41話 エリオットの訪問
重いドレスを脱ぎ捨て、ようやく身軽な格好になる。
ヒラヒラのスカートより、動きやすいズボン。ジャラジャラと不必要なアクセサリーより、いつでも命を狙える暗器。
──それらこそ、私だと実感出来る。私を私たらしめる全て。
「騎士最高〜〜〜っ!」
「お前、どっちかというと暗殺者に向いてるぞ」
ナディアキスタのハーブティーと、その辺の店で買ってきたジャンクフード。令嬢と騎士の二面性を両立させた夕食を囲みながら、椅子を後ろに傾ける。
ナディアキスタは私がさっきまでつけていたネックレスに、耳を当てながら夕食を頬張る。
分厚いベーコンと濃厚なチーズ。柔らかい牛肉のパテに、コショウと玉ねぎソースがよく絡む。
「ハンバーガーが美味しい。うふふふ。令嬢ってのは可哀想だな。こんな美味しいものを食べたことがないなんてさ!」
「ケイトの様子が変だ。そんなに茶会がつまらなかったのか」
ナディアキスタに言われるほど私のテンションは高い。
どうでもいい話を聞かされて、嫌いな女に馬鹿にされてティーカップ投げられて、何が楽しいと言えるのか。
このテンションなら熊くらい倒せそうだ。
「あー、この辺りって夜になるとナーガが出たな」
「狩るなよ」
「雌の腹の辺りの肉がな、柔らかいんだ。知ってるか? ナーガの肉は白っぽくてあっさりしてるんだ。あれを炙ってなぁ」
「あーうるさい! ダル絡みしてくるな! この狩り魔悪食剛腕お化け令嬢! 何のためにこの俺様が直々にハーブティーを淹れてやったと思ってるんだ!」
テーブルの下からナディアキスタの足が私の椅子を蹴る。
私はハンバーガーの最後のひと口を飲み込み、ハーブティーで押し流す。
「あー酒飲みてぇ」
「ダメだよ。ケイティはまだ未成年だからね」
「知ってるわクソボケエリオット」
少しの沈黙が流れる。
ナディアキスタがネックレスをエリオットに投げつけ、窓際に退く。
私は腰に隠したナイフを引き抜き、左手に毒針を隠す。
エリオットは何食わぬ顔でネックレスを跳ね飛ばし、私の一撃を片手で押さえつける。
手首を押さえつけるエリオットの力は、『さすが騎士団長』と称えられるほどに強い。
エリオットは空いた手で私の左手を掴むと、袖口に仕込んでいた毒針を全部奪い取る。
「あのさぁ、こっちは丸腰なんだけど。それを臨戦態勢で迎え撃つのが騎士なのか?」
「おう、根本的な話をしてやろう」
「俺様たちが殺意を向けるその理由を、お飾りの耳をほじって聞け」
「「人の部屋に侵入してくんな!!」」
「あっ、ごめん。簡単に鍵開いたから」
***
エリオットに椅子を譲り、私はベッドに腰掛ける。
エリオットは「フィオナがすまないことをした」と、最初に謝った。
「フィオナがケイティに喧嘩をふっかけたとか。俺の婚約者が悪いことをした」
「いいや、気にするな。買うだけ無駄な喧嘩だったし」
「それよりエリオット、お前は何故この宿に来た。俺様たちはお前に宿を教えてないし、ケイトがつけられるような真似はしないだろう」
「ケイトなら、隠れるなら目立つ所に隠れるだろうと思って。カラフルな宿の中で、一番派手なここに来てみたんだ」
「よく部屋教えてもらえたな。私は口止めしてたんだが」
「簡単だ。騎士団長特権使った」
「ケイト、殺せ」
「おう任せな」
「待て待て待て。大人の話し合いをしよう」
エリオットに肩を掴まれて、私はベッドに座らせられる。
エリオットは軽装の私をじっと見て、ナディアキスタをちらと見やる。そして不安そうに耳打ちをした。
「君の事だから、心配はしてないんだけど······襲われたりしないか?」
「俺様をっ! 何だと思ってるんだこの体格ゴリラ! 高貴にして純潔なこの俺様がっ! そんな地獄の底で後悔させてくるような女に、手を出すわけないだろうが! ケイトの返り討ちにあって死ね! 何かそれも勿体ない死に方だな! 魔物の餌になってしまえっ! 骨も残るな! 奈落の底にキスしてろ!」
「ケイティ。彼、情緒大丈夫か?」
「あれが通常運転だ。一応言うと、大人しい方だぞ」
怒り騒ぐナディアキスタを放っておいて、エリオットは自分の上着を脱ぐと、私に優しくかける。
柔らかく微笑んで、私の前に跪く。
「男の前であまり気楽な格好はしない方がいい。相手がいくら信頼出来る人でも、君は女性だ。いざ襲われたら、力の差を思い知ることになる」
