35話 『弟』の店
私とナディアキスタは騎士の国を歩く。
石畳の街と、提灯形の鉄製の街灯。
ありきたりな風景だが、威厳と伝統を兼ね備えたお洒落な国だと思う。
ナディアキスタは私の隣で、二頭立ての馬車や庶民が行き来する様子を眺めていた。
「どこに行くんだ? 国を抜ける様子はないが」
「この国に唯一ある、魔女の森の店だ」
「そういえば、オルテッドも言っていたな。というか、オルテッドだけじゃないのか? お前の弟って」
「そんなわけあるか。オルテッドは今生きている弟の中では一番年上だが、ただそれだけだ。俺様の弟はあちこちにいる」
意外だ。ナディアキスタに弟が数人いるなんて。
オルテッドしか見たことがないから、弟はてっきり一人なのだと思っていた。
ふといつもの癖で、私は腰に腕をかける。
カチャッ、と剣にぶつかる音がして、ようやく自分が剣を持って外に出ていたことを知った。
いつも出かける時は剣を持ち歩くから、ついうっかり装着してしまったのだろう。
「無意識って怖い······」
「何か言ったか?」
「別に。ナディアキスタ、悪いが私の三歩後ろを歩いてくれ」
私が諦めてそう言うと、ナディアキスタは突然不機嫌になる。「嫌味か?」と言うと、私に詰め寄ってきた。
「騎士の国だから、騎士が偉いのは当然知っている。だが騎士の三歩後ろを歩けというのは、些か高慢過ぎやしないか?」
「えっ、お前が言う······?」
「国を守り、民を守る。その力が偉大なのも理解出来るが、だからといって騎士を立てろというわけじゃないだろうな?」
「そういう訳じゃない。断じて違う」
「よもや『騎士の隣に立つなど言語道断。騎士より身分の低いものは後ろを歩け、恥知らず』とでもいう法律でも······」
「剣の間合いに入るから、騎士の横や前に立っちゃいけないんだよ!」
私が何とか理由を説明すると、ナディアキスタはポカンとした。
「もちろん、身長や力によって剣の長さは違うけど、いざ突然斬り合いが始まった時、隣に立ってたら抜刀した瞬間切れてしまうんだ。それに、三歩後ろにいたら、敵に襲われた時、すぐに逃げられるだろう? 騎士は戦うし、今まで歩いてきた道なら危険は少ないし」
要は身を守るための術なのだ。
騎士としてもうっかりで仲間を斬りたくないし、仲間も斬られたくない。
それに、騎士は弱き者を守る役目があるから、常に仲間を逃がせるようにしなくてはいけない。
お互いの為の暗黙のルールなのだ。
それをナディアキスタに丁寧に説明すると、ナディアキスタは「ふむ」と納得した。
「······国の中で斬り合いなんて起きるのか?」
「ごく稀にな。酔っ払った騎士とか、他国の荒くれ者とか。本当に稀だが」
「なるほど。ならばお前に俺様の盾になることを許可しよう! そら、さっさと前を歩け。きちんと俺様を守れよ」
驚いたことに、ナディアキスタは素直に受け入れ、私の後ろを歩き出した。
私がギョッとすると、ナディアキスタは「何だ」といつもの不機嫌顔で私を睨む。
「この先の道を左に曲がれ」
ナディアキスタに言われるまま、私は道を進んでいく。
三十分ほど歩き、「ここだ」と言われたのは馴染みの仕立て屋だった。
ナディアキスタはさっさと店に入っていく。私も、その後に続いた。
***
シンプルな無地の布から、伝統的なデザインの布、流行りの色や斬新なデザインまで幅広く取り揃え、壁にきちんと収めた店内。
立派な紳士用のジャケットや、豪華な女性向けのドレスが、お洒落な小物と一緒にショーウィンドウに並んでいる。それに対して店内は、男女共に二〜三着程度の服が並ぶだけで、かなり質素だった。
高級感のある、アンティーク調の店内は『貴族御用達ですけど?』みたいな雰囲気こそあるが、この仕立て屋を利用する客はほとんどいない。
ナディアキスタはカウンターの呼び出しベルを一度鳴らすと、勝手に入口近くの椅子に腰掛ける。
私は何となく、紳士用のジャケットを眺めていた。
「やっぱり兄さんだ。こんな時間に来るなんて、よっぽど急ぎなんだねぇ。あたしが必要になる要件って何だい?」
久しぶりに聞いた声が、店の奥から出てきた。
褐色の肌に真っ黒な髪が艶めかしい。たわわな胸は、エキゾチックなドレスのおかげでより強調されてさらに色っぽい。
ほんの少し口角を上げて、真っ赤な瞳が細くなるだけで、一部に熱を溜める男が続出するだろう。美しい笑みを浮かべて、女はカウンターに肘をつく。
「この俺様が粗末な店に、服を仕立てに来たとは思わないのか?」
「思うもんか。魔女の森の収入なんて、たかが知れてる。自分の金を削ってまで領民の生活を支えるような兄さんが、まだ着られる服があるにも関わらず、ウチに来るわけがないだろぉ? それに、仮に着られる服が無くなったとしたら、兄さんなら金をケチって、安い既製品を買うに決まってる。ウチの服買うよりも、市場に出る手作り品の方がよっぽど安いんだもんねぇ」
