88話 捨て子の覚悟
──気がついたら、森にいた。
それが、ある男の子の、最初の記憶。
帰って来れないよう、近くの木に、小さな足を括られて。通りすがる誰かを待ち続けていた。
薄い服は寒くて、食べ物もないから、いつも腹が減っていた。
近くの雑草を適当にむしって、ずうっと噛んでいた。
たまたま通りかかった魔女が言った。
「こんなところに、子供がおるのか。おい、お前はナディ村から来たのか? それともキスタ村か? 分かれ道におれば、どちらか分からんじゃろうが」
──分からない。
「分からんだと? お前、自分の住んでいる村が分からんのか。とんだ間抜けじゃ。なら名前はなんという?」
──分からない。
「はははっ! 名前も分からんのか! 大うつけじゃないか! ······ほほぉ、お前は捨て子か。名前もわからんから捨てられたのか? なんて、聞いたところで捨てられた理由も分かりはせんな。ふん、この私の森で野垂れ死にされたら、気分が悪い。仕方ないから助けてやろう。慈悲深い私に感謝しろ」
「『ナディ村かキスタ村か』」
魔女は男の子の足の縄を解くと、彼を従えて家へと帰る。
(──拾ってくれた。助けてくれた)
男の子は泣きそうになりながら、魔女の後ろを大人しくついて行った。
***
情けない。
きっとナディアキスタはそう思っているのだろう。
助けてくれた人に報いる方法が、まさかその人を殺すことだなんて。
きっと自分を責めているのだろう。
それしか出来ない弱さを。それしか思いつかない愚かさを。
自分の、無力さを。
ナディアキスタは炎をくり出し、魔女の隙を狙って封印の呪いを施そうとする。だが、腐ってもねぎされても弟子。魔女に全て見抜かれ、先読みされて怒涛の攻撃をくらう。
氷の槍は篠突く雨のように降り注ぎ、揺れた地面は突き出したり穴が空いたりと、ボコボコ忙しなく足場を崩す。
ナディアキスタは防戦を強いられ、封印どころではなかった。
一方、二人の戦いに置き去りにされた私は、黙って見守るしか出来なかった。いつでも戦える。いつでも隙を突ける。けれど、私は決して手を出さなかった。
それはきっと、私の戦いではないと知ってしまったからだ。
ナディアキスタのケジメで、ナディアキスタが師匠を救うための戦い。そこに、私という部外者が口を、剣を挟んではいけなかったのだ。
ナディアキスタは嘆きの魔女の動きをじっと観察し、推測し、行動するが、魔女は更に上をいく。
魔法の腕も、詠唱も速さも、何をとってもナディアキスタよりも遥かに強い。ナディアキスタはそれでも、立ち上がろうとしていた。
『いい加減にせぬか!』
「師匠を楽にするのが! 俺様のやるべき事だ!」
ナディアキスタは立ち向かう。決して勝てないと分かっていても。
足掻いたところで、何も出来ないと理解していても。
彼は諦めなかった。
「魔女の魔法──『狐の踊り火』!」
『そんな弱い魔法が、私に通じるものか!』
嘆きの魔女はナディアキスタの魔法を倍にして返す。ナディアキスタもシールドを張るが、防ぎきれず、全身で返された炎を浴びる。
けれど、彼が死ぬことはなく、弟の寿命を使ってみるみる内に傷が塞がれる。その度に、ナディアキスタは悲しそうな顔をした。
『諦めろ。お前に私を封じれるわけがないんじゃ。お前は誰も大事に出来ぬ。お前は誰も愛せぬ。お前は自分が捨てられた理由も分からなかった。愛せぬ理由も、愛されぬ理由も分からぬやつに、私をどうこう出来るものか』
「出来る! 俺様は偉大な魔女だ! 崇高な力と技術を持った、天才的な魔女なんだ!」
『ねぎ魔女がほざくな! 自尊心ばかり強くて何が偉大じゃ! それだからお前は捨てられたのだ!』
ナディアキスタは肩を揺らす。嘆きの魔女はナディアキスタを追い詰めた。
『お前はこの世に要らぬ。ただそれだけの理由じゃ。それだけで捨てられていた。それすらも分からぬ頭におがくずの詰まった小僧が、自分を褒め称えて阿呆らしい! 要らないと言われて何故ここにいる! 死ねと言われて何故生きる! お前に仲間なぞおらぬ! お前を愛する人なぞおらぬ! 永遠に独りでいるべきお前に! 寄り添う者がいると思うか!』
「俺様には、弟たちがいる!」
『なら何故その弟はお前を助けに来ない! なぜお前は弟たちを死なせた! 弟の寿命を貪って生きるくせに、正義の面をするな!』
「自分のために女喰ってる奴に言われたくねぇよ!」
つい、口が滑った。
けれど、収まらない怒りが私を突き動かす。
「ナディアキスタはなぁ! 弟たちが死なないように、一生懸命考えて、呪い作って、守れるように努力して今ここに立ってんだ! 私を助けてくれた! 他の国の子供も助けた! それでも、こいつが必要ねぇって言うのなら、お前の目ん玉腐ってる他ないな!」
嘆きの魔女が目を見開く。
『誰に向かってそんなことを!』
「ナディアキスタに会わせてくれた、クソッタレだ!」
私は剣を掲げた。私は、自分が出来ることをしよう。
騎士の国で行われる『御魂送りの礼』しか知らないが、亡霊にくれてやるにはぴったりだろう。
「高潔なる心に火を灯せ 全てのものに差し伸べる手を
高潔なる心に花を咲かせよ 白き椿は命の果てに輝かん!」
ナディアキスタはハッとしたように手を合わせる。私の言葉に、魔女の祈りを重ねた。
「その目を閉じよ 夜の帳はもう下りた」
「蒼き月の腕の中 獣と共に野を駆けろ」
「その目を閉じよ 朝日が昇る時まで」
「星流るる川の側 輝く明日を希え」
「魔女の子供たちよ ブナの木の寝床」
「未来輝く人の子よ 椿の花弁の寝床」
「星空の下で眠れ 木漏れ日の下で目を覚ませ」
「花の香りに身を委ねろ 生まれゆく旅路に思い馳せろ」
「哀れな魔女の子供たちよ 永久なる島で楽しく暮らせ」
「後ろ見つめる哀れな御霊 騎士の輝きにて導かん!」
二つの祈りは、私の掲げる剣に力を宿す。
ナディアキスタは私に、消え入る声で「頼む」と言った。
私は彼に応えるように駆け出した。
今だ高みにいる魔女に、私は己の足だけで駆け上がる。反撃しようとした魔女に、チカチカと光る無数の星が襲いかかる。
流れる星に紛れて、私は彼女の胸に剣を突き立てた。
「「魔女の魔法──『一番星の子守唄』!!」」
剣は、嘆きの魔女を深く貫いた。
魔女は甲高い悲鳴と共に消えてしまった。ただ一つ、祈りの貝殻を落として、戦いは終える。
ナディアキスタは祈りの貝殻を拾うと、浮かない顔でローブにしまう。「行くぞ」と言うと、ナディアキスタは国の方へと歩いていった。
私は彼に声をかけなかった。······かけられなかった。




