26話 【導きの靴】を手にするために
朝日が昇り、眩い光が森を照らす。
この時間なら、トロールが活動することは無い。もし森を安全に出るならば、今行動するしかない。
私はまだ眠っているシエラを背負い、足で焚き火の跡を崩す。ナディアキスタは、簡易テントを片付けていた。
「おい、目は腫れてないか?」
私は、昨晩に大泣きしたナディアキスタを気遣うが、ナディアキスタは「別に」と素っ気なく返した。
「あれくらいで目が腫れるわけが無い。俺様は偉大な魔女だ。対処も出来るし、隠し方も心得ている。──オルテッドに黙っているのなら、領地の水路の件を手伝ってやる」
「はいはい。言わないよ」
ナディアキスタはケロリとした顔で「さっさとしろ」と、相変わらずの態度で先を歩く。私は何も言わず、「はいはい」と適当にあしらった。
「あと、俺様越しにゴブリンを射るな。背筋が凍る」
「はぁ〜い······」
***
森を歩きながら、ナディアキスタは拾った木の棒をクルクルと回し、「シエラセレネの件だが」と話し始める。
「シエラセレネは、魔法のガラス細工を作るのが嫌だと言った。魔女の家系とはいえ、魔女の血は限りなく薄いから、魔法を込められるのは【導きの靴】がその手伝いをしているのが原因だろう」
「ほう。でも、【導きの靴】は魔女の星なんだろう? なら手のつけようがない」
「いいや、あれは本来空に無い星だ。つまり、太古の魔女が隠した魔法道具! 俺様が求めていたものだ」
「だが、空から星を抜き取るなんて出来るのか? あの時だって、大掛かりな魔法を使っただろう。アニレアみたいにやるつもりか?」
私がそう尋ねると、ナディアキスタはふふん、と得意げに笑った。
「アニレアは運命星を取り替える必要があったが、シエラセレネは違う。運命星に魔法道具がくっついているんだ。それを抜き取るだけ」
「あ、そっか。運命星は外さなくていいんだよな」
「ああ。だが外したら、シエラセレネは魔法のガラス細工を作れなくなる。回路の補助が外れるんだ。もし魔法を使い続けたいなら、魔女の修行を積む必要が出てくる。シエラセレネは魔女を恐れていたから、断るだろう」
ナディアキスタは木の棒で、シエラの頭をてしてし叩き、棒をその辺に捨てた。
星巡りの魔女であるナディアキスタならきっと、魔女の星を抜き取るのは容易いだろう。だが、私には一つ懸念があった。
魔女の魔法は鍋で錬成する。
今この場に大鍋も魔法道具もない。ナディアキスタが持ち歩いているものだって、そう多くはないだろう。
どうやって星を抜き取るつもりだろうか。
「心配なら要らんぞ」
私が考えていることを汲み取ってか、ナディアキスタは私にローブを見せつける。ローブの内側、腰に当たる所に、ポケットが一つついていた。金の刺繍の入ったそのポケットにナディアキスタが手を入れると、ゴブリンの目玉やら牛鬼の角やら、ごちゃごちゃと魔法薬材を出してみせる。
「このローブのポケットは、俺様の仕事部屋と繋がっている。薬材で困ることはない。鍋も小型の物で事足りるだろう」
「そうか。ならいいが」
「だが一つ困ったことに、材料が足りないんだ」
ナディアキスタは出した薬剤をしまうと、腕を組んで何かを考える。
「星を抜き取るために必要な材料の中に、『キマイラの尾』というものがあるんだ」
「キマイラか、砂漠に行かないと難しいかもしれない。商人の国の近くなら、よく出るんだが······」
「いや、普通のキマイラじゃ駄目だ。一般的にキマイラ──別名キメラは獅子の頭、山羊の胴体に蛇の尾と言われるが、必要なのは蛇の尾じゃない。『蠍の尾』だ」
キマイラの八割が、ナディアキスタの言った通りの見た目をしている。が、たまに違う動物が混じっていることがある。
山羊ではなく、虎の胴体だったり、牛の頭をしていたり。しかし出会うことは滅多にない。更に尾が蠍のキマイラは別格で、討伐依頼も報酬が桁違いに高い。
私も一回くらいしか、討伐に行ったことがない。
「蠍の尾なら、マンティコラじゃダメなのか? 獅子の姿で異形の尾だ。キマイラに似てるし」
「いいや、必ずキマイラでないと駄目だ。魔力の質が違う。蠍の尾のキマイラは、同種の中でも魔力が良質で、それでなければ作れない魔法薬も少なくない」
「そうか。なら難しいな。珍種のキマイラ自体が希少過ぎて、探すのだけで一苦労だ。普通のキマイラなら、簡単なんだが」
「キマイラを討伐したことがあるのか。腐っても騎士だな」
「ああ、時々回ってくる。中堅程度の依頼でもな。······あー、そういえば、一度だけ変なキマイラに引っかかったよ」
──思い出しても疑問しか湧かない。
一般的なキマイラは、陸の生物だけで形成されるものだが、人間の足、マグロの胴体、鯨の頭に山羊の尻尾。あと、鶏のトサカ。
何をどう混ぜたら、そんなものが出来上がるのか。キマイラであることに変わりはないが、「ここまでいったらコレもう魚人じゃね?」なんて、頭を抱えた思い出が蘇る。
「これはもう一人でいいや、と部下を帰したんだが、口の中がまさかのハイエナ。エラからコブラが出てきた時は『ああ、こいつもキマイラなんだな』って、しみじみ思った」
「そのキマイラ、魔女として研究したかった。面白すぎるだろう」
「面白くねぇよ。こちとら死ぬかと思ったんだぞ。人の足のクセに速くてなんか、気持ち悪かった」
指で数えられるしかない戦場のトラウマの一つ。
