45話 呼吸を合わせよう
夜中になると、ナディアキスタがベッドを抜け出すようになった。
それも、きっかり十二時に。
それが三日も続くと、さすがに不思議に思う。
私は寝たフリをして、ナディアキスタが部屋を出ていくのを待つ。
きっかり十二時になり、ナディアキスタは音を立てないように部屋を出ていく。
私はナディアキスタが出てから五分待ち、彼の後を追う。
五分も経てば、彼がどこに行ったか分からないだろう。······と、思っていたが案外簡単に見つかった。
ナディアキスタは広場にいた。
地面に手をついてみたり、何かの後を見ながらうろうろ歩き回ったり、かなり不審な動きをする。
ポンプ式の香水瓶を出すと、辺りにポフポフと桃色の香水を撒いて、それをじっと見つめる。
そしてまた、どこかへフラフラと歩いていくと、何かを見つけたように笑い始めた。
──気持ち悪い。
私は呆れて部屋に戻った。
***
「······握力が上がった」
「肩と腕が異様に強くなった気がする」
ナディアキスタと音楽で競い合い、引き分けのまま迎えた音楽祭当日。
朝一番に宿屋の主人が私たちに手紙を渡した。差出人はもちろんエリオットで、今日の音楽祭の招待状だった。
ナディアキスタは手紙を見ると、ふん、と鼻を鳴らす。
「手紙の端がクシャクシャで、男物の香水の匂いが強く残っている。おそらく渡すつもりはあったが、渋っていたのだろう。もしくはタイミングが掴めなかったんだな」
「推測はいい。早く行くぞ。宝石が待ってる」
ナディアキスタは『無名の音楽家』の変装をして、私はナディアキスタの呪いで作られた青いドレスに身を包む。
ナディアキスタにヘアアレンジもしてもらい、『令嬢らしい』装いになっていた。
会場の入口で招待状を渡し、ホールへと入っていく。
立食式のパーティーに、宝石を飾った貴族たちが自慢話を語り合う。
ホールにあるステージの上では、音楽家がクラシックを演奏していた。
ナディアキスタはテーブルにある食事をじっと見ると、「不味そう」とボソッと呟く。
私はもう既につまらなくて「早く帰りたい」と思っていた。
「早くコンテスト始まらないかな。つまらん帰りたい」
「気持ちは分かる。俺様も用を済ませてさっさと帰りたい」
「つーかさ、音楽祭に『コンテスト』てなんの意味があんの?」
「たしかにな。馬鹿の考えは分からん」
文句しか出てこない二人に、エリオットは明るい表情で近づいてきた。
「やぁ、ケイト! 来てくれてありがとう」
「あぁ、カーネリアム侯爵。お招きいただきありがとう。楽しい一夜になりそうだな」
──嘘だ。ここに希望の石が無ければ帰りたい。
「ナディアキスタ殿も、どうか楽しんでくれ」
「ああ」
エリオットとナディアキスタが握手をしていると、フィオナが不機嫌な表情で近づいてくる。私はさっと『令嬢モード』に切り替え、ナディアキスタはフィオナを見ないようにする。
「私の婚約者に変なことしないでよ!」
突然言いがかりをつけられ、私は思わず「はぁ?」と睨む。ナディアキスタに小突かれ、すぐに表情を戻した。
「ただ挨拶をしただけですわ。貴族なら、そのくらいの礼儀は知ってらっしゃるでしょう?」
「嫌味な言い方。なんなの? この前もお茶会めちゃくちゃにしたし、私の事が嫌いなの?」
「フィオナ! そんな言い方は無いだろう! この方は俺の友人なんだぞ」
「そんなの私が知ることじゃないわ! コンテストに参加するんだっけ? 参加賞もらったらさっさと帰ってよね」
「こら!」
「カーネリアム侯爵、そう目くじらを立てることありませんわ。せっかくのパーティーですし、あまり怒らない方が良くてよ?」
