87話 ねぎ魔女と裏切りの椿
──いいなぁ、この剣。
とても軽くて、扱いやすくて、手に馴染む。
「もらっちゃおうかな。対価として、適当に理由つけて」
私は倒れた幹の上をと飛ぶように走る。
私を狙う枝を尽く切り落とし、炎よりも速く魔女の元へと駆けていく。
ナディアキスタは私の姿を確認すると、ローブから小瓶を出して私の方へ投げた。瓶が割れ、中の薬品が小石にかかると、それはぐんぐん大きくなって、普通の家よりも大きくなってしまった。
私は石が大きくなる時に、押しのけた周りの木の幹を踏み台に、その石を駆け上がる。
嘆きの魔女のすぐ近くまで近づいたが、魔女が放った枝が足を掴み、逆さ吊りにされかけた。素早く枝を切り、空中で体勢を整えて、石の側面を滑るように着地する。
背中を強く擦った。きっと皮膚が剥げているだろう。熱を帯びた痛みに顔をしかめながらも、私は戦う姿勢を崩さない。
ナディアキスタも、魔女に警戒しながら打開策を練っているようだ。
「ナディアキスタ、ゴーストはどうやって倒すんだ?」
「通常なら、魔女・もしくは聖者の祈りが有効だが、相手が魔女ならどうしようもない」
「封印する手立ては?」
「今はない。それより祈りの貝殻はどこだ」
「魔女の魂の核になってるんだとよ。いっそ壊してもいいか?」
「馬鹿者、俺様の計画に必要なんだぞ! 絶対に壊すな!」
ナディアキスタが声を荒らげる。
その瞬間、私の体が宙に浮いた。抵抗しようとしたが、体が動かない。嘆きの魔女は半透明の体でくすくすと笑う。
『話をしている暇があるなら、私の首を狙う方が有意義じゃろうに。まぁ、見ての通り死んでおるゆえ、何の意味もないがのぅ』
嘆きの魔女は品定めするように私をじぃっと見つめる。蛇のような眼孔が、ギョロギョロと動く。
『ふぅん。目つきは悪いが、顔は悪くないのぅ。胸も尻も、大きくないし、柔らかくもないが、無駄な肉が無くて良いな。じゃがもう時期、大人になるな。匂いが薄い。早く喰ってしまわねば、味が落ちる』
「私を喰うだと? 喰えるものか」
『ほほう、知らぬのか。女子の肉が如何に美味かを』
嘆きの魔女は舌なめずりをした。
『忘れられぬ味じゃ』と、にたりと笑って。
『柔らかくて、ほんのり甘い。とろけるような舌触りに、あっさりとした血の味が、喉をすぅ、と流れていく。あの感覚を一度味わえば、二度と知らぬ頃には戻れぬぞ』
「ケイト、興味持つなよ! 魔物食うよりタチが悪いからな!」
「うるっさいな! 興味本位で共食いするかよ!」
(──でも、ちょっとだけ試してみたい)
嘆きの魔女はうっとりした表情で私の顔を見つめる。
私は彼女のその表情が気持ち悪くて、思わず歯ぎしりをした。
嘆きの魔女は『ああ』と感嘆を漏らす。
『これを喰えば、私の悲願は叶うのだな』
魔女は喜びを噛み締める。その半透明な手を私に伸ばした。私はキュッと目を閉じた。
(ナディアキスタ──ッ!)
