85話 反撃しましょう、そうしましょう
──この私が、手足が震えるなんて。
まさか、頭が真っ白になるなんて。
こんな状況、これよりも酷いものなんて、何度も何度も見てきたのに。対応してきたのに。
嘆きの魔女の高笑いがうるさくて、視界が揺らいで気持ちが悪い。
私がするべきことなんて、何一つないのでは無いのか。
──もうナディアキスタは、死んでいるんじゃないか?
そう考えたら、心臓がギュッと握られたように痛い。
私がもっと早く戻ってきていたら。私がもっと警戒心を持っていたら。
私にもっと、力があったなら。
「············ぅ」
微かに声が聞こえた。
見ると、ナディアキスタの指先が、ピクピクと動いている。
私はハッと、我に返った。
「ナディアキスタ!」
私は彼の元に駆け寄り、杭を引き抜く。引き抜く度にナディアキスタは呻き、空いた穴から血を吹き出させる。
私は杭を全て引き抜き、ナディアキスタの傷を塞ごうとドレスの裾を破く。せっかくのドレスをズダボロにして、私はナディアキスタの傷を保護した。
「······馬鹿者」
ナディアキスタは弱々しく私の手を押しのける。
傷跡がみるみるうちに塞がっていく様子よりも、ナディアキスタが生きていたことに私は安心して力が抜ける。
深くため息をついて、私は顔を擦った。
ナディアキスタは私よりも深くため息をつく。
「おい、化粧が落ちるだろう。擦るな。それに何だ、その姿は。メイヴィスのドレスがボロボロじゃないか。せっかく一生縁の無いものに袖を通したんだから、もう少しもったいぶってみせろ。お前はガサツ過ぎなんだ」
ナディアキスタはちくちくと文句を言って、私を睨む。私はナディアキスタの変わりない様子に、心の底から安堵する、
この際文句だろうとなんだろうと関係ない。彼が無事なら、生きているのなら、何だっていい。
「聞いているのか」
「ああ、······うん。聞いてる。良かった、生きてた」
「······ウィリー」
ナディアキスタは、いきなり知らない名前を呼ぶ。
ウィリーから始まり、マーサ、ミリーナ、イリア、ハリエット、ブライア、モルドレッド······計七人。
私は何となく察しがついた。ナディアキスタは、とてもとても申し訳なさそうに、俯いていた。
「······今使い切った、弟たちの命だ」
「そうか」
「······情けない使い方をした。こんな事のために、寿命を奪ったわけじゃない」
「そうだよな」
「······やっばり、俺じゃダメなんじゃないか?」
私はナディアキスタの弱気な言葉に、彼の頭を殴って返事した。
ナディアキスタは怒りに震えながら私を見る。私は「バカだな」と、ナディアキスタを怒った。
「お前はお兄ちゃんだろ。なら、弟に詫びる前に、すべきことをしろ。悔やむのも謝るのも、後でいくらでも出来る。目の前の問題を放ったらかして謝るな。弟を理由に逃げ出すな。出来ない理由を勝手に作るな」
「謝りたいなら、あの魔女の首を手土産に謝れ!」
──結局、私に言えるのはそんな程度の事だ。
何の解決にもならなくて、自分勝手で、頼りにならない、綺麗事。
それでも、彼に立ち上がるための何かを渡してやりたくて、前を向くための言い訳を作りたかった。
それを嘲笑ったのは、嘆きの魔女だった。
『私の首を? ほざけ。その餓鬼は立ち上がることも辞めた腑抜けだ。臆病者だ。お前には分かるまい。どうして魔女になりたかったのか、どうして魔女にすがったのか』
『そいつが捨て子だからじゃ』
嘆きの魔女は、ハッキリと言った。
ナディアキスタの表情は、暗くなる。
