65話 森の復興 2
エリオットはバツが悪そうに目を伏せた。
私は苛立ちが収まらなくて、舌打ちをする。エリオットは何も言えずに遠くを見る。
「あ〜スッキリした! 久々に風呂に入れた! ったく、あの密売人共め、高貴な魔女への仕え方も知らんとは」
涙を渡して数分もしない内にナディアキスタが家から出てきた。
いつも通り、体格に合わないワンピースみたいな服をロープで固定した、古典的な魔女の格好で。
サラサラの黒髪と、つやつやとした肌からほんのり柚子の香りがする。
ナディアキスタは歪な形の木の杖を手にしている。彼の身長よりも大きな杖をつきながら、ナディアキスタは領地を真っ直ぐ突き進んでいく。
「どけ! 偉大なる魔女のお通りだ! 道を開けろ! 貴様っ、あと三十センチ後ろに下がれ! 軟弱な怪我人ども、外に出ろ! でも俺様の指定する範囲には入るな!」
やたら細かく命令するナディアキスタは、なんだか楽しそうに見える。
「ケイト、すまないが、これを兄さんの所まで持って行ってくれないか?」
私はオルテッドに呼ばれ、家の中に入る。
オルテッドは、端に避けられたテーブルの上を指さした。
枯れた花が詰まった花かごと、壊れた水車の模型。オルテッドは困った笑顔で「あれだ」と言う。
「俺が持つと、呪いが使えなくなるんだ」
「なるほど」
「あと、外にいる彼にも手伝って欲しい」
「エルに?」
オルテッドは頷くと、火の消えたランタンを示す。
「あれも、俺が持ったらいけないんだ。若い男が持つ必要があるんだが、領地の皆は復旧作業中だろ?」
「ああ、そうだな」
私はエリオットを呼び、火の消えたランタンを持たせる。
私も花かごと、水車を持って外に出た。オルテッドは干からびた粘土の人形を持って、私たちを誘導する。
「遅い! 待ちくたびれたぞ!」
ナディアキスタはぷりぷり怒りながら、私たちを待ち構えていた。
あの杖で地面をガリガリと削り、絵を描いていく。
「すまないな、兄さん」
「謝れと言ってるんじゃない!」
「なら怒鳴るな。ナディアキスタ、これはどうするんだ?」
「まだ持ってろ。描き終わってない」
ナディアキスタはそう言いながら、地面に絵を描く。
真ん中の大きな円に家の絵を描き、それを取り囲むように四つの絵が彼の手で描かれていく。
直径十メートルにもなる大作を、短時間で描き上げていく様子は芸術家のデッサンを見ているようで圧巻だ。
ふと、エリオットが気づく。
「これ、魔法陣か?」
ナディアキスタが描いていたものは、魔法使いが使う魔法陣によく似ている。だが、複雑な模様ではなく、波や風などの抽象的なデザインだ。
ナディアキスタは「ほほう」と感心する。
「エリオットは魔法陣を見たことがあるのか。国にも数人、魔法使いがいるんだったか? しかし、観察眼ならケイトの方が上だぞ。魔女は魔法陣を使わない」
ナディアキスタは最後の線を描き終えると、私から花かごと水車を受け取る。花かごを風の絵の上に、水車を波の絵の上に置く。
干からびた粘土の人形は、モグラの絵の上に置かれた。
「これは魔女が虐げられた時期に生まれた、魔女の呪いだ。鍋や箒を持っているだけで、罰せられた時代のな。地面に絵を描き、直接魔力を注ぐことによって、特定の魔法の威力を増幅する、魔法使いの基礎となった呪いなのだ」
ナディアキスタはエリオットに説明すると、火の消えたランタンを受け取り、炎の絵の上に置いた。
「魔法使いたちは複雑な魔法陣を描かねば、強力な魔法が使えない。それはそういう背景があるからだ。魔法の錬成が出来なくなったから、絵を描くしか魔法を使う方法がない。魔女を悪だと、非難し虐殺してきた人間共のせいでな」
エリオットは暗い表情で口を閉ざす。ナディアキスタはふん、と鼻を鳴らす。エリオットの肩を軽く叩くと「見ていろ」と強気に言った。
