46話 無知は魔女の怒りを買う
私たちを称える拍手が鳴り止まないうちに、怒号が響いた。
「おかしいじゃない! 何であの女が優勝するのよ! 不当な審査だわ!」
そう声を荒らげたのは、案の定フィオナだった。彼女は貴族たちの輪を押しのけて前に出ると、私に指を差した。
審査をした音楽家の三人が、「ちゃんと基準に沿って審査した」「何も不当ではない」と弁明するが、フィオナは納得がいかない。
「絶対におかしい」「こんな女が優勝するはずない」と喚き、周りも騒然とする。
フィオナの目も当てられない態度に、私は優しく諭す。
「落ち着きなさい。結果は結果。あなたが望むものだろうと、望まないものだろうと、決まったことですのよ」
「分かった! 賄賂を渡したんでしょ! 審査員にいくら渡したの!?」
「一銅貨足りとも渡していませんわ」
「じゃあ色仕掛け!? あんた、そういうことしてそうだもんねぇ」
フィオナの態度に、周りは唖然とする。長いこと耐えてきたが、私もそろそろ限界を迎えていた。
エリオットが「いい加減にしろ!」とフィオナを叱ると、「何よあなたまで!」と逆上する。
「だいたいあなたがこの女に騙されるのがいけないんでしょ! 私が守ってあげてるの! それとも何!? 私の顔に傷をつけたくせに責任も取らないでこの女と一緒になる気!?」
「違う! だが、友人を馬鹿にされて黙っているわけない!」
私はようやくエリオットが婚約した理由を知った。
顔に傷をつけたなら、責任をとる必要がある。だが、私が今見ているフィオナの顔はどう見ても薄化粧。大きな傷をつけたとして、薄い化粧で誤魔化せるはずがない。
(──エルは騙されたのだろうな。男に化粧の知識がなくて当たり前だ。言いくるめられたのか)
そこまで察したのはいい。が、私にはその嘘を証明する方法がない。それに、彼女は『重大発表がある』とお茶会の席で言っていた。
前々からエリオットが婚約しているのを知っている身としては、『結婚の日取りが決まりました』報告するつもりなのも何となく分かる。
「それに、私たちはもうすぐ結婚するの! いい加減目を覚ましてちょうだい! 私を捨てるなんて許さないからね!」
フィオナはそう捲し立ててエリオットを黙らせる。
周りの貴族たちも、「それなら理解出来る」とか「あの令嬢が悪いのか」と囁き納得し始める。
エリオットは困った表情で口を結んでいた。私は助け舟が出せない状況に、拳を強く握る。
「その件について、俺様の口から言わねばならんことがある。まずはせっかちな人間共のために結論から言おう。『エリオット・カーネリアムに責任婚約の義務は無い』」
ナディアキスタの声が、ひそひそと聞こえる声をかき消して響く。
エリオットは目を丸くしていた。私も「えっ」と声が漏れる。
「まずは婚約に至るまでの道筋を確認しよう。会議のためにアルフェンニアを訪れたエリオットが、うっかり馬車で道の石を弾いてしまう。それをたまたま歩いていたフィオナの顔に当たり、流血騒ぎを起こした。
顔に作った傷の責任を取るために、エリオットはフィオナと婚約をする。間違いないな?」
「あ、ああ。そうだよ」
「周りには会議のために集まった者たちが乗った馬車が多く通り、道が割れていたと言っていたな」
「ああ。そうだね」
ナディアキスタはそう言うと「ならば問おう!」と声を張り上げる。
「自分の馬車が石を跳ねた瞬間を見たのか?」
ナディアキスタの問いかけに、エリオットは首を横に振った。
ナディアキスタはさらに問いかける。
「フィオナの顔に当たった石を確認したか?」
「いいや。彼女の傷の方が大事だったから」
「フィオナの傷口を見たか?」
「いいや。『殿方に傷を見せたくない』って、顔を背けられてしまったから。家まで送ったあと、大きな包帯をしていたから、相当大きいとは思ったかな」
「どうして地面が割れていると?」
「彼女の身を案じている時に、彼女の母親が『馬車が沢山通ったから、道が割れたのね』と」
「総じて彼女の傷の審議も、原因がエリオットにあるかも分からん! よって『不必要な責任』と断言出来る」
ナディアキスタがそう宣言すると、一気にどよめきが怒る。
