55話 騎士vsケンタウロス
自分に残された睡眠小針はあと五本。十分な数ではあるが、この大会に出る相手にこの技がもう通用するだろうか。
恐らく、準決勝・決勝に出る者は既に対策をしている可能性は高い。気をつけないといけない。
『では! 準決勝戦を開催しまぁす!』
午前から叫びっぱなしのはずの実況者は、今だに元気な声で叫ぶ。
会場も、疲れ知らずな歓声が響き渡った。
『準決勝に残ったのはぁ〜〜〜』
私髪を結い直し、姿勢を正す。薄暗い通路を通って、ステージに出た。
『殺し合いの大会にまさかの眠リ薬! 騎士の心は捨て難いか!? 腰の剣も飾り物か!? 卑怯上等! 悪こそ我だ! ケイト・オルスロットォォォォ!』
──決めた。大会が終わったら、この実況者をタコ殴りにしてハイエナの餌にしよう。
私は会場を劈くブーイングを、ひと睨みで抑えつける。
しん、とした会場に「腰抜け共が」と捨て台詞を吐いた。
私の向かい側にある通路。そこからガチャガチャと、鎧の音がした。
『対する相手はぁ〜〜〜』
鎧にしては軽い。軽装なのだろうか。
『大地を駆け、森を駆け! 自然を愛し、自然に愛されし種族!』
聞き覚えのある音がした。馬の駆ける小気味のいい音だ。
『獣も下級魔族も私の食事! 崇高なる上級魔族は人間も食べるのか!?』
私は暗がりから颯爽と姿を現した相手に、「ああ」と声を零した。
『自由な空の下を駆けろ! 血の滴る道を行け! 我に狩れぬものなどない! 遠方の一撃に気をつけろ! 逃げられると思うなよ! リコリスゥゥゥッ!』
矢筒を背負い、年季の入った竹弓を構え、勝つ気に満ちた彼女のコロシアムをかける姿は、まさに戦闘魔族の雄々しさが表れている。
馬の前足を高く上げ、威嚇するように私の目の前で止まるリコリスは、寂しげな目で私に握手を求めた。
「私の対戦相手はケイトか」
「ええ、そのようですわ。お相手がリコリスさんで良かった」
「私が人間に殺されると? ケイトは面白いことを言う」
私はリコリスと握手を交わす。リコリスは笑っているが、悲しんでいるようにも見えた。
「······できることなら、ケイトとは戦いたくなかった」
「ええ、私も」
「でもこの大会に出た以上、こうなることは予想してたよ」
「ええ、そうですね」
「困ったなぁ······私、ケイトは殺したくない」
リコリスは困った顔でそう言った。
試合開始のゴングが鳴ると、リコリスは即座に弓を構える。鋭い矢先が私の眉間を狙う。
私が驚く隙もなく、矢は放たれた。
私が仰け反って矢を逃れると、会場からは残念そうな声が響く。
『おおっと! ケイト・オルスロット! リコリスの急撃を素早く避けたぁ! あの身のこなしはこの大会初めてかもしれない!』
私が体勢を戻す前にリコリスは次の矢を構え、私の急所を狙う。
狙いを定めて放つまでの時間はコンマ数秒もない。なんという早業だろうか! それでいて狙ったところを外さない正確さ。いかに長く練習した人間でも滅多にない。
リコリスの一撃がまた来る。
私はバク転して次々に襲いかかる矢を避ける。
ようやくリコリスと距離を取って正面を向いた時、左頬を矢が掠った。
「······昼飯の礼はきちんと返す。だから、絶対に苦しませない!」
リコリスの目は悲しみと責任感と、罪悪感に揺らいでいた。弓を引き絞る手は微かに震えている。
噛み締める唇は泣き声を堪えている。
私は頬を垂れる血の温度に集中した。
久々に顔に傷をつけた。そして私の体には、ちゃんと温かい血が流れている。
リコリスの矢が飛んできた。
私はそれを後ろに飛び退き避ける。
リコリスは私の頭や心臓をばかり狙い、本当に苦しませないように殺そうとしていた。彼女は彼女なりの信念で私に向き合っている。
──なら、私はどうだろう?
