19話 旅支度を
三日もしないうちに、騎士団内に任務の手紙が来た。
私に届けられた手紙にある、花と蝶々の封蝋。その手紙の内容は、ナディアキスタが書いたとは思えないほど丁寧に、『ガラスの国への護衛』の依頼が綴られていた。
私は最初、オルテッドが書いたのかと疑ったが、オルテッドの文字は歳に不釣り合いに丸く、女性的な形だ。手紙の文字は達筆で、読み書きの手本のような綺麗さがある。
「······あの野郎。性格に似合わない字を書くなぁ」
うっかりそうこぼしてしまうほど、綺麗な文字だ。これほどの腕なら、貴族の家庭教師になれるだろう。身分を隠して働けばいいのに。
私は『受諾』のハンコを押し、騎士団長─エリオットに、長期護衛任務の申請書を提出する。エリオットは寂しそうに申請を許可すると、「早く帰ってきて」と私の手を握る。
「握るなバカタレ」
私は彼の手を振り払って、城を離れた。
***
適当なサイズの服を見繕い、私は魔女の森を訪れる。
ナディアキスタの小屋に着くと、彼に服の入った袋を渡す。ナディアキスタは不満げに私を睨んだ。
「俺様に服なぞ必要ない」
「全裸で行く気か!?」
「最後まで聞け馬鹿者! そんな破廉恥な真似するか!」
ナディアキスタは入っている服を出すと、自分に合わせながら文句を垂れる。
「わざわざ変装する必要が無いって意味だ。オルテッドに行かせ、魔法道具を見つけたら、奴に俺様を召喚させればいい」
「そうかもしれない。が、足腰が悪いオルテッドにそんな無理はさせられない。それに、オルテッドじゃ魔法道具の見分けなんて出来ないだろう」
「それもそうだな。だがなぜ服を寄越す。変装用なら一着でいいだろう」
「お前のワンピースみたいな服は、どの国でも浮くんだよ。いかにも『魔女です』って格好でうろつかれたら、殺す人数が増えて手間だ」
「いちいち殺すのか? 何かを殺していないと気が済まないのか?」
「それに、長旅になるかもしれない。着替えがあった方がいいだろう」
私は服の値札を切り、ナディアキスタに着せてみる。
何となくこのくらいだろう、と思って買った服は、ナディアキスタの背丈にピッタリで、彼は引き気味に「マジか」と呟いた。
「お前、俺様のこと見すぎじゃないか?」
「お前なんかより、オルテッドの方を見てる気はするな」
「ピッタリすぎて怖い。おおよそで買ったんだろう?」
「うん。おおよそで買った。ちょっとした特技でね。魔物の背丈を、誤差一センチで当てられるんだ」
「俺様は魔物じゃない! 無礼者!」
ナディアキスタは怒りながら、残りの服を出して値札を切る。値札についた金額を見ながら、ナディアキスタはふん、と鼻を鳴らした。
「······この二着は要らない。俺様の趣味じゃないからな」
「あ? そうか。じゃあこれとは別に、あと二着買うか?」
「いや、いい。そもそも五日分も必要ない。三日分で足りるだろう」
「毎日服を洗ってられないから、多めに持っていくのが当たり前なんだ。道中は川も少ないしな」
「無駄に荷物が多くても困るだろう」
ナディアキスタは袋に服を戻すと近くの椅子に置いた。持っていく服は、少し綺麗な袋に詰める。
私は、ナディアキスタの持ち物の少なさに不安になりつつも、彼に反論するのをやめた。癇癪を起こされても困る。
(まぁ、足りなくてもいいか。服なんてどこでも買えるし)
ナディアキスタは「明日行くぞ」と言って椅子の袋を持ち、私を置き去りに領地へと行ってしまった。相変わらず、ナディアキスタの行動は自分勝手だ。
私は魔女の森を出て、屋敷に戻る。
ドアを開けると、ほんの少し遅れて、モーリスが慌てて出迎えに来た。
「ケイト様。お出迎えが遅くなり、申し訳ございません」
「遅いって、帰ってきてたった二秒だろう」
「いいえ。執事たるもの、侯爵様が帰る時間を把握していなくては」
モーリスは髪をかきあげ、オールバックを整える。
走ってきたからか、少し息が上がっていた。首元のボタンをひとつ外し、ネクタイも少し緩めた跡がある。屋敷内をほんの少し走ったにしては流れる汗の量は多く、私がつけるはずのない香水の匂いがする。
普通ならば、執事の怠慢と不祥事を疑い、咎めるところだろうが、私はフフッと笑った。
