89話 向き合い方
目を覚ましたリリスティアは開口一番、「すまなかった」と謝る。
今回の騒動を起こしたこと、そうなった経緯、全て話した上で、リリスティアはまた深く頭を下げる。
「許してくれとは言わぬ。全て、儂の弱さが起こしたことじゃ」
「謝らないでくれ。リリスティアは嘆きの魔女に操られていただけだ」
「それでも意識はあった。抵抗することも出来たはずなんじゃ。儂は昔も、今も、魔女を恐れて何も出来ぬ弱虫じゃ」
「でも、それなら私にサムシングブルーを渡さなかった。儀式のお守り、渡したのはリリスティアだろう」
リリスティアは私に「何も出来ぬ」と言いながら、贈り物をしてくれた。本当に何も出来ないのなら、お守りを渡さなかっただろう。
「自分を責めるな。リリスティア」
私はリリスティアを慰め、優しく抱き締める。リリスティアは返事の代わりに抱き締め返した。
「······ケイト、ナディアキスタをよろしく頼む。あやつは今、どこに進むべきか悩んでおることじゃろう。儂にもトラにも、ナディアキスタを導くことは出来ぬ。お主が、あやつの手を引いてやってくれ」
リリスティアはそう言って私を部屋から送り出した。
トラヴィチカは部屋の外で、ひらひらと手を振る。
私はナディアキスタを探しに、家を出た。
***
昔、二つの村に繋がっていた道。その分岐点に、ナディアキスタは立っていた。
懐かしむような、思い悩むような表情で、ただ一本そこに立っている大木の根元を見つめる。
「······リリスティアは『雪の花』という呪いを、師匠の手でかけられた。その人の時を、永遠に止めてしまう呪いで、未だにその解き方は解明されていない。呪いをかけた時は、リリスティアを自分と同じだけ生かそうとしての、軽い気持ちだったろうな」
「ナディアキスタ」
「俺様が殺した時に、きっと今回のことを計画していたのだろう。ちょうど六百年経った。あの大掛かりな呪いは、今日で無ければ意味がなかったからな」
「ナディアキスタ」
「それにしても祈りの貝殻、さっき調べてみたら、最後にかけられた願いは『自身の復活』だった。封印を解くためだけに、一度きりの願いを叶えるなんて、師匠にしては愚かしい」
「ナディアキスタ!」
私は彼の腕を掴んだ。
ナディアキスタは振り返らない。彼の体は小さく震えていた。
「ナディ・オア・キスタ。それが俺の名前。どっちの村から来たか分からないから、そう呼ばれていた。懐かしいな。師匠にここで拾われた。腹が減って仕方がなかったんだ。寒くて寒くて、体を擦って夜を過ごした。······当時、一番安い肉は羊だった。今もそうだがな。けれど、初めて振舞ってくれた羊のミートパイ、俺にはとびきりのご馳走だった」
ナディアキスタは振り返らない。
声が少し、落ち込んでいる。私は彼にかける言葉を探した。けれど、どうしても陳腐な言葉しか出てこない。なんて、無能な騎士だろう。
「まともな食事は、それきりだったな。パンと水、後はそれだけ。でも、毎日それを食べられて、干し草の上で眠れて、幸せだった。弟子になって、師匠の手伝いが出来るようになれば、救われた恩を返せると思った」
ナディアキスタの声は、暖かくて、決して魔女をうらんでいるようには聞こえない。だからこそ、私の方が泣きたかった。
「師匠はずぅっと腹を空かせていた。だから、俺が腹一杯にしてあげようと思ったんだ。師匠が飢えている理由も分かって、解決方法も知った。俺はずっと、師匠を助けたかっただけなんだ。女を喰って、『ああ、少しマシになった』といつもぼやく師匠を。『ああ、おなかいっぱいだ』って、言わせてあげたくて」
「······ナディアキスタ」
「結局、子供の俺には出来なくて、ねぎされた。村の人達を逃がそうとして、失敗して······馬鹿だなぁ」
ナディアキスタの足元に雫が落ちる。
ポツボツと零れる雫は、地面に吸い込まれていった。
「疎まれても、嫌われてもいい。俺は恩を返したかった。それだけだったんだ」
「ナディアキスタ、もういい。分かった······分かったから」
ナディアキスタを引き寄せて、私は彼に肩を貸す。
ナディアキスタはボロボロと泣きながら、「ごめんなさい」と謝った。イタズラを叱られる、子供のように彼は泣いていた。
私は一緒に泣くしか出来なくて、気の利いた言葉も、さり気ないフォローも何も出てこなかった。
「全部終わった。これが、最善だった。ナディアキスタの、最善だったんだ」
ナディアキスタの背中を擦りながら、私は声を震わせる。
あんなにも酷いことを言われて、心を引き裂かれて、それでも嘆きの魔女を案じるなんて、ナディアキスタは優しすぎる。
***
「俺はどうしたらいいんだろうな」
散々泣いて、二人して疲れ果てた頃、分岐点の大木の下でナディアキスタはぽつりと呟く。
私はその隣で「知らん」と適当に返事をした。
「師匠は俺を嫌ってる。俺も、師匠とケリをつけた。でも結局、殺したことに変わりはない」
「そうだな。トドメ刺したの私だけど」
「魔女の魔法を忘れるな。俺の力もあるんだぞ」
「はいはい。······もういいんじゃないか? ねぎされてんなら、いつまでも魔女を『師匠』と呼ぶ必要も無いし、彼女に罪悪感を抱く理由もない」
「そんなものか?」
「そんなもんだ。家族全員の首を斬った私が言うんだ。命日だけ、覚えといてやれよ」
「そんなものか」
ナディアキスタはため息混じりに呟いた。
膝を抱え、顔を埋める彼は眠そうにしていた。
「おい、寝るなら家に帰って寝ろよ」
「んぅ······ケイト」
「なんだ。私は連れて帰らないぞ。私も疲れたんだ。お前を背負う体力なんて」
「ありがとうな」
ナディアキスタはそう言って、眠ってしまった。
膝を抱えたまま器用に眠るナディアキスタに、私は文句を言えなくなった。
(勝手に人を連れ回したり、気に入らなければすぐ文句を言うくせに。こういう時だけ一丁前に礼を言うのか!)
私は少し苛立った。ナディアキスタの寝顔を見ると、全部どうでも良くなる。私は大きくため息をついた。
「仕方ないな。······はぁ〜、クッソ。重い」
私はナディアキスタを背負い、家まで歩く。
「人を振り回す天才だなぁ、お前は。弟も疲れるだろうが」
私は文句を言いながらも、ナディアキスタが落ちないように背負い直したり、起きないようにゆっくり歩いた。
ナディアキスタが捨てられていた村の分岐点、一度目は魔女が拾った。けれど魔女は捨てた。なら二度目は、私が拾おう。
「······一緒に運命変えような。人並みの幸せが得られない者同士、喧嘩しながら歩こう。私も、お前も、ただ笑って生きたいだけだもんな」
ナディアキスタは私の背ですぅすぅと寝息を立てる。
あの分岐点には、もう何も捨てられていない。