8話 怒鳴る阿呆に斬る阿呆
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
朝から泣き叫ぶ子供の声に、私は目を覚ました。
薄着のまま、傍らに置いた剣を持って、急な階段を飛び降りる。
ドスッ! と荒々しい音を立てて、私は呆れ顔でコーヒーを入れるオルテッドと顔を合わせた。
「やあケイト、おはよう。朝食はサンドイッチでもいいか?」
「おはよう、オルテッド。いや、外で声がした。敵襲かもしれない。先に見てくる」
「いや、あれは······あぁ、頼んだ」
オルテッドは何かを言いかけたが、私を笑顔で見送った。
私は剣のベルトを、腰に適当に巻き付けながら、外に飛び出す。
声がしたのは教会の近くだった。その辺りに家はあまりない。被害規模は小さいだろうが、子供が泣いたということは、教会が襲われた可能性が高い。
私が慌てて教会に向かうと、教会の前ではナディアキスタが銀色のリボンを握りしめて、男の子に向かって怒鳴っていた。
「お前のせいで領地が襲われたんだ! 何のために俺様が呪いを施してると思ってる!」
ナディアキスタが何か言う度に、男の子は更に声を大きくして泣き叫ぶ。
ナディアキスタは子供の頬を叩くと、「泣くのをやめろ!」と怒鳴った。
子供が軽く吹っ飛んで、私は肝が冷えた。
「おい! そんなに怒鳴り散らすことはないだろ!」
私が間に入る、とナディアキスタは「うるさい!」と、今度は私に怒鳴った。
「お前に関係ないだろうが! 話も聞かずにしゃしゃり出て、優しい娘を演じるな!」
「お前が殴ったから止めたんだ! 子供をいきなり殴る奴があるか!」
「じゃあお前は、度胸試しのためだけに外したリボンで、皆殺しになっても『仕方ない』で済ませるのか!?」
私はそう言われて子供の方を振り返った。
昨日のオークによる侵略は、子供の度胸試しが原因だったらしい。
ナディアキスタはリボンを結び直す際に、リボンの欠片が落ちていないことに気がついた。
魔女の呪いとやらで調べた結果、この子供が原因だったそうで。
座って泣きじゃくる男の子に、私は目線を合わせた。ナディアキスタが持っていたリボンを男の子に見せて、優しく尋ねた。
「どうして、リボンを外したんだ?」
「ひっく、ひっく······ぐすっ」
「おい、お前に泣く資格は──」
「お前はちょっと黙れ。話が進まないだろう」
私は男の子が泣き止むのをじっと待ち、同じ質問を繰り返した。
「どうして、リボンを、外したんだ?」
「ば、ばあちゃんが、『銀色のリボンが魔物から僕たちを守ってる』って、いつも話をしてくれてた。
でも、魔女様がリボンを取り替えに行ってる間とか、オルテッドさんがいない間とか、魔物に襲われたことなんてなかったから······」
「当たり前だろ。俺様が······」
「ナディアキスタ! 今この子と話をしているのは私だ」
「どうせ、魔物なんて来ないしって、友達と皆で一本ずつリボンを持って来ようって、話してて。
持ってこなかったら、弱虫って言われちゃう! だから、ぼ、僕······」
「待て。その話だと、外れた箇所がまだあるな?」
私は男の子にそう尋ねると、男の子はこくん、と頷いた。
ナディアキスタは「オルテッドォォォ!」と叫んで彼の家に向かうし、私は急いでその子を教会に避難させる。
「なぁ。そのお友達が、どこのリボンを外したか知ってるか? 何本外した!?」
「えっ、えっと。あと4本ある、と思う」
「──その場所は?」
***
オルテッドの朝食は美味い。
カリッと焼いた厚めのベーコンを、採れたてのレタスと、両面を焼いた目玉焼きと一緒にパンに挟む。
味付けは塩と胡椒のみ。
これがまた素材の味を際立たせていて何個でも食べれそうな味になっている。
領地の端から端を駆け回り、リボンを結び直した甲斐があった。毎日食べたいほど美味い。
「牛乳とオレンジジュースと、コーヒー。ケイトはどれがお好みかな?」