モーリスはキョトンとしていたが、ふわりと香水が香ったのだろう。ハッとして慌てて弁明をする。
「いえっ! これは、そのっ。決して侯爵様が不在の間に不貞を働いたわけではなくっ!」
「分かっているとも。ああ、もちろん。お前がそういう事をする奴じゃないと知っているから、私は笑ったんだろうが」
「うっ。も、申し訳ございませんでした」
「いや、気にするな。姉君によろしく伝えておけ。また突然、服の合わせに呼びつけられるだろうからな。仕立て屋は忙しいな」
「······次に会うときは、お休みの日に致しますので」
「いや、別に構わないぞ。お前は、きちんと仕事の準備を整えて抜けるだろ。何も困らないとも」
モーリスは恥ずかしそうに私を部屋まで見送った。
私は自分の部屋で、旅支度を整える。そうは言っても、クローゼットにある袋の中身を確認するだけ。いつでも旅ができるように、荷物は常に用意しているのだ。
数日分のシャツと非常食、水筒と応急処置のセット。あと気持ちばかりの毒。それらをテーブルの上に置き、ローブと短剣やら針やらを出しておく。
全て確認すると、私はベッドの上に胡座をかき、剣の手入れをする。
剣は常に最高の状態にしておくのが騎士の心構えだと、今は亡き父が言っていた。その父も、騎士団を離れてからは、剣の手入れなんてめっきりしなくなったが。
口先だけだったなぁ、なんて思っても仕方がない。
怪我で騎士団を抜けたのだ。剣なんて見たくもなかっただろう。知らないけど。
剣の手入れを終えると、次は短剣、その次は隠しナイフ、針から何から、全ての手入れを済ませる。毒の効果も確認する。花弁を溶かす毒は、少し効き目が弱まっていた。
新たに毒を調合し、より強い毒を生み出す。
こんなものだろう、と外を見た時には、もう夜になっていて、私は時間の流れに驚いた。
時計を見ると、九時を過ぎていて、夕食を食いっぱぐれたことにショックを受ける。
こっそり厨房に忍び込むと、モーリスに注意されるし、魔女の森から雇った侍女に用意させて、とばっちり食わせるのも申し訳ない。
──でもご飯は食べたい。
足音を立てないように部屋を出て、気配を消して厨房に忍び込む。
厨房の明かりは消えていて、私はダイニングの燭台に火をつけ厨房を照らす。揺らめくロウソクの火に照らされた厨房には、湯気が立つビーフストロガノフと、デザートのイチゴのババロアがあった。まるで、ついさっき用意したように。
「うっわ、バレてる」
私は堪えきれずに笑い、出来のいい執事が用意した遅めの夕食に手をつけた。音を立てずに食べるのは、皇太子妃になるための厳しい訓練のお陰で得意だ。戦場でも役に立つとは思わなかったが。
食器の音すら立てず、噛む音も静かに、私は夕食を平らげる。五分ほどで食事を済ませるのは、戦場での習慣だが、デザートだけはゆっくりと味わいたい。
戦場でスイーツなんて食べていられないし、血濡れの椿だろうと、厳しい副団長だろうと、私は甘党なのだ。甘いものが好きなのは仕方がない。
「ん〜〜〜っ! さすがモーリス。いいイチゴを手に入れたんだな」
私はたまらず声が出る。
美味しい。イチゴの甘酸っぱさと、牛乳の濃厚な味わいが程よく絡み、ゼラチンのつるんとした喉越しが、胸を高鳴らせる。砂糖を控えているからか、イチゴ特有の甘さが際立っていて良い。
何個でも食べられそうな味だ。
「ご馳走様でした。あ〜、美味かった」
食器を片付け、私は部屋に戻る。
ふと、部屋のドアに紙袋がかかっていた。それがすぐに、ナディアキスタが置いたものだと気がついた。
私は部屋で紙袋を開けると、中には森の誰かの手作りであろう白椿の髪留めが入っていた。
「······あいつ。昼のアレを」
シンプルだけど、使い勝手の良い品をじっと見つめ、私は独り言を呟く。
森の住民にあげたい……なんて、素直に言えばいいものを。どうして奴は、ひねくれた態度しか取れないのだろうか。
「服くらい。いくらでも買ってやると言うのに」
私は髪留めをドレッサーの引き出しに、大切にしまった。ごろんとベッドに寝転び、高くなった月を見上げる。明日から、私はガラスの国へと旅立つ。ナディアキスタは一体、どんな気持ちだろうか。