25話 家族の形
ガラスの国は、魔物の他にも動物が多く、狩りにはとても向いていた。
私が射止めた鹿で腹を満たし、ナディアキスタが作った野草のお茶で、ゆったりとした時間を過ごす。
「もう寝ろ」
月が空の一番高いところに昇る。
火の番をしながらちまちまと作業をするナディアキスタが、私の方を振り向かずにそう言った。私は気づかれたことに少し驚きながら、「いや、まだいい」と彼の隣に座る。
「何をしてるんだ?」
私は、ナディアキスタの足元に転がる物に目をやった。
小さなフラスコと、試験管が数個。焚き火に掛けた小鍋の中は、黄色と緑のグラデーションになっていて、ピカピカと光っていた。
「獣の国なら、鑑定技術があるが、ここにはないし、あったとしても調べられたら困る」
「じゃあこれは、シエラの身体情報を調べているのか?」
「近いっちゃ近いな。だがどちらかと言うと、遺伝子だ。遺伝子情報」
「······へぇ〜」
「ふん、分かると思ってない。怠惰で学もない、哀れで救いようのない人間に、理解なんて求めてないからな」
そう言うと、ナディアキスタは混ぜていた木の棒で、小鍋のふちを叩く。
鍋から立ち上る煙が、私には読めない文字を浮き上がらせた。
「魔女の術式だ。読めやしないだろうが。読むなよ。解読されないようにしているんだ」
「分かった。で、何を調べていたんだ?」
「シエラセレネの家系だ。昼に言っただろう。魔女の星の力を、ガラス細工に使える理由が分からんと」
「そういや言ってたな」
ナディアキスタは棒でついつい、と術式をつついて動かす。ふわふわと上り、遡られていく式は煙と一緒に消えていく。遡り続け、一番下にあった掠れた術式に、ナディアキスタは顔をしかめる。嫌悪、と言うよりは、傷ついたようなしかめ方だった。
「──シエラセレネの先祖は、魔女だったのか。星から魔法を引き出せるのも、ガラスに込められるのも、これで納得がいく。魔女の家系なら、出来てもおかしくはないからな」
「魔女!?」
私がうっかり大きな声を出すと、ナディアキスタが私の口を塞ぎ、「しー!」と唇に指を立てる。
「大きな声を出すな馬鹿者。シエラセレネに聞かれたらどうする気だ」
「困ることはないだろう。先祖が魔女ってことくらいで」
「それが理由で虐げられた奴も見てきた。お前の国にも俺様の言い伝えがあっただろう。恐ろしいものとして描かれた、言い伝えが。
理由を知る者ならば、恐るるに足らないことだろうがな。理由を知らぬ者には、得体の知れない化け物なんだ」
ナディアキスタはそう怒ると、ぷんぷんしながら鍋をかき混ぜる。私は彼の隣で、言わなければ良かったのに、ボソッとこぼしてしまった。
「──魔女って、子供産むのか」
それが、ナディアキスタを更に怒らせた。
「当たり前だ! お前、この俺様を前にして何を見てきたんだ。俺様の崇高なる言葉を聞き、慈愛の手を取り、何を感じていたんだ。偉大なる俺様の前で愚問中の愚問を堂々と吐ける、貴様の神経が知れん!」
「大きな声を出すな。傲慢自尊心カンスト野郎」
「呪いが使える。魔力を放出する回路があるだけの、ただの人間だ。生殖機能だって正常に動作するわ」
「生殖機能とか言うな。生々しい」
「切られたら痛い。贈り物を貰えば嬉しい。誰かが死ねば悲しいし、好きなものを共有したい。そんな当たり前の感情が、『魔女』という理由だけで、奪われなくてはいけないのか?!
