30話 侵入は夜が相応しい
月が高く昇る。
ガラスの国──シャンテラルエを照らすその光は、ガラスに反射して青く神秘的な力を増す。
月の周りを彩る星は、妖しく魅惑的に巡る。その星の下を、颯爽と駆けていく二つの影があった。
ガラスの国──ファリスの家
成金らしい豪華な屋敷。家から庭から全てがガラスで出来た、自己顕示欲の塊のような家の周りを、ライフル銃を持った男たちが巡回していた。
昼間の自警団とは違う、きっとファリスが個人で雇っている警備員だ。
ファンシーなガラスの国には似つかわしくない、トランシーバー、防弾チョッキ、自動拳銃を二丁装備している。
今一人と合流した。二人で情報を交換している。
(毛嫌いしてる国の武器使ってんのかーい)
私は塀の上で、気配を消しながら男たちの武装を観察していた。
よりによって装備している銃は、騎士の国で製造した物だ。獣の国から提案されて、銃火器の取り入れをしたら、うっかり上がハマって製造を始めた記憶がある。
奴らが装備しているのは今年の春に製造された最新型。ライフルは従来モデルに比べて、射撃精度が格段にあがり、自動拳銃は、弾丸の装填数が初の二桁の高級品。私だって、次の給料が入ったら買おうと思っていたのに。
(デブに先越された。でもいいもん。騎士の国だから、『騎士割引』効くもんね)
私は塀の上で不貞腐れる。どうせどんなにいい武器を手にしていたところで、戦い慣れていなければ意味が無い。
私は弓を引き絞り、屋根に向かって矢を射る。
ガラスの屋根に矢がカンッ! と音を立てて引っかかる。男たちはその方向を見て、「なんだ?」と呟いていた。
──ほらな。戦い慣れていない。
矢と繋がったロープを掴み、私は男たちに飛びかかる。
男の首に足をかけて、太ももとふくらはぎでキュッと絞めてやる。それで一人は片付いた。私がロープに捕まったまま、気絶した男を離すと、もう一人の男は口をパクパクさせながら、トランシーバーに手を伸ばす。
私は足首に隠してあったナイフを投げ、トランシーバーを破壊した。
「なっ、バケモノ!」
至近距離で、男はライフルを構えた。
間合いを知らない馬鹿が警備か。私は鼻で笑うと、ライフルの銃口をはね飛ばして、ロープを投げる。ロープの端が男の首に引っかかかると、私と男の間に伸びたロープに足をかけた。
「残念、女騎士ですわ♡」
令嬢らしい言葉遣いで、私はロープを踏みつけ、地面とくっつけた。
首を絞められた男がガラスの上に倒れると、影からナディアキスタが姿を現す。首の絞まった男の手首を掴み、脈を測ると、深いため息をついた。
「······本当にただの気絶だ。殺したのかと思っていたが」
「いや、今のは私も殺したと思った」
「考えなしに行動するからだ。馬鹿者め」
ナディアキスタは男たちからトランシーバーを奪い、銃を抜き取り、解体してその辺に捨てる。
そして、鈴や宝石や花のついたチョーカーをつけると、鈴を二度鳴らしてトランシーバーをオンにする。
「あー、こちら庭の東側警備。聞こえるか?」
ロープの男と同じ声が、ナディアキスタの口から飛び出す。トランシーバーは砂嵐の音が少しして、『こちら屋敷内西廊下』と返ってきた。
『どうかしたか?』
「庭で今不審な男を見た。今追ってるんだが、これがすばしっこくてな。応援を頼みたい」
『了解した。裏手に追い込んでくれ』
「······了解」
ナディアキスタはニヤリと笑って通信を切ると、私に目配せをする。
ナディアキスタと音を立てないように裏に回り、屋敷の裏口の前に立つ。私が剣に手をかけたちょうどそのタイミングで、拳銃を構えた男が二人出てきた。
「お、女!?」
一人が私を見て驚いた。私はにっこりと笑って「お疲れ様です」と挨拶をする。そして──
──······一瞬の斬撃。
男たちの拳銃を斬り、トランシーバーを割り、首の無防備な所を突いて、剣は鞘に戻る。
瞬きの間の出来事に、男たちは理解する時間もなく、床に寝そべっていた。ナディアキスタは「居合い切りか」と関心していた。
