32話 シエラの帰る場所
静かな夜の大通り。
微かに響く三人の足音が、心地良かった。
ナディアキスタは蠍の尾を愛おしそうに撫で、私は血だらけの生肉の入った壺を片手に、シエラの手を引いて歩く。
魔女の星を抜き取るべく、また国を離れる事にしたのだが、私は少し問題を抱えていた。
シエラに帰る場所がないのだ。
彼女の両親は、とっくの昔に死んでいる。連れ去られたと分かっていて、あのデブの家に戻るとは思えない。私だって、あの家に帰す気はさらさらない。
シエラがファリスの家に帰ったら、また地下に閉じ込めて魔法を使わされるかもしれない。それに、魔法が使えなくなったとなれば、良くて追い出されるか、悪くて殺されるかのどっちかだろう。
どちらにせよ、シエラがあまりにも哀れだ。
私はナディアキスタにこっそり耳打ちをする。
「シエラはどうするんだ。魔女の星を抜き取れば、彼女は魔法が使えなくなる。ファリスの家に帰すわけにもいかない」
「放っておけばいいだろう?」
「バカなことを言うな」
「俺様たちの目的は、魔女の魔法道具を手に入れること。小娘の世話じゃない。魔女の星さえ抜き取れば、シエラセレネに用はない」
「私たちのせいで、彼女は不必要に傷ついたんだぞ」
「いずれ知ることになる真実を、今突きつけられただけに過ぎん。シエラセレネも十六だ。自分で考えて動ける年頃だろう」
「身一つで路上に放り出されたような状態でか? 無責任過ぎる」
私はナディアキスタの冷たい態度に憤る。だが、ナディアキスタはフン、と鼻を鳴らすと「死ぬまで面倒見る気か?」と私に尋ねた。
「困っている奴に手を差し伸べられるのは、お前の数少ない美点にして最大の欠点だ。全ての人間が救えるわけじゃない。全ての人間に最適解を出せるわけじゃない。いいか? お前がやろうとしている事こそ無責任だ。面倒を見ると決めたら、最後まで見なくてはいけない。それこそそいつが死ぬまでな。
まさか新しい家を与えて、新しい職を与えて『はい終わり』なんて、考えているわけじゃないだろうな?
相談されたら、それに乗らなくてはならない。助けを求められたら、すぐに駆けつけなくてはならない。人を助けるというのは、それらを嫌がらずにしてこそだ。『身辺を整えて終わり。あとは自分でやれ』なんて言えないぞ。そのくらいの覚悟が必要だ。お前には、その覚悟あるのか?」
ナディアキスタの言葉に、ぐうの音も出ない。
かと言って、ガラスの国に手を回したところで、私がこまめにシエラの様子を見に行けるかといったら、無理だ。
騎士の国に連れて帰っても、ガラスの国の出身と言えば、きっとすぐに孤立する。
自分の屋敷の使用人、といってもシエラは貴重なガラス職人だ。手が荒れる小間使いにするわけにもいかない。
「ナディアキスタ、お前の森で面倒は見れないのか?」
「無理だ。俺様の森は、魔女の弟かその身内以外、なんびとたりとも入れない。悪いが、弟もこれ以上必要ない」
「そうか······ん? 私は何で入れるんだ?」
「『オルスロット家の令嬢を通せ』という俺様の命令の下、森がそのようにしているだけだ。お前の領地になったから解除しないだけで、領地から外れたらすぐにでも閉め出してやる」
「あっそぉ」
私は呆れたため息をついた。
私もナディアキスタも、シエラの面倒を見ることが出来ないことだけが分かり、途方に暮れる。
このまま「自分でなんとかして」と放置するのは嫌だ。だが、方法が無い以上どうしようもない。
後ろですすり泣く声がした。
振り向くと、シエラがぽろぽろと涙を零している。
シエラは何とか涙を止めようと、服の袖で顔を擦るが、涙は止まらない。ナディアキスタは苛立ったように「泣くのをやめろ」とシエラに言った。
「そんなことを言うな」