フィオナは「バカじゃないの!?」と顔を真っ赤にして怒った。
「私はホントに顔に怪我したのよ! なのに、何で嘘って言われなきゃいけないの! 嘘つきはあんたよ!」
「いいや、俺様はきちんと確かめた」
ナディアキスタはそう言って、近くの窓に近づくと、バイオリンを弾き始める。半音の『ファ』が等間隔で鳴らされる。私は最初意味が分からなかったが、ナディアキスタが『音でも呪いを作れる』と言ったことを思い出す。
ナディアキスタは聞いたことの無い音楽を奏でる。窓ガラスは反響するようにカタカタと揺れて、うっすらと曇っていく。
真っ白に曇ると何かの映像が浮かんできた。貴族たちも窓ガラスに集まってくる。
馬車が沢山走る。賑やかな広場の近くで、フィオナとその母親がニコニコしながら歩いていた。
馬車を品定めするようにゆっくり歩き、ひそひそと話す。
「······なんで貴族なのに、馬車に乗ってないんだ?」
会場にいた一人の男が、不自然な点に気がつく。周りも「たしかに」「男爵でも貴族よね」と話し始めた。
二頭立ての馬車が国に入ってくると、フィオナはそそくさとビー玉くらいの赤い液体の入った物を出した。
そして、二頭立ての馬車が広場を通った時──
『いたぁい!!』
フィオナがそう叫んで地面に転ぶフリをする。
持っていた赤いそれを額に当てて割り、血が出る演出をした。一台だけ馬車が止まり、そこからエリオットが飛び出した。
『大丈夫ですか!?』
『うぅ、石が······』
『石!? それは大変だ! 傷を見せて······』
『いやっ! 殿方に傷を見せたくないわ! 恥ずかしいもの!』
『ですが······』
『いいんですよ。今ちょうど、馬車が多く走っているものですから、地面が割れてしまったんでしょう』
『あなたが傷つけても仕方ないわ。事故だもの』
その後、エリオットが『自宅まで送らせてくれ』と申し出る。馬車に乗るまでのところで、映像が終わっていた。
ナディアキスタはフィオナを、睨むように見た。
「それで? ──言い訳を聞こうか」
フィオナは赤いのか青いのか分からない顔でプルプル震えていた。
エリオットは「騙したのか」とフィオナを問い詰める。フィオナは「騙してない!」と声を荒らげる。
「こんなの嘘よ! 魔法なんて使ったところで、私が嘘ついた証拠にならないわ!」
「いいや。残念ながら、この呪いは事実以外は映さない」
「この男っ! 詐欺師よ! 私を嵌めようとしてるわ!」
「いいえ。彼は傲慢だし偉そうにしますが、嘘はつきませんわ。私は彼をよく知っていますので」
「あんたもグルなのね! ケイトも一緒につまみ出して!」
「大方『成金貴族』から脱却するために、自分より身分の高い男を捕まえる策を講じたのだろう。浅はかな脳みそでそこまで考えるとは。まぁ卑劣だが、空っぽの頭にしては上出来じゃないか? 良かったな」
「まぁまぁ上手くいったようですが、残念ですね。あら? 私としたことが、重大発表とは何でしたかしら?」
私はそうとぼけて、エリオットに向かってウインクする。
エリオットは私の意図を汲み取り、怒りを露わにすると「フィオナ・コリンズ」と、全員に聞こえるように言った。
「君との婚約を解消する」
エリオットの表情は、今までで一番晴れやかだった。
婚約破棄を言い渡されたフィオナは「ありえない」と呟くと、頭を掻き乱して発狂する。
何を言っているのか分からない声で叫ぶと、私の方を睨んだ。
エリオットの婚約者でもなんでもない。ただのフィオナになった時、私も「あぁもう、我慢しなくていいな」と気持ちが軽くなった。
「あんたのせいよ! あんたがエリオットを誑かすから! こんな男をつれてくるから! 私の人生がパァよ! なんて事してくれるの!」
「えぇ? 勝手に浮かれて、勝手に威張って、勝手に自滅したのは全部、あなたのせいではなくって?」
私がこてん、と首を傾げると、フィオナは近くにあったナイフを握って、私に突進してくる。
令嬢たちが悲鳴をあげた。私はフィオナを鼻で笑う。
騎士の国の女相手に、ナイフ一本で何が出来るのやら。
──随分と舐められたものだな。私は騎士だぞ? 私を倒したければ、軍隊を作り上げてから来い!
