48話 緊急事態発生
──一体、何が起きたのだろうか。
私は目の前の光景に、目を見開き、口をパクパクさせるばかりで、咄嗟に動けなかった。騎士として、何度も見ている光景。だが、『ここは絶対に有り得ない』と思っていた。今は、どうしてそんな風に思い込んでしまったのか、悔やんでも悔やみきれない。
騎士として注意を怠ってしまった自分に腹が立つ。領地の管理が不十分だった。だから、こんなにも簡単に、平穏が奪われてしまったのだ。
······魔女の森が、めちゃくちゃになっていた。
家は焼け落ち、畑は荒らされ、馬の足跡がくっきりと残っている。無事な民家も指で数えられるほどしかないし、せっかく採れた収穫物は食い荒らしたり、弄んだ跡がある。
領民は怪我をしていて、意識不明の重傷者もいた。あまり上手とは言えない手当てで、何とか保たれている命に、泣きそうになってくる。
モーリスは森の様子に青ざめていて、息が出来なくなっていた。
***
「侯爵様! 起きて下さい! 森の様子がおかしいんです!」
朝早くにモーリスに起こされ、慌てて外に出てみると、森から黒煙が狼煙のように細くたなびく。それは一つではなく、いくつも空に伸びていた。
私が慌てて剣を片手に森へ走ると、前まで私をはね返していた透明な膜が消えていた。
······張られていた結界が壊されていたのだ。
私は剣を抜いたまま森に入ると、領地を守る銀のリボンが切り落とされていた。さらに進むと、ナディアキスタのボロ屋が丸ごと壊されていて、家の中も荒らされていた。
ナディアキスタの小屋の跡地から領地に向かうと、今目にしている惨状で、私は息をすることすら忘れていた。
まだ消火が済んでいない家もある。領民たちは皆、どこに行くべきか、どうするべきかも分からずに狼狽えている。
困惑の騒ぎの中で、メイヴィスを見つけた。私はメイヴィスを呼び止めると、彼女は振り返って、私を見るなりボロボロと泣き出して、強めに抱きついた。
「ケイト様どうしよう······にっ、にぃさんが、兄さんが〜〜〜」
「メイヴィス落ち着いてくれ。モーリス、姉君を頼むぞ。今はお前が頼りだからな」
モーリスにメイヴィスを任せ、私は動ける領民を集める。
ざっと見た限り、無事なのは教会くらいだ。流石の無作法者も、神聖な場所は犯せなかったか。
「魔女の森の民よ! 突然の事で狼狽え、怯える気持ちはよく分かる! だが今一時だけその気持ちを堪えてくれ!」
私は大きな声で彼らに呼びかけた。
質問攻めになる前に、私は今すべきことを説明する。
「今は火事の処理と怪我人の治療が最優先だ! 無事な男性の方々は力仕事を頼みたい! 消火作業と怪我人を運ぶことだ! 怪我人は教会に集めて治療を! 動ける人は辛いだろうが、自力で教会に向かってくれ! もし手当ての心得がある者がいれば、教会に行って応急処置を頼む! 女性の方々は老人や子供たちを集めて一人も欠けていないか確認してくれ。確認が終わったら、ありったけの食糧をかき集めて炊き出しを頼む」
領民に指示を出し、私は怪我人の運搬を手伝う。
教会に運び終えると、駆けつけた若い女たちに応急処置の仕方を教え、軽傷人の手当てを任せる。
私は一度外に出て、モーリスと泣き止んだメイヴィスに「協力して欲しい」と消火を頼んだ。
モーリスは的確な指示を出しながら、バケツリレーの要領で消化作業を進める。メイヴィスも、避難誘導をしながら鎮火していない家に男たちを連れて駆け回った。
私は教会の中で重傷者の手当てをする。
痛みに呻く人達の中には、子供もいた。痛みに耐えられず、すすり泣く子供に私は「大丈夫だから」と優しく声をかける。
傷を縫いたくても、医療従事者以外の縫合は禁止だ。とにかく傷口を圧迫して止血をする。