女はそう言いきった。ナディアキスタはむすっと不満げにしつつ腰を上げると、「手伝いを頼みに来た」と白状した。
女は「やっぱりそうかい」とクスクスと笑う。そして私と目が合った。
「あっ、えぇっ!? ケイト様!?」
「やぁ、メイヴィス。久しぶり」
メイヴィスと呼ばれた女は、冷や汗をかきながら「お久しぶりでございます」と恭しく挨拶をした。
「本当に久しぶりだよ! 最後にお仕立てしたのは、タキシードに変更出来るドレスだったねぇ。そろそろ生地が痛み、弱ってくる頃合いじゃないかい? 新しく仕立てようか?」
「何だ。ケイトとメイヴィスは知り合いだったのか」
「あぁ、そうさ。昔っからウチで仕立てをしてくれるお得意様だよぉ。ケイト様、採寸もしてくかい?」
「いやいや、今日は違う用事だ。それより、あの男を『兄さん』と?」
「······いいや! 全くの赤の他人だよ! 全っ然知らないね! 斬るならどうぞあの人だけを!」
「おいメイヴィス! 俺様を売るな!」
メイヴィスの慌てようが面白く、私はついついからかってしまった。
『弟』に売られてナディアキスタもかんかんに怒る。メイヴィスは青い顔のまま、頭を上げられなかった。
「ごめん、メイヴィス。からかっただけだ。ナディアキスタの事は知ってる。魔女狩りじゃない」
「なっ、なァんだ。そうだったのかい······」
メイヴィスは胸を撫で下ろすと、ナディアキスタに「びっくりさせないでよ」と唇を尖らせた。
ナディアキスタは「明日から店を閉めろ」とメイヴィスの予定も聞かずにそう告げる。
メイヴィスは文句を言おうとしたが、「はいはい」と諦めたように言う。ナディアキスタの横暴には慣れているようだ。
「兄さん、なんの用かだけはだけは教えてちょうだいな。あたしだって店があるんだから、遠くには行けないよ」
「ケイトと少し遠出するだけだ」
「なんだい。そんなことかい。だったらオルテッドさんだけで事足りるじゃあないか」
「二ヶ月くらい離れるつもりだ。オルテッドだけじゃ心もとない」
「ふぅん。じゃあ仕方ないや」
ナディアキスタとメイヴィスだけで、どんどん話が進んでいく。
私はナディアキスタとまた遠出するなんて聞いてすらない。ナディアキスタはさっさと店を出ていく。私が怒ろうとする前に、メイヴィスが「すまないねぇ」と代わりに謝った。
「兄さんはちょっとばかり強引な所があるんだ。なんにも言わず勝手に決めたんだろぉ?」
「あぁ、まぁ慣れてきたよ。メイヴィス、聞きたいんだが、お前が奴の『弟』なら、その······君の弟も?」
「いいや。モーリスは兄さんとは関係ない。あたしだけさ」
「そうか」
私がそう言うと、メイヴィスは不安そうに目を伏せる。
やっぱり魔女は嫌なのか、と聞き出そうな雰囲気に私は首を横に振る。
「もし、『魔女の弟』ならもう少し自由な時間をやろうと思っていたんだ。ナディアキスタは人を振り回す名人だからな」
「ああ、そうだねぇ。兄さんは人の予定なんてまるっきり気にしないから」
「そうでなくても、休みは多めにやってるつもりだ。私のような人間の傍にずっといるのは、モーリスもキツいだろう」
「······『裏切りの椿』かい?」
「ああ。家族の処刑をして、自分だけが生き残った悪女。高潔な騎士の座と侯爵の名を独り占めした卑しい令嬢。ここにいると皆がそう言う」
「あたしは、ケイト様のことをよォく知ってる。弱音を吐かないケイト様が、あたしにだけ教えてくれた。モーリスも、ケイト様のことを誤解しない。あたし達は、あたし達姉弟は自分が信じるものしか信じない」
メイヴィスはそう言って、私のことを抱きしめてくれた。柔らかい胸が、私の筋肉質な胸に当たる。ちょっと羨ましい。
メイヴィスは私の髪をさらりと撫でると、優しい声色で言った。
「モーリスは自分の意思でケイト様に仕えてるんだ。モーリスはケイト様を強く信頼してる。あたしもそうさ。だから、自分をそんな風に言わないでよ。悲しくなるじゃないか」
「······うん」
私はメイヴィスを抱きしめ返す。
ナディアキスタが店に戻ってきて「さっさとしろ」と、私を急かす。メイヴィスはケラケラと笑った。
「早くしろ! 明朝、日が昇ったらすぐに行くんだからな! それまでに魔女の森の警備を固める必要がある。お前はさっさと食糧の買い出しに行け! どうせ銀行にも行くんだろう」
「あ、お前モーリスの話聞いてたんだ」
「当たり前だ! この俺様を誰だと思ってる! この世で一番偉大な魔女だぞ!」
ナディアキスタはふんぞり返ると、また私を急かす。
私は呆れて彼について行った。メイヴィスはうんと背伸びをすると、閉店の準備を進めた。
──少し、嫌な予感がする。