43話 コンテストの準備
朝日が昇る。鉱山の国を少し離れた森で、私は地平線の彼方をじっと見つめる。
頭から被った血は、まだ滴っている。剣の先から垂れる一雫が、今しがた狩りとったナーガの首に落ちた。
今の私は、気高い騎士とは程遠い。血に飢えた獣で、まだ誰かの死を欲している。
剣を地面に突き刺して、私はようやく一息ついた。
討伐終了の証拠品が詰まった血生臭い袋を見下ろし、あぐらをかいて朝日が登りきるまで見届ける。
ベタつく髪が肩から垂れた時、私はようやく口を開いた。
「······ちょっと、狩りすぎたな」
引き受けた二十七件の依頼、最後の一つが終わったところだった。
***
討伐組合の看板娘の気遣いで、私は組合のシャワーを借りる。
りんごの香りのする石鹸で体の血を洗い落とし、ふわふわのタオルで引き締まった体を拭く。
血だらけの服を貰った紙袋に詰めて、組合から支給品のシャツとズボンをもらう。討伐依頼を受けるのが、ほとんど男性であるとの事で、貰った服は私には大きかった。
剣のベルトでズボンを留め、ワイシャツの袖をまくる。
長い髪を適当に束ねてシャワー室を出る。
組合のカウンターに行くと、看板娘がちょうど報酬の袋を用意し終えたところだった。
「あ、ケイティさんですね!」
「シャワーを貸してくれてありがとう。服まで用意してくれるなんてありがたい」
「いえいえ! 血だらけの姿でウチに来た時は驚きました!」
朝の六時。
組合のドアが開いた瞬間に、私はここに訪れた。
店のカウンターで依頼整理をしている彼女に、証拠品の入った袋と、入り切らなかったナーガの首を置いて、悲鳴を上げられた。
悲鳴を上げられて一時間が経つが、彼女はまだ私が怖いらしく、笑顔ではあるが、腰を引いて会話をしていた。
「報酬はどのくらいだ? あんまり怖がらせては悪い。血濡れの狩人は早めに退散しよう」
「あはは。もう怖くないですよっ! えーっと、鉄鼠の退治が三金貨八銀貨、窮鼠が二十三金貨、チョンチョンが一匹五銀貨で合計四十六匹、あとゴブリンが······」
看板娘は床につくほど長い詳細書を読み上げる。
頑張って読んでいたが、三分の一も読むと、さすがに口が疲れてくる。
私は「無理するな」と言って、合計金額を聞く。看板娘は表情が明るくなって、一番下の合計金額を読み上げた。
「討伐完了確認済み! 成功報酬は後処理ボーナスと早期依頼終了特典込みで、合計三百六十金貨九銀貨七銅貨です!」
持ち帰った袋と同じくらいの大きさの袋を渡され、私は彼女に微笑んで組合を出る。
銀行に寄って、半分以上を口座に預けてから宿に戻った。
音を立てないように部屋のドアを開けると、まだ眠るナディアキスタがすぅすぅと寝息を立てていた。
眠っていれば、私と同い年と言われても頷ける顔だ。いや少し幼い気もする。私が隣のベッドに報酬の入った袋と剣を置くと、ナディアキスタは「ンン···」と寝返りを打った。
首や腕に残った稲妻のような傷は、彼の執着や信念を表しているようだった。
でも傷はそれだけじゃない。シャツがめくれた背中には、火傷のあとのような傷もある。腰の当たりには、違う皮膚を繋ぎ合わせたような跡もある。足の裏にまで及ぶ古傷は、彼が今まで受けてきた仕打ち全てをきちんと残していた。
ナディアキスタは何十年も生きている。その間、彼は一体何を見て、何を感じ、何を思い、何を信じてきたのだろう。
あまりにも傲慢で、自信家で、他者を見下し自分勝手に振る舞う彼が、そうならざるを得なかった理由とは。弟たちが、そんな彼を慕う理由とは。
「傷が痛むことは無いぞ」
私がぼうっと考えに耽っていると、ナディアキスタがもぞもぞと動き出した。
「いつから起きてたんだ」
「お前が帰って来た時からだ。俺様も並外れて警戒心は強い」
「そうかよ。うるさくて悪かったな」
私は備え付けのコーヒーを淹れながら、話題を変えようとした。
ナディアキスタはベッドの上で胡座をかき、腕を組むと、話の続きをする。
「傷ごときに感傷もないし、痛みがぶり返すこともない。この傷をつけた奴らはとっくに死んだ。一人残らずな。全て自分の手で片付けた。自分でそうケジメをつけたなら、それはもうただの傷だ。傷跡以外の何物でもない」
ナディアキスタはコーヒーを受け取ると、「哀れむな」と言う。
私は「すまない」と謝って、コーヒーを飲む。
「不味いな」
「オルテッドの方が美味いに決まってる。あいつのコーヒーを飲むと、他のコーヒーは飲めなくなるぞ」
「ああ、今身に染みてるところだ。早く彼のコーヒーが飲みたいよ」
カップから揺らぐ煙が鼻先を温める。
ナディアキスタは傷を隠すようにシャツの襟を直した。
