67話 魔女と騎士団長の偏見
ケイトを小屋から追い出して、ナディアキスタはエリオットと二人きりになる。ナディアキスタはエリオットの神妙な面を鼻で笑い、近くの椅子を指さした。
「座れ。話がしたいんだろう」
エリオットは示された椅子に座る。ナディアキスタは向かい側の椅子に座った。
「今この小屋には呪いがひとつも施されていない。水の一杯でも出してやりたいが、コップもないんでな。我慢しろ」
「別に構わないよ。仲良く水を飲む仲じゃないしね」
エリオットはそう言って、ため息をついた。ナディアキスタはククッと笑う。
「──俺なりに、魔女のことを調べたんだ」
エリオットはそう話を切り出した。
国にある魔女の資料を読み漁り、魔女とは一体何なのか、魔女が悪者とされる由縁は何なのか。エリオットなりに調べてみたが、どれを読んでも魔女がしたとされる悪行や、魔女が如何に恐ろしい存在かなど、同じような内容ばかりだった。
「ケイティが、どうして貴殿に肩入れするのか、知りたかったんだ。ケイティは真っ直ぐに人を、物事を見ることが出来る純粋な女性なんだ。けれど、彼女は魔女の味方をする。どうしてそうするんだろうって」
「なんだ。俺様を理解したいのではなく、ケイトを理解したいだけか。聞いて損した」
ナディアキスタはムスッとして顔を背ける。
『もう話聞きません』と言わんばかりに腕を組んで、体の向きも変える。エリオットは「でも」と無理やり話を続けた。
「さっきの魔法を見て、分かったんだ。魔女は恐ろしい魔法を使うばかりじゃないんだって。こんなにも綺麗な魔法を使う人が、悪者なはずがないんだ」
エリオットはナディアキスタに真っ直ぐに伝える。
ナディアキスタはふん、と鼻を鳴らした。
「──魔女の呪いは繊細にして危険。一つでも間違えば、良くて死亡。悪くて未来永劫苦しむ羽目になる代物だ。悪だと言われるのは、魔女から呪いを教わり、使った奴らが間違えたせいだ。その事例が惨すぎる、という理由で魔女は『救世主』から一転、『人々に災いをもたらす者』と言われるようになる」
ナディアキスタはそう言うと、アメジストの指輪と翡翠の指輪を出した。
それを右手の親指と人差し指にはめて、その指で輪を作る。
「この『天狗の目』のような魔女の魔法は危険性がない。魔女から魔法使いに移り変わる時代の呪いというのは、己の魔力と森羅万象が持つ魔力を、共鳴させることによって生まれるものだからだ。魔法使いとほぼ同じ。だが、古の呪い、お前が思っているような魔女の魔法というのは、あまりにも非効率で、複雑過ぎる。そのやり方を間違えた弟子たちが、魔物になり、獣人族へと姿を変えた」
いつかケイトに話た事と、同じことをエリオットにも教える。ナディアキスタはじっと、エリオットの様子を窺った。
エリオットは難しそうな顔で考えていた。ナディアキスタはあえて茶化すことも、皮肉を言うことも無く、エリオットが見つける受け入れ方を待つ。
(ケイトは比較的簡単に受け入れていたな。あいつは馬鹿だから、そのまま受け止めるのが正解だったんだろう。だがエリオットはやや面倒な思考回路らしい。ケイトが目の前にある物の表面、裏も表も見ようとするタイプなら、エリオットは内部を見なければ気が済まないんだ)
ナディアキスタは「諦めろ」とエリオットに言った。
「お前がいくら考えたところで、俺様が今生きていることも、森が俺様を慕うことも、ケイトが俺様を信じてくれたことも全てが事実だ。中を割って見たところで、腐ったものなどありはしない。お前は結果を急かしすぎるんだ。今は『そんなもんだ』の一言で片付けろ馬鹿者」
エリオットは「分かった」と返事をした。
ナディアキスタは、国へ帰る方のドアを開けた。
「さっさと国に戻れ。団内で揉め事が起きているぞ。ケイトを退団させるべきだのなんだのと、騒がしくて見ていられん」
「なっ! そんなことまで見えるのか!?」
「ああ、声は聞こえんがな。所詮、あの呪いは遥か先が見える望遠鏡と変わらん。話の内容は読唇術ですぐ分かる」
「あー、ケイティが使えるやつ」
「違う。あいつは獣の勘で察してるだけだ」
エリオットは急いで小屋を出ると、ケイトの全速力と同じくらいの速さで森を駆けていく。
ナディアキスタはドアを閉めると、領地に続くドアを開ける。
そこには、ヘラヘラと笑う男が立っていた。
袖口が広く、長さが合わなくて手が隠れる服に、ビロビロに伸びたとんがりボウシ。軍人が履くようなブーツには、留め金飾りにいくつもの宝石がついていた。
