27話 猫王の店
『昔むかしあるところに、一つの国がありました』
『ガラスの扱いに長けた者が集まる国は、国の全てがガラスで出来ていました』
『その国は綺麗なガラス細工で栄えたものの、一つだけ問題がありました』
『三人の王子のうち、誰が王様になるか決まらなかったのです』
『長男は勤勉で、国の整備に力を入れる王子でした』
『次男は勇敢で、軍備増強に力を入れる王子でした』
『三男は上の二人よりも怠惰で、取り立てて何にもしない王子でした』
『長男は言いました。「私が王になったら、国に富をもたらそう」と』
『次男はそれを聞いて、「私が王になったら、どの国にも負けない強さをもたらそう」と負けじと言います』
『三男は二人の主張を聞いて、「私は知恵も勇気もございません。ですが、この国のために持てる全てを尽くしましょう。私は王の器ではありませんので、王座には兄たちが就くべきです」と言いました』
『国民は「長男か次男が王になるべきだ」と、散々話し合いましたが、新しい王様は決まりません』
『しかしある日、一匹の猫が国にやって来て、こう言ったのです』
【三男が王様になりなさい。そうすれば国は豊かになるでしょう】
『猫の言った通り、三男が王様になると、国は豊かになりました』
***
森を抜けると、ナディアキスタはガラスの国の歴史を語り出した。おとぎ話のように語られたその物語は、とても信じがたく、現実味がなかった。
「おい、ナディアキスタ。なんでいきなりその話をする」
「そうね。ガラスの国じゃ、有名な伝説よ」
「馬鹿には分からんか。お前たちは、その猫が本当に、ただの猫だと思うのか?」
ナディアキスタは呆れたため息をつくと、「お花畑な頭だ」と私たちを馬鹿にする。
「そもそも、猫が喋ると思うか」
──言われてみれば、猫が人の言葉を話すはずがない。
「ニャーニャー」と鳴くばかりで、何を言っているかもさっぱりだ。でも大昔の話なら、多少脚色されているはず。
「つまりなんだ。『実は猫を連れた誰か』がそう進言したというのか?」
「いいや。そういうことじゃない。本当に『普通の』猫が、王様を選んだのかってことだ」
「えっと、ナディさんは『普通じゃない』猫がいるってこと?」
「そうだ。シエラセレネはお前より賢いぞ」
ナディアキスタの比べるような物言いに、私は少しムッとする。
しかし、普通じゃない猫、なんているのだろうか。
「これから行くのは魔族の営む店だ。普通の人間が行くところじゃない。くれぐれも、喰われないように身を守れよ。俺様は一切助けないからな」
「そ、そんなに危ないお店なの?」
ナディアキスタは意地悪な笑みで「どうだかな」と言った。私はシエラの側に寄り添い、警戒して国に入った。
シエラはファリスに見つからないように、コソコソと私の後ろに隠れる。
ナディアキスタは、誰にも見られないように路地裏へと入っていく。私もシエラを隠しながら、彼の後を追った。
その後が大変だった。
ゴミ箱を飛び越え、柵をくぐり抜け、誰かの家の窓枠の上を歩き、道無き道を歩いていく。
シエラが落ちないように支えたり、つっかえた体を引っ張ってもらったり、その店に行くためだけに散々な目に遭った。
「まるで猫だな。こんな道を通るなんて」
私は独り言をこぼした。するとナディアキスタは「そうだろうな」と意味深に言った。
ようやく着いたのは、赤いガラスのドアの店だった。
子供が通れるくらいの大きさで、ドアノブには王冠のモチーフがはめ込んである。
ナディアキスタはその辺にあった草をちぎると、手で揉んで、首に擦りつける。
そしてその草を、シエラと私の手首に擦り付けた。
「とりあえず、これで魔女の匂いがついた。喰われないといいな」
「そんな怖いこと言わないでよ」
ビクビクと怯えるシエラの肩を抱いて、私は剣に手をかける。