「泣いてどうにかなるなら、好きなだけ泣いていればいい。だが、お前の両親が死んだ事も、お前が拐かされた娘である事も変わらん。泣く暇があるなら、自分でどうしたいか考えろ。自分の足で立つ方法を探れ。それすら出来ないで、これから生きられると思うなよ」
「わ、分かって······分かってるよ·········うぅ、ぐすっ」
シエラは、自分なりに頑張っているのだ。だが、受け入れ難い真実が、彼女の心に重くのしかかる。整理をつけるには、かなり時間がいるだろう。
ナディアキスタは、シエラに厳しいことを言った。それは、彼なりの慰めのつもりなのだろう。
だが、まだ十六の子供に、すぐ立ち上がれなんて無理な話だ。
シエラは声を押し殺して泣いている。
ナディアキスタは知らん振りをした。だが、シエラがいつまでも泣き止む様子は無く、ナディアキスタも段々不機嫌になっていくばかりだった。
***
森の外れで、ナディアキスタは鍋を掻き回す。
ローブのポケットから出した薬材と、手に入れたばかりの蠍の尾を入れて、ブツブツと呪文を唱える。
私はシエラの背を擦りながら、ナディアキスタが魔法を作り上げるのを待つ。
シエラの目はすっかり赤くなり、少し腫れていた。私とすら口も聞かなくなり、シエラは驚くほど表情が暗くなった。
「シエラセレネ、この指輪をはめろ。左手の中指だ。間違えるなよ」
ナディアキスタはそう言って、エメラルドの指輪を渡した。シエラは無言で指輪をはめると、ナディアキスタは呪文を唱える。
「空に輝く星 絶えず流れる川
魔女の子守唄は太陽を探して奏でる
古の魔法よ 再び魔女の手に帰れ 隠したその姿を見せろ」
シエラの体から、いくつもの星座が溢れ出す。
ナディアキスタはその星の中から、魔女の星を見つけると、ガラスの棒でそれを絡めとる。
その星に、愛おしそうにキスを落とすと、星は眩い光を放って銀のヒールに変わった。
「これが、【導きの靴】?」
「ああそうだ。太古の魔女が作り出した魔法道具。魔女が娘の不運を嘆いて作り出した、優しさの魔法道具! まず一つ手に入った! 流石俺様!」
ナディアキスタは、満足そうに靴を綺麗な箱に納めると、ローブのポケットにしまい込んだ。
シエラはそれを見つめると、俯いてしまう。
ナディアキスタはシエラの様子を、ちらと見て、すぐにそっぽ向いた。
まるで喧嘩した子供のような二人に、私はどうしたものか、と悩んだ。
シエラを連れて帰れない。かといってこのまま放置も出来ない。
私は二人のそばを離れ、一人森の中で考えに耽る。
シエラにはガラス職人の才能がある。でも別の国でガラスを作るのは出来ない。門外不出の技術を外でやったら、ガラスの国が黙ってはいない。国際問題になるのは避けたいし、シエラが路頭に迷うことも避けたい。
でも、ファリスの家には絶対に帰したくない。
「······どうすっかな」
「お困りでしたら、このコルムにお任せ下さいニャ!」
いきなり声をかけられて、私は反射で剣に手をかける。
振り向くと、ブーツを履き、マントを羽織ったケット・シーのコルムが、耳をピコピコと動かして立っていた。
「コルムッ! ······さん。こんな所にどうして? トロールがいるから危ないですよ。それに、よく分かりましたね。私たちの居場所が」
「ふふーん。ケット・シーには、そのくらいお見通しです! それに、今日あの家にお二人が押し入る······いえいえ、お邪魔するのは分かっていましたので。シエラセレネといいましたかニャ? 彼女のことニャら心配いりません! このコルムが、お手を貸しましょう!」
「それはありがたい。けど、具体的にどうするんですか?」
「ニャハハハ! それはニャディアキスタ様もお呼びしてからお教えしましょう!」
コルムは悪戯っぽい笑みをこぼして、ぷにぷにの肉球で私の手を握る。私はコルムに手を引かれて、ナディアキスタたちの元に戻った。
上から見たコルムの表情は、何となく怒っているように見えた。