あれはもうホラーだ。映画よりも恐ろしい。しばらく魚が食べられなかったくらいだ。
私は、思い出しなくない記憶を振り払うように、首を振る。
ナディアキスタは「まあ、買いに行くがな」と、さらりと言った。魔法薬材を買える店があるなんて知らなかった。使う材料は全て、どこからか採取するものだと思っていた。
それを正直に言うと、ナディアキスタは馬鹿にしたように笑う。
「全てを自然から取っていた時代とは違う。それに、魔女は『魔族』と仲が良いものでな」
「やっぱり、魔女なんだ」
二人でハッとした。心無しか背中が軽い。
ナディアキスタは警戒した表情で、シエラを睨んでいた。
「いつから起きていた?」
「魔女の家系がどうとかって、言ってたところから」
「クソッ! ガキはガキらしく、寝ていれば事なきを得ただろうに!」
「ナディ······それよりも、ヤバいことがあるだろう」
「なんだ! 話を聞かれたこと以上に、ヤバいことがあるものか!」
私は真剣な顔でナディアキスタを見つめる。ナディアキスタは何か不穏な空気を察すると、表情を強ばらせた。
「──魚人のトラウマを植え付けた」
「お前は怖かったろうが、傍から聞けば笑い話だ。真剣な顔で言ってくるな、ボケ侯爵」
***
結局ナディアキスタが魔女であることがバレて、シエラを少し怖がらせたものの、「魔法のガラス細工を作らなくても良くなる」という旨を伝えたら、シエラはすこぶる機嫌が良くなった。
「ねぇねぇ、その『星を抜き取る』ってのをすれば、私はもう魔法が使えなくなるんでしょ。ならパパッとやってよ。そしたら私、家に帰るから」
「随分とわがままな娘だな。話を聞いていたのなら分かれ。そう簡単に出来ないし、材料も揃っていない」
「ちゃんと聞いてたもん。材料を買いに行くんでしょ。私も行く!」
「駄目だ! 俺様一人で買いに行く。お前はケイトと留守番していろ!」
「やだ。私も行きたい!」
シエラに振り回され、ナディアキスタはずっと頬を膨らませていた。私もシエラを「まぁ、魔女って知られたら困るだろ?」と説得するが、シエラは言うことを聞かなかった。
「材料が手に入ったら、その場で魔法かけてくれるかもしれないじゃん。それに、魔法の材料って面白そう! ちょっとだけ見たいの!」
「いい加減にしろ。魔女の魔法材料を売る店は、ひっそりと隠れているものなんだ。それを魔法も使えん愚か者のせいで知られたら、魔女にもその店にも迷惑がかかる。それくらいの頭も働かんようなガキを、連れて行けるか!」
ナディアキスタが怒る理由も分かる。
だが、シエラは「絶対に言わないから!」と譲らない。しばらく外で遊んだことのない年頃の娘にとって、ナディアキスタにくっついていくのは、ちょっとした冒険のような感じなのだろう。
しかし、そのせいで店の場所や内容を知らない人に知られたら、魔女狩りが起きるかもしれないし、店が壊されるかもしれない。
下手したら国だけでなく、近隣諸国にも影響が出るかもしれないのだ。それを踏まえても、連れて行くのは、はばかられる。
「シエラ、私と一緒にカフェで待つとかじゃダメか? 国の中で見つかるのが嫌なら、外で待っていよう。あまり、ナディを困らせるな」
「言いふらしたりなんかしないわ。私は口が堅いんだから」
「そう自信有りげに言った奴が、俺様たちを苦しめたんだ」
ナディアキスタはシエラを威嚇する。彼の威圧にシエラはビクッと怯えた。シエラはムスッとして「やっぱり魔女は悪い奴ね」と文句を言った。
ナディアキスタは怒って、私から毒針を奪い取り、呪いをかけようとする。
「汝──」
「わー! 待て待て待て! それは対人用じゃない! やめろ!」
「お前は、このガキの味方をする気か!!」
「そうじゃない! やり方ってのがあるだろ!」
「自分の思い通りにならないからって、他人を悪く言う奴に! 加減なんているか!?」
「知らないだけだ! 無知なだけだ!」
「その無知が、誰かを傷つけて! 怒らせてるんだ! 『知らなかったから』で済まされるとでも思うのか!?」
ナディアキスタの剣幕に、シエラもさすがに悪いと思ったのか、「ごめんなさい」と謝った。
「わざとじゃないの。国に戻っても、もう魔法のガラス細工を作らなくてもいいって思ったら、ちょっと嬉しくなっちゃって、それが止まんなくなっただけなの。
そうだよね。知られたくないものって誰にでもあるし、ついてきて欲しくない理由だって、ナディさんちゃんと言ってたのに。私、身勝手だった。ごめんなさい」
シエラは素直に頭を下げた。
「もうそんなことしないから」と約束すると、ナディアキスタも怒りを下ろす。毒針を私に返すと、ふん、と鼻を鳴らした。
「誰かに俺様が魔女であることを言うな。それと、これから行くところでは絶対に騒ぐな。俺様の海より広い心を踏みにじるようなら、その口を針金で縫い付けて、体を引きちぎって魔物に食わせるからな」
そう脅し、ナディアキスタはさっさと森を歩いていく。相変わらず、素直じゃない。シエラはキョトンとして私を見上げた。私は呆れた笑いを浮かべて、ナディアキスタの背中を見つめる。
「『ついてきてもいいが、騒ぐなよ』ってことだ」
「ホント!? ありがとうナディさんっ!」
シエラは、大喜びでナディアキスタに抱きついた。「ぐえっ!」とカエルが潰れたような声を出して、ナディアキスタは怒る。私は二人の背中を見守りながら森を抜けた。