清潔な白いガーゼはすぐに赤く染まる。止血なんて、気休め程度にしかならなかった。
痛みに叫ぶ患者は暴れ、女の顔を殴ったり、私の脇腹を蹴ったりする。私は「頑張れ」と声をかけながら、傷口を圧迫し続けた。
領地の火事、食糧の確保、怪我人の処置、避難所の設置······やることは沢山ある。だが、いきなり起こった悲劇に、一人で対応しきれるだろうか。モーリスやメイヴィスがいるとしても、さすがに一人では無理だ。
いくつもの指示を出す必要があるのに、動ける領民の数が少なすぎる。
「落ち着け私。落ち着けぇー······。まずは応急処置をして、モーリスに医者を手配してもらう。終わったら消火作業に加わって、鎮火したら食糧の確保。メイヴィスに子供たちの相手を頼んで······しばらくの食糧の流通経路を確保して、知り合いに貿易商がいたな。あと、何だ? 家、そう······」
少ない人数で、いかに早く復旧に移るかを考えていると、メイヴィスが「ケイト様」と声をかけた。
「代わるよ。あたしも手当ては出来るからねぇ」
「助かる。今、食糧や医者の手配をしてこよう」
「いいや、ケイト様には兄さんの救出を頼む。あたしには出来ないから」
そういえば、メイヴィスはナディアキスタがどうこうと言っていた。
救出? 連れていかれたのか? 誰が何の為に······──
「メイヴィス、連れていかれたのはナディアキスタだけか?」
「······いいや、オルテッドさんも見てないんだ。だから、オルテッドさんも一緒かもしれない」
「オルテッドもか。分かった」
私は外に出ると、領地内の足跡を観察して回る。
足跡は新しい。馬が何頭も駆け回った跡だ。車輪の跡もある。だが一台だけのようだ。何かを探し回るようにあちこち駆け、見つけたようだ。車輪のへこみがわずかに変わる。
私はその場所で顔を上げた。
「──あぁ」
底が空を向いた鍋と、木に掛けてあるローブがあった。鍋の中身は全て零れ、草花を枯らせている。ローブは少し濡れていて、洗濯したような香りがした。
ローブの内側にある、格好悪いポケットには見覚えがある。
「──無防備な所を襲われたのか」
きっとナディアキスタは新しい魔法薬を作っていたのだ。ローブは洗っていたから羽織れず、傍にかけて道具を取り出せるようにしていた。だから木にかけたまま、放ったらかしになっているのだ。
メイヴィスはオルテッドもいない、と言っていた。ならオルテッドは、ナディアキスタの傍にいたのだろう。──巻き添えを喰らったのか。
「メイヴィス! 領民の手当てが終わったら食糧の供給を! 寝床は無事な家を探し、住民の許可を得て確保を! 何なら私の屋敷を使ってもいい!」
「あいよ! 任せなぁ!」
「モーリスは食糧や毛布などの物資の確保! 流通経路を押さえておいてくれ! 知り合いに貿易商がいる。恩をがっっっっつり売ってあるから、こき使えるぞ!」
「は、はい。承知しました。侯爵様はどちらへ?」
「騎士団から馬を借りる。団の馬は早馬ばかりだから、今から追えばナディアキスタに追いつける」
私は二人に指示を出すと、森を抜けて国へ戻った。
今まで1番早く走れた気がする。今なら何にでも勝てる。それくらいの力が沸き上がる。
私は国が目覚める前に、城に駆け込んだ。
***
「エル! 馬を貸してくれ!」
騎士団長専用の執務室。
私がそこに駆け込むと、エリオットは曇った表情で出迎えた。
「おはよう、ケイティ。まだ休暇は明けてないはずだよね」
「挨拶はいい。早く馬を貸してくれ! 副団長が団の馬を使用する時は、お前の許可が無いと使えない! 早く!」
「挨拶もまともにする時間がないのか。······何に使うのかな?」
「ナディアキスタが連れ去られた! 彼の『弟』も一緒かもしれない! 早くしてくれ、間に合わなくなる!」