「コーヒーをもらっても良いだろうか。家にいると、紅茶しか出てこなくて飽き飽きしていた。朝からあれは甘すぎる」
「ははっ。確かにそうだ」
私がブラックコーヒーの良い香りに浸っていると、オルテッドが少し困ったように外に目をやる。そして、コーヒーを少し飲んで、また外に目をやった。
「ケイト、兄さんを止めなくていいのか?」
「ああ、今回は魔女と同意見だ」
窓の外ではナディアキスタが、五人の子供たちに散々説教をしている所だった。この騒音がなければ、爽やかな朝を迎えていたのだが、仕方がない。
あれは自業自得だ。
『魔女や弟がいなくても、魔物に襲われない』なんて、何も知らない子供らしい理由だ。
騎士団にも、似たような考えの者がいた。
『訓練を受けているのだから襲われても平気』──騎士にあるまじき慢心が、身を滅ぼした事例なんていくつもある。魔物に喰われただけなら、まだ良い方だ。
魔物に遊ばれた奴らはとことんツイてない。
「でも、誰が喰われたわけじゃない。皆無事だった」
「そうだな。魔物に半身裂かれて捨てられて、『殺してくれ』と仲間に嘆願する奴はいなかった」
私がそう言うと、オルテッドは青ざめた表情で「まだ優しいのか」と、窓の外を眺めた。
私はコーヒーを飲み干すと、子供たちが泣きすぎて目が腫れてきた頃合いを見計らって、ナディアキスタを止めにいく。
まだ怒りの収まっていないナディアキスタに、「そろそろやめてやれ」と声をかけたが、彼は「また庇う気か!」と怒りの矛先を私に変える。
私はナディアキスタを子供たちから遠ざけて、子供たちの前に片膝を立てる。涙と鼻水でグズグズになった顔に、私は優しい笑みを浮かべた。
「魔女の魔法で領地を守る理由は、これで分かっただろう。昨日のようなことが起きた時、魔女がいなかったらどうする? 私がいなかったら? オルテッドがいなかったら?
誰もお前たちを守れない。お前たちは、自分がしでかした事の後始末もつけられない。あのまま、領地が滅んでいたかもしれないんだぞ」
「ナディアキスタが魔法を使うのは、皆を守るためだ。
お前たちを怒るのは、本当に危険なことをしたからだ。
お前たちは周りの命はおろか、自分の命も守れない子供なんだ。次からは度胸試しなんかで、周りの人を脅かすんじゃないぞ」
私が諭すように声をかけると、子供たちはわんわん泣いて「ごめんなさい」と何度も謝った。
ナディアキスタはまだ不機嫌だが、もう怒る気は無くなったようだ。
私は彼ら一人ひとりの頭を撫で、「次また魔女が怒っても止めないからな」と忠告をした。
······それだけで良かったのに。私はついうっかり、新兵を慰めている気分になってしまった。
「良かったなぁ。生き標本にされなくて」
この一言で子供たちはピタッと泣き止んだ。ナディアキスタすらも、顔面蒼白で私を見下ろしていた。
***
「ケイト、兄さんに何をしたんだ?」
ナディアキスタの小屋で、オルテッドはナディアキスタの珍しい行動に、ずっとオロオロしていた。
ナディアキスタにオルテッドの後ろに隠れて、彼の服にしがみついている。私は気まずくて、「申し訳ない」としか言えなかった。
「もうヤダこの女。子供を脅しやがって」
「兄さんが言うな。ケイトが子供を脅すわけだろう」
「いや、その。なんというか、新兵を指導している気になって、ついポロッと」
「オークにあんな真似出来ない!」
「いや、知性も理性もないが、アイツらにも『娯楽』はある。アレを見た時はうっかり感心した」
「お前本っ当にヤダ! ソレが娯楽とかありえん!」
「いや、ありえる。彼らを発見して国に連れ帰った時は、父ですら吐いた」
「当たり前だろ馬鹿者! お前は戦場で何見てんだ!」
「魔物と仲間とその死体」
「人の心のない奴め!」
オルテッドはナディアキスタの頭を撫でて慰める。ナディアキスタは最悪だと呟きながら、星図をクルクルと回す。
私は彼が星図を読むのを、横から見ていた。
「──【自死の剣】は、その名の通り薄幸の星だ。そして、深い愛の星である。