ナディアキスタはドアをノックし、二回咳払いをする。すると、ドアの向こうから声が聞こえてきた。
「今日は店じまいだ。明日来てくんな」
しわがれたその声に、ナディアキスタは怒ったように返す。
「こんな真昼間から閉店とは、とんだ店だな!」
「へぇ? だから何だってんだ。文句があるなら言ってみな」
「お前みたいなやつは、これがピッタリだ。『なまけもの』!」
そう言うと、中から鍵が開く。ナディアキスタはドアを開けて、さっさと入っていった。私もシエラを守りながら中に入る。
──全てが古木の、寂れたバーだ。
カウンターに席が三つあるだけの、埃だらけの店。ナディアキスタは奥の席に座ると、私たちにも座るように促した。
シエラをナディアキスタの隣に座らせて、私も席に座る。
············しーん。
誰も喋らない。
何の音もしない。
私がナディアキスタに尋ねようとしても、彼は私を睨んで黙らせる。シエラも辺りをキョロキョロしていると、ナディアキスタに止められた。
······キシ、キシ、キシ、キシ。
とても軽い足音がする。
それは店の奥から聞こえてきた。
「おやおや、こんニャに客が来るなんて」
しわがれた声とは全く違う、可愛らしい声がした。
「珍しいニャあ。さぁさぁ、何をお求めでしょう。この『長靴をはいた猫』におまかせを」
グレーのキジトラ柄の猫が、二本足で立ち、私たちに向かって恭しくお辞儀をする。緑と紫のオッドアイが、イタズラっぼい笑みを浮かべている。
「ね、猫······?」
シエラが驚いていると、猫の店主は「おやおや?」と首を傾げる。
「お客様、まさかまさか『ケット・シー』をご存知ニャい? そんニャわけありませんよねぇ? だって、本物の魔女ニャら、知ってて当然の魔族ですもの」
ケット・シーと語った猫に、シエラは顔を青くして口を押さえた。猫はシエラに近づくと、じぃっとシエラの顔を覗く。小さな鼻をフスフスと動かし、シエラを嗅いだ。
「ん〜〜〜? ニャんか、魔女っぽい匂いはするんですがねぇ。どうにも普通の人間と、おニャじ匂いがします。ねぇお客様、お客様は本当に、魔女でいらっしゃいますか?」
シエラはカタカタと震え、目じりに涙を溜める。猫がニタリと笑い、私は剣を抜きかけた。
「やめてやれ、コルム。悪戯が過ぎるぞ」
ナディアキスタが猫にそう言った。その瞬間、猫の瞳孔がキュッと細くなり、ナディアキスタに向く。ナディアキスタは知らん振りを決め込んだ。
「······ニャハハ! いやぁ、すまんニャあ! 普通の人間のお客様が来るのは初めてで! ニャんせ魔女しか来ニャいから!」
コルムはナディアキスタの肩を、肉球でポムポムと叩き、その可愛らしい笑顔をシエラに向けた。
「気にしニャくていいですよ! ケット・シーは人間を襲ったりしニャいので! 全くもう! ニャディアキスタ様も、お人が悪うございますねぇ! 脅したんでしょ!」
「ナディアキスタだ。別に悪いことなんてしていない」
「いいや、十分悪いぞ。『喰われるぞ』なんて、ひどく脅しただろうが」
堪えきれずに泣いたシエラを撫でながら、私はナディアキスタに注意した。しかし、ナディアキスタは反省する素振りを見せない。私が「おい」と怒鳴りかけると、私の口を柔らかい肉球が塞いだ。
「まあまあまあ、そう怒らニャいで。ニャディアキスタ様は優しいですよ。ニャんせ魔族が営む店は、人間に厳しい所ばかり。ウチが珍しいだけで、他所に行ったらバレた瞬間ぱくり! ニャ〜んて、当たり前ですから」
ぷにぷにの肉球が口から離れる。ちょっと名残惜しい。
コルムはカウンターに入って、私たちに水を出した。シエラは鼻をすすりながら、「ありがとう」と水を飲んだ。コルムはカウンターに肘をついて、ゆったりと尻尾を振った。
「さてさてお客様、『長靴をはいた猫』にようこそいらっしゃいました。何をお買い求めですか? この優しい猫、コルムにおまかせくださいニャ」