「ナディアキスタ殿は魔女だろう? なら、許可は出せない」
「『魔女を助けるため』の使用許可は出せないだ? 何の為の騎士だ! 人を助くためにあるのに、魔女は論外か!?」
「あまり大きな声を出すな。魔女がいると知ったら、ケイティが魔女の関係者だってバレたら大問題だ! 団内で片付くことじゃない! 皇帝すらも巻き込むことになるんだよ!」
エリオットは神妙な面で頬杖をつく。エリオットの言い分はもっともだ。皇帝にまで話がいけば、私は尋問を受けることになり、最悪家族同様斬首刑になる。
しかし、私には物憂げな彼を説得している時間はない。でも、納得させなければ馬は使えない。
「エル頼む。領地が襲われた。彼らは無防備な所を叩かれたんだ。人の命がかかってる」
「君は魔女の森を助けると?」
「ああ。お前がどう思っていようが、彼らは魔女の領民で、私の領民だ。彼らはナディアキスタがいないと、常に危険に晒されることになるんだ」
「君は騎士だろ。君が守ればいい」
「守るために馬を貸せって言ってんだよ! 分かるだろ!」
エリオットを説得しようにも、エリオットは頑なに首を縦に振らない。
私は剣を床に捨てると、エリオットに深く頭を下げた。
「······馬を貸してください。団長殿」
私のかしこまった態度に、エリオットは少しびっくりしている。
「け、ケイティ······」
「私は魔女を庇っている。懲戒処分でも、皇帝に報告して死刑にするでもいい。だがそれら全部、後にしてくれ。エルにとって、彼がいかに残虐な魔女だろうと、彼らがナディアキスタに加担する、道を誤った人間たちだろうとも、私にはナディアキスタもその領民も含めて全部、守るべき人間なんだ」
「ケイティ、顔を上げてよ。俺はそんなつもりじゃ······」
「お願いします。高潔なる騎士の鑑、ムールアルマの聖剣。首を斬られる覚悟は、いつでも出来ているので」
私は、ナディアキスタを助けるためなら何でもしよう。
彼が助けた人たちを、彼を助けたい人たちを、全て守るためなら。何だってする。
私の覚悟に、エリオットは少し間を置いてため息をついた。
机の引き出しからゴソゴソと書類を出すと、羽根ペンの先にインクをつける。
「ケイティはあと二ヶ月の休暇があったね。その分を取りに来たんだよね」
「は? 茶化してんのか?」
「馬を借りるのは、『休暇中の乗馬訓練及び狩猟の為』でしょ?」
エリオットはそう言いながら、馬の貸し出し許可と休暇申請を同時にする。私はポカンとしてその様子を眺めた。
「······騎士が休暇中に馬を借りるのは珍しくない。乗馬の腕が鈍ると困るし、狩猟は国の貴族の嗜みだから。誰にも疑われない。そうでしょ?」
「エリオット、いいのか?」
「正直言うと、俺はまだ迷ってるんだ。でも、君は真っ直ぐだ。捨て身で俺に向かってきた。他人の為に、魔女の為に、自分の全てを投げ打つ覚悟を、高潔を言わずして何になるんだい」
エリオットは申請書に『承諾』のハンコを押す。貸出中の札を私に手渡した。
「騎士団の馬の中で、一番速い馬を申請した。休暇いっぱい申請してあるから、好きに使って」
「ありがとう。騎士に栄光あれ!」
私は札を受け取り馬屋に走る。
エリオットは自分の足元に隠した資料に、視線を落とした。
***
馬屋の奥、柱に札をかけ、私は赤い毛並みの馬に声をかける。
「おいで赤小梅!」
私の呼び掛けに、馬はさっと駆け寄ってくる。嬉しそうに鳴く赤小梅を撫で、私は赤小梅を馬屋から出す。素早く手綱をつけて、「頼むよ」と額を寄せた。
さっとその場で飛び乗ると、赤小梅は大きく嘶き、国の中に飛び出していく。馬の蹄が石畳に心地よく響いた。
私は冷たい風を浴びながら手綱を強く握る。ナディアキスタとオルテッドの無事を祈りながら、門を抜けた。