「あっ、こんにゃんちわぁ。魔女の森のナディーアキスタさん? ボクちゃん、ケェト・オルスロットさんとお付き合いさせていただいてます、貿易商のトラちゃんです!」
男は敬礼すると、手を揉み揉みしながらナディアキスタに擦り寄る。
「今回の森の危機を知り、手持ちの商品特別価格で取引しとぉりましてぇ。ナディーアキスタさんにもご挨拶〜? しとぉきたいなぁ〜と」
ナディアキスタは頬を擦りつけてくるふざけた男を突き放すと、「あほ抜かせ」と腕を組んだ。
「お前がケイトと関わりがあるなんて知らなかった。今一度、あいつを占い直した方がいいらしい。妙な奴らばかり引き寄せる。俺様に挨拶だと? ふざけるな。お前と知り合ってから、一度たりとも挨拶なんてされたことがないぞ」
「んん〜? ナディーアキスタさん? 何のことでしょぉか?」
「ふざけるのも大概にしろ」
「『渡り鳥の魔女』──トラヴィチカ・ローベルト・エドゥアールト・マシュナ」
男の長い名を喋り、ナディアキスタは男を睨む。 トラヴィチカと呼ばれた彼は、「ありゃりゃ〜」と呆けた声を出す。
「ボクちゃんの名前、長いから覚えられない人多いんだけどな〜。ナディーちゃん、ちゃぁんと知ってんだ〜。マメだねぇ」
「魔女の呪文はお前の名前より長い。何しに来た。ケイトの手助けだけとは言うまい」
「んははっ! もっちもちのろん! ボクちゃん、貿易商としてのお仕事はもう終わったからぁ、魔女としてのお仕事しに来たよん!」
「ナディーちゃんの心臓ちょぉだい?」
トラヴィチカはヘラヘラと笑うと、袖から鳥の装飾が施された短い杖を出す。ナディアキスタの喉に突き立てると、杖の先が鉤爪に変わる。
ナディアキスタは驚いてたが、すぐに飛び退ける。テーブルの上に立つと、革製のバングルと金の指輪を左手にはめる。
トラヴィチカは「んはは!」と笑う。
「おそぉい! そんなんじゃすーぐに啄まれるよ!」
トラヴィチカは杖を振り回す。
家の棚やテーブルが餅のようにちぎれ、鳥に姿を変える。木の鳥は翼を大きく広げると、ナディアキスタに向かって一直線に飛んでくる。
ナディアキスタがテーブルの上で伏せると、鳥は壁に突き刺さって抜けなくなる。ナディアキスタは左手をトラヴィチカの方に向ける。
「そら吠えろ!」
ナディアキスタが指で狐を象ると、口の部分を三回パクパクさせる。
ナディアキスタの横から空間に波紋を立てて狐が現れ、炎の球をトラヴィチカに吐き出した。トラヴィチカは床をダン! と踏み、くるりと回ると床がトラヴィチカを包み込み、鳥の羽のような壁をつくる。
壁は炎によって打ち砕かれるが、トラヴィチカにダメージはない。彼は「ほほぉ」と感心した。
「結構やるんだぁ。ちょっと意外かもぉ」
「ふざけるな。お前が本気を出せば、はね返すことも容易いだろうが」
「そぉなんだけど〜。それはそれでつまんないじゃぁん?」
トラヴィチカは笑って言うと、領地の方を見やる。
ナディアキスタの小屋からは、オルテッドの家がよく見えた。
「あれ、弟くんの家?」
トラヴィチカはそちらに杖を向ける。ナディアキスタは青ざめた。トラヴィチカは炎の球を、オルテッドの家に向かって飛ばす。
ナディアキスタは右手にアクアマリンの指輪とオパールの指輪をはめる。ナディアキスタが指を鳴らすと、水のイタチが炎の球を追いかけた。
ドアの前で炎は水と打ち消される。
「あ〜りゃりゃ? 声がすんねぇ」
トラヴィチカはボウシを脱ぐと、逆さにして尖ったところを外に向ける。ボウシから声が聞こえた。
『············何だか、外が騒がしいな』
オルテッドの声だ。
ナディアキスタは背筋が冷える。トラヴィチカはニヤリと笑うと、杖をくるんと回した。
何も無い空間から剣が顕現されると、真っ直ぐにオルテッドの家に飛んでいった。
ナディアキスタは焦る。
(まだ一度も使ったことがないが······)
ブーツの踵を二回、右のつま先を三回うち鳴らす。
ナディアキスタは走り出した。風と同じ速さで剣を追いかける。トラヴィチカは「わぁお♡」なんて呑気な声を出した。
ナディアキスタが手を伸ばす。呪いを使おうとしたその刹那、家のドアが開いてしまった。このままでは呪いを使っても使わなくても、オルテッドが殺されてしまう!
いつも誰か確認してからドアを開けろと、口を酸っぱくして言っているのに。
ナディアキスタは一層加速する。
「馬鹿者!」
怒っているはずなのに、辞書が作れるだけの罵詈雑言が思いつくのに。口から飛び出したのはそれだけだった。
その後すぐに、ナディアキスタの胸には剣が刺さる。オルテッドの驚いた顔が、スローモーションのように見えた。