31話 お目当ての品
廊下の向こうでまだ悲鳴が聞こえる。
ナディアキスタの魔法がまだ効いているようで、あちこちからガラスの割れる音が響いてきた。
シエラは音がする度、不安そうにそちらを見るが、ナディアキスタが「前を向け」と言うと、大人しく言う通りにする。
「心配ないぞ。あれはナディアキスタの魔法だ。私たちを襲いはしない」
私はシエラの肩を軽く叩いて廊下を走る。
もうすぐだ。裏口を出てすぐそこから、私の領域だ。家の中さえ出てしまえば、私が彼女を守れる。
ナディアキスタが廊下の角を曲がった。直線距離の廊下に出た途端、ナディアキスタは足を止める。
シエラが、ナディアキスタの背中にぶつかった。私がナディアキスタが睨む先を見ると、ファリスが廊下を遮るように立っていた。
「おいデブ、そこを退け。俺様の行く道を阻むな。奈落に放り込むぞ」
「お前らこそ、娘を拐かす気だろ。シエラを離せ」
「拐かすか。お前が言うな。この外道め」
「私が外道? 失礼だな。私の可愛い娘を、無理やり連れて行こうとする悪党どもに、そんな事を言われるとは。殺してやろうか」
ファリスが、低い声でナディアキスタを脅す。ナディアキスタはファリスを指さして、ゲラゲラ笑いだした。
「ははははっ! 悪党か! この俺様を悪党などと! ははははっ! ふざけるな貴様! 金のために平気で赤子を奪い取る貴様こそ、正真正銘の大悪党だろうがっ!」
──は?
ナディアキスタはファリスの悪行を叫んだ。だが、ナディアキスタが星図で、ファリスを占う様子は無かった。
いつ占った? いつそれを調べた?
『······シエラセレネの先祖は魔女のようだな』
「──あの時か」
私が気づくと、ナディアキスタは少し感心する。
「そうだ。シエラの両親の名は赤く示され、デブの名前は無かった。つまり、シエラの本当の両親は、とっくに死んでいて、デブが養子にしたということだ」
ナディアキスタの言葉を聞き、シエラはその場にへたりと座ってしまった。
「そ、んな。私のパパは、パパじゃなかった? そういえばママに会った事ない。私のパパとママが、本当のパパとママが死んでたなんて······」
ただでさえ地下に閉じ込められていたというのに、更なる事実に、シエラの許容量が限界を迎える。更にナディアキスタは畳み掛けた。
「······猫が告げたんだろう。『魔法の力を持った女の子が生まれる』と。その女の子が、欲しくて欲しくてたまらなかった。······殺したんだな? ガラス職人の家族を」
「なっ、どうして······どうしてそれを!」
ファリスは目に見えて狼狽えた。私はナディアキスタのそのカラクリが分からず、「おい」と声をかけて、ようやく気がついた。
ナディアキスタの左目の中で、星が巡っている。ナディアキスタは直接読み取った星巡りから、奴の今までの行いを読み解いているのだ。
「【金の小切手】、他者の幸福を欲しがる星······【手を離す双子】、かけがえのない存在との別れ······【火のついたマッチ棒】が、自身で起こしたことを表し、【扉無き塔】が、シエラセレネを閉じ込めたことで、【零れたスープ皿】、あった幸せが崩れる予兆······? あとは、なんだ。あとは·········あれは?」
ナディアキスタは、うわ言のように呟いている。
星図が無いから、私にはナディアキスタが過去を見ているのか現在を見ているのか、全く分からない。
ふと、寒気がした。背中を突き抜ける、殺意に私は剣を抜く。
ナディアキスタを後ろに押しのけて剣を構えると、鋭い尾が、私を上から突こうとしていた。
私は剣の腹で、長い尾を受け流す。ガラスの床に突き刺さったそれは、真っ赤で毒をたっぷりと含んだ、蠍の尾だった。
怒るナディアキスタと、警戒したままの私が前を向く。
──獅子の頭に羊の胴体、蠍の尾を持つ、禍々しい魔物が蛇の舌を覗かせて、行く手を阻んでいた。
ファリスは避けた私に、あからさまに舌打ちをした。
死ねば良かったと、思っているのだろう。わかりやすいにも程がある。
「まぐれで避けたか。だが、次はどうだ? このキマイラは、わざわざ商人の国から取り寄せた、自慢のペットでねぇ。ちょうど腹を空かせて──」
「蠍の尾だっ!」
「羊の胴体だっ!」
「············え?」
ファリスの言葉を遮って、私とナディアキスタは歓喜する。ハイタッチしたくらいにして、やる気をみなぎらせる。