「大昔、極東の村から騎士の国に伝来した剣術だ。面白いぞ」
「面白いからといって実践に使うのか。とんだじゃじゃ馬狂戦士だ」
「その剣術だって実践用だ。必要なタイミングであれば使うとも。さ、中はお前が担当だ。ちゃんと仕事しろよ? ここに来てからお前の出番ねぇんだから」
「うるさい。腕力しか能のない脳筋に、俺様の繊細にして賢い力の使い方が理解出来るものか」
ナディアキスタはぷんぷん怒りながら、中に入っていった。
ガラス細工だらけの廊下を、ナディアキスタはズカズカと歩いていく。ローブの背から香水瓶を出すと、廊下にずらりと並んだ置き物や絵画を、片っ端から吹きかけていった。
香水とは別の薬品臭さに、私は鼻をつまむ。
少し歩くと、廊下の角から警備員が姿を見せる。私とナディアキスタを見るなり、男は銃を構えた。
「裏口前に応援を寄越せ! 侵入者だ!」
トランシーバーで仲間を呼ぶと、男は「止まれ!」と私たちを脅す。
ナディアキスタはふふん、と男を笑うと、「愚かな人間め」と傲慢な態度を取った。
「この俺様に出くわすとは、人生で一番最悪な日にして人生最期の日だな。だが俺様は無駄な殺生を好まん。今すぐこの場を立ち去れば、深い慈悲を持って命は助けてやろう。だが俺様に危害を加えるというのなら、悲しいがお前を地獄の底に落とさねばならんことになる」
「何を偉そうにクソガキ!」
「ははははっ! この俺様をガキ呼ばわりか! ······あまり舐めてくれるなよ、赤子風情が!」
ナディアキスタが指を鳴らした。
すると、何かを吹きかけられた置き物たちが、命を宿したように動き始める。
「紡がれた糸 土より芽吹く命の木
歌え踊れや永遠の子供たち 朝日を目指して行進だ!」
歌のような呪文を唱えると、ナディアキスタの横からガラスの彫刻や置き物が列を組んで、警備員に立ち向かっていく。
ナディアキスタはうっとりとして、置き物のひとつを撫でた。
「愛しい俺様の操り人形。あいつと同じ服を着た奴らも倒してこい」
応援の警備員が三人駆けつけたが、ナディアキスタの呪いに驚き戸惑っていた。ガラス兵隊を前に、彼らはざわめく。
「な、何だ!? ガラスが、動いてる!?」
「これは魔法か!? あのガキ魔法使いかよ!」
「いや、いや違う! これは魔法じゃない!」
「魔女だ! 魔女が襲ってきた!」
ナディアキスタは動くガラス達に囁いた。子供じみた笑みで。それはそれは、楽しそうに。
「そら、海賊が来たぞ」
それが『攻撃』を表す呪文だった。
ガラスたちは一斉に警備員に襲いかかる。
警備員は心苦しげに銃を撃つが、放たれた弾丸はガラスに弾かれて、あらぬ方向へ飛んでいく。
ガラスの塊に、人間の肉体が勝てるはずもなく、一人は押しつぶされ、一人は投げ飛ばされ、ガラスの壁にヒビを入れて血を流す。
残された二人は足を震わせ、その場から逃げ出した。ガラスの置き物たちは逃げた彼らを追いかける。
ナディアキスタは、倒された警備員をじっと観察すると、悲鳴が残る廊下を悠々と歩いていく。
「ふむ。この様子だと、『身体強化』を付与する必要は無かったな。ガラスの強度を考えると必要かと思ったが、予想外だ。人間サイズのガラスを強化したら、そりゃオーク並の威力になるわなぁ」
「お前も随分荒っぽい手を使うな。何が『繊細にして賢い力の使い方』だ。私よりも恐ろしい」
「はっ! 光栄だな。俺様を褒めるには陳腐な言葉だが、仕方ない。受け取ってやる。お前のような力任せの女に、気の利いた言葉なんぞかけられまい!」
「『その首、頂戴致します』なら言い慣れてるが?」
「怖い台詞を言い慣れるな馬鹿! ······剣の間合いに俺様を入れない距離で歩け!」
ナディアキスタはチョーカーの、花の飾りを指で弾いた。
すると、白いガーベラのような花が、ふわふわと廊下中に広がり、道標のように伸びていく。
「これは?」