「お前は魔女を『悪』だと思っているのだろう? ならば見せてやろう! 魔女の本質を! 魔女の素晴らしさを! 繊細にして崇高な呪いに腐った目玉をかっ開け! 貴様の中の魔女の概念、この俺様が全て覆してやろう!」
ナディアキスタは笑うと、絵の上に杖をかざす。
鍋をかき混ぜるように杖を回し、呪文を唱える。
「──かんからからり 水車がまわる
かんからからり 土に染みゆく
歌えウンディーネ 水は今満たされた」
壊れた水車が朝露のように輝き、元通りに直るとカラカラと回り始める。波の絵は水車に合わせて水を湧かせる。
「──こんこんからり 人形は水を得た
こんこんからり 風を浴びゆく
踊れノーム 土は今満たされた」
水車の水が溝を伝って人形に染み渡る。
水で満たされた人形は立ち上がると、モグラと一緒に踊り始めた。
「──ひらひらふわり 花は土を希う
ひらひらふわり 熱に浮かされゆく
奏でろシルフ 風は今満たされた」
土の太鼓が響く度に、花かごは崩れ落ち、花は地面に根付く。
花はみるみるうちに蘇り、綺麗な花弁を咲かせると、風がその花弁を散らして、さわさわと音を立てる。
「──ゆらゆらふわり 暗闇は光を欲する
ゆらゆらふわり 水面が光りゆく
盛り上がれサラマンダー 炎は今満たされた」
風で飛んでいった花弁がランタンの上に乗る。ランタンのロウソクに火が灯る。火が灯ると、真ん中の絵を除いた全てに光が宿る。
ナディアキスタはまた杖を回した。光はそれぞれの絵を巡るように回る。光の粒が溢れ出して、領地のあちこちに飛んでいく。
七色の光の粒がふわふわと飛ぶ様子は幻想的で、私は見とれてしまう。
エリオットも驚いたような表情で光を見上げていた。
「風は吹き 川は流れる
土は緑の草を生やし 太陽は熱を捧げる
回れ回れ 自然の力
枯れて朽ちた世界でも 命はまた吹き返す」
ナディアキスタは杖を真ん中の絵にポイッと投げた。
すると、杖は地面に消えていき、ナディアキスタが描いた絵から花が咲き乱れる。花は絵の範囲すら飛び出して、領地のどこまでも甘い香りで満たしていく。
壊れた家の下から木が生えて、新たな家を造り上げる。吹いた風は、廃材を遠くへと運んでいく。
ぐちゃぐちゃにされた畑は畝が整い、新たな作物が芽を出した。
空から雨が降り注ぎ、人々の疲れや傷を癒す。
雨が止み、雨雲が空を流れると、虹が顔を出す。
雨粒の輝く百花繚乱の花と、それに囲まれた森。空を渡る虹の橋は、心が洗われるほど綺麗だ。
この美しさは筆舌しがたい。どんな言葉も、どんな表現も、この光景を表すに相応しくない。
「魔女の呪いは、往々にして名前が存在しない。だが、魔法使いの基礎となった呪いたちには、名前がつけられるようになった。虐げられた魔女たちの、心を忘れぬように」
ナディアキスタは一枚の花弁に口付けを落とすと、風に乗せて手放す。
「呪い──精霊の儀式『不滅の楽園』」
それは、精霊と手を取る魔女の宴。失った魔女への精霊たちの慈悲。
花は慰めに香り、心を癒すために彩る。
精霊を重んじる魔女の礼儀が彼らの力となり、彼らは魔女のために命の演舞を披露する。
それが破滅を再生へと覆し、魔女の居場所を守る力となる。
私は息すら忘れ、足元の花に魅入った。空の青さも、虹の美しさも、元に戻った······いやそれ以上に姿を変えた森に、生きることの良さを知る。
それと同時に、「どうして魔女が」と哀れみを覚えた。
それはエリオットも同じらしい。彼はボロボロと涙を流し、片手で顔を覆う。ナディアキスタはエリオットに嫌味も何も無い、純粋な笑顔を向けた。
「どうだ。悪くないだろう?」
エリオットが返事を出来ないと知っていて、彼は意地悪なことを尋ねたのだ。その通り、エリオットは泣いたまま、動けなかった。