61話 やる事やったら逃げるが勝ち
商人の国──路地裏
「お前にはガッカリだ」
付き人を連れた、金の指輪をジャラジャラと着けた男が、葉巻を吸ってそう呟いた。
リコリスの肩に吸いかけの葉巻を押し付けて、「本当にガッカリだ」と同じことを言う。リコリスは火傷の痛みを我慢して、「申し訳ございません」と謝罪した。
頭を下げるリコリスに、男は「もういい」とため息をついてはねのける。男は付き人からサーベルを受け取り、刃こぼれを確認する。
真新しいサーベルであることを確認すると、男はリコリスを冷たい目で見下ろした。
「使えない奴に要はない。消えろ」
男はそう言ってサーベルを振り下ろす。
リコリスはぎゅっと目をつぶった。
(何が『次に目を覚ました時は自由』だ! ケイトの嘘つき! 人間なんてもう、信じるものか!)
リコリスが反撃に出ようとした。······その時だった。
「要らんのなら俺様がもらってやろう!」
振り下ろされたサーベルは、リコリスの手前で止まる。
男は驚き、サーベルを動かそうとするが、引くことも押すことも出来ない。手放せないサーベルに、男は「なぜだ!」と叫ぶ。
リコリスも驚いていて、路地の先にいる男に目を向けた。
「リコリスというケンタウロスはお前だな? ケイトから聞いた。俺様の力が必要らしいな! 魔族と魔女の仲だ、俺様が手を貸してやろう!」
ナディアキスタはリコリスにそう告げると、アメジストの指輪を右手の中指につけて、翡翠の指輪を小指につける。
「まずは不要なものを捨てるべきだな。そこから動くなよ。上級魔族は貴重だからな。それも分からん奴に価値なぞない!」
ナディアキスタは指を二本立て、男たちに向けた。
「汝、穢れなき魔族に悪意を向ける者よ。魔女の怒りにひれ伏せ。死してなお、炎の中で踊り狂うがいい!」
ナディアキスタが指を縦に振ると、男たちから焦げ臭い臭いがした。リコリスはたまらず鼻と口を覆う。
男たちは目や耳や口から黒煙を出し、「熱い! 熱いぃぃぃ!」と叫び喉を掻きむしる。
助けを求める前に彼らの体は内側から燃えて、炭のように真っ黒に焦げて息絶えた。
ナディアキスタは右手の指輪を左手につけかえた。右手の親指にルビーの指輪を、人差し指に金の指輪、薬指にトパーズの指輪をつける。
右手で棚の上のホコリを払うように手を振ると、突風が吹き、今出来たばかりの焼死体を細かく刻んで遠くへ運ぶ。
物理的な意味で塵になった元主人。リコリスは呆然としたまま、見えなくなるまで見送った。
「さて、お前を縛る鎖はなくなった。大地を駆けたいんだったか? 覚悟は出来たのか?」
ナディアキスタが答えを迫る。リコリスは晴れやかな笑顔で頷いた。
***
商人の国──別の路地裏
「しけてんなぁ」
売られた人を詰め込んだ檻の上で、太った男と痩せた男がつまらなさそうに肘をつく。
「もう捨てよう。こんな品質悪い奴ら、売れるわけがない」
「そうだな。灯油もってこい」
太った男が痩せた男に命令する。
焼き殺される運命に、人々は慌て、助けを求め、泣き出した。
灯油タンクの蓋が開く。ツンとした、痛みを伴う臭いがした。
「おやおや、困るなぁ」
私は血だらけの姿のまま、彼らの前に姿を現す。男たちは「あん時の」と私を指さした。
「まだやってんのか?」
「ああ、やってるとも。何が望みだい? 働き者の子供? いたぶりやすい女? あ、性処理用の男か? 何でも揃ってんぜ」
「へぇ、何でもねぇ」
私はにやりと笑い、檻の方を見やる。
「じゃあ、お前らの首もらおっかな!」
男たちが「は?」と言いたげにした。
次の瞬間には太った男の顔に私の踵がめり込んでいる。痩せた男が状況を理解した時にはもう遅い。私は檻の角で踏み込み、回し蹴りを痩せた男の首裏に叩き込む。
