77話 神出鬼没の悪魔族
さっきまで賑やかだった商店街は阿鼻叫喚に変わる。
新鮮なフルーツも、高そうな杖も、誰かの足に踏まれてぐちゃぐちゃだ。
人々が避難する流れを横目に、私とナディアキスタは細い通路から、騒ぎの根源に突き進む。
「ケイト! 見えるか!?」
「ああもちろん! 牛が見える!」
「全体が牛か!?」
「いや、半人半牛! ただひたすらにデカい!」
あの大きさは2メートル半はある。いや、もしかしたらそれより大きいかもしれない。
肌は硬そうで、黒っぽいのに牛か人かも分からない。顔は牛なのに、足は日詰の生えた人間の足。
全体的に毛深いのは、牛の遺伝子か人間の遺伝子かで少し悩んでしまう。
鼻から吐き出される息は荒く、まだ暖かい季節なのに白く濁る。体温が高いのだろうか。手にしている斧も、通常の物より遥かに大きく、使われている鉄も上等だ。
「ナディアキスタ! 下級魔族で牛って何がある? 2メートル以上で武器を使う程度に知能がある。出来れば、半牛系の」
「そう言われて思いつくのは悪魔族のミノタウロスだ。だが、ミノタウロスは地下洞窟にいる。それも、かなり入り組んだ作りの」
「地上にも出るなら文書は書き直した方がいいだろうな」
私はミノタウロスを観察しながらどう立ち回るかを計算する。
ナディアキスタは指輪をつけながらミノタウロスをじっと見る。
「ミノタウロスだな」
「さっき自分で言っただろう」
「魔女の祈りと剣で倒せたはずだ」
「良かったな。どっちもあって!」
「この俺様を物扱いするな!」
私は木箱を踏み台に、大鍋店の軒に上がる。
ミノタウロスを見下ろす形でしゃがみ、左手を剣にかける。
ナディアキスタは私の行動を見ると、ミノタウロスの前に飛び出し、近くに落ちていたリンゴを投げつける。
「こっちを見ろ! デカいだけが取り柄の下級魔族め! お前が好きな子供はいないが、お前を殺す魔女が来たぞ!」
ナディアキスタは指輪だらけの手を握る。
足を肩幅に開き、ミノタウロスを睨みつけた。
「汝、無垢なる民を混沌に落とす者よ。魔女の怒りにひれ伏せ。その罪の許されるまで、奈落の底で泣き叫べ!」
ナディアキスタの呪文が聞こえる。私は左手で、剣を少し抜いた。
ナディアキスタはミノタウロスを引きつけながら、魔女の祈りをかける。
「その目を閉じよ 夜の帳はもう下りた
その目を閉じよ 朝日が昇る時まで
魔女の子供たちよ ブナの木の寝床
星空の下で眠れ 木漏れ日の下で目を覚ませ
哀れな魔女の子供たちよ 永久なる島で楽しく暮らせ」
ナディアキスタの祈りは、ミノタウロスの足元からツタを生やす。ミノタウロスはツタに絡まれ、あっという間に動けなくなった。私はその隙を突いて、剣を素早く引き抜き、軒を飛び降りた。
ミノタウロスの背面ギリギリを飛び抜け、奴の首を切り落とす。着地と同時に、剣を鞘に収めると、ミノタウロスの首が、遅れて地面にぼたりと落ちた。
血飛沫が辺り一帯に、雨のように降り注ぐ。
ナディアキスタは血の雨が止むまで、手を握っていた。
***
騒ぎを聞きつけたリリスティアが商店街にやって来た。
箒に乗って、帽子が飛ばないように着地する。
私が血だらけの麻袋を片付け、ナディアキスタが痕跡を消す魔法薬を希釈した水を、辺りに撒いているのを見て、リリスティアは驚いた表情になった。
「何があったんじゃ」
「魔物が襲ってきた。リリスティア、片付けを手伝え。その国では魔女しか役に立たん」
「そうじゃな。しかし、こんな人通りの多い所に、悪魔族が······」
リリスティアは心底驚いているようだった。
今しがた乗ってきた箒を立て、「ほれ、“掃除をせよ”」と命じて片付けを始める。
私は負傷者の手当てに回りながら、二人の片付けの様子を眺める。
壊れた店先はパズルように組み立てられ、元通りになる。倒れた籠はひとりでに立て直し、無事な商品は勝手に元の位置へと帰っていく。
崩れた品は砂となり、ナディアキスタの水を被ると跡形もなく消え失せる。
リリスティアのオーケストラのような魔法の使い方と、ナディアキスタの畑の水撒きのような魔法の使い方の差に、私は笑いそうになった。
片付けが終わると、リリスティアは「魔女の痕跡を探す」と告げてその場を離れた。ナディアキスタはミノタウロスが現れた所に這いつくばると、ペタペタと地面を触る。
「ケイト、家に戻ってトラヴィチカにこのことを伝えろ。騒ぎが起きた直後なら、魔女の居場所もう掴めるかもしれん」
「分かった。何かあったら魔女の伝達方法、私が分かる何かで連絡してくれ」
「ああ」
私は商店街を離れてトラヴィチカの元へと急ぐ。
ナディアキスタは何か痕跡を見つけられるだろうか、と不安になりながら中心街を離れた。