***
「音楽祭があるんだったな」
新鮮なレタスとカリカリのベーコン、両面を焼いた目玉焼きを挟んだ贅沢なサンドイッチを頬張りながら、私とナディアキスタは朝市で賑わう広場を歩く。
ナディアキスタは既に音楽祭に潜り込む作戦を立てていた。
「コンテストに参加して、優勝しなければ希望の石は手に入らない」
「ふん、たかが音楽の善し悪しで魔法道具を売り飛ばすとは。気に入らんな」
「物の価値なんて、その人によって高くも低くもなる」
「フィオナが言っていた音楽祭は、やはり貴族限定か?」
「鉱山の国の領地のあちこちに馬車が入っていくのを見かけた。貴族たちが別荘に来たっていうことは、そうだろうな」
ナディアキスタは少し悩ましげにサンドイッチにかぶりつく。私も少し考え事をする。
音楽祭に潜入は出来るだろう。だが問題は、コンテストにどうやって参加するか、だ。
参加が事前登録タイプなのか、当日自主参加タイプなのか、楽器の制限や音楽のジャンル、色々分からないことが多い。
「やぁケイティ! 朝の散歩かい?」
ふと前方からエリオットが姿を見せた。シャツにズボンをだけのラフな格好で、貴族に似つかわしくないサンダルを履いていた。
彼自身は平民に紛れ込んでいるつもりだろう。だが爽やかな笑顔と甘い声が、いやに女性の目を引く。身についた姿勢や歩き方、人との接し方で貴族の雰囲気を隠しきれていない。
ナディアキスタは心底嫌そうに、指についた半熟卵を舐めとっていた。
「こんな時間に奇遇だな。あっ、まーたそんなの食べて。ケイティは貴族だって意識が低いよ」
「別に構わないだろ。コース料理もジャンクフードも、栄養に変わりない。それより、お前は平民に紛れ込むならそれらしく振る舞え。悪目立ちしてるぞ」
「これでもかなり服装は近づけたんだけどな。そうだ、良かったら案内しようか? アルフェンニアにはよく来るし」
「いや、別に必要······」
私はエリオットの申し出を断ろうとした。が、ふと思い出す。
エリオットはフィオナの婚約者だ。つまり、音楽祭のこともコンテストの事も知っているはず。なら、参加条件も分かるはずだ。
「······頼んでもいいか? 私はあまり鉱山の国には来ないから」
私がそう言うと、エリオットの表情は明るくなり、ナディアキスタの表情は曇っていく。
ナディアキスタは私の脇を小突いて「おい」と『早く撤回しろ』アピールをしてくる。私は「使える駒は使う」とナディアキスタを置いて、エリオットの後ろをついて行った。
***
「音楽祭のコンテストかぁ。ケイトが興味を示すなんて珍しいな。ほら、いつも魔物の討伐に目を輝かせてるとこしか見ないから」
「ああ、賞品の宝石が欲しいんだ。知り合いの学者に調べてもらうのに」
「ああ、魔女の魔法道具だっていう石か。でもフィオナが持っていても、何ともなかったぞ?」
「効果よりも、どんな仕組みかが気になるだろう? なぁ、参加条件はあるのか?」
エリオットに街中を案内してもらいながら、私はコンテストの事を聞き出す。エリオットは「かなり自由だよ」と言った。
「楽器もジャンルも不問だし、飛び入り参加もオーケー! 一番美しい音色を奏でられたら勝ちだから」
「でも、私はフィオナに良く思われていない。彼女が審査員なら、きっと優勝は無理だろうな」
「いいや。フィオナは審査しない。音楽家を招いているから、彼らが判断する。そんなことを心配してたのか?」
「当たり前だろう」
エリオットは私の隣で何だか嬉しそうにしていた。
私がちらと後ろを見やると、ナディアキスタは「先行けほら」と手で合図する。
「おい、婚約者以外と肩を組むな」
「ごめん。ちょっと嬉しくて」
エリオットの手をつねり、私は彼を注意する。エリオットはそれも嬉しそうで、ずっとニコニコ笑っていた。私は不思議に思いつつも、音楽祭の潜入のための協力を仰ぐ。
「招待状を用意してもらえないか? 招待無しに参加するのは恥知らずだろう?」
「あ、ああそれは······」
エリオットがいきなり困り始めた。
音楽祭に来て欲しくないのか? 私が彼を問い詰めようとすると、ナディアキスタがいきなり袖を引っ張った。
「この楽器店にしよう。あちこち見て回ったが、ここが一番質が良さげだ」
「あ? お前楽器店選んでたのか」
「別にいいだろう。俺様たちは楽器が無いんだから、買うしかないじゃないか」
ナディアキスタに言われ、私は楽器店に入る。
ナディアキスタとエリオットが、外で何かを話していた。
さすがに何を言っているかまでは聞き取れないが、エリオットの表情が晴れていくのだけは分かった。ナディアキスタは一体、何を吹き込んだのだろうか。