骨が折れたような音がしたが、どうだっていい。
私は気絶した奴らから鍵の束を奪い、檻の鍵を開けて回る。
途中で鍵が合わなくて差し直す時間ロスに腹が立ち、近くにあったサーベルで鍵を壊して回る。
「えーと、サンディ、マーク、スフィア、ソフィー······」
騎士の詰所で見た行方不明者リストを思い出しながら、檻から売られた人たちを出す。
「アリム、ジェイ、ルルチム、ミストレ、タイア······なんだ。全員他国の行方不明者か」
私は彼らから値札のついた札を剥がすと、「帰りたければついてこい!」と声をかける。
首を横に振る者は、一人もいなかった。
***
大勢の人をぞろぞろと引き連れて、私は驚きおののく大通りを駆ける。ちょうど国を出るタイミングで、ナディアキスタとリコリスに出会った。
「おお! 無事か!」
「ケイト! うっわ、こんなに連れてきたのか」
「無理か?」
「いいや。この俺様を誰だと思ってるんだ!」
「それより早く国を出よう! 魔女が屍の洞穴に細工をしたと、それが発動する前に······」
リコリスが急かしている間に遠くから「魔女が現れたぞ!」と叫ぶ声がした。そしてすぐに大通りはパニックになり、私たちに「アイツらが魔女だ!」と注目が集まる。
リコリスはオロオロする。
「どうやって逃げる気だ? いかに速かろうと、ケンタウロスは砂漠を走れない!」
「ケンタウロスはな」
ナディアキスタはそう言うが、どうするかまでは決まってないらしい。私はナディアキスタに、森で見つけたローブをかけてやった。
「しっかりしろ。偉大な魔女なんだろ」
ナディアキスタはローブをじっと見つめると、「そうだな」といつもの底意地の悪い笑顔になった。
「さぁ、向かうはオルスロット家所有の別荘! こんな暑苦しいだけの国はおさらばだ! ガラスよ冷たく輝け! 空に蹄を響かせろ!」
ナディアキスタはローブからガラスの馬を出す。
それと一緒に、おもちゃの馬車も用意した。
すぐ近くまで騎士たちがやってくる。ナディアキスタはおもちゃの馬車を地面に落とすと、薬をかけた。
リコリスにガラスの馬を向けると、「嘶け!」と命じた。
ガラスの馬に共鳴するようにリコリスも嘶く。すると、ガラスの馬は溶けて、リコリスにガラスの蹄鉄を履かせ、馬の胴体と鎧に装飾を施す。
「そこの者共! 止まれ!」
騎士が私たちの元に着いてしまった。しかし、ナディアキスタは「馬鹿め!」と嘲笑う。
「そら大きくなーれっ!」
ナディアキスタが叫ぶと、おもちゃの馬車はぐんぐん大きくなっていく。
いきなり体積を増やすそれに、騎士も国の人たちも驚いて退いた。
私は大きくなった馬車に売られた人たちを詰め込む。ナディアキスタは馬車とリコリスを繋ぐと「心配するな」と声をかける。
「ケンタウロスは砂漠を走れない。けれど、魔女の魔法はそれを可能に出来る。安心しろ。お前はただ前に足を出すだけでいい。あとはぽんきちがやる」
「ぽん、きち······?」
「ガラスの馬の名だ。ナディアキスタ! 行くぞ!」
ナディアキスタは私の手を掴み、馬車の一番前に座る。リコリスと繋がる手綱を手に、「駆けろ!」と合図を出した。
リコリスは言われたままに砂漠に足を踏み出す。
「うわぁぁぁあぁあ!?」
目にも留まらぬ速さで砂漠を駆け抜ける。リコリスは驚いた声が止まらない。私とナディアキスタは大きな声で笑った。
私もぽんきちに乗った時はそうだった。
リコリスは勝手に動く足に思わず笑いが零れた。私は塩粒ほどになった商人の国に舌を出す。
リコリスは手に入れた自由に目をチカチカさせた。
彼女が求めた緑の大地は、すぐ目の前に迫っている。