81話 さぁ、情報を集めよう
──ナディアキスタに、なんと声をかけるべきだろうか。
私はひと晩中、そればかり考えていた。
ねぎされた魔女。男だからという理由で、呪いすらまともに教わらない。雑用ばかりで、本当に『魔女』と言えるかどうかも分からない。
星占いも、魔女から見ればトンチキで。魔女のとんがり帽子もない。
魔女からも見下される立ち位置で、ナディアキスタは今まで生きてきたのだ。数百年間もの長い月日を。今まで、ずっと。
私はナディアキスタの傷を思い出す。彼の言動を、思考を······心を。
傲慢で、自尊心が高くて、自分を天才と信じて疑わない。自分こそが正しくて、他人の意見なんて聞く耳もない。
『劣等感の表れ』。他人だったらそう言って、離れてしまうだろう。
けれど私はナディアキスタと、信頼を置いた関わりがあった。
それを踏まえて言うのなら、ナディアキスタには、きっと傲慢であらねばならない何かがあるのだ。
そうしなければいけない何かが。
私はベッドから起き上がり、着替えのシャツに袖を通す。
絵本を持って、部屋を出た。
階段を降りると、ナディアキスタがちょうど出かけようとしていた。ナディアキスタは私の方を見て、私の手元を見る。そして、眉間にシワを寄せた。
私は絵本をナディアキスタに渡した。
「おはよう。ちょうどいい読み物をありがとう」
──特別な言葉も、慰めも要らない。私は、今見ているものを、自分の勘を信じたい。
私の反応に、ナディアキスタは驚いたような顔をした。そして、絵本を受け取ると、ふん、といつものように鼻を鳴らす。
「ようやく起きたか。寝坊助め」
「悪いな。読みふけってしまったから」
「絵本に夢中とは、子どもみたいだな。新しい絵本を用意してやろうか?」
「いらねぇ。昨日の商店街に行くんだろ? 私も行こう。寝起きの散歩にちょうどいい」
「今度は年寄りみたいなことを」
──いつも通りだ。いつも通りでいい。
***
商店街は、昨日の騒ぎが嘘のように賑わっていた。
私は歩く人たちの視線を感じながら、ナディアキスタの隣にしゃがむ。
「ここだ。このカゴの下に、魔女の呪い絵があった」
ナディアキスタに指を差され、私はそれをじっと見つめる。
洞窟と炎、骸骨の山で構成された絵は、昨日のミノタウロスの特徴と一致する。
私は呪いの跡を指でなぞった。
書く、というよりは焼いたような跡。指には薄らと煤がつく。私の手のひらに収まるほどの小ささで、あんなにも大きなものを喚び寄せたのか。
「ナディアキスタ、他に似たような呪いの跡があった場所は?」
「昔この島の貿易港だったアリエ村と、島の西にあるセスティール街と、旧市街のエイリット。絶滅危惧種の保護区がある、スートラ国立公園だ」
「その四ヶ所の共通点とか、あるか?」
「アリエ村は、魔女の生まれ故郷と聞いている。セスティールは魔女のお気に入りの弟子の生まれ故郷。エイリットは魔女が古の魔法道具を作った地。スートラ国立公園は、かつて二つの村があり、その片方が魔女を襲った村だ」
「全部魔女絡みなぁ。呪いの跡はまだ見られないか?」
「俺様が消した。······あれは、誰かに見られたら悪用される」
ナディアキスタは地面の呪いに薬を撒き、痕跡を消す。
ナディアキスタに「魔女の痕跡は?」と聞いてみるも、首を横に振られた。
「全くないわけではない。が、限りなく薄い。プールに垂らした一滴のインクのようだ。もちろん、その痕跡を辿る事も出来なくはないだろうが、時間がかかりすぎる」
「そうか。なら仕方ない。別の方法を」
私が立ち上がると、いきなり後ろから腕を掴まれる。
私は驚き、騎士の反射で腕を掴んだ人物を投げ飛ばした。人混みをかき分けて地面を滑る男に、ナディアキスタは冷たい目を向ける。
「すまない。いきなり掴まれたものだから、驚いて」
私は男に駆け寄り声をかけるが、男に顔を殴られ、尻もちをついた。
男は立ち上がると、私を見下ろし、「この無礼者が!」と怒鳴った。
訳が分からない私に、男はフーフーと鼻息荒くまくし立てる。
「魔女様の隣に立つな! 軽々しく口を聞くな! それくらい出来て当たり前だろうが! 魔女様はこの国で一番高貴な方なのだ! 分からないのか!」
あー、すっかり失念していた。
魔女信仰がある国で、魔女の隣に立つのは迂闊だった。
リスアコットの魔女信仰の内容は、何となく理解していたはずだったが。
私は『魔女の隣に立つべからず』『魔女の肩より頭を上げるべからず』『魔女に馴れ馴れしい話し方をするべからず』その他諸々に引っかかったのだ。
私は仕方なく謝ろうとする。だが、後ろから「どの口が言う!」と怒鳴り声が被さった。
「その女は魔女に誓いを立てた! いわば魔女の剣だ! それを魔女に確認も、断りもなく殴りつけるとは! 無礼千万この不届き者め! それでも貴様はリアスコットの住民か! 魔女の国の信仰者か!」
ナディアキスタが男に詰め寄ると、男はさぁと顔が青くなっていく。
私を見下ろし、プルプルと唇を震わせ、「でも」と口ごもる。ナディアキスタの怒りに油を注ぐ羽目になった。
「でもだと!? 魔女である、この俺様の言うことに「でも」で返す気か!」
「い、いえ、そんなつもりは」
「ならば今すぐ彼女に謝れ! さもなくば、魔物の餌にしてやろう! 生きたまま食われる痛みを知るがいい!」
男は「ごっ、ごめんなさぁぁぁぁい!」とこの場から逃げ出した。
ナディアキスタが舌を出して腕を組む。私は「わぁ」と久しぶりに殴られた痛みを噛み締めていた。
「この痛みは久々だ。すげ、ジンジンする」
「腫れそうだな。ケイト、口の中は切れてないか。首も痛みは?」
「ない。軟弱者の拳なんて軽傷にもならねぇよ」
ナディアキスタの少し冷えた手が、私の頬に触れた。優しく、痛くないように慎重な手つきに、私は「大袈裟だ」と呆れる。
ナディアキスタはカーネリアンの指輪と、マラカイトのバングルを右手につけた。
「汝、理由なく傷つけられる者よ。魔女の慈愛に触れろ。病める身に癒しの温もりを」
ナディアキスタの呪文とともに、彼の手は温かくなる。その温度に私は安心した。ナディアキスタが手を離すと、頬の痛みはすっかり無くなり、体も軽くなったような気がする。
ナディアキスタはサッと立ち上がると、「手間をかけさせるな」といつもの不機嫌な様子に戻る。私は「なるほど」と笑った。
「何がおかしい」
「いや、オルテッドが世話を焼く理由がよく分かったもんで」
「ふん! そんなの、この俺様が高貴にして偉大な天才魔女だからに決まっているだろうが!」
「はいはい。そういう事にしといてやるよ」
「うるさい! お前は絶対オルテッドみたいになるなよ! あんなのが増えるなんてお断りだ!」
私とナディアキスタは、商店街を歩いていく。
街の喧騒が、遅れて聞こえてきた。