86話 リリスティアから引きはがそう
『ゴースト』······この世に未練を残した人間がなると言われる。
だが、大半はその場に留まるだけの無害な存在となるが、ごく稀に嘆きの魔女のように、生きている者に害を成す存在となることがある。
「いいか、師匠は『祈りの貝殻』を持っている。それを奪い取ってくれ」
「分かった。だが、根本的解決にならないだろ。その魔法道具は願いを叶える力がある。それで何を願えと?」
「お前が、正しいと思ったことを」
ナディアキスタはそう言った。何も疑問に思わず、ただ「そうしろ」と。私は何を願うのかも分からないまま、「早く探せ」と急かされた。
「時間が無い。師匠はあちこちに絵を描いた。魔女の魔法の絵だ。早くしないと、この国はおろか、この島全体が海の底に沈むことになるぞ!」
「早く言え! 時間はどのくらい残ってるんだ!」
「分からん! 多分ほとんどない!」
「もっと早く言え! このクソッタレ野菜魔女! やい、ネギ!」
「野菜じゃない! いいから早くしろ!」
「杭とか刺されんなよ! 助けてやれねぇからな!」
「お前こそっ! 崖から落ちるなよ! こんな時に居なくなられたら、たまったもんじゃない!」
──お互いを罵りあえる距離感が、丁度いい。
私は剣を、今度は低く構えた。ナディアキスタは嘆きの魔女を睨み、ガラスの棒をひょいと振る。
「赤いパンプス 終わらぬ演奏
朝が来るまで踊り続けよう
赤い足先 冷めやらぬ熱
死が来るまで踊り続けよう
さぁ叫べ! 鏡に映るは己の罪業!」
ナディアキスタが歌うように呪文を唱える。
魔女の足元から炎が燃え盛り、魔女を包み込むように火柱を立てる。
空まで届くその炎に、私の出番はないのでは? とすら思う。だが、ナディアキスタは舌打ちをすると、ガラスの棒を自分に向けて十字を切った。
そして棒の先を下に向けると、ナディアキスタと私の前に雪の結晶のようなシールドが出来上がる。
その瞬間、魔女は火柱を吹き飛ばした。
あたりの林の樹木は全てなぎ倒され、地面も大きく揺らぐ。
波は荒ぶり、二倍近くの高さにまでなる。
嘆きの魔女は、珊瑚の長杖を持ち、クスクスと笑っていた。
『あんなろうそくの火で私が燃えるか』
「ろう、そく? あれが?」
「燃えるなぞと、全く思ってない。試したかっただけだ」
ナディアキスタは雪の結晶の中心を突き、シールドを解除する。
腕を組み、意地の悪い笑みで笑うと、嘆きの魔女を見据えた。
「リリスティアを庇ったな」
ナディアキスタがそう言うと、嘆きの魔女は口を閉じる。彼女は「ほぅ?」と興味ありげにしてみるが、少し警戒していた。
「リリスティアは師匠にとって大事な依代だ。リリスティアを切っても師匠はゴーストだから、何の影響もないかと思ったが、今庇ったな? つまり、リリスティアに危害が加われば、師匠にも影響がある! リリスティアごと、師匠を葬ることが可能だということになるんだ!」
ナディアキスタは誇らしげに言うが、それはつまり、リリスティアも死ぬことになる。
仲間を重んじるナディアキスタにしては、あまりにも冷徹なことを言う。嘆きの魔女も、『愚か者』とナディアキスタの理論を鼻で笑った。
『リリスティアを殺せるものか。お前にとって、あやつは唯一の姉弟弟子。お前に唯一優しく接したお人好しじゃ』
「構わん。リリスティアなら良いと言ってくれる。なんせ、お人好し、だからな!」
『はっ! 私に従うリリスティアが、お前の味方につくものか!』