エリオットはそう注意して、私の手の甲にキスを落とした。
「ムールアルマの守護女神。どうかあまり無防備になるな」
エリオットの気遣いに、私は条件反射で彼の顎を蹴り上げる。
上体がふわっと浮いて、エリオットは後ろに倒れた。
「あ、済まない。癖が出た」
「よっしゃ······ゴホンッ。ふん! 婚約者がいる身でケイトに手を出すからだ! グッジョブ······ゲフンゲフン」
喜びが隠しきれないナディアキスタは、後ろを向いてガッツポーズをする。
私は顎をさすって起き上がるエリオットの頑丈さに引きながら、「何で婚約してんだ?」とつい聞いてしまった。
「えっ? ケイティが気にするなんて珍しい」
「あれは気にならない方が不思議だ。そもそも、お前は私と同じ侯爵の地位を持つ。男爵ごときの女と婚約しても、メリットも何もないだろう」
「えっ······」
青ざめるエリオットを、私は更に追い込むように畳み掛ける。
「領地もない、ほとんどお飾りの爵位だ。大した功績も勲章もない。一代限りの成金貴族とさえ言われていたりする。婚約する必要性はおろか、侯爵と婚約出来る立場ですらない。親同士が決めた? でもお前の親が鉱山の国に知人がいたとは聞いてないぞ」
エリオットは口をキュッと結ぶと、「俺も知らない知り合いだった」と、逃げたいが為のような理由をつける。
私はエリオットの隠すような笑みが腹立たしくて、一つ助言を残していく。
「······女の方には、基本的に婚約破棄の権利はない。如何に嫌だろうと、『女側から断るのは恥』だと言われているからな。それでいて、婚約破棄を言い渡されると、次の婚約が出来ない。『欠陥品だから破棄された』と言われるからだ」
貴族の女は婚約一つにも制約が多い。
婚約破棄されたら、女は生涯独り身で生きる羽目になる。もちろん、自立する者もいるが、他人と結婚する話が出た瞬間、親族や知り合い貴族総出で叩かれる。
──だが、男は違う。
「男が婚約破棄しても、デメリットはほとんどない。親さえ説得出来れば、次の婚約者も選び放題だ。嫌なら切れ。剣を振り回す私たちが、縁を切れないなんてお笑い草だぞ」
私がそう言うと、エリオットは「知っているとも」と気の弱い返事をする。
私はその煮え切らない態度に腹を立て、武装して部屋を出ようとした。
「おい、ケイト。どこに行く」
「組合だ。この国の魔物退治は立候補制。騎士の国に回すまでもない依頼を個人に回すから、誰でもいつでも金稼ぎが出来る」
「ケイティ、騎士団は副業禁止だよ」
「騎士が魔物を討伐するんだ。これのどこが副業だよ。お前はそのもやしみたいな面下げて帰れ」
私はそう言い捨てて外に出ていった。エリオットは何か言いたげに手を伸ばしたが、私に触れることは無かった。ナディアキスタが神妙な面で私たちを見ていた。
少しだけ冷える夜に、鼻が赤くなる。
『討伐組合』の看板を掲げる店に入り、掲示板にあった依頼を片っ端から掴んでカウンターに叩きつける。
店内の隅で下品に笑っていた男たちが、討伐申請中の私に絡んできた。
「よう姉ちゃん! そんな細っこい体して魔物退治か?」
「この辺りで見ない女だなぁ。討伐は初めて? だったら最初は難易度低めの依頼から始めた方がいいよ」
「俺慣れてっからさ。分かんなかったら何でも聞いてよ。助けてあげれるし、俺そこそこ強いからさぁ」
ゲラゲラ笑う三人に、看板娘も「人数は?」と確認してくる。私は「一人だ」と言い切り、承認された依頼書を受け取る。
男たちは「つれないなぁ」だの「強がるなよ」だの、勝手な文句を言ってくる。
「そこは『やぁ〜ん、ありがとうございますぅ』って言うんだよ」
「無理して強がんなくってもいいからね? 男って強い女が好きなわけじゃないからね?」
「お姉さん、やっぱり四人にしてくれる? この子一人じゃさ、やっぱ危ないし。頼ってくれた方が、男は喜ぶんだよ。知らないようだから教えてあげるね」
男たちは店のドアを突き破って外に放り出された。私は神経を叩かれて動けない男たちを見下ろして低い声を出す。
「てめぇらを討伐して、その首てめぇの家に届けてやろうか」
短い脅しで男たちは地面に黄色い水たまりを作っていく。
私は男たちの内の一人を踏み台にして国の外に勇んで進む。
その後、朝日が昇るまで、私の雄叫びが野を駆けたのは言うまでもない。