魔女は化け物なんかじゃない。魔女は心のない魔物なんかじゃない。人間なんだ。魔力を、己の力を具現化出来るだけの、お前と変わらない人間なんだ!」
ナディアキスタは怒りのあまり立ち上がり、私を威嚇する。
言われれば、ナディアキスタは人間で、魔法が使えるだけの男だ。矢が脇腹を掠った時も痛そうだったし、心を噛み潰すような辛そうな表情もした。誰かを怒ることもあり、笑ったり、悲しそうにもなる。
私だって、押しつけられたレッテルに怒ったり、アニレアや親のせいで悲しんだ事もある。もちろん嬉しいこともあるし、腹を抱えて笑ったこともある。
それが大昔の魔女にも、ナディアキスタにもあるということを、私は想像出来ていなかった。
「──ごめん。配慮が欠けていた」
私はナディアキスタの手を取り、彼を隣に座らせる。
ナディアキスタは不満そうに焚き火を見つめ、枝をくべる。揺らめく火を二人で見つめながら、私はナディアキスタに言葉の限り謝罪した。
「そりゃそうだよな。私にも家族がいた。家系の枝葉なんて、月まで届くほど途方もなく続くのに。魔女にも家族がいたってちっともおかしくないよな。
魔女にも家族がいるんだって、想像していなかった。私にとって魔女っていうのは、少し遠い存在なんだ。日常的に出会うこともないし、関わりがあるわけじゃない。ナディアキスタは別だ。でも、だからこそ『自分とは関係ない』って考えるっていうか」
「『魔女は普通とは違う』と考えるんだろう?」
「ああ。······ああ、そうだ。わざとじゃなくても、ナディアキスタを傷つけた。魔女を蔑ろにした。それは、高潔な騎士の振る舞いには程遠い。気が済むまで詫びよう。本当にすまなかった」
私が謝ると、ナディアキスタは膝を抱え、頭を埋める。
許してもらえなくてもいい。私はそう思いながら、ナディアキスタの背中をさする。ナディアキスタは少し時間を置いて、「分かればいい」といつものように傲慢な態度をとった。
「浅はかな人間だ。自分たちとほんの少し違う、その違いを認められない愚かしい人間に、魔女の慈悲や清き心を説くのは何の意味もない。
猫に小判。豚に真珠。馬の耳に念仏。人間が生み出した言葉だけで生涯馬鹿にできる。だが、お前は愚かしい人間の中でも、多少頭がいい部類に入るようだから言っておくぞ」
「魔女はただの『総称』。魔法を使えた者の、古の名。種族が変わるわけでも、魔物と同じ血が流れているわけでもない。次言ったら、貴様の心臓から茨を生やしてやる」
ナディアキスタの忠告に、私は「肝に銘じる」と了承した。こればかりは私が悪い。
「······騎士の地位を守っている身。椿は国の花だし、私が捨てた花だ。だから、お前に誓うものが見つからない」
「はっ、わざわざ誓いを立てる気か? 魔女は約束には厳しいぞ。口約束でも破れば痛い目に遭う。死に急ぎたくなければ、迂闊に誓うなんて言うのはよせ」
「いいや。ちゃんと誓いを立てる。魔女と呼ばれた彼らを、私は軽々しく傷つけた。人間として見ていなかった。それが騎士として、人として、やっていい事とは到底思えない。二度としない」
私はナディアキスタに跪き、片手で彼の手を取り、片手を騎士らしく胸に当てる。
珍しく恭しい態度を見せた私に、ナディアキスタは少し驚いていた。行き場のない手を泳がせて、「正気か?」と、心配した。
「ナディアキスタ、私は──ケイト・オルスロットは、この名にかけて魔女を蔑むことを絶対にしないと誓おう」
私はそう言って、ナディアキスタの手の甲にキスを落とす。それが、騎士の国の誓いの流儀で、約束を守るための見えない刻印だ。
しかしナディアキスタは知識こそあるだろうが、実際にされたことは恐らくない。刺激が強かったのか、顔を赤くして「ぅあ、おぉ···」と声を漏らす。
そのまま動かない彼が段々心配になってきて、私は顔を覗き込む。
「おい、大丈夫か?」
「うひゃ!? な、何でもない。本当に魔女に誓いを立てるのかと、おっ、驚いただけだ!」
「顔が赤いな。慣れない旅で、ついに熱でも出たか?」
たかが騎士の国の『約束』に、顔を赤くしたなんて思っておらず、私はとりあえずそう尋ねた。ナディアキスタは「うるさい! ほっとけ!」と私の優しさをはね返した。
すぐ不機嫌になるナディアキスタには慣れている。私はシエラが起きていないか確認して、折りたたんだ弓を展開する。
弦の点検をしていると、ナディアキスタはシエラを見下ろし、鼻で笑った。