『ギャッ!?』
魔女が悲鳴を上げて手を引っこめる。
私が驚いて下を見ると、ナディアキスタが手を振るえさせて、息荒く立っていた。
「ケイトに触るな!」
ナディアキスタは怒っていた。けれど、どうしてだろう。私を案じているように聞こえなかった。
私の体は自由に動かせるようになるも、重力任せに落ちていく。背中から落ちていく体勢で、私は着地のことを考える。
空にきらりと光るものがあった。私はそれに手を伸ばす。
ナディアキスタのガラスの棒だ。それが太陽に反射して光っていた。
私は掴もうとした。けれど、ガラスの棒は私の腕の届かない所へ落ちていく。
「うぐっ!」
私をナディアキスタが受け止めてくれた。が、支えきれずに落とされる。腰を打った私は地面をのたうち回る。
ナディアキスタは受け止めた腕をだらんと下ろして、息を切らしていた。
「腰がっ······! くっ」
「え、詠唱が、間に合わなかった。指輪、足りないし、ブレスレット、つける暇なかった」
「いや、助けてくれただけありがたい······っあー、いったぁ」
私は落ちたガラスの棒に目をやる。
粉々に砕け散ったそれは、七色に光っていた。
「悪い。お前の······」
「あんなもん、後でいくらでも買える。っ! くそ、肩が外れた!」
「治してやる。ちょっと診せろ」
私はナディアキスタの肩に手を這わす。
ナディアキスタの腕を掴み、半ば乱暴に肩をはめ直した。
ナディアキスタが叫んだ後で思い出される、彼の運命星。
「悪い、ほったらかして良かったのか?」
「あれは致命傷にのみ有効だ! もっと優しくしろ!」
「いや、これが普通だからな」
私は彼の肩をぱすぱすと優しく叩く。ナディアキスタはギッと私を睨んだ。
『おのれ! おのれおのれおのれ! この能無しが!』
嘆きの魔女はナディアキスタに恨み言を吐く。
『いつもいつも私の邪魔ばかりをする! 落ちこぼれの弟子だって! 私に迷惑をかけないよう、立場を弁えるというのに! 出来損ないめ! 役立たずめ! こんな事になるならお前なんか拾わなければ良かった! いっそ殺してやれば良かった!』
『お前なんか! 最初からいなければよかったんだ!』
ナディアキスタは何も言い返さなかった。
嘆きの魔女から紡がれた、耳を塞ぎたくなる言葉全て一身に受けてなお、彼は魔女を見据えて立っていた。
「······【崩れた菓子の家】。──さっきも言ったが、それが、師匠の運命星だ」
ナディアキスタは静かにそう告げる。
嘆きの魔女はそれを鼻で笑った。
***
『昔々あるところに、男の子がいました』
『男の子は自分の親も、自分の名前も分かりません』
『ただずっと、足を近くの木にくくりつけられたまま、誰かが迎えに来るのを待っていました』
『ある日、魔女が男の子を助けました』
『ですが、魔女は男の子が嫌いです。男の子は、魔女の手伝いをして生活していました』
『しばらくすると、男の子は魔女の弟子が一人また一人と消えていくことに気がつきました』
『夜中にいなくなる魔女と弟子の後をつけて、男の子は魔女が女の子を食べていることを知りました』
『男の子は魔女を止めようと、説得したり、本を読んだりして考えました』
『数年経って、男の子は星占いで魔女の受けた運命を知りました』
『男の子は魔女が苦しんでいることを知り、助けようとしましたが、魔女は聞く耳を持ちません』
『男の子は、一人で魔女を助けようと頑張りましたが、とうとう助けることは出来ず、魔女は死んでしまいました』
***
「腹が減っても、喉が乾いても、満たされることの無い飢餓の星。師匠の大食いも、女喰いも、全てはこの星による影響だ。何を食べようと何を飲もうと、決して満足出来なかった。女を喰うことだけが、唯一自分を満たす」
『そんなデタラメな星があるものか! 自ら望んで女を喰うておる! 星なんぞに振り回されるか!』
「師匠を助ける方法が、『千日間の断食』。女を千日間、食べなければその飢餓からは救われる! 俺様は師匠を助けたかっただけだ!」
『千日も苦しむくらいなら、女を喰うて生き延びる方が幸せじゃ!』
「千日我慢すれば、その何倍も幸せに暮らせたはずだろう!」
『私を殺したくせに!』
「師匠が苦しむくらいなら、いっそ楽にしてやりたかった!」
『自己満足じゃろうが! お前はねぎされた後に何をした! 村人を焚きつけ、私の森を焼き! 私の首に、銀の短剣を突き刺したじゃろう!』
嘆きの魔女はナディアキスタを怒鳴りつける。
ナディアキスタは手に指輪をはめていく。
「もう、二度と苦しませはしない」
ナディアキスタは嘆きの魔女を睨みつける。
怒鳴り返す彼の声は、優しさが滲んでいた。
「安心して天国に逝け! 師匠!」