68話 魔女の襲撃
「兄さん!」
「ナディアキスタ!」
オルテッドはナディアキスタを支え、青ざめた顔でナディアキスタの反応をみる。私は彼の胸に刺さった剣に、心臓を掴まれるような痛みを感じた。
ナディアキスタは声も絶え絶えに、「早く」と何かを急かす。
「なんだ? 遺言か!?」
「クソが······っ! つる、剣だ······。早、く抜け。···弟の、じゅ、命が······無駄に、なるだろっ······が!」
ああ、そういえばそうだ。
ナディアキスタは弟の寿命がある限り生き続ける、【屍上の玉座】の星巡りだった。ナディアキスタには今も膨大な寿命が蓄積されている。
ナディアキスタは自力で剣を抜こうとするが、筋肉が収縮してしまい、岩に挟まれたように硬くて、一ミリも動かない。オルテッドは狼狽えて手が震えている。
「兄さん、大丈夫だから。あぁごめん。俺が、俺がドアを開けたから。兄さんごめん」
「落ち、つけ馬鹿者。っくそ、ぬ、けろ······〜〜っ!」
ナディアキスタは早く抜こうとするが、痛みでそれどころではない。
慌てる二人の後ろで、少し深呼吸をした。
──落ち着け。これくらいのことで冷静さを欠くな。
ちゃんと見ただろう。剣が飛んできた方向を。
ちゃんと覚えただろう。犯人の顔を。
私は胸に手を当てて、最後に大きく息を吐いた。
「っぐぁあ!?」
ナディアキスタの胸の剣を引き抜き、私は外に出る。
ナディアキスタの小屋でケラケラと笑っている男がいた。私はその辺の小石を拾い、空に投げて、剣の腹で思いっきり打った。
飛んでいった小石が男の頬を掠り、反対側のドアにめり込む。男はさぁ、と青ざめた。
「おいトラァ! 何のつもりだお前ぇ!」
「わわわっ! け、ケェトさん! ケェトさんがいるのはそぉてーがい過ぎるよぉ」
トラヴィチカはダルダルの袖に手を隠すと、背中を丸めて腰を引く。
私はトラヴィチカにずんずんと進んでいき、彼の首根っこを掴む。
「ふぎゃっ!?」
「ここが私の領地と知ってのことだろ。お前に物資補給頼んだもんな」
「んはは〜。そうでしたぁね。でもでもぉ、ボクちゃんはケェトさんと戦いたくないかな〜。ほら、よく助けてもらっとぉし······」
「ならさっさと失せろ。袖の中のもん、ちゃんと出せ」
「ケェトさん、聞いてたぁ? ボクちゃんはケェトさんと戦いたくない、って言ったんよぉ」
トラヴィチカはそう言ってニヤリと笑う。
私はハッとして後ろを振り返った。
視界を覆う、青い蝶々の群れ。
私はトラヴィチカを手放し、咄嗟に顔を庇ってその場にしゃがむ。その隙にトラヴィチカは領地に逃げ出した。
その代わり、小鳥のような声が私の前に現れる。
「あらあら。避けるとは思わなかったわ。その蝶々、魔女の薬が仕込んであってよ。触れるだけで眠ってしまうような、強力な薬がね」
ふわふわと香る花の香り。領地の花とは少し違う、甘さの中にピリッとした爽やかな香りだ。
ハーブと花を飾った、揃いの柄のとんがり帽子とワンピース。水晶で出来た両手杖は、身長よりも遥かに長い。
ウェーブのかかった髪は、光に当たると薄紫色に輝く。さくらんぼのように真っ赤な唇と、桜色の頬が可愛らしい。真っ黒で大きな瞳が私を見つめる。
微笑んでいる彼女は、十歳になったばかりのような、子供の見た目をしていた。けれど、私は彼女を知っている。
「お初にお目にかかりますわ。あたしの名前はマーガレット」
「初めましてだと? ふざけたこと。お前とは私が八歳の頃に会ってる。鉱山の国で、お前は植物園にいただろ」
「あら、覚えてらっしゃるのね。けれど困ったわ。邪魔をしないでくださる? あたしは血を見るのが嫌いなの。貴女が邪魔をしなければ、大人しく帰っても良くってよ」
「手前の領地が襲われて、黙って見てるような腰抜けと一緒にすんな。私の森で暴れるな。命が惜しくばその杖抱えて帰れ」
「あらあら、怖い方ね。あたしを脅すなんて」
マーガレットは杖を振ると、私の足元から花を咲かせる。
私は足を絡めようとする蔦花を飛び跳ねて避ける。壁を蹴り、マーガレットを飛び越えて杖を奪った。
「あら、あたしの杖」
「悪いが、魔法は使わせないぞ。それに、さすがに子供に怪我をさせるのは気が引ける」