「これで薬が作れる!」
「久々に上等な魔物が食える!」
「あんなにデカい蠍の尾は滅多にないぞ! 毒まで出る! っくぅ〜〜〜魔法薬がいくつ作れるかなぁ! 想像したら震えが止まらん!」
「羊の胴体のキマイラが、いっちばん美味いんだよなぁ〜〜〜! 戦場で初めて食った時のあの高揚感、まだ覚えてるわぁ。焚き火で炙り焼きにしようか、持って帰って煮込みにしようか? っかぁ〜〜〜涎が出るぅ! 食える分だけ削いどかないとな!」
ナディアキスタと私の止まらない想像に、ファリスも少し引き気味だ。ショックで呆然としていたシエラですら、少し落ち着きを取り戻す。
私とナディアキスタが、キマイラに狙いを定めた。キマイラも、私たちのやる気に気圧される。
「「っしゃあ! 狩るぞ!!」」
二人で気合いを入れた。
キマイラが雄叫びをあげる。それが戦闘の合図だ。
キマイラが駆け出すのと同じタイミングで、私も駆け出す。
キマイラの蛇の口を避け、体の下に滑り込む。
「よいしょっ!」
ガラスの床はよく滑る。私は剣をキマイラの腹に立てて、ズバッと切り裂いた。キマイラは悲鳴を上げ、尻尾で私の腹を突こうとする。
私が剣で尻尾を受け止めると、ナディアキスタが命令した。
「尾に傷をつけるなよ! 根元から切り取れ! 根元から!」
「あぁ!? 今注文つけんな!」
「出来るだけ綺麗に取りたいんだよ! 貴重なんだぞ!」
「分かった分かった! 尻尾以外は好きにして良いなら、根元から取るよ!」
「尾以外に興味はない!」
「イエーイ! あ〜、毒が垂れるぅ」
「あ〜勿体ない〜!」
口では余裕だが、少しピンチだ。
尾の先が、あと数センチで腹に触れる。剣で耐えているとはいえ、押し負けている状況から、どうやって尾を切り落とせるか。
「······傷はつけてもいいか?」
「生きてる限りすぐ治るしな。思いっきりやれ」
私は床に踵を打ちつける。
靴のつま先からナイフが飛び出し、私は足を振り上げた。
キマイラの尾にナイフを突き刺し、キマイラが抵抗した隙に体を起こす。私は腰に隠したナイフを投げつけるが、キマイラが姿勢を低くして避けた。
「あ、しまっ······!」
飛びかかってきたキマイラに押され、天井に背中を打ちつけた。骨が押しつぶされるような痛みを堪え、落下に備える。しかし、私の体が落ちようとした時、あの蠍の尾が私の心臓を貫こうとしていた。
斬ってしまえば助かる。だが、ナディアキスタは怒るだろう。私は一瞬悩んでしまい、判断が遅れた。
体が天井を離れる。
尻尾が私の心臓を狙っている。
剣を構える時間が足りない。私は覚悟を決めた。
──ガシャンッッッ!
キマイラの足元が崩れ、キマイラが少し落ちた。尾の向きが少し変わり、私の足元に尾の先が向く。私はキマイラの尻尾を蹴り、体を捻って地面に着地する。
キマイラの体の下、ガラスの床に私のナイフが刺さっていた。
「感謝してもいいぞ」
「ムカつくけど助かった」
ナディアキスタはふふん、と鼻を鳴らす。
彼と目配せをして、私は剣を構え直す。思わぬ戦況に、ファリスは精一杯の強がりを見せた。
「たかが女子供に、キマイラが倒せるものか!」
「おや? ケイト、あのデブはお前が誰かを忘れているようだぞ?」
「そうだなナディアキスタ。あいつはお前が誰かも知らないらしい」
私とナディアキスタはファリスの無知を、忘却を嘲笑する。
私とナディアキスタが同時に駆け出した。
私が剣を高く掲げると、キマイラは私に襲いかかる。それが狙いだった。
ナディアキスタが、床に刺さったナイフを引き抜く。私が剣でキマイラの舌を切り落とし、ナディアキスタがキマイラの後方に回る。
私がキマイラの眉間を貫くと同時に、ナディアキスタが尾を切り落とした。
「俺様は偉大なる魔女だぞ?」
ナディアキスタは蠍の尾を担ぐ。
「私は騎士の国の騎士団副団長だぞ?」
私は倒れたキマイラの頭に腕を置く。
「「この程度の魔物を倒せなくてどうするんだ」」
ファリスは腰を抜かした。
私はいそいそとキマイラの腹を捌き、肉をごっそり抜き取る。ナディアキスタは、尻尾から垂れる毒を容器に移してご満悦だ。
ファリスは「バケモノめ!」と私たちを蔑んだ。ナディアキスタは「それで結構だ」と、ノールックでファリスの顔をぶん殴った。
ナディアキスタは、空いた片手でシエラを連れて外に出る。
私は抜き取った肉を、ナディアキスタの魔法が解けたらしき壺に詰めて、後をついて行った。




