56話 騎士vsケンタウロス 2
ケンタウロスは主に森に生息し、狩猟をして生きる上級魔族だ。その力の強さ、スタミナ、武器の扱いは、同じ戦闘魔族の中でも一・二を争うほどで、敵に回すと恐ろしい相手だ。
──でもそのケンタウロスに、ギリギリついていける私も、中々凄いのではないか?
私は距離を取り、腰を落として片足に力を込める。
リコリスの槍が、矢と変わらぬ速さで私の顔を狙ってくる。私は剣で槍先を弾き、地面を滑るように走った。リコリスの懐に滑り込み、剣で首を斬ろうとしたが、リコリスは上体を高く上げてそれを逃れた。
リコリスの強力な蹴りがまた、私を襲う。私は当たらないように横に避けて、反撃の隙を狙う。
リコリスの容赦ない攻撃も、馬の力や速さを利用したテクニックも、今まで戦ってきた敵とは全く違う。私がいかに低レベルなやつばかりを相手にしてきたかを思い知らされる。それくらい、攻撃の一つ一つが重かった。
私が跳ねるように退き、リコリスと距離を置いても、リコリスはそれを数歩で詰めてくる。
槍の間合いに入った途端に、私を一瞬で仕留めるような一撃を放つのだ。
私はそれを、剣で弾き、受け流し、彼女との間合いを詰めて、どうにか気絶させようと躍起になる。
私が下から攻めると、リコリスは威嚇するように上体をあげる。
飛び出した足に蹴られたら堪らん! と避ければ、すぐに槍が私の命を貫こうとする。
「くそっ! すばしっこい!」
リコリスの気が立ってきた。私も少し腹立たしく思い始めている。
リコリスは槍をクルンと回し、地面を叩く。叩いた槍は地面に亀裂を入れた。私も少し苛立って、地面を踏みつけた。亀裂を入れるような威力はないが、少し地面がへこんだ。
「ああもう! 人間がこんなにも素早いなんて聞いてない!」
「ちくしょう、ケンタウロスの戦闘能力舐めてたぁ〜」
リコリスは前足で地面を引っ掻く。私は血の滴る腕で剣を構え直した。
(そろそろ決着を)
私はそっと袖の小針を掴む。リコリスが槍で私の頭を突き刺そうとした。
私は剣で槍を受け止めると、受け流しの要領で槍先を地面に落とす。私が足で槍を踏みつけると、リコリスが「悪あがきを!」と無理やり持ち上げる。
私は槍が浮き上がり、ふわと体が軽くなる一瞬のうちに槍を渡る。リコリスの顔面に近づくと、隠した小針をリコリスの額に刺そうとした。
「私にそれを使うな!」
リコリスの腕が私の手首を掴んだ。
私はその強い力に引っ張られて宙吊りになる。リコリスは私からその小針を奪い取ると、ペキッと折ってしまった。
「どうしてそんな姑息な手を使う! ケイトは騎士だろう! 戦う相手に敬意を示せ! ただ眠らせるなんて卑怯なことをするな! 眠りから覚めた者が、生かされた命をどう思うか、騎士ならば、ケイトならば分かるだろう!」
リコリスは怒りのあまり、手に力を入れすぎてしまった。その時、私の手首はパッキリ折れた。
痛みに顔をしかめる私に、リコリスは「臆病者!」と罵声を浴びせる。
私の中で何かが切れた。
私は足を高く上げ、リコリスの顎を蹴り上げる。
リコリスがうっかり手を離したところで、私は地面に手を着くと、片手で全体重を支えてリコリスに足払いをかける。
リコリスがガクンと倒れたところで、私は剣の腹で彼女の顎をくいと上げた。
「生かされた命の行く末くらい、私だって知っている。戦いを知る者は誰だって知ってるだろうよ。惨めな思いをして生涯暮らす羽目になるんだからな。でもお前はまた自由に大地を駆けたいと願っただろう」
リコリスが控え室で話してくれた希望。
いつかまた、仲間と共に野を駆けたい──そう願った彼女の表情は、可愛らしい女の子そのものだった。
襲われ、さらわれ、売られて今に至る彼女に訪れるいつかなんて、ただの絵空事だろう。けれど、私はそれを踏みにじってまでナディアキスタを助けたくはなかった。
「ここで死んで夢を逃すな。控え室で話してくれたことは、心の底で願ったことだろう? だから私を本気で殺そうとするんだろう? なら、私が出来ることは、リコリスを生かしたまま勝つことだ」
「どうか眠っていてくれ。次に起きた時は、君は自由の身だ」
私に出来る、精一杯だ。
彼女を眠らせ、決勝に進む。そして、ナディアキスタを解放して、あの腕輪を外す。それでようやく彼女を解放できるのだ。
ナディアキスタに怒鳴っておいて、なんて情けないベストだろうか。
──私にも力があれば良かったのに。
「······ふざけるなよ!」
リコリスは腹を立てた。彼女の槍が、私の脇腹を抉る。
岩にぶつかったような衝撃に、私の身体が大きく揺れた。
「たかが夢の為に、生き恥を晒せというのか!」
私は傷を押さえてステージの反対側まで逃げる。リコリスは自慢の足ですぐに追いつくと、壁に前足を突っ込んだ。私が転がり避けると壁が砕け、一番前の席の観客が数名怪我を負う。
(客席近くに逃げたらダメだ!)
