51話 富の裏側
外に出たモーリスは、私の前を歩き、路地の奥へ奥へと進んでいく。私がいくら声をかけても、彼は振り返らなかった。
私は彼の後を追いながら、どこへ行くのか疑問に思った。ふと、モーリスは口を開く。
「······商人の国、ミモスナーリャはその名の通り、あらゆる商売で成り立つ国です。宝石、反物、食材、装飾品、家具に楽器、なんでもござれな国です。ここに来れば、欲しいもの全てが揃うとまで言われます」
分かりきったことを言うモーリスに、私は「だから何だ」と返す。モーリスは「全てが商売になる国ですから」と言って、路地を曲がった。
私はその後をついて行き、言葉を失った。
首に下げた値札。
逃げられないように繋がれた鎖。
体に刻まれた焼印が、じくじくと膿んでいる。
「魔物も、魔族も、獣人も、······人間も。この世に存在するもの全てが、ここでは『売り物』になるんです」
路地の遠くまで並んだ檻の中には、項垂れて生きることすら諦めた人間が詰め込まれていた。
私はその様子が信じられなくて、口を覆った。
吐き気がする。気分が悪い。頭がクラクラして、息が出来なくなりそうだ。
「侯爵様、気を乱さないでください。今の格好なら『買いつけ人』で通ります。どうか嫌悪を悟られないように。育ちがバレた途端、ここでは価値が生まれる。侯爵様ともなれば、五千万金貨はするでしょうね」
モーリスに脅され、私は息を深く吸い込む。
目の前にあるもの全てに、感情移入しないように、心を暗い暗い深淵へと落とし込む。
······そうでもしないと、私は泣きそうだったから。
「やぁやぁ、何をお買い求めですかな?」
路地を歩いていると、手前から太った男が現れて、手をモミモミしながら近づいてきた。モーリスは礼儀正しい態度を崩し、「見て分からないのか?」と男に話しかけた。
「買い物だよ。良いのが欲しい」
「ははぁ。旦那様のような男ともなれば、こういうのが良いんじゃないかい?」
男は檻の鍵を開けると、一人の女を引きずり出した。
髪を乱暴に掴み、涙目の女をモーリスの前に突き出す。女は悲鳴をあげないよう、歯を食いしばっていた。その様子は、同じ女として哀れでならない。
「この女はいいぞぉ〜? 静かだし、抵抗もしない。それに、あっちの方がかなり良い」
男はそう言うと、女の首筋を舐めた。女は嫌そうに、我慢して口を閉じている。きっと声を出したり嫌がると、殴られるのだ。私は彼女の体に、うっすらと打撲痕があるのを見逃さなかった。
汚らしい男に、私は首をはねないように深呼吸に意識を向ける。
モーリスは「要るかよ」と男のおすすめを断った。男は投げ捨てるように、女を檻に戻した。
「悪いが俺が買いに来たのはナマモノじゃない。風の噂で聞いたぞ。魔女を売ってるんだって? それはいくらで手に入る?」
モーリスがそう尋ねると、男は眉間にシワを寄せて「遅かったな」と言った。
「生憎だがもう売れちまってよ」
「はぁ!? 俺は魔女を買うために、はるばるこの国に来たんだぜ? 売ってねぇってどういう事だ!」
「まぁまぁ旦那様。落ち着いておくれや。いいこと教えてやる」
男はモーリスに耳打ちをする。私はその声に耳をそばだてた。
「三日後に、『屍の洞穴』で闘技大会があるんだわ。そこにここで取り扱った魔女とその弟子が、賞品になってる。その大会で優勝すれば、その魔女は旦那様のモンになるぜ」
モーリスは「ふぅん」と笑うと、「ならいいか」と申し込み方を聞く。
私はそれを聴きながら、「また大会か」とため息をついた。
前回の音楽コンテストよりは楽しそうだ。ピアノをしずしずと弾くだけの大会なんて、あくびが出るほどつまらなかった。
剣技なら私の領分だ。負ける気はしない。
「なぁ、お前さんは誰を買うんだ?」
私が考え事をしていると、後ろから別の男が私に話しかけてきた。
モーリスと話している男と違ってヒョロりと長く、出っ歯だ。
私は睨みつけるように「旦那様の護衛だ」と男を威嚇する。
「私は人を買いに来たんじゃない」
「そんなこと言うなよ。ほら、このガキなんてどうだ?」
男は檻から子供を引っ張り出した。
まだ腕の焼印の火傷が治っておらず、子供は火傷を思いきり掴まれて、悲鳴を上げた。
「うるさいんだよ! 酒代にもならない売りもんの分際で!」
「ぎゃん!」
子供の顔を殴り、男は私の前に突き出す。子供の鼻血の垂れる泣き顔が、より痛々しい。怯える子供を無理やり掴む男に、私は切れそうになった。
「どうだ? このガキ、身体は丈夫だぞ? いくら切りつけても死にゃあしない。それに内蔵だって新品だしな。今なら八歳の妹をつけて五銀貨だ。妹は食べ頃だぜぇ?」
「ってめぇ!!」
──頭に血が上る。深呼吸なんてしていられない。青筋立てた私が剣に手をかけようとすると、モーリスが剣を押えて止める。
「止めろ。この女は血の気が多い。ガキじゃ痛ぶる間もなく死んでるよ。悪いが魔女がいないんじゃあ用はねぇ。帰らせてもらうぜ」
モーリスがさっさと路地を離れる。私は男をもう一度睨んでモーリスの後ろをついて行った。
***
「······先ほどは大変申し訳ございませんでした」
商人の国、表通りの店で、私はモーリスに深々と頭を下げられる。テーブルに額を擦り付ける勢いで、モーリスは私に謝罪の言葉を連ねていく。
「侯爵様の前を歩いた罪、侯爵様に残酷なものを見せた罪、侯爵様を護衛扱いしたばかりか『この女』呼ばわりまで······いかなる罰も、甘んじて受けます。申し訳ございませんでした」
「いいや。私が勝手にそういう立場に回っただけだ。それに、私があの場で上手く立ち回れなかったのを、モーリスは察してくれた。だから謝るな。私は感謝してるんだから」
モーリスの頭を上げさせて、私はコーヒーを飲む。やっぱりオルテッドが淹れたコーヒーの方が美味い。
「······この国には、仕事で何度も訪れている。裏路地だって、巡回していた。なのに、アレは初めて見た」
人身売買が、あんな薄暗いところで、さも当たり前のように行われている。騎士団で何度も巡回し、裏取引に目を光らせていたつもりなのに。所詮は『つもり』だったのか。
幼い子供から、まだ若い女、年寄りまでが値札を下げて檻の中で生きることを諦めている。
「──あんなの、生命への冒涜だろ」
自由も、労働力も、年齢も残りの寿命すら、ここでは『売り物』に成りうるのか。性別も、能力も、内蔵も、全てが。
そう思うと、堪えていた涙も零れて止まらなくなる。
モーリスはハンカチを差し出した。私は袖で涙を拭う。モーリスは黙ってハンカチをポケットに戻し、沈んだ表情で外を眺めた。
「──例の『屍の洞穴』は、商人の国の北のはずれにあります。そこで闘技大会があるのなら、おそらく既に魔女様たちは運び込まれているでしょう」
モーリスはそう言うと、私に「どうしますか?」と尋ねる。私は鼻をすすると、「決まってる」と返した。
「連れ戻すぞ。今夜中に」
コーヒーを飲み干し、私は剣を持って席を立つ。モーリスは「さすがです」と言って、私の後ろをついて歩いた。