54話 それぞれの戦う理由
いつもの毒針ではなく、睡眠薬を仕込んだものにして良かった。
私はぐっすり眠るアシュトレイスを見下ろしてそう思った。
見事予選を勝ち進んだ私に、観客が向けたのは賞賛ではなくブーイングだった。アシュトレイスが引きずられてコロシアムを去ってもなお、「殺せよ!」だの「興ざめだ」だの、道徳心のない言葉が浴びせられる。
「何で殺さないんだよ!」
「殺すのか怖いんでちゅか〜?」
「なんのための大会だと思ってんだ!」
「殺す勇気がないなら出てくんな!」
「命を軽んじる者共に告ぐ! 殺して欲しいなら今すぐこのステージに降りて来い! 降りてきたのなら、私は喜んでこの剣を振るおう!」
私は大きな声で叫んだ。
新兵を訓練する時ですら出さない声量で、ほんの一瞬で会場全体を黙らせた。観客達は私の言葉にザワつくが、誰一人として降りてこない。
相手を『戦闘不能』にすれば勝ちなのだ。つまり、相手が『戦えない状況』になれば勝利は確定する。命なんて奪わずとも済む。それを理解していない奴らに、私がいちいち説明してやる必要も無い。『相手が死ねば勝ち』なんて思っている子供じみた奴ら、いっそ殺して畑の肥やしにでもしてやった方が有意義なのではないだろうか。
──その畑の野菜は絶対口にしないが。
「軟弱者」
私はコロシアムにそう吐き捨てた。次の試合まで三十分ある。
私はコロシアムを去り、近くの水道で顔を洗った。······怒りで顔が、歪んだと思った。
***
予選を五戦、戦い抜き、私は昼飯にありつく。
商人の国で買ったケバブと肉まん。あとホットドッグを。
大会前に買い込んだから、とっくに冷めているがそれを抜いても美味い。
自分の控え室で準決勝前にエネルギーを溜め込む。
さすがに五戦は疲れた。五分以内に針を刺しこんだにしても、相手が殺し屋だったり、賞金稼ぎだったりすると話が変わる。
新兵やオークとは違う。『戦い慣れ』と『己の熟知』があるのだ。
『熟知』は何とでもなる。得意な武器と動き方。自分の得意なやり方があると、個の力としてはこの上ない強さを発揮するが、癖や弱点の対策をしていない。それさえ崩せばいかなる猛者も、地を這うネズミのように弱くなる。
だが、恐れるべきは『慣れ』だ。
これは本当に恐ろしい。戦場に身を置く者として、これは痛感している。戦いの経験はあればあるほど強さが増す。積み重ねた経験・知識は脳だけでなく、体に蓄積する。すると何が起きるのか。
──相手の動きに即座に対応出来るのだ。
オークが戦車を用いた時も、マンティコラが特異体質で火を吹いた時も、似たような魔物や今まで使った戦術を組み合わせて退治した。
それが、この大会にも使えてしまうのだ。
「はぁ〜、ナディアキスタが捕まったりなんかするから。つーか、私があの時助け出せていれば······」
タンパク質豊富な昼飯にかじりつきながら、不満と後悔がこぼれ出す。人目もないから、ともりもり食べていると、控え室のドアが叩かれた。
「すまない、ここに人はいるか?」
ドアがほんの少し開いたかと思うと、女の声が聞こえた。
私は口元のソースを拭い、「どうかされました?」と令嬢モードで出迎えると、ドアの隙間からそっと手が伸びた。
「これで食べ物を買ってきてくれないだろうか。私は見た目が少し、人と違うものだから、買いに行けないんだ」
私はその手から金貨を五枚受け取った。昼飯代にしては随分高い。
「その、残った金は手持ちにしてくれて構わない。しょうもない使いをさせてしまうからな」
「ははぁ、要は『手間賃』ですね」
「······人間はそう言うのか」
私は彼女の手を見た。
小麦色の健康的な肌。筋肉質だが細い。細やかな傷が手にびっしりとついている。爪は黒く、きちんと手入れされている。傷がついているのに色剥げしていないから、元々黒い爪のようだ。
音を立てないように細心の注意を払っているようだが、微かに聞こえる聞きなれた音と、香ってくる匂い。
「あの、失礼ですが馬を飼育してらっしゃいます? それか、馬術の心得があるか」
私が尋ねると、女は狼狽えた。だがすぐに冷静になる。
「それはあなたに関係ない。これから死ぬか殺すかの時に、そんな雑談する必要もないだろう」
「······確かにそうですわ。無粋なことをお聞きして申し訳ございません」
「い、いや、そんなかしこまって謝らずとも······ごほん! じ、じゃあ買ってきてくれ。飯は何でもいい」
女の手がドアから引っ込む。女の警戒心が解ける、その一瞬を狙って私はドアを開けた。
ドアの前に立っていたのは赤いミディアムヘアが可愛い女の──ケンタウロス。馬の胴体も赤い毛並みで美しく、体を覆う鎧はタイトなデザインのオシャレなものだ。
女のケンタウロスは姿を見られた事で顔を真っ赤にする。私は馬の毛並みの良さや、『まさかケンタウロスにお使いを頼まれるなんて』などの衝撃で表情が上手く動かず、真顔を決め込む。
「き、きゃぁぁぁぁぁぁ! 見ないでぇ!」
「あ、すみません。あなたが馬でしたか」
***
彼女を控え室に引き込み、買い溜めた食料を分ける。
ケンタウロスの彼女は床に座ってケバブを食べた。