ナイフが腹に向かって突き進んでくる。私はフィオナの手首を手刀で叩き、ナイフを落とす。無防備になった腕を掴んで、彼女の背中側に回し、膝裏を蹴り飛ばして曲がった背中に膝を乗せる。
そのまま体重をかけて、フィオナを地面に押し付けた。
「痛っ! 何するのよ! この私に向かって!」
「『この私に向かって』、ナイフを向けるとは何様だよてめぇは」
私の低い声に、フィオナは小さく悲鳴を上げる。
「お前がエリオットの婚約者だったから大人しくしてやっていたが、破棄された今、私が我慢する理由もない。つーかさぁ、『侯爵』が『男爵』よりも爵位高いの知ってんだろ? なんで婚約の状態で自分が偉いと勘違いした? エリオットと結婚するからいいとでも思ったのか? ん?」
私が殺意を滲ませながら問いかけると、フィオナは言い訳も出来ないくらい怯えていた。
「礼儀作法も出来ない。敬語も使えない。基礎すら出来ないクソッタレ男爵令嬢。自分勝手に振舞って、婚約者を免罪符にするのは楽しかったなぁ?」
私はフィオナから手を離した。
フィオナは拘束が解けた瞬間、私に飛びかかってくるが、私に頬をビンタされてまた床に戻った。
「無礼者。侯爵を相手に喧嘩を売るとは何事か。恥を知れ」
私はフィオナを見下ろした。
フィオナは「私は被害者よ!」と色々喚くが、誰も彼女の味方をしない。
皆冷たい目でフィオナを見下ろし、「恥知らず」「傲慢な女だ」「これだから成金は」と囁き合う。
フィオナはプルプル震え、ナディアキスタを睨むと「この悪徳詐欺師!」と叫ぶ。
「あんたがいなければ! 私は幸せになれたのに!」
ナディアキスタは反省する素振りのないフィオナに、怒りを露にした。
「貴様が俺様の物を横取りしなければ、俺様は何もせずに済んだ! 人のものを横取りした挙句、勝手に賞品にするとは何たる横暴さ! 無知の極み! その上この俺様を詐欺師扱いしたな!」
ナディアキスタが懐から小さな瓶を出した。
私は本能で危険を察知する。エリオットも全身の毛が逆立つ感覚に身構えた。
「汝! 悪戯に人を振り回す者よ! 魔女の怒りを知れ! 魔女の呪いを受けよ! その身が朽ち果てるまで、心の臓を貫く痛みに、苦しみ喘ぐがいい!」
ナディアキスタはフィオナにそれをぶつける。
周りが「今『魔女』って言った!?」と騒ぐ間もなく、フィオナの体に、茨が巻きついた。
「いやっ! 痛い! 痛い痛い痛い痛い! 痛いぃぃい! だ、誰かぁ! 誰か助けて! 痛い! 痛いよぉぉおぉおぉぉぉお!」
フィオナは泣き叫ぶが腕も伸ばせないし、足も伸ばせない。
招かれた貴族や音楽家は悲鳴を上げて逃げ出し、フィオナはそこに取り残されていた。フィオナの全身に茨のタトゥーのような痣が浮き上がる。
茨はフィオナだけでなく、会場全体へと伸びていく。
私はナディアキスタを担ぎ、騒乱のどさくさに紛れて外に出た。
貴族たちの悲鳴に混じり、『魔女が出た!』と既に騒がれ始めていた。
私たちは宿屋に戻り、荷物を持って国の外に走った。
外に出ると、ナディアキスタはガラスの馬を出す。
私たちは慌てるように、鉱山の国を去る。国を離れても、悲鳴がまだ聞こえてくる。
ナディアキスタはまだ怒っていた。私は後ろを振り向かずに、馬を走らせた。とにかく今は、一刻も早く鉱山の国を離れたかった。