「偉っそうに。エリオットと同じ爵位だからって威張らないでよね!」
フィオナはそう言うと、舌を出して挑発する。私はにこやかに見守り、彼女がエリオットを連れて遠くに行くまで待った。
フィオナが視界からいなくなった後、私は思いっきり舌打ちをした。
「打首にしてやりてぇな······」
「やめろ。落ち着け。ほら、サラダ食ってろ。気持ちを落ち着かせる薬草が入ってるぞ」
ナディアキスタにサラダを盛られ、私はフォークで野菜を突き刺す。無言でもりもりとサラダを食べる私に、ナディアキスタはそっと、サラダの上にローストビーフを置いた。
***
貴族のつまらない会話に巻き込まれ、あくびが出るような演奏を聞かされる。音楽祭も中盤に差し掛かると、ようやくコンテストが開かれた。
どうでもいい演奏が続き、音楽家三人が評価を下す。
私は少しうたた寝しながら順番を待った。フィオナの差し金か、単なる偶然か、私とナディアキスタは一番最後に演奏することになった。
ナディアキスタはステージに上がると、最後のバイオリンの調弦をする。私も、ピアノの音を確かめた。
ナディアキスタは私に目配せをする。
『俺様に合わせろよ』
そう言っているような目に、私は腹が立った。
沈黙が続く。皆が今か今かと演奏を待つ。
私とナディアキスタはお互いの呼吸に耳を澄ませる。湖に落ちた雫の音を、聞き取ろうとするように。
───ピアノとバイオリンが、力強く音を奏でる。
一瞬で、その場にいる全ての人を引き込んだ。
山を流れる川のように激しく、春に吹く風のように柔らかい音が、自由な獣のように駆けていく。
ナディアキスタは私の方を見ると、ビブラートを目立たせる。
(もっと荒めにしろ!)
私は勝手に彼の命令を想像すると、頭にきて変調する。
(そこは豪快に弾くんだよバカ!)
ナディアキスタも怒ったような目付きでバイオリンを弾く。
(違う! ここは弱くしろ! それくらいも分からんのか!)
(だぁぁぁあ! そこは早く弾いてかっこよくするんだよ!)
(なんで今スタッカート入れた!? 演奏が台無しになっただろうが!)
(お前こそ! 今入れた半音が余計に汚くしだぞ!)
(あ、この辺りの弾き方はいいな)
(今の音、ちょっといい感じだったな)
喧嘩と和解を繰り返すような二重奏に、皆が聴き入っている。唯一エリオットが「喧嘩してるのかな?」と察していた。
余韻も残さず、キュッと切り落とすように曲が終わる。
私とナディアキスタは『ふざけんなよ』と睨み合いながら、ステージを降りた。
ひと息遅れて割れんばかりの拍手が響いた。
私たちは目を合わせ、『まぁ、いいか』と笑みを浮かべてお辞儀をする。
音楽家は「ブラボー!」と顔を赤くして興奮していた。
「あなた方の演奏はとても素晴らしい!」
「まるで表情を変える大河のように美しい!」
「文句なしの演奏だ! あなた達こそ、優勝に相応しい!」
満場一致で私とナディアキスタは優勝した。
ナディアキスタは賞品の『希望の石』を手に入れると、満更でもない表情で石を掲げる。
「良かったな。ナディアキスタ」
「ああ、ケイトも、いい演奏だったぞ」
「はっ、ようやく素直に褒められたな」
「俺様を追い越すには百年早いがな」
「その首洗っておけよ」
にこやかに笑いながら、私とナディアキスタは歓声に応じる。小声で喧嘩を挟みながら。
でも同じことを思っていた。
((音楽の違いもイメージも分からないなんて。鼻で笑うわ〜〜〜))
私とナディアキスタの演奏に、皆が満足する中で、ただ一人私たちの優勝を喜ばない人がいた。
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