私はよろける足で走ってきた方向に戻る。
リコリスはその場から槍を投げた。槍は振り返った私のスネを貫き、私をそこに縫いつける。リコリスの怒りはまだ収まらなかった。
「願望ごときに、私に膝をつけと言うのか!」
「未来を悲観するくせに、魔女を欲するのか!」
「黙れ! お前に分かるものか! 家族と引き離された私の気持ちが! 望まない殺しをする私の信念を踏みにじられる痛みが! 願ったところで、すがったところで変わらない未来に絶望する心が! お前に分かるものかぁぁぁ!」
涙を零して叫ぶリコリスの周りを、光り輝く弓が取り巻く。今まで無かったはずのものが現れ、「ああ、魔法だ」と気づくまで時間はかからなかった。
リコリスが弓を引き絞る。それと同時に、周りの弓も引き絞られる。
大きな光の矢が現れて、リコリスの弓に収まると、周りの弓も同じようになる。
リコリスはじっと、動けない獲物に狙いを定めた。私は「避けられない」と直感した。
初めて感じた『死』の気配に、全身の毛が逆立つ。私は突き刺さった槍を掴んだ。強く引っ張ると槍がずるりと動く。抜けるか抜けないか、その刹那にリコリスは魔法を放つ。
「光明の百撃!」
私の足から槍が抜けた。
私は避ける時間もなく、降り注ぐ矢の雨を受けた。
「うわぁぁあ!」
辺りは矢の穿ち雨で砂埃が立つ。銃撃のような激しい音が会場を包み込んで、実況者も観客も、一人も言葉を発さなかった。
しんとした中で、リコリスはふんと鼻を鳴らした。背中の焼印を擦り、「口先だけか」とこぼす。
誰もがリコリスの勝利だと思った。実況者が我に返り、マイクを握り直す。キーンと嫌な音が響いた。
『近年稀に見る手に汗握る接戦! ケイト・オルスロットとリコリスの鬼気迫る戦いに、みんなが言葉を忘れているぅ! しかし結果は出た! 準決勝を見事勝ち進んだのは──』
「おい見ろ! 何か光ってんぞ!」
一人の観客が叫んだ。
ざわめきが起き、全員が砂埃に目を凝らす。リコリスもそこに注視した。
──私は剣を掲げた。
血だらけの姿で、息を荒くしながら、体を引きずって立ち上がる。
割れんばかりの歓声の中、私はずっと同じことを繰り返していた。
「対価······対価············対価、を、取れ······対価·········対価かぁ」
全てではない。が、自分の急所に確実に当たる矢は全て振り落とした。片手だけで退けたのは、自分でも褒められるべきだ。けれど、頭の中はずっと同じ事を考えている。
「馬鹿な! あの魔法を受けて、立っていられるはずがない!」
私は槍を支えに歩くが、ぐらりと上体が崩れる。何とか踏ん張って体を起こし、深呼吸をした。
リコリスは「どうして」と苦しそうに尋ねた。私はその問いに答えずに、槍と剣を構えてリコリスを睨む。
「昼飯の礼に、苦しませないって言ったよなぁ」
息を大きく吸い込んだ。
血だらけの足で強く踏み込めるのはこの一回だけ。私は、この一撃に賭けた。
「昼飯の礼なら、お前の命を寄越せ。その臆病な未来を、私が見せてやる!」
リコリスの表情が歪んだ。諦めと、恐れ。その中に微かに見えた希望。そして、いつかの私がナディアキスタに託したあの『期待』──······
私は空高く舞い上がった。タンポポの綿毛のように舞い上がる私に、リコリスは目を奪われる。私は槍を投げつけた。リコリスが掴もうとしたところを、足で掬いとって槍を弾く。リコリスが驚いた隙に剣を叩き込む。
リコリスは腕で剣を受け止めようとする。私は剣の向きを変えて剣の腹でリコリスの腕を叩いた。
「こんな猫騙しで私を······っ?!」
リコリスが痛みに顔をしかめる。
リコリスが腕を見ると、小針が刺さっていた。リコリスは「まさか」と言いながら、眠気に耐えた。
私は意地悪な笑みを浮かべて「そのまさか」と答えた。
槍を掬いとった時に、足の裏に隠した針をリコリスの腕の表面に刺す。
薄皮を貫いた小針に気づかない内に剣を見せれば、武器がないリコリスは腕で受け止めるしかない。彼女は小針が刺さった腕が私の前に差し出し、私がそれを剣の腹で深く刺し直す。
「······いっそ、殺し、てくれ」
リコリスは私に情けを乞う。私は小針を抜いて「断る」と拒否した。
「······生きる喜びは、今受けた恥よりも大きく尊いぞ。そのまま眠ってくれ。私は約束を違えたりはしない」
リコリスは「ちくしょう」と悪態をついて眠った。審判がリコリスの『睡眠』を確認すると、大きな声で私の勝利を告げた。
「勝者! ケイト・オルスロット!」
私は大歓声の中で、一人静かにリコリスの健闘を称えた。