「うふふ。お気遣い嬉しいわ。けれどね、あたしは貴方より年上よ」
「見た目がそれでは説得力がないな」
「そうね。きっとそうだわ。けれどお気づきかしら? トラヴィチカは彼の心臓を狙っていてよ」
私はその方向を見た。マーガレットが言った通り、トラヴィチカがまだ動けないナディアキスタに手を伸ばしている。その手は鳥の足のような形をしていて、少し異端だ。
私が気を取られた隙に、マーガレットは杖を取り返す。
魔法を使われる。それよりも、ナディアキスタが危ない。
ナディアキスタが抵抗しようとするが、動きが遅い。
トラヴィチカは「もーらった!」と嬉しそうに、ナディアキスタの胸に鉤爪を──
「兄さんに触るなクソガキ」
オルテッドが低い声で唸る。
オルテッドはトラヴィチカの手を払うと、ナディアキスタを後ろに下げて、トラヴィチカの前に立ちはだかる。
「なぁに? ボクちゃんはナディーちゃんの心臓が欲しいだけだよぉ」
「それが一番困るんだ。悪いが、兄さんには指一本触らせない」
「あ〜りゃりゃ。ナディーちゃん人気者だ〜ねぇ」
トラヴィチカが杖を振った。彼の足元の土のが、鳥の形に変わる。翼を広げ、オルテッドに狙いを定める。
「そぉら骨まで喰らえ!」
鳥は真っ直ぐオルテッドに向かって飛ぶと、彼の目の前で口が四つに割れる。私は「うげっ」と声を出した。
マーガレットが私にまた蝶々をけしかける。
「よそ見をしている暇はなくてよ」
「うるさい。邪魔をするな」
幾重にも重なり、私を惑わそうとする蝶々に腹が立つ。
私は手首を回して、ゆっくり息を吸い込む。
「······嘘でしょ」
マーガレットはあ然とした。それもそうだろう。
薬をかけた蝶々が、何十匹といる美しい蝶々が、ひとつ残らず切り落とされてしまったら。
私はふんと鼻を鳴らす。マーガレットはその場に座り込んでしまった。
私はオルテッドの方を見た。
もうオルテッドが怪我をしているかもしれない。オルテッドは魔女の弟だが、年寄りだ。それに、『俺は長生きするんだ』と、先の会話で言っていた。早く助けなければ。ナディアキスタもオルテッドも、二人が後悔してしまう。
──その考えは、杞憂だったらしい。
「んにゃ〜〜〜! コレきらぁい!」
「ははは。手も足も出ないだろう」
地団駄を踏むトラヴィチカと、腕を組んで笑うオルテッド。
トラヴィチカが何度魔法を放っても、オルテッドの前で消えて、あらぬ方向からトラヴィチカを襲う。
「魔女のお守り──『出口はこちら』。防衛の呪いだ。攻撃的な威力はないが、領地を守るには十分だろう?」
「たかが弟に防衛魔法とかさぁ! ナディーちゃんバッカじゃん! んもぉ〜!」
トラヴィチカが魔法を使えば、それがそのままトラヴィチカに帰る。彼は自分の魔法から身を守るしか出来ないでいた。
オルテッドはそれをカラカラと笑って見ている。
まるで手合わせをする師匠と弟子。ほのぼのとした雰囲気が、敵同士の戦いであることを忘れさせる。
トラヴィチカは「わかったぁ!」と腹を立てた様子で叫ぶ。
「ならナディーちゃんをこっちに寄越すまで、ボクちゃんは森を焼くかぁらね!」
トラヴィチカは杖先をオルテッドから教会に向ける。
オルテッドは少し慌てた。私もハッとする。
(しまった。教会にはメイヴィスがいる!)
杖の先に光の粒が集まり始める。私は剣をトラヴィチカに向かって投げた。剣の持ち手がトラヴィチカの肘に当たり、杖先が空に向かう。そこまでは良かった。
杖が暴走したのだ。光の魔法が空に飛んでいき、上空の何かに当たった。
それが雉だと思っていた。けれど、目で捉えられる距離にまで落ちてきたとき、それが人だと知った。
私は肝を冷やして落ちてくる人を受け止めようとした。が、どうやって受け止めろと言うのだろうか。
今この時、一番役に立ったのはオルテッドだった。
「『出口はこちら』」
オルテッドがそう言うと、落下していた人物が空から消える。次の瞬間、私を前に現れて、私の胸に激突する。私は後ろに倒れて衝撃を逃がした。けれど激突した痛みは消えない。咳き込みながらその人の顔を見た。
私の胸の上で眠る、赤いインナーカラーのロングヘアの女の傍らに、赤い鱗の飾りがついたとんがり帽子が落ちる。
『この人も魔女なんだ』と知るには十分だった。