誰かのために動き、自分が死ぬことすらも厭わない。慈愛の星巡り。その代わり、自分に得られるものがなくなる」
ナディアキスタは星図を回し、更に話を続けた。
「【貪欲の杯】と【盗っ人の手袋】が合わされば、他者から奪い取る力は強大になる。更に近くに【自死の剣】があった。
お前が全てを奪われるのも当然の結果だ」
「なら、母とアニレアから離れれば済むのか」
「いや、そう簡単にいかない。そのアニレアというのが【盗っ人の手袋】なのか。奴が生まれた星の、人間関係……一番右の星図が基本性格を表すんだが、そこに【紐付きの首輪】がある。
これは、一人の人間に狙いを定めて搾り取る、クセみたいなもんだ。お前、妹にやたらとねだられたりしなかったか?」
言われてみると、アニレアは母や父から物をねだることは、ほとんど無かった。
私の私物や功績ばかり、欲しがっていた。
父や母は、私の物を欲しがる妹に、叱ることは無かったし、私自身も慣れてしまって、おかしいとすら思わなくなっていた。
「無意識って怖い······」
「子供を脅したお前の方が、よっぽど怖いけどな」
ナディアキスタは私の星巡りに星図を戻すと、突然また星図をクルクルと回し、一人でものすごく納得したような表情を浮かべた。
私はナディアキスタに尋ねてみても、彼は「大したことじゃない」と濁す。
私はどうしても気になって、ナディアキスタにしつこく詰め寄った。
とうとう彼が根負けすると、星図の一番大きな円を指さした。
「お前が生まれた時の星に、【冥狼の牙】と【太陽の杖】が混在している。
【冥狼の牙】は冥界の加護ある命の星、【太陽の杖】は偉大な力を手に入れられる武神の星だ。お前が戦場で生き残るのも、騎士の腕が立つのもごくごく自然な事だったのかと、思っただけだ。
あと【冥狼の牙】と【自死の剣】が反発する力を生み出しているから、お前の周りに死者が出やすいのもそのせいだ」
ナディアキスタの星の説明に私は納得してしまった。
戦場で危ない目に逢っても、必ず誰かが身代わりになるように死んだ。私は偶然だと思っていたが、星の力によるものだったのか。
「なぁ、ナディアキスタ。私が【自死の剣】から逃れるためには、どうすればいい?」
「昨日言っただろう。赤子の手を捻るようなもんだと。簡単なことだ」
「対価を取ればいい」
「はっ? 対価?」
ナディアキスタはケロッとして言うと、星図をアニレアの星巡りに変える。私はぽけっとして、ナディアキスタを見つめていた。
「対価をとるって、そんな簡単なことで良いのか? 私は散々悩んできたんだぞ?」
「そうだ。実際、騎士として『任務を受けて』仕事をして、『報酬をもらう』時は、誰も奪いに来なかっただろう。その報酬で買った物は、奪われただろうが」
「えっ、でも······いや、確かにアニレアは、私の金にまでは手をつけなかった」
「ほらな。働きに対する『対価』には手をつけない。他の奴らにも同じ手が通じる」
ナディアキスタはそう言うと、「俺様のために働け」と私に命令した。
「【盗っ人の手袋】を、この俺様が直々に取りに行く。お前はその手伝いをしろ。
その対価は『アニレアに奪われた品々』だ。さすがに婚約者までは奪い返せないがな」
「······分かった。良いだろう。私も特注のアクセサリーボックスだけは、返して欲しかったところだ」
「断るかと思ったが、女々しい理由で引き受けるのか。お気に入りのアクセサリーでも入れていたのか?」
「いや、底板に爆弾の作り方のメモと、仕掛け鏡に毒針を入れっぱなしなんだ。妹は開け方を知っているから平気でも、知らない侍女があれを開けて、トラップが働いてみろ。侍女が危ない」
「それは大変だ。早いところ奪い返さないとな」
ナディアキスタは私と強めに握手を交わすと、さっそく作戦を立て始めた。私は彼の向かい側で、アドバイスと城の情報を流す。
オルテッドが、私たちにコーヒーを入れてくれた。自分のために作戦を立てるのは、戦場を駆けるのと同じくらい、楽しかった。