私は『彼女を殺さずに勝とう』としている。そこに自分の信念も理由もない。
(騎士は弱い者の味方で、誰かに仇なすもの以外に殺してはいけなくて······)
こんな時にですら、騎士の心得が私の邪魔をする。
私が避け続けていると、いつの間にか壁際に追い詰められた。リコリスがジリジリと距離を詰めて、矢を構える。
「······大人しくしてて。お願い。私でも外す時はある。ケイト、私は苦しませたくない」
リコリスは私にそう言った。
私はリコリスの真剣で、真っ直ぐな眼差しに「そうですね」と深く息を吐いた。リコリスは「ごめん」と言いながら、弓の弦から手を離す。
「忘れないよ、ケイト」
私は息を吸った。すぐそこにまで迫ってくる矢を真っ直ぐ見据え、この日初めて剣に手をかける。
『おっとぉ! リコリスの矢が真っ二つに折られたぁ!!』
リコリスの残念そうな顔が、驚いた顔に変わる。
私はピカピカの剣を片手に、「こっちこそごめん」とリコリスに謝った。
「私は今のところ、殺される予定がなくてな」
剣を肩に背負い、リコリスに笑いかける。
会場のブーイングが、歓声に変わった。
『ケイト・オルスロット! ついに剣を抜いたぁぁぁ! これは期待出来るぞ!』
リコリスは眉間に皺を寄せ、すぐに矢筒から新しい矢を出す。
矢筒に手を伸ばした瞬間を狙って、私はリコリスに急接近した。
後数センチの距離で、リコリスは前足を上げる。私は剣の腹でその蹴りを受けた。
遠くまで吹き飛び、体を硬い地面に打ちつける。空気の塊が口から吐き出され、潰されそうになった胸骨が悲鳴をあげる。
私がうつ伏せから立ち上がろうとすると、右肩を矢が貫いた。
「うっ······!!」
血の流れる熱と遅れて来る痛み。脈打つ刺激が『剣を手放せ!』と言わんばかりに力を奪う。
私矢を掴んで引き抜こうとした。しかし、深く刺さった矢を、収縮した筋肉が離そうとしない。
「ケンタウロスの矢は、獲物を逃がさない為に返しが広く、それでいて深く刺さる。人間だったら、貫通することもある」
「へぇ、貫通してないってことは······ぃづっ! か、加減されたってことか?」
「好きに捉えてくれていい」
リコリスはそう言うと、弓矢を構え、私の太ももに突き刺す。今度は貫通した。その痛みに、私は「がぁっ······!」と悲鳴が出る。
耐え難い痛みに膝をつくと、リコリスは「これできちんと仕留める」と、最後の矢を筒から出した。
ゆっくり弓を引き絞り、「本当に残念だ」と言って、私の胸に狙いを定めた。
私はにっこり笑って、「リコリス」と彼女の名を呼んだ。リコリスは眉間に皺を寄せ、悲しみを濁す。
「言ってなかったんだけど······」
「これで最後だ。ケイト」
リコリスの手から弦が離れる。放たれた矢は、ゆっくり進んでいるように見えた。
会場から音が消える。私は目前に迫る矢をじっと見つめた。
······抵抗する気もなかった。研ぎ澄まされた矢先が、心臓に真っ直ぐ進んでくる。
あと数ミリで皮膚を突き破り、肉をかき分け、大きく脈打ち続ける心臓に突き刺さるだろう。
私はそれを笑いながら見つめていた。胸に矢が当たる。······が、カチン! と音を立てて地面に落ちた。リコリスは「え?」と不思議そうな顔をしていた。私は「あのさぁ」と気まずく口を開ける。
「······防弾チョッキ、魔族対応のクソ強力なやつつけてんの」
会場から歓声が上がる。リコリスは悔しそうに表情を歪めた。
私は立ち上がると、太ももの貫通した矢を折って引き抜き、肩に刺さった矢は、自分で貫通させて折りとった。
ジンジンどころではない痛みに顔を顰めつつも、私はリコリスに真っ直ぐ向き合う。
「君は、私に信念を持って向き合った。それに私が『哀れだから』なんて同情心で向き合うのは間違っていた。深くお詫びする。そして、これからは私の全力で、君に向き合うとしよう」
私は剣を構えた。騎士の構えとは程遠い、捨て身の構えで。
リコリスは矢を捨てると、鎧の装飾に紛れた武器のパーツを組み立てて、槍を作って構えた。
会場の歓声は、より大きいものになった。