60話 怠惰は騎士の怒りを買う
剣よりも遥かに軽い短剣。
散々繰り返して覚えさせられた社交ダンス。
足場がいかに悪かろうと、鍛えられた足さばきで前に走れる。
相手がいかに剣を振り回そうと、短剣一つで受け流せる。
どんなに強い魔法を使おうと、間合いの外にいれば当たるはずがない!
私はライリーと距離を詰める。
ライリーが魔法を使おうとしても、私との距離が近すぎる。自分にも当たる危険があるのに使えやしないだろう。
「お、女が男に密着するのははしたないんじゃないの!?」
ライリーは私の羞恥心を煽ろうとする。が、私は鼻で笑った。
「あら、ワルツをご存知ないのね。踊らせてやるよ」
強めに踏み込んで、私はナイフをクルリと回す。
ライリーは青ざめた。
──規則性のないナイフの猛攻。
機関銃のように早く、熊の一撃のように重い攻撃が、ライリーに襲いかかる。鉄と鉄のぶつかり合う音が、篠突く雨のように鳴り止まない。ライリーは防御に徹するばかりで、反撃の余地もない。私は一人で「これタンゴだな」と考えていた。
ライリーは「クソッタレ!」と悪態をつく。
「魔法があれば簡単に勝てると思ったのに!」
「私もその一人かよ」
──あれ?
(何か、違和感······)
一瞬、気が逸れた。ライリーはその隙を見逃さなかった。
目の前に迫った炎の球。私がすんでのところで顔を逸らすも、額の右側が大きく焼けた。
私の動きが止まると、ライリーは距離を開けて、魔法の使いやすい中距離の間合いをとった。
私は熱さと痛みで顔を歪ませる。血が流れて開けにくい目で、ライリーとの距離を確認する。
「くっそ。あいつの間合いだ」
ライリーはここぞとばかりに、魔法を乱れ撃ちする。氷、炎、風、水、土──手当たり次第に魔法を放ち、私を近づけないように必死だった。
それはさっきまでの余裕が無い。私の超接戦を恐れたか?
「死ねっ! 死ねっ! 死ねぇっっ!」
ライリーはそんなことを口走りながら魔法を使う。
青ざめて冷や汗が止まらないその表情は、密輸がバレたマフィアの下っ端のようだ。
私は回避に徹しながら、拾った違和感を形にしていく。
魔法使いなら、「魔法があれば」なんて言わない。最初から魔法を持っているのだから。
「簡単に勝てる」······魔法を便利道具だと? 確かに便利だろうが、魔法の不利点を知らないような口ぶりだった。
(まさか、魔法初心者?)
私は魔法や魔女の呪いを知らない。けれど、彼の口ぶりからそれが何となく読み取れた。
魔法を使えば、魔力はいずれ底尽きる。だが彼の魔法は威力が弱まる気配がない。
本当に無尽蔵? 体力だって、限界はあるのに。
『人並み外れた観察眼もある』
──探せ。違和感の原因を。
──思い出せ。今までの奴の言動全てを。
ライリーの行動の癖、パターン、思考も全て、明らかにしろ。
発せられる言葉も、声のトーンも、息遣いでさえ、聞き漏らすな。
私はライリーから目を離さなかった。
瞬きすら惜しんで、じっと、彼を観察する。コロシアムは気がつけばめちゃくちゃで、観客も高い所へ避難している。
私が手にしていたナイフはとっくに折れていて、使い物にならない。
袖に入れていた針も、溶けてしまっている。
私はそれでも観察を続けた。
──────そして見つけた。
魔法使いに必要なはずの魔法陣。彼らが魔法を使う時は、必ずそれが現れる。その魔法陣が細かく描かれているほど力が強いのだが、ライリーの魔法にはそれが一切現れない。
魔法陣のない魔法、見たことがある。
いつだったか。そう昔ではないはず。記憶にある、指輪とチョーカー。誰かが使った時も、魔法陣は無かった。
「魔女の魔法······!」
私が慌ててナディアキスタの方を見ると、ナディアキスタは疲れた顔で檻にもたれていた。心無しか、息苦しそうだ。
(ナディアキスタの魔法と魔力を奪ってるんだ!)
だが、それを可能にする方法が分からない。
一体どうやって? 何を使って?
血を流し過ぎて脳が上手く働かない。
アドレナリンで誤魔化されていた痛みも、そろそろ戻ってくる。
何かを見逃している。何かを聴き逃している。
「思い出せ。思い出せ······」
『これ貴重な剣なんだけど!』
「······一か八か」
私は今一度、ライリーと距離を詰めた。
ライリーは向かってくる私に魔法を狙い撃つ。私はせり出た地面を跳ね、水を躱し、風の動きに身を委ね、炎を飛び越える。
氷の上を滑り、狙うはライリーの剣。
「っ! お前に武器なんてない!」
「どうだろうな」
私は足首に手を伸ばした。隠れていた果物ナイフ。それを引き抜くと、光の速さで剣を叩く。
──パキッ!!