「いいや! 俺様の味方だ! そうでなければ、師匠がリリスティアの中に閉じ込められることなんてないんだからな!」
ナディアキスタがそう宣言すると、嘆きの魔女は驚き、自分の手を確認する。そしてずるんっ、とリリスティアの体を抜け出し、ナディアキスタが嘘をついたことを知る。
ナディアキスタが、その隙を見逃すはずがない。
「魔女の魔法──『妖精のイタズラ』!」
ガシャン! と音を立てて、魔女は真っ白な鳥かごに閉じ込められた。
その場に倒れるリリスティアに、私は剣を鞘に収めて駆け寄った。
リリスティアの首に触れ、脈と呼吸を確認する。「······うぅ」と声が漏れて、リリスティアは薄らと目を開ける。
「リリスティア、無事か!」
私が声をかけると、リリスティアは「すまぬ」と心苦しそうに謝った。
「······儂が、もっと強く、あれば」
「相手は古の魔女だ。誰だとしても、何も出来ないに決まってる」
「············祈りの、貝殻は」
リリスティアは何かを言いかけている。私は彼女の口元に耳を寄せた。
『祈りの、貝殻は、嘆きの魔女の魂の、核』······どうやって奪い取れというのだろう。
魔女が魔法道具に何を願ったかなんて、分からないのに。
それに、魂の核なんて、どうやって取り除けと? 魂と融合しているのなら、取り返しがつかないのでは?
私が悩んでいると、ナディアキスタの焦った声が聞こえた。
「おい! 避けろ!」
私は咄嗟に剣を抜き、上に振るった。バチン! と跳ね返すと、空の上では無数の木の枝が鞭のようにしなっていた。
「げ、なにこれ」
「魔法種『首吊りの木』。細い枝が数本捻れているように伸びるこの木は、その名の通り人の首を吊り、滴る体液を糧とする奇種樹木だ」
「んなもん作ってんなよ」
私はリリスティアを背負い、その場から離れる。
林だった所の、倒れた木の間を縫うように飛び越えて、嘆きの魔女の攻撃範囲から逃げる。
だが、流石は古の魔女といったところで、二百メートルも走ったのに、今だ攻撃の届く距離にいる。
首を狙ってくる枝をしゃがんだり、飛び越えたりと、必死で避けるが精度も速さも、衰え知らずだ。
「だぁぁくっそ! 死んでるくせに元気だな!」
リリスティアを抱えた状態で、剣を振るうのには不安がある。しかし、かといって己の肉体だけでの回避にも限界はある。
私が剣に手を掛けようとした。その時、リリスティアの首に枝が絡んでしまった!
(まずい! リリスティアが!)
「魔女の魔法──『木に穴を開けよう』!」
小さな鳥が私の顔の横を飛ぶ。リリスティアの首に繋がる枝にその可愛らしい嘴を突き刺すと、自ら爆発し、枝を破壊する。
見た目とは裏腹に物騒な呪いに、私は「わぁっ!」と驚く。前を向くと、ムスッとした顔のトラヴィチカが私を見ていた。
「もー! ボクちゃん木に挟まってぇ、動けな〜かったのぉに〜! ケェトさん呼んでも来ぉないんだぁもん! 痛かった〜んだけどぉ!」
「あ、すまない。流石に遠すぎる。というか、お前は魔女だろ」
「魔女の魔力はぁ呪いに特化してぇるから〜、魔法には向かぁない〜しぃ、魔法使うとぉきは、回路変更用の物がい〜っぱい必要なんだよぉ!」
「ご、ごめん」
トラヴィチカはムスッとしたまま、リリスティアを預かると「こっちは平気」と私に言った。
「リアスコットにぃは、影響でなぁいよ〜にしとぉくから。あっちよろしぃく」
トラヴィチカに背中を押され、私は強く頷いた。
私が駆け出すと、トラヴィチカは杖を空に向ける。
「──きっと、助けてね」
足元に転がる木々から、無数の鴉が生み出されていく。