44話 コンテストの準備 2
五十金貨のバイオリンを一つ買った。
ナディアキスタの的確なアドバイスと、エリオットのセンスで選ばれたバイオリンは、少し安いが良い音がする。
エリオットと別れた後、私とナディアキスタは植物園に向かった。国が所有する植物園は幾つかあるが、その中に『演奏可能』なものがある。そこは誰でも演奏出来るらしく、ナディアキスタも「ま、妥協点か」と言いつつ満足げだった。
入場料とは別に、演奏コーナーの使用料を支払い、番号のカードをもらう。割り振られた演奏コーナーに入ると、透明な防音空間で空調もしっかりしていた。
「凄いな。こんなのを作るなんて、どれだけ金がかかるやら」
「宝石が主な取引だ。嫌でも金は入ってくるだろう。しかし、植物園にしては種類が豊富だ。薬草も紛れている」
ナディアキスタはじっと植物を観察する。
すぐ離れ、グランドピアノの音を確認すると、私に尋ねた。
「さて、ピアノとバイオリン。ケイトはどちらが得意だ?」
「どっちも教育済みだ。ナディアキスタが先に選ぶといい」
「いいや。お互い得意な楽器を選んだ方がいい。少しでも苦手があれば、音色はすぐに歪む。そうなれば『美しい』音楽には程遠い」
「はぁ。そうだな、強いて言えばピアノが得意だ。指先の動きが鍛えられるし、集中力が続く」
「それなら良かった。俺様はバイオリンの方が得意だからな」
そう言うと、ナディアキスタはバイオリンのケースを開けて、バイオリンの調弦を始めた。
私も調弦の手伝いをして、ナディアキスタの演奏を聴く。
得意だ、と言うのは嘘ではないらしい。
ナディアキスタが弾き始めたのはクラシックのバイオリンソロだ。その曲は『バイオリンの技術が高くないと、曲全体がダメになる』と言われる難関曲で、バイオリン奏者が一番嫌がる曲なのだ。
曲の緩急、音符の上がり下がりの丁寧さも申し分ない。盛り上がりの激しさも、曲の中で最も高い音も綺麗に響かせる。
文句のつけようもない演奏の後、ナディアキスタは「鈍ったな」とぼやく。
私は演奏の素晴らしさよりも、そもそもナディアキスタが楽器を弾けたことに驚いていた。
それを正直に言うと、ナディアキスタは「馬鹿者め!」とぷんすか怒る。
「魔女は全ての職業の基礎となった存在だ。俺様が普段やってることも、後に占星術と呼ばれる占いになり、魔法薬や錬金術は化学へと発展した。楽器なんて、弾けて当たり前なんだぞ!」
「ああ、前にも言ってたな。だが、音楽家も魔女が元なんて、ちょっと信じられなくて」
「魔女の呪いは全て鍋で作るものではない。時に音として、時に香りとして変化することがある。音は特に使う。妖精族を呼び出したり、植物を咲かせたり、高波を起こし、嵐さえ呼ぶことも出来る。鍋で作れないものを音で作ることなんて容易いぞ。そうでなければ、人魚もセイレーンも存在しない」
魔物や魔族、そのほとんどが呪いに失敗した魔女の弟子たちだ。それはナディアキスタに教えてもらった。しかし、音を使った呪いで、どうやって魔物に変化するのだろう。
少し気になるがナディアキスタは「お前の演奏を聴かせろ」と、話を無理やり変える。
私は「はいはい」と、ちょっと不満げにピアノの鍵盤に指を置いた。
「まずは指慣らしに」
私は一番メジャーなクラシックを奏でる。
貴族たちが話す、『音楽といえばこれ』という曲だ。
たしか精霊がモデルだったはず。花園に棲う、風の精霊は歌と踊りが大好きで、花と戯れながら日々を過ごす。
風の精霊の春夏秋冬を表現した曲を一通り引き終えると、ナディアキスタは「ふん」と鼻を鳴らした。