「──贅沢だな。家族がいるのに。脅かされる不安もなく、与えられる物を疑いもせず、ただただ愛されて生きて」
ナディアキスタの分かりやすい妬みに、私は反応した。
「家族の形なんて、人それぞれだ。私のように妹に全てを持っていかれて居場所を無くしたり、お前のように愛しい弟を奪われたり」
「······反発出来るのに。こうして家出しても探してくれる人がいるのに。どうしてそれを、『不幸だ』なんて軽々しく言えるんだ?」
「私たちがそこそこ地獄を見ただけで、辛さも苦しさも誰にでもある。その程度が、人によって桁が違うだけだ」
ナディアキスタはシエラを見下ろしたまま、悔しそうにこぼす。私はそれを、軽くあしらった。
「仕事なんて、いくらでも話を聞いてもらう方法はある。ボイコットでも何でも。家出も一つの手段だろうが、命を軽んじるようなやり方をしてまでも、放棄したいものなのか?」
ナディアキスタの瞳孔が開く。息が少しずつ荒くなり、顔も熱を帯びていく。
怒りが抑えられないのか、恨めしくてたまらないのか、どちらにせよ危険だ。私はナディアキスタの次の行動を警戒しながら、彼に声をかけ続ける。
「落ち着け、ナディアキスタ。シエラはまだ子供だ。十六の娘だ。まだ考える力が弱い。そうだろう?」
「それでも命の尊さは分かる。オムツを卒業出来ない赤子とは違う」
「あぁ、そうだな。でも彼女も辛かった。朝から晩まで休みなく仕事。食べ盛りの頃に与えられる食事が雀の涙。たかが魔法のガラス細工のために、費やされた彼女の時間も労力も、他の同い年の子と比べたら──」
「慈愛に満ちた俺様はその気持ちくらい理解してやれる! だがこいつは、『家に帰るくらいなら死んだ方がマシだ』と、この俺様に言ったんだ!
確約されない明日の朝を切に願い、一人また一人と弟が消えていく度に、血涙が出るまで泣いたこの俺様に! 生きることの幸せを、家族のいる喜びを、何度も何度も夢に見て、実現するため、に······数多の、じっ、時間と、知恵と技術を費やしてきた、こ、このっ、俺様にぃ······!」
ナディアキスタは後半から堪えきれなくなって、泣いた。私は思わずナディアキスタを抱きしめた。顔を見ないように、肩に彼の頭を押しつけて、飛び出そうな心臓が伝わらないようにと、願いながら。
ナディアキスタは弱々しく私の胸を叩いた。
「悔しい。悔しい! 俺様の弟という理由で、死なねばならなかった子供がいたのに、俺様が魔女だからという理由で、居場所を追われ、奪われたのに。何の苦労もなくのうのうと生きてきた奴が、それらを捨ててもいいなんて、贅沢にも程がある!
要らないなんて言うな! 皆が生きて朝日を拝むなんて、俺様が喉から手が出るほど欲したものを、要らないなんて!」
──無念の叫びだった。後悔と、悲哀が嗚咽混じりに飛び出してくる。
私はそれを、「うん、うん」と返して、撫でてやるしか出来なかった。
家族がいた。愛されなくてもそこにいて、冷たくともご飯を食べて、自分で整えた寝床で眠る。遠い笑い声を聞いて、減りに減った服を着て、叩き込まれた振る舞いで家族に接する。
『血の繋がった他人』
私は家族をそう思っていたが、それでも家族であることに変わりはない。形だけだろうと、家族がいたこの身で、ナディアキスタに同意なんて出来やしない。
きっと魔女というだけで、虐げられてきたのだろう。きっと魔女という理由だけで、家族が散り散りになったのだろう。
弟たちから受け取ったその寿命で、ナディアキスタは歴史の中を歩んできた。いつだって人間は、魔女を虐げてきただろう。
「わかるよ。その気持ち」なんて、軽く言えたものじゃない。私には彼が今まで受けてきた仕打ちも、彼が今まで感じてきたことも、分からないのだから。
「······自ら家族を切り捨てた私じゃ、害意によって家族を奪われたナディアキスタを、慰める術がない。だから気が済むまで泣いてくれ。落ち着くまで、こうしているから」
私はそう告げて、ナディアキスタの背中をさする。
ナディアキスタは拳を握り、声を押し殺して泣いていた。私はただひたすら彼の背中をさすって落ち着かせる。
地面に落ちるナディアキスタの涙は誰もすくい取らない。望めない明日に泣く彼は、見た目相応に幼かった。
私は空を見上げる。無数の星が、ナディアキスタを慰めるように回っていた。私はその星空にため息を落とす。
彼の瞳の方が綺麗だなんて、思ってしまった。