ライリーの剣が折れた。彼は目に見えて落胆する。
剣は折れると、赤い光を放って消えた。その瞬間、ライリーが身につけていたアクセサリーが次々と砂に変わる。
「あ、あぁ! 魔法が! 魔女から奪い取った魔法が!」
ライリーは砂を握り、元の形に戻そうとするが、何も起きなかった。全て消え去り、ライリーは薄着の痩せ男になると、「ちくしょう!」と地面を殴る。その音も、かなり軽かった。
「俺の全てだったのに! 俺の力が、全て無くなった!」
ライリーは現実を認められずに喚き散らす。
私はライリーなんかに見向きもせず、ナディアキスタの方を見た。ナディアキスタは少し楽になった様で、深呼吸をしていた。
(······良かった)
私は安堵の息を吐く。だが、まだ終わっていない。
試合はまだ決着が着いていない。だが、どちらが勝ったかなんて明白だ。
「お前のせいだ! お前のせいで! 全部無くなった!」
私は無言でライリーの顔を殴った。鼻の骨が折れ、前歯も折れて、ライリーは遠くに吹っ飛ぶ。
私は果物ナイフを、ナディアキスタの檻のある方に投げた。ナイフは見事、檻の鍵に突き刺さり、錠前を壊す。突然飛んできたナイフに驚いたナディアキスタは、恐る恐る檻を出る。
私はライリーの前まで歩くと、奴の胸ぐらを掴み、笑顔で言ってやった。
「『全部無くなった』? 最初から持ってなかっただろうが。魔女の力を借りておいて、よくもそんなことが言えたなぁ?」
「う、奪い取ったものも実力だろ! お前なんかっ! 魔法が使えないくせに!」
「もちろん。私は魔法なんて大層なものは使えない。でもな」
私はライリーの顔を膝に打ち付け、アイアンクローをかまし、みぞおちを蹴ってさらに遠くへ吹き飛ばす。
「物理攻撃は誰よりも得意だ。間抜け」
既に動けないライリーに、私は更に畳み掛ける。ガタガタと震え、哀れに許しを乞うライリーに、微笑んだ。
「──ド下手くそなダンスだったな。嘘つき」
ライリーの顔の真横を踏みつけると、彼は泡を吹いて気絶した。
壮絶な戦いに、誰も喋ることが出来なかった。けれど、審判の「勝者! ケイト・オルスロット!」一声に、割れんばかりの歓声を上げる。
私はその場で魔法道具を受け取り、ナディアキスタの腕輪を外す。ナディアキスタは外れた腕輪を回収すると、満足そうに笑った。
「さすがだな。ケイト」
「ダメかと思ったけどな」
気絶して、幻想に浸って諦めかけた時、私に『起きろ!』と怒鳴ってくれた人がいた。
彼は私の返事なんか待たず、勝手に腕を掴んで、ずんずんと先を歩いていった。魔女らしいローブに、赤いメッシュの、傲慢で、自尊心が高くて、礼儀知らずな優しい人。
あの時、ナディアキスタが『生きろ』と言ってくれたから、私は頑張ろうと思った。
(······なんて、絶対言わないけどな)
「早く帰るぞ。襲われた森が心配だ。それにお前もオルテッドも傷が酷い。慈悲深いこの俺様が薬を作ってやらんとな。あ、お前はついでのついでだからな。勘違いするなよ」
「一言余計なんだよ。クソ野郎」
「ふふ、貧血でイライラしているな。ほうれん草でも買ってやるか?」
「いらん。レバーがいい。キマイラで頼む。牛のやつな」
「この俺様に取ってこいと?」
ナディアキスタは腕輪を紐で括って服の中にしまうと、代わりに野球ボールくらいの水晶を出した。
「さて、俺様は魔女らしく『お返し』をしてから国を出るが、ケイトはどうする?」
「······! ああ、私も騎士らしく『取り締まり』をして帰ろう。ナディアキスタ、一つ頼みがある」
「ならば俺も、やってもらいたいことがある」
私とナディアキスタは『お願い』を交換して、ニヤリと笑った。
荒っぽいハイタッチをして、飛びっきりの笑顔で叫ぶ。
「「存分に暴れて帰ろう! 『悪役』らしく!」」
笑顔の家族、その輪の中にいる私。それが今まで望んできたことで、今私が捨てるべき夢だ。優しい家族も、歩むはずだった未来も、もう必要ない。
──あんな幻想より、今が楽しい。