「まぁ、ガサツなケイトにしては中々の腕じゃないか? 戦場を駆け回ってるとは思えない繊細な音使いだな。百点満点中、六十二点といったところか」
「褒めてねぇならはっきり言えクソ野郎。お前こそ、本人は傲慢なクセに謙遜した音を奏でてたじゃないか。『私はとても大人しいんですのよ』みたいな演奏しやがって。ゴリッゴリの自己中が」
「なっ! 俺様の超絶技巧のバイオリンを聴いてなんて態度だ! 『素晴らしい演奏だった』くらい言ってみろ!」
「言うかバーカ! 中身カッスカスの演奏しやがって!」
「か、カスカス······!? この俺様を侮辱するとは何たる不敬! お前こそ、取ってつけたようなお利口な演奏だったくせに!」
「はぁ!? 舐めるなよ! 私が本気出したら、文句の一つも出てこない完璧な演奏出来るんだからな!」
「はんっ! やれるものならやってみろ! この俺様を超えるような演奏が、お前に出来るとは思えんがな!」
『素直に褒める』、『気になるところを指摘する』、簡単なその二つすらまともに出来ない私たちは、競うように練習をした。
「今のは完璧だった」「今のはハンデだ」「ミスしたのがバレないと思っていたのか」「音が違うぞ。楽譜を読み直せ」······最初こそ口にしていたが、いつの間にか『いかに相手を音で黙らせるか』に変わり、お互い無言で睨み合いながら演奏を続ける。
指が痛くなっても止めなかった。自分の指の限界より、相手を打ち負かす方が大事だった。
とうとう閉館時間になり、管理人が私たちを呼びに来た。声をかけても聞こえない私たちの肩を叩き、「早く出ろ」と指で合図する。
ナディアキスタと私は息を切らせながら、「明日決着を」と一時休戦にする。植物園を追い出されるように出て、真っ暗な街をとぼとぼ歩く。
「あー、指が痛い······」
「軟弱者め。この程度の演奏で指が痛いなぞ、貴族の名が廃るぞ」
「うるさい。お前なんて右手でケース持てなくなってるじゃないか。痛くて力が入らないんだろ」
「左腕の力が有り余ってるだけだ」
「言い訳が苦しいわ。はぁ〜、手軽に食える物を買って帰ろうか」
「あの店の、美味しそうじゃないか?」
「あー、照り焼きチキンのロールサンドが食欲そそるなぁ」
「チーズとソーセージのサンドも気になるな。なぁケイト」
「そうだな。昼飯食べてないし、二つ買っちゃうか!」
喧嘩していたのも忘れて二人で店に吸い寄せられる。
二つ、と話し合っていたが、お店の人のおすすめに乗っかって三つもサンドイッチを平らげて帰路に着く。
流行りのドリンクを飲みながら宿に帰り、ナディアキスタはバイオリンの手入れをする。私は剣の手入れをしながら、お互いに落ち着いて、演奏の改善点と良かった点を話し合う。
「ケイトはもう少し荒々しく演奏していい」
「ナディアキスタはもっと主張した演奏をした方がいい」
手入れが終わると、その話し合いはすぐにヒートアップして、結局喧嘩に戻ってしまう。最終的に枕を投げ合い、「明日覚えてろよ!」と捨て台詞を吐いて一日を終える。
私はベッドの中でナディアキスタの演奏を思い出す。
技術の高さは然ることながら、優しく繊細な音色。だがどこか、泣いているように聞こえるそれが、彼の傲慢な態度や尊大な物言いとかけ離れていて、腹立たしかった。
「······泣くくらいなら、高飛車な態度を取ってろよ」
──そうだ。私は腹立たしかったのだ。
私は掛け布団を頭まで被る。ナディアキスタは私の独り言にキュッと口を結んだ。