「先程はごめんなさい。大きな声を出しちゃって······」
「いいえ、私の方こそすみません。驚いたからとはいえ、『あなたが馬でしたか』なんて失礼なことを」
「私、リコリスと申します」
「ケイト・オルスロットです。どうぞよろしくお願いしますね」
私はリコリスと握手をする。
手を握る時の癖と、掴む時の力の強さでお互いの得意武器を把握する。
「おや、ケイトは剣がお得意か。随分長く振るっているんだな」
「そういうリコリスさんは弓矢ですか。でもその割に筋肉のつき方が······槍か薙刀も嗜んでいらっしゃいます?」
「おお! ケイトも分かるのか!」
「握手した時に推測してしまうのは癖でして。お恥ずかしい」
「なら、戦闘が重なった時に肉を食べるのも癖か?」
「筋肉に力をつけるなら、タンパク質が一番良くて。炭水化物も食べるんですが、持久力が無いんですの」
「わかるぞ! すごくわかる! 体力の回復に一番良いのはキマイラなんだ! ······と、すまない。人間は魔物を食べないんだった」
「特に、羊の胴体のキマイラが美味しいんですよね」
「っ! 食べるのか!?」
「私が異端なだけですが」
私はリコリスと「美味い魔物は何か」や、狩りの仕方なんかも話をした。リコリスは上級魔族だが、やたらと話が合う。騎士の国の令嬢ですら、マニアックな話をすると引いてしまうというのに、彼女とは何でも話し合えた。
「人間が使うカボン? サーバン? とかいう弓も試してみたいんだが」
「ああ、カーボン製の弓ですか。騎士の国に弓専門の店がありますわ。特注出来ますので、よろしければ紹介しますよ」
「えぇっ! いやいやいや! 魔族は国に入れないだろう! それに、騎士の国は魔族に厳しいと聞く。悪目立ちするに決まってる!」
「いえいえ、手紙でのオーダーも出来ますし、使いにくければ交換も、郵送にて行なっておりますわ。私の屋敷から手紙で注文して、出来上がったら、国の外にお届けすればいいだけですから」
「······ケイトは優しいな。魔族を見ても、恐れたりしない。友達のように接してくれる」
リコリスの悲しげな笑顔に、私は胸が詰まった。
リコリスはすぐに表情を明るくすると、「どうして大会に?」と質問した。
私は『賞品が知り合いだから』なんて言えるはずもなく、「魔女が欲しくて」と返す。するとリコリスの表情が険しくなる。
「ケイトも、事情があるのか?」
「え、えぇ、まぁ。そんなとこですわ」
──言えない。知り合いが賞品だから、勝って助けないといけないなんて。
リコリスは腕を組むと、「そっか、ケイトもか」とうんうんと頷いた。
私はリコリスの事情が気になるが、聞けずに「はい」と返事をした。
「私も魔女が欲しいんだ」
「あ、そうですよね。滅多にいませんから」
「私はその魔女に、仲間の群れを探してもらいたいんだ」
「······リコリスさん、はぐれてしまったんですか?」
私がそう尋ねると、リコリスは目を細め、泣きたそうに笑う。
「──少し、襲われて。売られてしまったんだ」
予想以上に重い身の上話に私は胸が痛くなる。
リコリスは人が来ない森の中で眠っているところを奇襲された。仲間と一緒に戦って逃げたが、足を切られて走れなくなったところを捕まったという。
まるでナディアキスタが捕まった時のような話に、私は怒りが湧いてくる。リコリスは商人の国の国で買われて以降、主人の専属殺し屋として働かされているらしい。
「この大会に出たのも、魔女の力で多大な富を得たいという主人の欲だ。けど私は、魔女の力で主人と縁を切って、自由な大地を駆けたい。仲間と一緒に」
リコリスの切実な願いに、私は「叶うといいですね」としか返せなかった。
この大会は、場合によっては死ぬかもしれない。そうなれば、彼女の願いは志半ばで消えてしまうのだ。
無防備なところを襲われて、自由を奪われ、欲に振り回されて死ぬなんて、こんなにも哀れなことがあるだろうか。
食事を終えると、リコリスは「こんな時間か」と言って立ち上がる。
私はリコリスの背中についた焼印が、痛々しくてならなかった。
「食料を分けてくれて感謝する。これはお礼だ」
リコリスは私に、金貨を五枚渡す。私はそれを、押し返した。
「受け取れませんわ。それ、少ない手間賃を溜め込んだものでしょう?」
「でも、これは私の気持ちだ。怖がらなかった。気持ち悪がらなかった。それだけでも救われる。私のような魔族は、人間には珍しいから」
「いいえ、それでも受け取れません。取っておいてくださいな。もしお礼だというのなら」
私はリコリスにほほ笑みかける。
どうか、生きてくれと願いながら。自由になってくれと祈りながら。
「そのお金で騎士の国の弓を買って、使ってくださらない? カーボン製の弓は遠くまで飛びましてよ」
リコリスは笑うと、お金を鎧に入れる。私はリコリスと抱きしめ合って、お互いの健闘を祈った。
リコリスが控え室を去ると、私は不安になった。次の対戦相手が誰なのか。リコリスの対戦相手も気になってしまう。
私は剣を磨いて、対戦の時間まで待った。それでも不安は拭いきれない。
今、私に出来ることは、ただひたすら祈ることしかなかった。