『二つの村の分かれ道に、そいつは捨てられていた。幼子だったからな。戯れに拾ってみたが、男子の扱いにくいこと。さっさと追い出そうとしたが、こいつは意地になって家に住み着きおった。その理由も『家族がいないから』なんて、下らないことで』
嘆きの魔女は、ナディアキスタを鼻で笑い、髪の毛を掴みあげる。
『諦めるだろうと思って、星図を投げてやれば、勝手に星を作って占いの真似事をしだす。腹がよじれるほど笑ったわ』
「──お前は、【崩れた菓子の家】を運命星に持つ。······女の子を食べないと、狂いそうな飢えに襲われる、飢餓の星」
『師匠をお前呼ばわりか! このうつけ者が!』
嘆きの魔女はナディアキスタを放り投げる。地面に体を擦ってナディアキスタは痛みに顔をしかめる。
『飯の用意も出来ぬ! 風呂もぬるい! 掃除も満足に出来ぬ、雑用係にすらなれぬ分際で! 偉そうな口を聞きおって! これが出来たら弟子にしてやろうかと思って、迷子を殺すように命じたのに! 勝手に逃がした裏切り者め! それだから実の親にも、この私にも捨てられるのじゃ!』
ナディアキスタは言い返せない。
立ち上がり、胸を押さえながら何とかひねり出した言葉は、震えていた。
「俺は、魔女だ!」
文句や悪口の引き出しを多く持つナディアキスタの、短い反撃。
「俺は、女を食べたりしない! 俺は、自分の弟を自分が死んだ後の入れ物として育てたりしない! 俺は弟を脅したりしない!」
『それが何だ! 自分の方が、この私より勝っているとでも? 優れているとでも? ねぎされた分際で偉そうにするな!』
『お前なんか、拾わずに狼の餌にでもしてやれば──』
嘆きの魔女は重心を後ろに傾け、上体を逸らす。それでも、避けきれなかった剣の切っ先が首を掠った。
嘆きの魔女は首を押え、ぎろりと私を睨む。
私はほんの少し血の着いた剣を高く構え、魔女を睨んだ。嘆きの魔女は私の威圧にたじろぐ。
目が熱くなるほどの怒り、胸が痛くなるほどの憎しみ、手足に力が入ってしまう哀れみと、仲間を侮辱された苛立ち。
『おのれ、私の食事の分際で──』
「黙って喰われるわけねぇだろうがよ。私は生きてんだ。てめぇの内蔵ぶち破って殺したっていいんだぞ?」
引いた右足に力を込めて、剣を高く構えたまま魔女に向かって突進する。
ほぼ跳躍に近いが、狙いを定めた鷹のような速さに、魔女も動きが遅れる。
私の剣が魔女の眉間を貫こうとする。魔女はそれをしゃがんで避けた。上体が曲がる瞬間を狙って、私は嘆きの魔女の顎に膝蹴りをかます。
曲がった上体は大きく仰け反り、脳震盪を起こす魔女にみぞおちを的確に狙った回し蹴りで畳み掛ける。
遠くの木までぶっ飛ばされた魔女に背を向けて、私はナディアキスタを無理やり立たせた。
「おい、手を貸してやったんだ。対価寄越せ」
「は、はぁっ!? 今か!? 馬鹿者が、状況を見ろ! そして俺は今チョコしか持ってない!」
「魔女を倒す手伝いをしろ」
嘆きの魔女は死んでいる。死んでいる人間を殺したことがない。
どうすればあの魔女を退治できるのか、知っているとすればナディアキスタだ。
「あの魔女嫌いだ。お前を馬鹿にして、ものすごく見下してくる。ナディアキスタが『男』だからなんて、腹立たしい。騎士としても、仲間としても見過ごせない。殺す」
魔女を倒すのは決定事項だ。そのために、ナディアキスタが必要だ。
ナディアキスタは私の言葉を聞くと「馬鹿者」と言いながら、ククッと笑った。
「そんなに言うのなら、手を貸してやろうじゃないか。この俺様がな!」
「頼りにしてるぞ。魔女さんよ」
「期待に答えてやる。騎士様よ」
ナディアキスタがガラスの棒を構えた。
······理由もなく、力がみなぎってくる。