「魔女の魔法『花乙女のお誘い』だ。本来これは、妖精を探す為の魔法だが、世界一の魔女である俺様ならば、少し改良して人探しにも使える。条件付きだがな」
「条件つき?」
「ああ。まず『成人前の女性であること』が絶対条件だ。男は使えない。心が女性だったとしても、体が女でなければ意味が無い。そして、『魔女がその人の本名を知っている』こと。妖精相手なら、名前は無くてもいい。が、人間が相手になると、うろ覚えでは使えん」
「何で本名なんだ? 本名じゃなくとも、その人を呼べたらいいだろう」
「『名は言の葉』『その人を縛る、一番最初に与えられる呪詛』というからだ。魔法を知らぬ人間は、無知でいかんな」
「いちいち癇に障る言い方をするな。いつかその首、本当に落としてしまいそうだ」
「やれるものならやってみろ。いくら強いお前でも、俺様の首にその剣は当たらんぞ」
「ん? 私が強いことは認めているのか?」
「······訂正しよう。いくら『今この世界に生きている、愚かで救いようのない弱き人間の中では』強いお前でも、だ」
「本っ当に殺してやろうかテメェ!」
花を辿り、喧嘩しながら歩いていると、いつの間にか地下室に降りていた。
ガラスの国には本当に似合わない、コンクリートの薄暗い地下室。いや、地下牢の方がしっくりくる。
その地下の奥、鉄格子の扉のついた工房で、シエラはひたすらガラス細工を作らされていた。
鉄格子越しでも熱い工房の中、シエラは流れる汗を拭いもせずに、ひたすら、赤くなったガラスに命を吹き込み続けている。
足元に転がされたガラス細工を見つめ、ナディアキスタは眉間にシワを寄せた。
私はシエラの足元から、目を離せなかった。
──片足を鎖で繋がれていたのだ。
壁と繋がる鎖が、シエラをずっと、この喉が焼けそうなほど熱い工房に閉じ込めているのだ。
最後に水分を摂ったのはいつだろうか。食事は十分に食べたのだろうか。彼女は虚ろな目で、ひたすらガラス細工を作り続ける。
昼に連れ去られたシエラを、すぐに助けに行けば良かったと後悔が押し寄せた。
私は「シエラ」と声をかけた。しかし、彼女に私の声は届かない。
燃え盛る炎の音が、より一層大きく聞こえた。
「シエラセレネ! 手を止めろ! お前が作り続けるガラクタが、この俺様よりも優先順位が高いとでも言う気か!!」
ナディアキスタが鉄格子を蹴り飛ばした。
その音に、シエラが一瞬だけ気を取られる。ナディアキスタは私を睨んだ。
(目の前の苦行ごときに気圧されるな! それでも騎士か!)
そう言っているような気がして。
私は熱い空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
そしてシエラの注意が、ガラスに戻らない内に鉄格子の扉を──
「助けに来たぞ! シエラ!」
──叩き斬る!
自分でも、驚くくらいの力が出た。
鉄格子は細切れに。派手な音を立てて崩れ落ちる。鉄格子がひとつ落ちる度に、シエラの目には光が戻る。私は剣を片手に工房に飛び込むと、シエラの足の鎖を断ち切った。
シエラは鎖が切れたのを見ると、私の胸に飛び込んでくる。私は片手でシエラを抱きしめ返し、剣を鞘に納めながら「逃げよう」と言った。
ナディアキスタはシエラの手を引くと、「さっさと歩け」と粗暴な物言いをする。
「ナディさん、あの」
「うるさい。話は外に出てからだ。それまではその口を閉じて、大人しく俺様の言うことを聞け」
「······ありがとう」
「聞こえなかったのか? 口を、閉じて、大人しく、俺様の、言うことを、聞け!」
シエラはビクッと、肩を揺らし、口を結んだ。私はシエラの耳元に口を寄せて、ニヤリと笑う。
「あれは『まだ危険だから、守られていろ。感謝はその後だ』という意味だ」
私が勝手に良い方に解釈すると、シエラは嬉しそうに笑い、ナディアキスタの手を掴む。
ナディアキスタは私たちの方を振り向かなかった。でも、シエラの手を乱暴に掴むことはしない。それだけで、彼の優しさが伝わった。