアキスタに、ドン引きした。彼はとても不満そうに首を突きつけてきた。
「何が気持ち悪いんだ! 俺様の首だろう! お前が欲しがってた俺様の、首だ!」
「お前がお前の首持ってんのが気持ち悪いんだよ! ちょっ、こっちに近づけるな! グロい!」
「お前、戦場でもっと酷いもん見てただろ! 今朝の事、忘れたなんて言わせんぞ!」
「自分の首を笑顔で錬成する奴が、目の前にいるんだぞ! 恐怖を感じなくてどうする! それに、お前と同じ顔してたらまずいだろ! お前も騎士の国に行くんだぞ! 不審すぎるわ!」
「俺様が変装すればいい!」
「ことが終わった後に、お前が元の姿に戻れなくなるだろ!」
ナディアキスタはムッとすると、渋々首を鍋に放り込んだ。
またぐるぐると鍋をかき混ぜ、呪文を唱え直す。どっと疲れた私に、ナディアキスタは鉤鼻で白髪、落窪んだ顔の魔女らしい首を錬成すると、「これでいいだろう」と適当な縄を括りつける。
「あと必要な物は俺様一人で作るから、お前はもう出ていけ」
ナディアキスタは、私を無理やり部屋から追い出すと、一人で籠ってしまう。私が外で彼に怒鳴り散らしていると、畑仕事の手伝いに行っていたオルテッドが様子を見に来た。
「あぁ、また籠ったんだな?」
「またって、何度もあるのか」
「しょっちゅうだとも。ケイト、こうなった兄さんは夕方まで部屋から出てこない。どうだろう、畑を耕すのを手伝ってくれないか?
種まきの時期が近いから、人手が欲しいんだ······っと、すまない。令嬢に使用人のような真似をさせる訳にはいかないな」
オルテッドは気まずそうに頬をかいた。
仲間の感覚で、うっかり誘ったのだろう。私は彼の優しさに笑みをこぼす。
どうせ戦場が居場所の女だった。刺繍やダンスなんて自分の性にあわない。私は袖を捲ると、オルテッドが持っている農具を、代わりに担いだ。
「魔女の領地の畑は気になるな。マンドレイクでも育てているのか?」
「ははっ、まさか。普通の畑と変わりない。······兄さんの魔法薬のお陰で、他より少し、土壌は良いがね」
「へぇ。領地の参考にさせてもらおう」
私はオルテッドにエスコートされて畑に向かった。領地の人と挨拶を交わしながら畑を弄るのは、心が安らいだ。いつか自分の畑を持つもの悪くない。
領地の皆で、楽しく作業を進めた。
ナディアキスタが部屋から出てきたのは、オルテッドの言う通り、夕方になってからだった。